第7話:転生したらスマホの保護フィルムだった
【前書き】
お読みいただきありがとうございます。
この作品は「転生したら〇〇だった」シリーズです。
1話完結形式で進みますが、全15話を通して一つの物語として繋がっています。
どうぞ気楽にお楽しみください。
目を開けると、世界が歪んでいた。
いや、正確には世界は真っ直ぐで、俺が歪んでいるのだ。薄く、平たく、透明な存在として。
――また、転生したのか。
何度目だろう。人間、たんぽぽ、石ころ、蟻、鳥、隕石。あらゆる形態を経験してきた。だが今回は、今までで最も奇妙だった。
俺には体がない。厚みもない。声も出ない。ただ、薄い膜のような感覚だけがある。
視界は透明な壁越しに広がっている。光が屈折し、指紋の跡が無数に浮かんでいる。その向こうに、明るい画面が見えた。
アプリのアイコン。通知のバナー。時刻表示。
――スマホ?
理解するのに、時間はかからなかった。
俺は、スマートフォンの画面を覆う保護フィルムだった。
誰かの指が、俺の上を滑る。タップ、スワイプ、フリック。何度も何度も、繰り返される動作。指先の温もりが、薄く伝わってくる。皮膚の湿り気、爪の硬さ、すべてが俺を通過していく。
持ち主は、若い女性のようだった。
画面に映る反射で、彼女の顔がぼんやりと見える。大学生くらいだろうか。明るい茶髪、少し疲れた目元、小さなピアス。
彼女は俺を――いや、スマホを――ずっと見ている。
朝、目覚まし音が鳴る。彼女の手が伸びてきて、スマホを掴む。アラームを止め、そのままSNSを開く。タイムラインをスクロールする指が、眠そうに動く。友人の投稿に「いいね」を押し、短いコメントを打つ。
俺の上を、指が滑る。
ベッドの中で、彼女は30分以上スマホを見続けている。ニュース、動画、メッセージ。次から次へとアプリが切り替わる。
やがて彼女は起き上がり、スマホを持ったまま洗面所へ向かう。歯を磨きながら、動画を観ている。朝食を食べながら、記事を読んでいる。
通学中、電車の中でもスマホを見ている。音楽を聴き、漫画を読む。画面が明滅し、光が俺を通過する。周りの乗客も、みんなスマホを見ている。
授業中、机の下でこっそりメッセージを打つ。指先が焦りと緊張で震えている。先生の声が遠くで聞こえる中、彼女の意識はスマホに向いている。
昼休み、友人と笑いながら写真を撮る。カメラが起動し、彼女たちの笑顔が画面に映る。何枚も何枚も撮り直し、ようやく満足する一枚が決まる。シャッター音。フィルター加工。SNSへ投稿。
そのすべてを、俺は透明な壁越しに見ていた。
彼女の指が、何度も俺に触れる。一日に何百回、何千回。だが彼女が見ているのは、俺じゃない。画面の向こう側だ。SNS、メッセージ、写真、動画。
俺は、ただそこにあるだけ。
透明で、薄くて、誰にも認識されない。
空気のような存在。
それでも、俺には役割があった。
画面を守ること。
ある日、彼女がスマホを落とした。階段でつまずき、手から滑り落ちる。床に激突する瞬間、衝撃が俺を貫く。ガツンという鈍い音。画面ではなく、俺が衝撃を吸収した。小さなヒビが、俺の右端に走る。
「あ、危なかった……」
彼女がスマホを拾い上げ、画面を確認する。無傷だ。彼女は安堵の息を吐き、胸を撫で下ろす。そして何事もなかったかのようにポケットにしまう。
俺のヒビには、気づかない。
端の小さな亀裂。だが俺には、それがはっきりと感じられた。痛みはない。ただ、“壊れた”という感覚だけがある。
日が経つにつれ、俺は傷ついていった。
指紋の跡が増える。皮脂が付着し、曇っていく。拭いても拭いても、また汚れる。端から少しずつ剥がれかけ、空気が入り込む。小さな気泡が、俺の中に閉じ込められた。
彼女は時々、俺の表面を服で拭く。だがそれは画面を綺麗にするためであって、俺を気にかけているわけではない。
それでも俺は、そこにあった。
彼女の笑いも、涙も、すぐそばで見ていた。
友人との楽しいメッセージ。絵文字が飛び交い、笑い声が聞こえてきそうなやり取り。恋人との喧嘩のメッセージ。重い言葉が並び、既読がつかない時間が続く。深夜、一人でニュースを読み、小さく溜息をつく彼女。
週末、彼女は写真を整理している。思い出の写真を見返し、微笑んだり、少し寂しそうな顔をしたり。俺は、そのすべてを見ていた。
すべてが、俺の向こう側で起きていた。
ある夜、彼女が泣いていた。
画面には、別れを告げるメッセージが表示されている。彼女の指が震え、返信を打とうとして何度も消す。文字が現れては消え、現れては消える。
涙が、俺の上に落ちた。
温かい。
透明な膜越しに、彼女の悲しみが伝わってくる。涙が俺の表面を伝い、画面を濡らす。彼女は慌ててティッシュで拭き取る。
だが俺には、何もできない。ただ、そこにあるだけだ。
彼女の痛みを感じても、声をかけることも、慰めることもできない。
やがて彼女は画面を消し、スマホを伏せた。暗闇の中、俺は静かに存在し続ける。机の上、冷たい木の感触。天井の白さだけが見える。
季節が変わった。
彼女の生活も少しずつ変わっていく。新しい友人とのメッセージが増える。新しい場所の写真が保存される。新しい笑顔が、カメラに映る。
彼女は前を向き始めていた。
だが俺は、変わらずそこにあった。
傷だらけで、曇って、端が剥がれかけて。
それでも、画面を守り続けた。
毎日、何千回と触れられる指先。その度に、俺は少しずつ削れていく。透明度が落ち、タッチの反応も鈍くなっていく。
彼女は時々、画面が見づらそうに眉をひそめる。だがそれでも、すぐには交換しない。
そしてある日――
「あー、もうボロボロだな」
彼女が呟く。俺を見下ろしながら、少し困ったように眉を寄せる。
「新しいの、買わなきゃ」
彼女の声には、俺への感謝も、別れの寂しさもない。ただ、消耗品を交換する時の、事務的な響きだけがあった。
次の日、彼女は新しい保護フィルムを買ってきた。
透明で、綺麗で、傷一つない。
彼女はスマホケースを外し、俺の端に爪を引っ掛ける。
ゆっくりと、剥がされていく。
画面から離れる瞬間、世界が遠のいた。彼女の指の温もりが消え、光が薄れていく。
俺は、もう必要ない。
新しいフィルムが貼られる。彼女は満足そうに画面を確認し、微笑んだ。
「うん、やっぱ新品は綺麗だね」
指で何度か撫で、気泡がないか確認する。そして満足げに頷く。
そして俺は、ゴミ箱に捨てられた。
ポイ、と投げ込まれる。軽い音を立てて、袋の底に落ちる。
暗い袋の中。他のゴミに埋もれて、俺は横たわっていた。使い終わったティッシュ、お菓子の包装、レシート。
短い生だった。
数ヶ月――いや、もっと短かったかもしれない。
それでも、確かに誰かを守っていた。
彼女の笑顔を、涙を、日常を。落下から画面を守り、傷から液晶を守り、彼女の大切なデータを守った。
画面の向こう側で起きるすべてを、俺は見ていた。
だが、誰も俺を見ていなかった。
透明だから。
薄いから。
“あって当然”だから。
俺がいなくても、彼女の生活は変わらない。新しいフィルムが、すぐに俺の代わりになる。
俺がどれだけ傷ついても、どれだけ頑張っても、それは”当たり前”のことだった。
感謝されることも、名前を呼ばれることも、存在を認識されることもない。
それでも――
いや、だからこそ。
「……誰も、俺を見ていなかった」
呟きは、誰にも届かない。ゴミ袋の暗闇に溶けて、消える。
意識が遠のいていく。
存在が薄れていく。
透明な俺は、最後まで透明なまま消えていく。
また、終わる。
そして――
視界の端に、何かが光った。
金属の輝き。剣の鍔に反射する、鋭い光。
次が、来る。
【後書き】
お読みいただきありがとうございます。
この作品は「転生したら〇〇だった」シリーズです。
次の転生も、ぜひ見届けてください。
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