第12話:転生したら記憶だった
【前書き】
お読みいただきありがとうございます。
この作品は「転生したら〇〇だった」シリーズです。
1話完結形式で進みますが、全15話を通して一つの物語として繋がっています。
どうぞ気楽にお楽しみください。
目を開けると――いや、目はなかった。
体もない。声もない。形すらない。
あるのは、ただ”ある”という感覚だけ。
俺は――記憶だった。
誰かの頭の中に眠る、一つの記憶。
それが、今の俺の存在の全てだった。
最初は混乱した。
自分が何なのか、どこにいるのか、何も分からない。
ただ、温かい闇の中に浮かんでいる感覚だけがあった。
周りには、無数の”何か”がある。
他の記憶たちだ。
子供の頃の思い出。学生時代の出来事。家族との時間。
それらが層になって、折り重なって、脳の中に保管されている。
俺は、その中の一つ。
特別に大切にされている、一つの記憶。
光が当たりやすい場所に、丁寧に仕舞われている。
やがて――光が差し込んだ。
誰かが、俺を”思い出した”のだ。
視界が開ける。
いや、“視界”ではない。記憶の再生だ。
春の公園。桜が咲き誇り、花びらが風に舞っている。
ベンチに座る二人。若い男女。
男が、恥ずかしそうに笑っている。
女が、頬を赤らめて俯いている。
「……好きです」
男の声。
「私も……」
女の声。
二人の手が、重なる。
温かい。優しい。
それが、俺だった。
俺は――この記憶そのものだった。
初恋の記憶。
春の日の、告白の瞬間。
それが、俺の”存在”だった。
記憶が終わり、再び闇に戻る。
だが今度は、温もりが残っていた。
誰かが、俺を大切にしている。
何度も何度も、思い出している。
時が経つにつれ、俺は何度も”再生”された。
同じ記憶が、繰り返される。
だが――少しずつ、変わっていく。
春の公園。桜の木。ベンチ。
それは変わらない。
だが、細部が曖昧になっていく。
男の顔が、ぼやける。
声が、不鮮明になる。
言葉が、美化されていく。
「……好きです」が「愛しています」に変わる。
恥ずかしそうな笑顔が、優しい微笑みに変わる。
記憶は、思い出されるたびに――歪んでいく。
美化され、理想化され、現実から遠ざかっていく。
だが、それでも俺は”ある”。
記憶として、確かに存在している。
ある日――いや、“日”という概念も曖昧だが――俺は”持ち主”を知った。
老婆だ。
白髪の、小さな体の、優しい顔をした老婆。
彼女の脳内に、俺は眠っている。
彼女が若かった頃の記憶。初恋の相手。
それが、俺。
彼女は時折、俺を思い出す。
一人で紅茶を飲みながら、窓の外を眺めながら、ベッドで眠る前に。
朝、目覚めた時。夕暮れ、オレンジ色の空を見上げた時。雨の日、しとしとと降る音を聞いた時。
「……あの人、元気かしら」
呟く声が、遠くで聞こえる。
そして、俺が再生される。
春の公園。桜。告白。
何度も、何度も。
彼女にとって、俺は宝物だった。
苦しい時、悲しい時、寂しい時――俺を思い出すことで、彼女は微笑む。
「あの頃は、よかったわね」
優しい声。
俺は、彼女を支えていた。
記憶として、心の支えとして。
だが――
時が経つにつれ、彼女の”思い出す力”が弱くなっていった。
最初は小さな変化だった。
思い出すのに、少し時間がかかる。
映像が、以前よりぼやける。
「あれ……どんな顔だったかしら」
首を傾げる回数が、増えていく。
やがて、変化は大きくなった。
記憶の再生が、遅くなる。
映像が、途切れ途切れになる。
音が、歪む。
「公園で……何を話したんだっけ」
困惑する声。
そして――記憶の順序が、混乱し始める。
春だったはずが、秋になる。
桜が、紅葉に変わる。
告白の言葉が、別の会話と混ざる。
そして――
ある時から、俺は”忘れられ始めた”。
彼女が俺を思い出そうとしても、うまく再生されない。
春の公園? いや、夏だったかもしれない。
桜? それとも、別の花?
ベンチに座っていた? それとも立っていた?
男の顔が、もう見えない。
輪郭が消え、目鼻立ちが曖昧になり、最後には影だけになる。
声が、聞こえない。
優しい声だったはずなのに、もう音として再生されない。
言葉も、曖昧になっていく。
「好き」だったのか「愛してる」だったのか。
それとも、何も言わなかったのか。
俺という記憶が、バラバラになっていく。
断片化し、欠落し、他の記憶と混ざり合っていく。
「……誰だったかしら」
老婆が首を傾げる。
「大切な人だったような気がするけど……」
記憶が、崩れていく。
俺の存在が、薄れていく。
認知症。
彼女の脳が、少しずつ壊れている。
記憶を保つ力が、失われている。
そして――俺も、消えていく。
ある日、彼女は俺を思い出そうとした。
だが、何も浮かばなかった。
ただ、“何か大切なものを忘れている”という感覚だけが残る。
「……何だったかしら」
彼女は困惑する。
「春の……公園? 誰かと……」
断片だけが、浮かんでは消える。
俺は、もうそこにない。
彼女の中で、俺は失われつつあった。
それでも俺は、まだ”ある”。
完全には消えていない。
脳の奥深く、シナプスの片隅に、わずかに残っている。
春。桜。温もり。
言葉にならない感覚だけが、かすかに残っている。
だが、それももう長くはない。
彼女の脳細胞が、一つ、また一つと失われていく。
俺を保存していたニューロンが、機能を停止していく。
記憶の断片が、消えていく。
春――消えた。
桜――消えた。
公園――消えた。
温もり――
それだけが、最後まで残った。
「……温かかった」
老婆が呟く。
「何が温かかったのか、分からないけど……」
それが、俺の最後の痕跡だった。
そして――
最後の瞬間が来た。
老婆が、ベッドに横たわっている。
家族が周りを囲んでいる。
彼女の意識が、遠のいていく。
その時――
一瞬だけ、俺が蘇った。
春の公園。桜の花びら。若き日の彼女と、名前も顔も分からない男性。
「……ありがとう」
老婆が微笑む。
誰に向けた言葉かは、分からない。
だが――
俺は、確かにそこにいた。
最後の最後まで、彼女の中に。
そして――
彼女の心臓が、止まった。
脳の活動が、停止する。
記憶が、すべて消える。
俺も、消える。
闇が、すべてを包む。
「……俺は、本当に存在したのか?」
最後の問いかけ。
答えは、ない。
俺は記憶だった。
誰かの頭の中にしか存在しない、幻のような存在。
実体はなく、証拠もなく、ただ”思い出される”ことでしか存在できない。
思い出されなければ、俺はいない。
忘れられれば、俺は消える。
それでも――
確かに、そこにあった。
彼女の人生の一部として。
大切な記憶として。
温かい思い出として。
それだけで、十分だったのかもしれない。
意識が遠のく。
存在が消えていく。
また、終わる。
そして――
闇の中に、小さな光が見えた。
光の粒。
キラキラと輝く、無数の光。
誰かが、見ている。
次が、来る。
【後書き】
お読みいただきありがとうございます。
この作品は「転生したら〇〇だった」シリーズです。
次の転生も、ぜひ見届けてください。
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