表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
贈り物  作者: 村上は


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/62

第4話 憧れ

 僕には、社内で憧れている人がいる。

企画部にいる一つ年上の、本条美咲ほんじょうみさきという人だ。


 甘党の僕にとって、団子を食べられる口実があるだけで、十五夜の満月には他に何も望まない。

  もう少しだけ謙虚に欲張るなら、田舎の夜道を照らして欲しい。たとえ満月の一%だとしても。


 本条さんとは、僕にとってそんな存在である。


 だから、月面着陸を夢見るなど論外であり、その場に国旗を立てたり、月面でキャッチボールをするなんて滅相もない。

 できることなら、望月や明月、残月といった、満月以外の表情を一度でも見てみたい。それくらいでいいと思いながら、ずるずると今に至っている。


 僕の課は四階で、彼女は七階だった。

 自社ビルだったので、最上階にはちょっとした眺めを誇る食堂があった。

 従業員数に対する食堂の面積は、東京の縮図のようで、各階を時間帯で区切らなければ、席を待つ人を背に食事をする羽目になる。


 僕はグループ一、彼女はグループ二。

 時間にして三〇分、僕のほうが先に昼食を取ることになる。


 さすがにグループ分けに意見することはできない。

 どんなに知恵を絞っても、総務部の振り分けは正当だった。


 会社にいるときは、食堂を利用していた。

 ゆっくり食事をすれば、彼女と交差する機会は増える。

 しかし同僚は、フライング気味で席を立ち始める。しかも食べるのが早い。


 だからエレベーターに乗るたび、せめて満月でなくとも、上弦じょうげんの月くらいは、と期待したが、いつも裏切られた。

 この小さな期待を味わえるだけで十分だった。

 十分だと思い込ませていたのかもしれない。


 過去に一度だけ、彼女に偶然会ったことがある。

 結果は散々だった。


 いつものようにエレベーターを待っていた。

 珍しく、そこには他に誰もいなかった。

 こんな経験は初めてで、災害の兆候ではないかと思ったほどだ。


 エレベーターが到着し、そそくさと乗り込み、四階を選択した。

 そのときだった。

 ドアが三日月ほど開いたところで、再び新月に戻ったのである。


 一人のエレベーターは、意外と落ち着く。

 しかし、乗ってきたのは本条さんだった。こんなにも狭い空間に。


 確か、月は地球に影響を与えると聞いたことがある。

 僕は、ため息を吐くどころか、飲み込みそうになった。


 対照的に彼女は、真っすぐに僕を見て言った。


「おはようございます」


 思考力が停止した。

 太陽よりも月のほうが、僕の内部温度を上げるとは思ってもみなかった。


「あっ、おはようございます」


 なぜか丁寧語を使っている自分がいた。

 まるで、年下であることを承知しているかのように。


「何階ですか?」


 まさか、七階ですよね、などと言えるはずもない。


「二階、お願いします」


「えっ!」


 思わず声が出た。

 今さら後悔しても遅い。


「二階です」


 彼女は、一回目よりややトーンを上げて答えた。


 二階のボタンを押しながら、想像よりも彼女の声が低いことに気づいた。

 本条さんの「おはようございます」は、僕の耳以外の感覚を麻痺させていた。


「はい」


 なぜ二階なのだろう。

 せっかく四階まで一緒にいられると思ったのに。


『確か七階ですよね。なぜ二階で降りるんですか?』


 僕は、本条さんからどんな個人的な問い合わせを受けても、ストーカーだとは思わないし、ただ幸せな気持ちになるのだが——。


 そうこうしているうちに、彼女は二階で降りていった。


「お先に失礼します」


 彼女がエレベーターから降りる姿を、じっと見送った。

 かぐや姫には、人を動けなくする力が備わっている。


 僕の目と彼女の間には何もなかったが、彼女の姿は霞んで見えた。

 エレベーターは、驚くほどゆっくりと閉まり始めた。


 左右から彼女のシルエットを消していったが、

 ドアには、消えたはずの姿が浮かんでいた。


 上昇が始まると同時に、僕の脳内での再現も消えた。

 僕の画像保持能力は、驚くほど衝撃に弱いらしい。


 僕は、彼女の服装すら覚えていなかった。

 残った香りだけが、彼女のシルエットを脳裏に鮮明に浮かび上がらせる。


 依然として服装は再現できないが、裸の彼女ではない。


 このときまで、彼女と会話を交わしたことはなかった。

 外見だけで想像していた彼女は、言葉を交わしたことで、現実に上書きされてしまった。


 そして一度上書きされた僕の中の彼女は、決して元には戻らなかった。

 初めて言葉を交わしたことが、これまで以上に彼女を遠い存在にした。


 かぐや姫が去ったときのお爺さんの気持ちが、少しだけ理解できた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ