第10話:転生したら風の精霊だった
【前書き】
お読みいただきありがとうございます。
この作品は「転生したら〇〇だった」シリーズです。
1話完結形式で進みますが、全15話を通して一つの物語として繋がっています。
どうぞ気楽にお楽しみください。
目を開けると――いや、“開ける”という感覚すらなかった。
意識が戻った瞬間、世界は既にそこにあった。
空が見える。青く、広く、果てしなく。雲が流れ、鳥が飛び、太陽が輝いている。
だが俺には、体がない。
手も、足も、顔も、心臓も。
あるのは、ただ”流れ”だけだ。
風。
俺は、風になっていた。
形を持たない存在。目に見えない存在。触れることも、触れられることもない。
ただ、流れる。
吹き抜ける。
世界を巡る。
それが、俺の在り方だった。
最初は、戸惑った。
体がないということは、立つことも、座ることも、眠ることもできない。
声を出すこともできない。誰かに語りかけることも、自分の存在を示すこともできない。
ただ、風として存在する。
それだけ。
だが――
自由だった。
どこへでも行ける。山を越え、海を渡り、森を抜ける。
何にも縛られない。何にも止められない。
草原を撫で、花を揺らし、木の葉を舞い上げる。
川の水面を波立たせ、砂漠の砂を巻き上げ、雪原を駆け抜ける。
世界のすべてが、俺の道だった。
時間の感覚が、曖昧になっていく。
一瞬が永遠のようで、永遠が一瞬のようだった。
季節が変わる。春の温もり、夏の暑さ、秋の涼しさ、冬の冷たさ。
すべてを感じながら、俺は流れ続けた。
だが――
孤独だった。
誰とも話せない。誰にも触れられない。
人々は俺を感じても、俺だと認識しない。
ただの風。
ただの空気の流れ。
それ以上でも、それ以下でもない。
ある日、俺は懐かしい場所に辿り着いた。
いや、“辿り着いた”というより、自然と引き寄せられたのかもしれない。
魂の記憶が、俺をそこへ導いた。
森の中。木々が生い茂り、苔が石を覆っている。
そして――小さな祠。
かつて、勇者たちが休んだ場所。
俺が短剣として腰に下げられていた場所。
そこに、人の気配があった。
風として、俺は近づく。
木々の間を抜け、葉を揺らしながら、祠へと流れ込む。
そこにいたのは――
勇者だった。
もう若者ではない。髪には白いものが混じり、顔には皺が刻まれている。それでも、あの頃の面影は残っていた。
彼は一人で祠に座り、何かを手に持っていた。
短剣。
錆びた、古い短剣。
「……まさか、こんなところで見つかるとは」
勇者が呟く。刃を撫でながら、遠い目をしている。
「魔王城の戦利品バーゲンか。骨董品として売られていたお前を見た時、すぐに分かった」
彼の声に、懐かしさと後悔が滲む。
「俺が、あの日失くした短剣だって」
月明かりが、錆びた刃を照らす。
「結局、一度も使わなかった」
風として、俺はその場に留まった。
流れを止め、静かに聞く。
魔王城。
あの日、俺が地面に落ちた場所。
戦いが終わり、城は解体され、戦利品として整理された。
そして長い年月を経て――骨董品として、市場に並んだ。
それを、勇者が見つけた。
再会。
「お前を手に入れた時、“もしもの時”のためだと思った。だが、その”もしも”は来なかった」
勇者の声は、静かだった。
「聖剣があれば十分だと思っていた。お前の出番なんてないと、そう思っていた」
彼は短剣を持ち上げ、月明かりに翳す。
「でも――後から気づいたんだ」
風が、わずかに揺れる。
「お前も、意志を持っていたのかもしれない。俺を守ろうとしていたのかもしれない」
勇者の瞳に、後悔が滲む。
「なのに俺は、お前を見なかった。お前の存在を、認めなかった」
短剣を胸に抱く。
「そして、失くした。あの魔王城で、地面に落としたまま、気づかなかった」
彼の声が震える。
「ずっと、探していた。もう一度、ちゃんと向き合いたかった」
骨董品市場で再会した時の驚き。
錆びて、傷ついて、それでも確かに”あの短剣”だった。
「すまなかった」
その言葉が、風に乗って俺に届く。
俺は――答えられない。
声がない。形がない。
ただ、風として、そこにいるだけ。
だが、勇者は何かを感じ取ったようだった。
「……今、風が止まった気がした」
彼が呟く。周りを見回すが、何も見えない。
「まさか、な」
自嘲するように笑い、立ち上がる。
「気のせいか」
短剣を腰に下げ、祠を後にする。
俺は、再び流れ始めた。
勇者の背中を見送りながら、静かに吹き抜ける。
ありがとう、と伝えたかった。
後悔しなくていい、と言いたかった。
俺は、ちゃんとそこにいた。
使われなくても、見られなくても、認識されなくても。
勇者の腰で、戦場で、旅路で。
ずっと、そこにいた。
それだけで、十分だったのだと。
だが、風には声がない。
想いは、ただ風に乗って消えていく。
俺は森を抜け、空へと昇った。
雲の上を流れ、世界を見下ろす。
広大な大地。青い海。白い雪山。
すべてが美しく、すべてが遠かった。
どこへでも行ける。
だが、帰る場所がない。
止まることができない。
永遠に流れ続ける。
それが、風の宿命だった。
自由は、孤独だった。
時が経つにつれ、俺の意識は薄れていった。
風として長く存在しすぎたのかもしれない。
魂の輪郭が曖昧になり、“俺”という感覚が溶けていく。
大気に溶け込み、世界の一部となっていく。
それは、消えることではない。
ただ、“風そのもの”になるということ。
個を失い、全体となる。
俺は――
俺は――
「……さよなら」
最後の想いを、風に乗せる。
人間だった頃の記憶。たんぽぽ、石ころ、蟻、鳥、隕石、フィルム、短剣、スケルトン。
すべての転生。すべての生。
それらが、風の中で混ざり合い、溶けていく。
意識が遠のく。
存在が薄れる。
また、終わる。
そして――
視界の端に、何かが見えた。
炎。
赤く、激しく、燃え盛る炎。
そして、憎しみ。
深く、暗く、消えない憎悪。
角。赤い肌。
次が、来る。
【後書き】
お読みいただきありがとうございます。
この作品は「転生したら〇〇だった」シリーズです。
次の転生も、ぜひ見届けてください。
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