表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
余命を知ったその日から  作者: 村上は


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

60/62

第60話 炊き込みカレー

 『今日、十月二十六日は最高の秋晴れでした。こんな方も多く見られました』

テレビは半袖姿の若者たちを映していた。


 今では『パパ』という響きが自然に思える。

照れくさかった頃は、喜びが溢れていたかもしれない。


 今の僕には二つの響きが存在する。

三度生まれ変わったもの。

沢村さんで始まり、和人さんとなり、そして今では年季が入っている。

最初からパパだったもの。

厳密に言えば、それはパーパから始まった。


 昨日から、僕は休暇を取っていた。


 美咲もそうして欲しいと僕に言った。

重村の死が、この前と違う選択を美咲に与えたのかもしれない。


 会社ではこの日に備えてきた。一番の苦労は、五千通近くあった電子メールの整理だった。

メールは関連ごとにまとめた。そして、機密、重要、情報の三つに分類した。

それから、電話で話す時は、取引先の言葉を大きめに復唱するようにした。

会社に置いていた私物も、徐々に減らしていった。


「美咲、華。お出かけしようか」


 たまに、僕は料理をする。作るのは炊き込みカレーだった。

最初に『炊き込みご飯とカレーライス』と言った時、

美咲は、

『炊き込みご飯とカレーでしょ』と主張した。

彼女は最初、カレーと炊き込みご飯を別々に食べていた。

ある時、ほんの少しカレーを炊き込みご飯の上に乗せて、口へ運んだ。

出た言葉が『意外』だった。

美咲はこれを『炊き込みカレー』と命名した。


 僕は車のキーを手に取り、華を抱きかかえた。

着替えを済ませて二階から降りてきた美咲を見て、僕は華を強く抱きしめてしまった。

ドイツで最後の夜に着ていたワンピース姿だった。

僕はこの服がどこにあったのか知らなかった。

「お待たせ」

美咲は少し照れくさそうに僕を見た。

「今日のママ、きれい」

「本当だね……何も変わってないね」


 僕は華に顔を当て、先に車に向かった。

「きょうは、パパがおりょうりするの」

「パパの炊き込みカレーは好き?」

「パパのカレーはおもしろいから、すき。ママが言っていたよ」


 華が落ち込んだ時、美咲はどうするのだろうか。

レシピは残しておくとするか。


「パパ、今日もたっぷり作ってね」

「ああ、たくさんおもしろいカレーを作るから」


 僕はメイクイーンのジャガイモを手に取った。

美咲はカレーには男爵を使うが、僕は原型が崩れやすいメイクイーンを使用する。

次に、淡路島産の玉ねぎを手にした。そして、沖縄・津堅島のにんじん、青森県田子町産のにんにく、熊本県八代市産のトマト、青森県岩木山麓産のりんご、そして兵庫県の黒田庄牛。なければ産地はどこでもよい。

「よし、これでカレーの材料は揃った。忘れ物はなかったかな」

「パパ、これも」

華は僕にイチゴを手渡した。華の大好物だった。

「華、これはカレーには入れないよ」

華は笑いもせず、他の好物を探しに行った。

美咲は苦笑いを浮かべていた。

その笑いは、いつもと違って見えた。

「後は炊き込みご飯の材料を揃えないと」

今の僕にできることは、材料を漏れなく揃えることである。


 材料は揃ったので、僕と美咲は華を探した。

華はケーキ売り場の前で、楽しそうに思案中だった。

華は僕に似たのだろうかと美咲に言っても、

『子供はみんなケーキが好きよ』と否定されそうだ。

「華はどれがいいの」

美咲は華に聞いた。華は決められないでいた。

イチゴが重そうに乗っているショートケーキと、バナナが使われている円柱の形をしたケーキのどちらかで。

「華、両方買おう。食べられなかったらパパが食べるから」

僕は華に言った。

美咲も微笑んで、

「それじゃ、私も二つ選んでいい?」と僕に言った。


 自宅に着いてすぐに、カレーの準備に入った。僕が作るカレーは時間が掛かった。

「ママ、華。ケーキを食べていいよ」

華は見上げて美咲を見た。そして、冷蔵庫からケーキを持ってきて、

「ママ、どれにするか決めて」

僕はケーキ皿とフォークをテーブルに置いた。

「ママ、きめた?」華はママをせかした。

「じゃ、ママはこのフルーツの」

「はなはイチゴにする」

そう言って、二人はケーキを食べ始めた。


 僕は沸騰したやかんを手に取り、ハーブの入ったティーポットにお湯を注いだ。

「ケーキのお味はどうですか」

と言いながら二人にハーブティーを渡した。

「華、あついから、きをつけてのむんだよ」

「パパ今日、サービスが良すぎない?」

「今日は休みだから、働かないと」

彼女がいつもと変わらないから、僕は上手く言葉にできなかった。


「パパ、はい」

小さな手に持たれたフォークには、自分が好きなイチゴが生クリームを従えて刺さっていた。

僕は玉ねぎを切ってはいなかったが、イチゴを食べた瞬間、もう耐えられなかった。

「パパ、そんなにイチゴがおいしいの?」

華は不思議そうな顔をして僕に聞いた。

僕は鼻声で華に言った。

「うん。本当に美味しい」

「涙もろいな。イチゴで泣くなんて」

美咲は、先に泣いた僕がずるいと思っていたのだろうか。

「そうだ、パパはカレーを作らないと」


 僕はキッチンに戻った。そして、ジャガイモの皮むきから始めた。皮を剥き終えると、それを水の入ったボールに移した。

今度は、炊き込みご飯に取り掛かった。炊き込みご飯は、ツナとエノキを入れてご飯を炊き込むだけである。


 にんじんを大胆に切り、玉ねぎもそうした。その工程はいつもと同じだったが、そのスピードはゆっくりとしたものだった。

「シェフ、順調ですか」

美咲がティーカップを二つ持って様子を見に来た。華はケーキのお皿を重ねて僕に渡した。美咲はカウンターに座り、僕を見守った。


 華は背の高い椅子に座った。そして二人は、ハーブティーを飲みながら僕の手際を楽しそうに眺めていた。

こうやって二人に見られながらカレーを作るのは初めてである。自然とその手は、いつもより丁寧になっていた。

「ねぇ、手伝おっか」

美咲は腕まくりをしながら言った。

「それじゃ、お言葉に甘えて手伝ってもらおうかな」

二人でキッチンに立つのは久しぶりだった。


「じゃ、にんにくを潰してもらおうかな」

「いいわよ。どのくらい使うの」

「全部使っちゃって」

「えっ、これ全部使うの? いつもこれくらい使っていたの?」

「驚いた。でも、それくらい入れないとパワー出ないから」

「何にそんなパワーが必要なの」

美咲は微笑みながら、僕に言われた通りにんにくを潰し始めた。

「やっぱり男の料理は大胆ね」

「これくらいじゃないと、煮込むと見えなくなるから」


 僕が得意げに言うと、

「前から言いたかったんだけど、私、お野菜やお肉がごろごろしているカレーが好きだったの」

「知っていたよ。でも、僕が作ったカレーを食べて欲しかったんだ」

「パパが作るカレーは好きよ。今はお野菜やお肉が煮込まれてないと、カレーって感じがしないの。だから作り方を覚えないと……」


 美咲は手を止めて、

「同じ味のカレーを作りたいの。パパのカレーを……

色んなことをもっと共有したいの……」

美咲はその場で泣き崩れた。僕は美咲を抱きかかえた。そして、しばらくそうしていた。


 結婚して、美咲が泣いているところを見たことがなかったが、僕はなぜか許されたような気持ちになった。

華は戸惑っていた。

僕はこの光景を華に見ていて欲しかった。

大人になったときに思い出して欲しかった。そして、その理由を美咲に聞いて欲しかった。


「華、ママにキスしてあげて」

華は椅子から降りるのに、少し時間を要した。

僕は華を抱きかかえた。華は美咲の右の頬にキスをした。

「華、ママがもし泣いていたら、同じようにキスをしてあげてくれる?」

華は不思議そうに僕を見て、そして頷いた。

「華、パパにもキスをしてくれる?」

華は頷いた。

「華、ありがとう」

僕は華をママに預けた。


『でもね、作り方なんて覚えなくてもいいよ。華が知っているものだけ作ればいいのだから』


 僕は塩と胡椒で味を整えながら、ジャガイモ、にんじん、牛肉、玉ねぎと順番に炒めていった。

「ここまでは、普通だろう」

頷く美咲を見て僕は続けた。僕のカレーは丸ごとトマトを入れ、りんごを擦って入れ、あとは煮込むだけである。


 僕は鍋を前にして、何か足りないような気がしていた。

「美咲、何か忘れてないかな」

「入れ忘れたってこと?」

「ああ。いつもより何か少ない気がするんだ」

「できあがりは、みんな形が壊れているから……」


 僕はもう一度、頭の中で材料を揃えてみた。ジャガイモ、にんじん、玉ねぎ、にんにく、お肉、それと……

「美咲、茄子を忘れていた!」

「確かに、パパの作るカレーには茄子が入っていたわ」

美咲は野菜室を探した。

「ちょっと古いけど、いい?」

「ああ、助かるよ」

僕はときどき茄子を買うのを忘れる。

美咲から手渡された茄子を見ると、それは僕だけが使う京都の加茂茄子だった。

「あまり茄子のことを忘れると、茄子が拗ねちゃうわよ」


 こんなことは無数に僕の周りに存在しているのだろう。僕にはそれを全て知るための時間はあるのだろうか。


 小皿にカレーを移し、美咲の意見を求めた。

「うん、いつものカレーだわ」

美咲がカレーを運んでいる間に、冷やしておいたラッシーを冷蔵庫から取り出した。今日の夕食の全てが揃った。

「それじゃ、パパ。一言お願い」

僕は考えずに、

「美咲、華、ありがとう」

「はなもありがとう。パパのカレーが一番好き」


 僕は、華が成長して今言った言葉を思い出し、意味も知らずにありがとうと言ったことを後悔するなら、華に言いたい。

華の言ったありがとうの意味は、パパには伝わったよ、と。

「パパ、ありがとう」

「華、今日のカレーの味はどう。上手くできているかな」

「うん、おもしろいよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ