第53話 ドイツでの休暇
ゆっくりと橋に向かった。前を走るポルシェも同様に速度を落としていた。僕は自然と口にしていた。
「目の前に広がる景色とポルシェのフォルムって調和している」
「美咲さん、沢村さんこんな人だったの」
秋帆は笑いを伴っていた。
「私の知っている和人さんは、いつもこんな感じよ」
美咲も笑いを伴っていた。
「沢村、反論はないのか。この絶景を目の前にして」
片桐も笑いを伴っていた。
「まあ、みんなには芸術的センスがないんだ」
「沢村の肩を持つ気は無いが、日本には合わない」
「デザイナーの人ってヨーロッパでセンスを磨くらしいわ」
美咲はミラー越しにウインクしたように見えた。
「でも、生まれながらに染みついたものは、成人してからでは真似は出来てもオリジナリティは出ないだろう」
片桐はドレスデンの街に向かって言っているようだった。
エルベ川の橋をゆっくりと走行し、夢の街と思えしものが姿を見せてきた。
ホーエンツォレルン城の時は、大女優の素顔を見ない選択をした。でも、それは現実に存在していて夢の街ではない。
橋を渡り切ると石畳のおかげで振動が激しくなった。車での侵入に対する警告のようである。前にいたポルシェが、働きバチが巣に帰るように消えていった。
先頭に立つことは視界は良いが不安を煽る。僕らの車以外見当たらないため、自宅に乗りつけたような錯覚に陥った。カフェにいる人が不思議そうにこちらを見ているのは気のせいだろうか。
滞在先はゼンパー・オーパーに近く、聖母教会を望むことができるヒルトンホテルを予約していた。ロケーションは旧市街に位置している。
予定通り、オペラを経験することになった。美咲と秋帆は、オペラ鑑賞に相応しい服装を準備していた。
美咲のフォーマルは秋帆の二つ目のトランクに入っていた。秋帆のトランクを運んだ労力は当然の義務だったのだ。
僕はホテルの周りをスーツを求めて探検することにした。旧市街にあるセレクトショップに入った。片桐は『俺はもうその段階は終わったけど、経験した方がいい』と片桐目線でイタリアのハイブランドを勧めてきた。美咲も秋帆も勧めてきた。結局、片桐の勧めたものにした。決め手は履き心地だった。体にフィットするのだが、窮屈には感じない。締まっている所は、そうあるべき箇所で、余裕が欲しい箇所にはそれがある。歩く時もストレスを感じない。なるほど。
試着している最中に、美咲がセットアップに合うシャツを選んでくれた。
鏡越しに新しい服を着た僕の隣には美咲がいる。この買い物はおまけだったはずが、オペラも霞んでしまった。
実際に、オペラの前半が終わるとインターミッションと呼ばれる休憩時間が設けられていた。多くの観客がホワイエに準備されていたシャンパンを手に談笑していた。
僕たちもと思ったが、「昼寝には高価すぎない?」と美咲が腕を組んでエントランスに向かった。僕は寝てない。
秋帆も、「後半ブッチしよっか」と数学の授業のように片桐の腕を組んだ。
片桐は一言だけ置き土産として、
『寝るのは仕方ない、寝させてしまう方に問題がある』と。
それから、予定通りと言って良いのか、プラハからレーゲンスブルクでスイーツの名物ダンプフヌーデル・ウーリを食べた。ドイツらしいスイーツであり、細やかさというより、忠実に歴史を紡いでいるようである。面白いのは営業時間が、10:01〜17:01と一分刻みであることだ。
秋帆は発注ミスじゃないと皆を笑わせた。滞在はドナウ川に掛かった最古の石橋と言われている側にあるソラト・インゼルホテルである。地下にある駐車場は狭いが意外と小回りが利いた。
早朝、美咲とドナウ川沿いを散歩した。対岸から観る旧市街は幻想的だった。街灯もオレンジ色で、川からほんのり立ち込める蒸気が別世界を煽てていた。
異国の地で美咲の色んな側面に触れることができた。片桐達が遅刻して二人で来られたらと期待した。それも、もう遠い過去である。
僕らは日本に帰国した。異例の気温の高さから、出発の時には見られなかったTシャツ姿の若者が数多くいた。
若い女性のスカートの丈も平均して短くなっていた。
それ以外は全てが元のままだった。
日本からドイツの方角を眺めた。
将来、あそこを訪れることはあるのだろうか。美咲が望むなら行ってもいいかな。
そして、永井とアネットが生活する家と二人の笑顔が、くっきりとスモッグで淀んだ東京の空に浮かんだ。




