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贈り物  作者: 村上は


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第50話 余韻

 片桐は運転を譲る気はないようで、自ずと三人の座席も決まる。

二人の仲でも、片桐が面倒をどう対処するか分からない。僕は求めず見守るしかない。

「さて、どうする」

片桐は行き先を求めた。

アネットは昼食にと、ドイツ料理を提供する店を教えてくれていた。昨日は閉店日だったが今日はほぼ営業している。

「お腹すいている?」

美咲は現実的な事を言った。朝、ガッツリ食べたのと、ワインとチーズを摘み、永井の話で胃はまだ干上がっていない。

「ひとつ提案があるの。目的は達成したのよね」

後部座席から乗り出して秋帆が続けた。

「ホーエンツォレルン城へ行かない?」

聞いたことがない城だった。そこは、滞在しているホテルを通過して、さらに南へ七十キロ下る。秋帆にはドラえもん並みの引き出しがあるようだ。

「ノイシュヴァンシュタイン城が太陽なら、ホーエンツォレルン城は月、かな」

美咲がそう言ったので僕は秋帆の提案に興味が出た。

「なるほど。ノイシュヴァンシュタイン城がミスター長嶋で、ホーエンツォレルン城がノムさんってことか」

「美咲さんの説明で十分です」秋帆は野球に興味がないようだ。

「よし、じゃあ、月見サンドイッチとするか!」

と言って、片桐はエンジンをかけた。ナビによると、百十一キロ、所要時間は一時間二十分だった。


片桐は快調に飛ばした。

出発前、美咲は曇りばかりなのが唯一の欠点と言っていたので、ドイツは完全無欠になった。この太陽でこちらの女性はビタミンD不足が多少改善する。ノイシュヴァンシュタイン城だけでは心許ない。

美咲はふたつの城を、太陽と月に準えた。深い歴史をありふれたものに比喩する彼女の想い。

衰弱した心の看護には、平凡な言葉のほうが装飾されたものより体内への吸収がいい。

か細い光を繫ぎ留める佐久間の仕掛けは、途方にくれ、観念したくなる絶望に向き合ったに違いない、と、時速百八十キロの世界で思った。


 ホーエンツォレルン城、その眺めは壮大だった。城まで歩くには頑張る必要がありそうだ。片桐も少し疲れて見えた。僕は言った。

「どうする?」

「大女優と同じで遠くから観るのがいい」

と片桐は言ったので、僕は美咲と秋帆を意識しながら言った。

「登らない?」

「俺は遠くからじゃないとつまらないんだ。

それが俺なんだ。……

行ってみるか」

秋帆は先頭を歩いた。まるで背中しか見せないように。時折、鼻を啜る仕草を美咲と見ながら歩いた。片桐は一番後ろから、辛そうに付いて来ていた。

月で食べる二日連続のカイザーゼンメルサンドは相性ぴったりだった。


 城からホテルへの運転は片桐から引き継いだ。最初の左折時にドリフターズを発動した。秩序整然としたダイニングにある塩と胡椒。完璧に家事をこなす妻が、ケンカの後そっと入れ替えておく可愛らしい逆襲である。一振りの間違いは何も台無しにはしないけど、メッセージは塩の白に混じりっ気があるように伝わるのだ。だから、その伝言を無言で消化すればこの悪戯は関係を向上させる。ワイパーを動作させる行為は車内に笑顔を撒き、左側走行であることを緩んできた警戒心にも働きかける。


 ホテル到着後は、時差ぼけ解消と、佐久間の絵が元から胃に停滞していたので、消化することになった。

僕は美咲のコートをハンガーに掛けながら言った。

「秋帆さん可愛らしいとこあるね」

「それを言うなら、片桐さん、可愛げなさすぎ」

「ああ見えて、ジャグジーからなかなか出てこなかったんだ」

「そっか。でも、秋帆さんなら心配いらないかな。しっかりしているもん」

「それはそうと、どこかに出掛けた?」

「見てたの? イタリアンに行ったの。素敵なとこだったわ」

「こっちは、サンドイッチだった。文句はないけど。夜はすぐに寝たの?」

「ぐっすり。何も着けないで」

と言って、ソファから立ち上がり、僕の頬に不意にキスをして、

「ラドラー一本あるけど」

と言って、美咲はワイングラスに一本のラドラーを半分に分けた。

「甘くて美味しい」

僕はどちらのことを言ったのか自分でもわからなかった。

「……美咲には物足りないね」

「和人さんに合わせないと。また、すぐに寝ちゃうから」


 美咲はシャツを脱いで椅子に掛けた。美咲を失ったシャツはとても小さく、その下に身につけていたコットンブレンドは、遥かに小さく、体のラインを忠実に浮かび上がらせ、動物が備えている生存本能を捨てた瞬間だった。

崩れた城壁はかえって、美咲への侵入を無効化している。バラの棘が裸体にほんの少し触れる天使の囁きと、棘は抜いてあると悪魔の囁きがハモっていた。

片桐はホーエンツォレルン城の美を損ねないことは距離を保つことだと言ったが、美咲には距離は無縁で、片桐が正しかったようだ。


「美咲が寝るまでは寝ない」

と言って、ベッドの横に座りジーンズを脱いだ。

「本当に寝ないのね」

僕と美咲はキングベッドの中心線を挟んで横になった。そして、天井を眺めた。

「佐久間さんが言った『助けたい』って、どういう意味かな?」

「……。日高は助かった。もちろん、その日が来るまでなんとも言えないけど」

「だったら私たちで何とか出来ないかな」


 具体的な方法は思いつかない。佐久間自身、自分の命を助けることはできなかった。

「もう一つ考えていることがあるの」

美咲の目は天井に向けられたままだ。

「佐久間さんは、お付き合いしていた長谷川さんの死に責任を感じていたのよね。それはどうして? 長谷川さんの死も知っていたのかしら」

「かもしれない」

「どうして日付だったの」

美咲は距離を縮めた。美咲の頭が肩に寄りかかったので距離はない。

「でも、美咲とこうして一緒にいなかった」


 美咲との中心線は消えていた。僕は美咲を見た。美咲の目は閉じられている。

どうも、先ほどの約束を守れたようだ。美咲の寝息はとても穏やかだ。

長い冬の間、森の妖精が冬眠から覚めて初春の鳥の囀りを聞きながらお昼寝をしているように。妖精の寝顔を見ながら思った。

佐久間が占い師を使って、運命を伝えていなければ、こうして妖精のお昼寝を見ることなんてあり得なかった。

妖精を起こしたらどうなるだろうか。

試そうかと思っているうちに妖精の魔法に負けた。

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