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贈り物  作者: 村上は


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第45話 ミュンヘン

 飛行機が名残惜しいのは初めてである。遅延しても埋め合わせを求めないのに、定刻に到着した。


 秋帆の荷物が大変なことになっていた。と、片桐に同情した。遅刻の原因は彼女だったのか。秋帆は大型のトランクを二つ、片桐の分を合わせて三つになる。


 航空券代を肉体労働で返済すべく、トランクをひとつ引き受けることにした。片桐は重さを比べながら渡してきた。僕は何も言わずに受け取ると、秋帆は僕にキュートな表情を見せた。


 美咲と秋帆は首を上下させながらICEの乗り場に向け、歩を進めた。

片桐と僕は博多駅にでもいるかのように、進む二人の背を追う形で並んで歩いた。気のせいか、日本にいる時よりも美咲が生き生きして見えた。

 異国の地の感覚がドイツに侵食されているのか、それとも、美咲の決意の表れか。


「どっちがおまけなのか分からないな」

 僕はトランクを両手に転がしながら言った。トランクふたつに格闘している僕を気にかけず、

「立場なんてコロコロ入れ替わるものだ」

 片桐はそう言い終えると、笑い始めた。


『女心と秋の空』


 僕らは口を揃えて言った。

「二人とも変なことばかり言ってないで、ちゃんと付いて来て」

 秋帆は彼女のトランクを運んでいる僕たちに言った。


 こちらの人は歩くスピードが遅いのか、障害物競走をやっているにも関わらず、僕らを追い越す人はいない。日本なら間違いなく邪魔者扱いされる。進む速度が遅く感じられるのは、ドイツの空間が日本のそれより大きく出来上がっているからか。


 ICEまでは思ったより距離があり、肉体労働の対価としてシャンパン一杯分は返済できたかもしれない。


 トランクを三つ並べて、片桐と秋帆は待つことにした。

美咲と僕は大黒屋に並ぶかのように最後尾に着いた。ドイツ時間で列は消化されていった。美咲は流暢な、そのように聞こえた、英語で『ミュンヘンからシュトゥットガルトまで四枚』と言ったのだろう。僕がしたことは、日本語で美咲に言われた通り、ユーロを準備することだけだった。


「日常会話くらいの英語なら、俺も出来ないとね」

 美咲は少々驚いた表情をした。そして微笑んで、

「和人さん、今のドイツ語よ」

「やっぱりそうか。ドイツ語も英語に似ているから」

 僕にはスペイン語も似ている。

「確かに英語はゲルマン語の影響を受けているわ。ドイツ語と似ているかもね」

 今回の旅では語学に関する会話は避けよう。異国の地でそれは可能なのだろうか。


 ホームに到着したのは出発の十五分前だった。車内は意外と広く、全てが向かい合わせの席になっていて、各車輌には個室が用意されていた。僕たちは向かい合わせの席に座った。ICEは二十二時前にシュトゥットガルトまで運んでくれる。


 シュトゥットガルトには定刻より五分遅れで着いた。意外と正確なのだと期待値が低いので感心する。


 この日泊まるのはアードラーというホテルだった。日本語で鷲の意味らしい。ホテルに着いたのは十時半を回っていた。ここからは活躍しないといけない。トラブルをもチャンスに変える心持ちで。


 片桐に付いて行く形でカウンターへ足を運んだ。そこで重要なことに気が付いた。片桐が先にルームキーをひとつ受け取り、僕もひとつ受け取った。


 色気のないチップ内蔵の薄っぺらいものではない。容易にピッキングできそうな鍵には、迷子にならないように文鎮が繋がれていた。この手の中にある重さには負けそうだった。


『やはり』と心の中で呟いた。


 このことに関しては気がついていた。

そう、知らなかったわけではない。自然とこうなったわけでもない。いつも僕の中に存在していた。ここに来るまで話題として取り上げられないように姿を変えていたのだと思う。お互いの同意がある——これは、そのように考えて良いと思う——にもかかわらず、この手の重みはなんだ。塩一粒の罪悪感が、美咲と同じ部屋に泊まれる喜びに混じっていた。その一粒は溶けることなく存在していたのだ。鍵を預かるまで惚け抜いた自分のずるさが情けなく思えた。


 そして、この行動を正当化するために、

『二人で共有する最初の出来事は、困難に立ち向かう心の支えとなるはずだ』

 と言い聞かせようとする自分が、この期に及んでいるのだ。


「沢村は何号室だ」

「えっ、あっ、俺は二二一号室」

「じゃあ、俺たちの隣だな」

 片桐は「俺たち」と答え、僕は「俺」と言った。


「それじゃ、早く部屋に行きましょう! えーっと、エレベーターホールは、と。確かドイツではリフトって言うのよね」

 秋帆は部屋の様子が気になるようで、僕の戸惑いを他所に歩き始めていた。


「どうしたの。時差ぼけで疲れた?」

「いや、飛んだような気がする。美咲こそ疲れたんじゃない」

「私も平気よ」


 僕たちはリフトに乗り込んだ。それは、僕に考える時間を与えるかのようにゆっくりと動いた。そして、僕らは二階で下りた。日本で言うところの三階である。ドイツでは受付がゼロ階にある。ゼロの発見は、エレベーターよりも随分と前なのだろう。


 片桐と秋帆はリフトから僕たちを先導するように部屋へ進んだ。


 実際に鍵を持って部屋に向かい始めると、右足のステップで後悔を捨て、左足のステップが喜びを拾ったが、その差は逆転しようがなかった。隣で同じリズムを刻む美咲の気持ちは僕には分からなかったが、正面を向いている僕にはなんの迷いも伺えなかった。


 片桐と秋帆は、僕たちの部屋を通り過ぎて奥の部屋の前に立ち止まった。二人の部屋は角部屋だった。


 片桐が部屋の鍵を開けた時、僕たちは自分たちの部屋の前に着いた。

 片桐は「お休み」と左手を軽く挙げた。秋帆も「明日ね」と言って、部屋に消えて行った。


 僕は、ルームキーを差し込み、部屋のドアを開けた。

「どうぞ」

「ありがとう」

 美咲が先に部屋に入り、明かりを付けた。僕は美咲に続いて部屋に入った。部屋が僕らを向き合わせた。


「素敵なお部屋!」

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