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贈り物  作者: 村上は


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第46話 初夜

 その空間の素晴らしさは僕の心の中にあった迷いを消し去る程だった。

四十平米の僕のマンションよりよっぽと広く、部屋も家具も鍵のようだ。


 飽きるほどに響いた客の感嘆した言葉が染み込んだ存在感があった。僕らのそれも後世に残されるのだろうか。色は全て濃い茶色で統一されていた。


 テーブルの上には、シャンパンとフルーツが置かれていた。その奥には机と椅子があり、机の上にはアンティークのデスクランプが小さいながらに個性を放っていた。

部屋の入り口からは見えなかったが、机の所まで行くとベッドが机の反対側に広がっていた。キングサイズだと思われた。そして、四方をレースのカーテンで覆われていた。


「本当に素敵な部屋だね」

ここへ何をしに来たのか考えさせられた。


「ねえ、こっちに来て」

振り返ると美咲の姿は消えていた。声を辿るとバスルームへと続くドアがあった。キングベッドを見た時より感動した。バスルームは僕の寝室ほどの広さがあった。


「このジャグジーだと移動の疲れが取れるわ」

「間違いなく疲れは取れる」

 ジャグジーだからか、一緒に入れるからか、どちらを思って今の言葉が出たのか定かではなかった。いずれにせよジャグジーの広さは二人で入ることを前提としていた。


 僕と美咲は入り口に置いたままになっていた荷物の整理を始めた。

美咲の薄手のコートを手に持ち、その軽さに彼女を感じ、ハンガーに掛けクローゼットに仕舞い、その隣に自分の上着を掛けた。


 美咲は黒のパンツと、上はシルクのシャツを着ている。黒のパンツは美咲の脚線を際立たせ、シルクのシャツは美咲の抑えられていた大人の色気を開放していた。

異国のスイートが僕の心に拍車を掛け、美咲から放たれる香水の香りもこれらの演出に寄与していた。


 美咲はトランクを開け、何点かの洋服をクローゼットに移した。どの服も小物も一度も見たことが無い。これが一夜を共にする意味なのだ。これ以上そのトランクの中を見てはいけないように思えたので、自分のトランクの整理に専念した。

特に必要と思われない洋服までクローゼットに移した。クローゼットは僕たちの洋服で七割ほど埋まり、まるでこれから二人の生活が始まるかのように思えた。


「ジャグジーの準備をするから」

「そうね。お願いできる」


 美咲に一人になれる時間を与える意味もあったのだ。バスタブにお湯を入れながら色んなことを想像し、気づくと小さく溜息が漏れていた。音も一緒に漏れたのかは、お湯がタブに注がれる音で聞き取れなかった。


 バスルームから出ると大人の雰囲気を感じさせていたシャツはクローゼットに掛けられ、代わりに体にピッタリとフィットしたTシャツを着ていた。


 Tシャツの下は下着しか着けていない。そのTシャツからは、美咲の小さな胸の膨らみが確認できた。先程のシャツには申し訳ないが、Tシャツの方がより美咲を輝かせた。重厚な家具も脇役に成り下がっていた。


「先にお風呂入って」

 僕が言おうとしたことを美咲が先に言った。

「......それじゃ、先に入らせてもらおうかな」


 懐中時計をテーブルの上に置いた。もう、ドイツの今日が終わる。

シャワールームで体を洗いジャグジーに身を委ねた。止むことの無い泡の心地よさに甘えて、ジャグジーから出るタイミングを失い続けていた。そんな時、バスルームのドアが開いた。


「ジャグジー気持ちいい」

「とっても。そろそろ上がろうかな」と、のぼせる寸前の口調で答えた。

「な~んだ。一緒に入ろうと思ったのに」

『もう少し入っていられる』

口には出さなかった。僕は美咲と入れ替わった。

『あれは本気で言ったのだろうか』


 涼を求めるために窓を開けると、五月とは思えぬひんやりとした風が部屋に流れ込んだ。濡れた髪が風に温度を奪われていったが、ホテルに着いた時から灯り始めた心の火は衰えなかった。


 ドイツの星を見上げながら随分と遠くまでやって来たと感嘆した。ドイツでも月を拝むことができた。美咲を追いかけて来た月。バスルームのドアが開く音で、現実に戻された。


「気持ち良かったわ」

 化粧を落とした開放感で美咲の表情は瑞々しく弾けていた。

「ゆっくりできたみたいだね」

 髪の毛を掻き揚げる仕草をしながら美咲は言った。

「疲れは大分なくなったわ」

 美咲は僕の向かいのソファーに腰を下ろした。


「ふたりきりで泊まることをちゃんと断わっていなかった」

「気づくのが遅過ぎるわよ」

「ごめん。こんな大事なこと、今になって言うなんて」

 美咲は俯いた目を僕に戻して、

「許してあげる。まだ、夜は終わってないからぎりぎりセーフってところかな」

 そう言うと美咲は立ち上がり、冷蔵庫からビールとコップを二つ持って、

「ねえ、少し飲まない。私、喉が渇いちゃった」

「僕も飲みたいと思っていたところ。それ、ドイツのビールだね」

「バイツェンビールって言って発酵ビールなの」

 僕は缶を開けグラスに注いだ。

「へえ。黒ビールなんだ」

「とっても美味しいのよ」

「それじゃ、乾杯しようか」

「何に乾杯するの。エレベーターはやめてね」

 美咲は微笑みながら言った。


 美咲と向かい合って乾杯するのは、これで三度目。一度目はエレベーターに乾杯した。二度目はそれぞれの心の中でした。そして、今回は……。

「そうだね、何に乾杯しようか」

「二人の夜に乾杯しましょう」

「うん」


 化粧をしていない美咲の頬がほんのりと赤みを帯びてきた。時差ぼけも手伝って程よいアルコールの効果を感じ始めた。


「美咲、そろそろ寝ようか」

 この言葉を言った瞬間から、アルコールの攻勢は衰退し始めた。

「そうね、もうこんな時間だね」


 左右別々の方向からベッドに入った。美咲がベッドに乗った時の微振動が胸の鼓動と共振し、美咲まで弾まないように、無意識にベッドの中心に縦線を引いた。

キングサイズのその中心線は、今の位置からかなり遠くにある。この位置からでは、数回弾まないと届かない。美咲も同じように中心線を意識していたかは分からなかったが、ベッドの中心線を越えていない。


「眠れそう」

 中心線の外から美咲が言った。

 僕は正直に答えた。

「眠れそうに無いかな。アルコールもどこかに行っちゃったし」

「それじゃ、何かお話をして」

 と言いながら、美咲は中心線まで身体を寄せてきた。僕も中心線まで寄り、初恋の話をした。


 それは幼稚園から小学校卒業までずっと好きだった子がいた。小学校では二年毎にクラス替えを行っていたが、その都度同じクラスに割り当てられた。


 その子とはほとんど口を聞いたことが無かった。それは、その子への強い片思いがそうさせていたと記憶している。六年生になって半年が経った頃のある日、その子が一枚の手紙を渡して来た。とても恥ずかしそうに。


『誰に?』

 僕は当然の様に言った。その子は、『和人君に』と言った。それは、初めてもらったラブレターだった。


「へえ、和人さんって意外とモテたのね。それで、その初恋の人とはどうなったの」

「何も無かった。返事も書かなかった」

「えっ、どうして。ずっと好きだったのでしょう」

「なぜかわからないのだけど、あの時手紙を貰って気持ちが覚めてしまったんだ」

「でも、その人はずっと和人さんを好きだったのでしょう」


 美咲は僕の胸に潜り込んで来た。胸に温かいものを感じた。それは、Tシャツをすり抜けて僕の肌まで到達した。僕は強く受け止めた。


「和人さん、

私を置いて死なないで」

 美咲はこれまで堪えて来た本当の思いを僕に吐き出した。


「お願いだから……」

 あの時のように何も言えなかった。ただ、美咲を抱きしめることしかできなかった。心の中で、ただ『ごめん』と響かせただけだった。



 僕が目覚めた時、美咲はもうベッドにはいなく、顔を洗って着替えを済ませていた。そこには昨日、涙した美咲の面影は無く、シーツの上に毀れた涙の雫も乾いていた。


「良く寝ていたわよ。本当に寝息が気持ち良さそうだった。鼻を摘んでも起きなかったわ」

 本当なのか冗談なのかわからないが、少なくとも気づかなかった。

「美咲は眠れなかったの」

 軽くガッツポーズを作って、

「私もスッキリ」

 美咲の表情は本当にスッキリしていた。


 それは、昨日、気持ちを打ち明けたからなのか、涙を流したせいか、それとも本当に良く眠れたのか。恐らくその全てなのだろうと思うが、美咲の振る舞いが、鼻を摘まれたのが現実で、涙したのは夢でないかと思わせた。


 時計を見ると六時半になろうとしていた。慌ててバスルームへ駆け込んだ。七時に片桐たちと朝食の予定なのだ。急いでシャワー室から出ると、着替えを持って来なかったことに気が付いたので仕方なくバスタオルを巻いて部屋に出た。

『着替えを忘れちゃって』

と言いながら、美咲とすれ違い座間、彼女は僕のバスタオルを引っ張った。バスタオルはタンポポの羽を吹くように簡単に解けて、落ちた。


 美咲はさっさとバスルームへと消えていった。

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