第10話 丹波茶
結局、男性は領収書を受け取った様子もなく、定食屋を後にした。
佐久間の田舎に罪はない。
僕もサラリーマンだ。理不尽だと承知のうえで、少しだけ言いたかった。
――少しくらい、格好をつけてくれてもいいじゃないか、と。
色んな常識を否定し始めている自分がいる。そのことをげんきんだと思いながらも、どこか可笑しく感じていた。
僕は、不心得な気持ちを消毒するかのように、あの女の子が運んでくれた丹波茶を啜った。
その味は、なぜか懐かしかった。
初めて飲んだはずなのに。
遠い昔―幼い頃―に飲み、潜在意識の奥に眠っていた味と一致したのだろうか。
いつか目覚めるために、ずっと待っていたような。
他の四人も丹波茶を味わっているようだった。
だが、東京に持ち帰りたいとは思わない。このお茶は、東京で飲めば穢れる気がした。
「お待たせしました」
先ほどの女の子と、苦戦していたおばさんが一緒に料理を運んできた。
そして、おばさんが僕たちに尋ねた。
「今日は、重彰君のために来てくれたんか」
この一言で、先ほどの五人の目的がはっきりした。
そして、このおばさんは佐久間と親しかったに違いない。
僕は、嬉しかった。
佐久間が生まれ育った場所で、彼を気遣ってくれる人に、葬儀場ではなく、偶然立ち寄った定食屋で出会えたからだ。
「そうです。僕たちは重彰の友人です」
最上が料理を受け取りながら答えた。
「重彰君、帰ってくると必ずここに寄ってくれたんよ。
それで、いっつも私の娘に東京のお土産をくれてね」
僕は、はっとした。
あの子は、長谷川さんに似ていたのだ。
僕が彼女に向けていた、言葉にならない期待も、その瞬間、綺麗に消え去った。
「佐久間が、ここにお土産を持ってくるようになったのは、いつ頃ですか」
僕が尋ねると、おばさんは少し考えてから言った。
「大学卒業のころやわ。
重彰君、よう娘に東京の話をしてくれてね。娘も、帰ってくると喜んで……」
おばさんは、そこで言葉を詰まらせた。
「お母さん、どうしたの。みっともないよ」
見かねたあの子が寄ってきて、おばさんを奥へ促した。
あの子がおばさんの娘だったことに、僕は驚いた。
神秘性の一端を覗いてしまったような気がして、胸がかすかに高鳴った。
「やっぱり、お兄ちゃんのお友達だったんだ」
「ええ、みんな大学が同じでした」
そして、片桐が言った。
「あなたは、ある人を思い出させます」
女の子は少し改まって尋ねた。
「そんなに、その人に似ていますか」
「ええ、とても」
「その人と、一度会ってみたかったな」
彼女の目が赤いのは、玉ねぎのせいではなかった。
「あなたのように、素敵な女性です」
僕は、それ以上言えなかった。
片桐も、他の連中も、何も付け加えなかった。
この先は、佐久間の役目だったのだから。
女の子は僕たちに「ありがとう」とだけ言い残し、奥へ下がっていった。
僕たちは、佐久間が食べていたのと同じ味の定食に箸をつけた。佐久間は、どんな思いでこれを食べていたのだろうか。
不思議なことに、今の状況にもかかわらず、僕を含めて皆の箸は進んだ。そして、短い時間でそれらを平らげていた。
僕は丹波茶のおかわりを頼んだ。
「すみません、お茶をいただけますか」
今度は、あの子ではなく、おばさんが急須を持ってやって来た。
「先程は失礼しました」
重村が、軽やかに話題のハンドルを切った。
「とんでもないです。ところで、この丹波茶、本当に美味しいですね。東京では味わえません」
「こんな田舎のお茶、東京では売れへんよ。東京には何でも揃っとるもんで」
今度は片桐が、話題を東京の事情へと引き取った。
「東京は、本物を探すには物が溢れ過ぎています。
本物自体、存在しているのか怪しいこともある。それに、本当に良いものほど、その土地に根付いているから、地元の方はそれが本物だと気づきにくい。偉そうにすみません。でも、それが日常なんです。いわゆる『生活の質』が高い、ということだと思います。東京の便利さは、何かを犠牲にして成り立っています」
「難しいこと言うわね。おばさんには意味が分からんわ」
片桐は、少しばつの悪そうな顔をした。
そこで日高が、分かりやすい速度に話を落とした。
「僕なんて、米は山形の農家と契約して、毎年新米を送ってもらってるんです。妻がその辺、神経質で」
「お米を、わざわざそんなふうに? 東京って凄いわぁ」
環境、常識の違い。毎日触れるものの積み重ね。
もちろん、それは日高が契約している農家とも異なる。
東京は、本来人間が必要としている要素を、経済力で掏り替え、過大な需要によって妥協と隠蔽を重ねている。
一生闇の中にいられるなら幸せかもしれないが、コロンボ刑事の助けを借りずとも、この完全犯罪は成立しないだろう。
本物は、日本各地に存在し、そこを訪れること自体は制限されていない。
ただし、本物を嗅ぎ分ける能力が必要になる。
多くの者は、それができないことを承知で、東京で胡坐をかいている。
首謀者は、そうした人間を侮っているのだ。
人は、動物の嗅覚や聴覚を称賛する。
だが、彼らはその能力だけを頼りに生きている。本能の退化が著しい人間からの賞賛など、迷惑なのではないか。
自分たちの生活を侵さなければ、それで十分なのだ。
だから首謀者は、機会を奪うまでもなく、本物に気づくセンサーを、毎日少しずつ削いでいく。
人の一生も同じだ。
自分の寿命を知ることは、本当に幸せなのだろうか。
肩の力を抜く、ほどよい妥協が、異なる視野を与え、自分らしい生き方につながるのかもしれない。
だが、力を抜くことは、思っている以上に難しい。出世とは矛盾している。
勝負どころで脱力せよ、と言われても、失敗を恐れて従う勇気は持てない。
たとえ、その助言が神様からのものだったとしても。
「おばさん。お茶も、定食も、とても美味しかったです。感謝しています」
僕は、そんなことを考えながら、心から礼を言った。




