第43話 霧開け宣言
「片桐、なんで秋帆さんなんだ?」
「不思議だよな。ブレーキが壊れているのかもしれない……」
「壊されたんじゃなくて?」
片桐は続きを考え込むように、スイッチを探る仕草で背凭れを倒した。
そして、少し間を置いて続けた。
「俺たちは、何のために生きていると思う」
「思考まで壊れたのか」
「俺は、ある」
「治ったのか」
「思うに、死に方を決めるためだと」
「ぶり返したな」
「葬式に、誰が死の証明をしてくれるか」
「俺は出てやる。だから飛行機代は頼んだ」
「だから、関係が深いほど相手より先に逝っちゃいけない。予定が狂っちまう」
分かったような気もするが、隣の二人を見ると、葬式のことなど考えられなかった。
「片桐、どうしたんだ」
「こんな状況だからさ。思いきり変なことが言いたくなった。請求しないから、これくらいは許せ」
『こちらがお食事のメニューになります。この中からお選びください』
僕たちはメニューを開くこともなく、そっと仕舞った。
『お飲みものはいかがなさいますか』
フライトアテンダントが続けた。飲み物のメニューに載っているのは、どれも厳選されたものばかりだった。片桐はウイスキーを、僕はシャンパンを頼んだ。
隣の美咲と秋帆を見ると、ワインを片手に、まだドイツでのスケジュールは合意に至っていないようだった。行きたい場所の、しりとりでもしているのだろうか。
『お待たせしました』
ウイスキーとシャンパンが運ばれ、彩りの良いつまみも添えられた。
僕はシャンパンを右手に、呟くように言った。片桐に、ほんの少しだけ付き合うことにした。
「死に方を決める、か」
「俺たちには、いろんな欲望がある。それを満たすことだけに生きてしまう。その欲望には終わりがない。だから始末が悪い。そういう欲望が、生きる意味に靄をかけている」
少しずつ、片桐が言いたいことが見えてきた。
「その靄が、晴れたと言いたいんだな」
「断言はできない。ただ、いつの間にかサングラスを掛け続けていた気がする。秋帆は、それを外してくれた。もちろん、意図的じゃないが。こんな靄があったとは、思いもしなかった」
今回の旅は、永井に会うためだけではない。
それ以外の意味も、輪郭を帯び始めていた。
「じゃあ今回は、梅雨明け宣言じゃなくて……霧明け宣言だな」
「霧明け宣言。面白いことを言う」
僕らは声を上げて笑った。その笑いが聞こえたのか、秋帆が言った。
「大の大人が大笑いして、厭らしい」
美咲も続けた。
「何がそんなに可笑しいのかしら」
二人は顔を見合わせた。
僕は言い返した。
「察しの通り、男の話だよ」
最強タッグが結成されつつあり、将来の脅威になりそうだった。
「結構、このシャンパンいけるな」
珍しく、もう一杯飲みたくなった。片桐も今回はシャンパンを頼んだ。
「やっぱり、随分サービスがいいな」
改めて、その違いを実感する。ドイツまでの十二時間、これだけの待遇を受けられるなら、銀座で飲むよりコストパフォーマンスは良いかもしれない。
もっとも、銀座には出会いという付加価値があるのだが。
「そりゃそうさ。霧明け宣言の旅には、相応しいだろう」
片桐は当然のように言った。この辺りは、以前と変わらない。
「美咲にも言われたが、いくらした」
「まあ、一介のサラリーマンには厳しい」
『馬鹿なことを』と言って払おうとしたが、やめた。
「持つべきものは、社長をやっている友人だな」
「じゃあ俺は、何を持てばいい」
「センスのいい言葉」
再び笑いかけたが、途中で堪えた。
隣を見ると、二人とも無言でこちらを見ていた。
『お待たせしました』
二杯目のシャンパンが届いた。
「沢村さん、そんなに飲んで大丈夫?」
美咲が、子供に尋ねるように言った。
「こう見えても、片桐は看病が上手いので」
「あら、いい結婚相手が見つかって良かったですね」
美咲は片桐を見て言った。片桐は勘弁してくれ、というように眉を顰めた。
「私たちは必要ないみたいね」
秋帆が言った。
ドイツまで、席はこのままなのだろうか。
ふと、そんなことを考えた。
二杯目のシャンパンを半分ほど飲んだところで、眠気が襲ってきた。片桐も欠伸をしている。一介のサラリーマンが急に休みを取るのは、やはり大変なのだ。
僕たちはヘッドフォンを袋から取り出し、モニターの電源を入れた。チャンネルを回すと、以前から観たいと思っていた映画が流れていた。そのまま、いつの間にか眠りに落ちていた。
目覚めた時には、映画はすでに終わっていた。懐中時計を取り出す。暗闇の中、針は二時二十四分を指していた。
一時間半ほど眠っていたことになる。目覚めは悪くなかったが、シャンパンと慣れない時間帯の睡眠のせいで、意識が戻るまでに少し時間を要した。
ここが機内だったことを思い出し、隣を見ると、片桐は寝息を立てていた。
反対側から視線を感じる。秋帆がこちらを見て言った。
「代わりましょうか」
美咲を起こさないよう、静かに席を移った。
美咲の右手が、自然とこちらへ伸びてくる。その手を握り、横顔をそっと見つめた。瞳は閉じられたままだったが、心の眼の居場所は分かった。
僕は、再び眠りに身を委ねた。




