第51話 二人のために
目覚めは過去一番だった。美咲はすでに着替えを済ませていた。妖精の着替えは見逃したが、脱皮は命を危険に晒す行為であり、二日連続で行われたことに意味がある。朝食を取りながらこれからについて話すことになっていた。主役は美咲と秋帆である。
レストランに降りると二人の世界が幕開けていた。そこには国境はなく、同盟国だとフリーパスで入国できる。四人掛けのテーブルだったので、同盟国と言っても人は特定される。片桐時間は狂ったままである。ひょっとしたら、このまま元には戻らないかもしれない。二人に何があったのかは分からないが、違いも分からない。
「グーテンモルゲン」
秋帆は女神の微笑みを見せた。
昨日の『寝ちゃったんだ』を思い出させた。
「おはよう。よく眠れた」
美咲はそう言いながら席についた。
二人はとびっきりの笑顔を交わした。
「おはよう。今朝も先にいるとは、今日は雨でも降るか」
さすがに雪を降らせる力はないが。
「俺は晴れ男だ。それより、カプチーノで良いのか」
片桐は既にカプチーノを頼んでいた。コーヒーと紅茶はテーブルに準備されていたが、カプチーノは別に頼む。片桐に習い、カプチーノにした。美咲と秋帆は朝食を取りに席を立った。要領は得ている。
「眠れたか」
先ほど目撃した光景から、眠れていようがいまいが、気にする必要はない。将棋の初手のようなものだ。
「ああ、久しぶりにぐっすり寝た」
片桐は本当にすっきりしたようだ。
「俺も」
「なあ、沢村。あの二人、この間知り合ったばかりだよな」
まだまだ味噌汁が恋しくなりそうにない。
「周りにいる人からすると親友に見えるだろうな」
頼んだカプチーノが運ばれて来たので、『ダンケシェーン』と礼を言った。発音はともかく、ドイツ語が自然と出てくる。たった一言話しただけで話せる気分になるのは、はなから習得を諦めているのだろう。カプチーノに口を付けた。美味しかった。
到達できないものへの降伏宣言は意外と気持ちが良いものである。なぜかって、僕には美咲がいるのだから。
「佐久間だけど」
と言って片桐もカプチーノを啜って続けた。
「これも彼の筋書きにあったと思うか」
片桐は朝から難しいことを聞く。現役短距離選手でも起床すぐには走れない。
佐久間は人生に新たな色を添えたのではない。キャンパスごと取っ替えたのだ。それって、佐久間に限らず、僕らは親友から何かしら影響を受ける。人に限らず、本を読むこともそうだし、憧れのスポーツ選手からも然りだ。
ただ、行動に移すかは別問題である。相手と己の繋がり方次第だと思う。
表面か、核か。水滴が岩を砕く、じわじわなのか。昨夜、妖精を眺めていた刹那的なのか。
「難しいこと聞くね、片桐。筋書きなんて無いと思う。選択権をくれたんじゃないかな」
「つまりこうか。俺達にいつ死ぬか教えてくれた。そして、その先どうするかは、自由だと」
「残酷に思うけど。でも選択権は常任理事国が持つ拒否権並みに強力だ」
同時にカプチーノに手を伸ばした。一週間後に考えが変わらないか保証はできそうにない。
「残酷……なのかな」
片桐は二人に目をやりながら言った。チーズの種類の多さにはしゃいでいた。
「とても優しい残酷だと思う」
可笑しな事を言っていると自覚していたが、片桐はテーブルから携帯を手に取り操作した。
「残酷の定義は『無慈悲でむごたらしいこと。まともに見ていられないようなひどいやり方のさま』だとさ」
「それはひどい書かれようだ。佐久間に対して」
「ああ、肝心なことが抜けている、欠陥だ」
「ああ、同意する。その言葉は俺たちに向けられたのだから」
「ふたりして何か怖い顔をしているわよ」
美咲が両手に、色とりどりのパン、チーズ、ハム、ベーコン、そして卵料理を持っていた。秋帆もひとつを片桐の前に置いて言った。
「片桐さま」
片桐は置かれたお皿に目を配った。僕も美咲が置いてくれた山盛りのそれに目をやった。これを平らげることは立ち向かうエネルギーになる。
「さて、これからの計画を聞かせてもらおうかな」
片桐は一番堅そうなパンを手に取って言った。
「プランAが現実的かしら……」と言って秋帆は美咲に目をやった。
「そうね。一旦、北へ行って、ラインガウ=タウヌス=クライスのワイン産地に。そして、ライン川沿いに南に下って、バーデン・バーデンを経由して、ウルムによってアインシュタインにご挨拶。そして、ミュンヘンを散策かな。そうそう言い忘れてたわ、バーデン・バーデンは混浴なの」
美咲はそう言いながらティルジットチーズをフォークで刺したので、ギクっとした。
「こっちの混浴って、なにも着けないのよ」
美咲と秋帆はすでにシンクロしているようだ。二人はプランAについて説明した。ウルムはアインシュタインの生家があるが、見どころはあまりないようだ。シュトゥットガルトでも散策はできる。工業都市で、ポルシェのエンブレムにもSTUTTGARTとあるように、ポルシェやメルセデスなど世界的な企業が本社を構えており、自動車博物館がある。
「プランAは、二人の推薦だよね?」
と僕は聞いてみた。混浴には少し心が揺れたが。
「慣れない国で運転する事を考慮したら、こっちのプランが表になるの。ワイパー動かしちゃうし」
美咲はプランAの意味を説明した。
「運転の事は考えなくていい。沢村も証明したし。それに、雨以外使わない」
片桐はカプチーノを飲みながら言った。
「もちろん、俺も運転するさ。任せてくれ」
運転に関係ないが、力こぶで答えた。
「大丈夫かな」
力こぶがあまりにも小さいから美咲が心配そうに言った。
「じゃあ、プランB、行けるの?」
力こぶの大小に関わらず、秋帆は嬉しそうに言った。
「じゃあ、プランBを聞こうじゃないか」
片桐は名探偵の推理でも聞くように言った。
「本当は、私たちこのルートでミュンヘンに行きたいの」と言って、秋帆はA4の紙をテーブルに置いた。そこにはこのようなルートが書かれていた。
ワインの試飲会まではプランAと同じ。そこから、東へ五百キロ走り旧東ドイツのドレスデンへ。南下しプラハへ。ドイツに戻ってレーゲンスブルグ。最後にミュンヘンへ。
「なるほど。悪くはない。それで走行距離はどのくらい」
距離感が全く不明だった。
「う〜ん、千キロちょっとかな。美咲さんどう思う」
「そうね。千三百キロはないと思うな」
片桐と各々の皿から好みの料理を摘まんだ。三百は誤差なのだろうか。
「沢村、行けそうだな。これくらい」
「ああ、全く問題無い。二人には一生分の願いを聞く」
「沢村さん、大袈裟ね。帰国したら何も言えないみたいじゃない」
秋帆にとってはこれくらい当たり前のようだ。
「もちろん、このためのBMWだからな」
片桐は思いっきり見栄を張った。
「ちょっと気になっていることがあるの。プランBに。チェコに高級車では行けないと思う。盗難の可能性があるの」美咲は言った。
「そんなに治安が悪いんだ。盗まれたらどうなるの?」秋帆の顔は更に曇った。
「盗難に遭ったら保険が下りないような」
「片桐さんが買い取れば済む話よね!」
秋帆は片桐を見た。片桐は軽く頷いた。
「じゃあ、プランBで決まり」秋帆は嬉しそうに言った。
片桐と目があったので、
「運転で疲れたら」
と片桐が言ったので、僕は続けた。
「バーデン・バーデンに寄ろう」




