61.署名
兄様に抱きしめられ、時折思い出したかのように口づけされる。
腕の中にいるのが心地よくて、気がつけば日が暮れそうになっていた。
「兄様、そろそろ中に戻った方がいいかも?」
「……そうだな。レイモンに叱られそうだ。
中に戻って、父上たちに報告しよう。
婚約を認めてもらわないといけないしな」
「うん」
兄様から下りて歩いて戻ろうとしたのに、
しっかり抱きかかえられて離してもらえない。
「兄様、歩くからおろして」
「……いやだ」
「嫌だって、どうして」
「ジュリアンヌと離れたくない。
だけど、応接室に戻ったら離れなくちゃいけないだろう。
それまではこうしていたい」
「……わかったわ」
さすがに伯父様とレイモン兄様の前では、
抱き上げるのは止めてくれるらしい。
よほど私と離れたくないのか、
兄様にじっと見つめられるとお願いを断りにくい。
……私も本当は離れたくないって思っているけど。
兄様は応接室の前まで行って、ようやく私を降ろしてくれた。
ドアを開けると、伯父様とレイモン兄様は楽しそうに笑っていた。
「ああ、やっと帰って来たか」
「話はできたんだろう?」
「父上、レイモン、俺とジュリアンヌを婚約させてくれ」
ソファに座ろうとせず、兄様が伯父様とレイモン兄様に頭を下げる。
それを見て、私も兄様の隣で頭を下げた。
「うん、とりあえず座ろうか。二人とも」
伯父様にそう言われ、兄様と私はソファへ座る。
すぐに認めてくれると思っていたのに。
「じゃあ、これに署名しようか」
「え?」
「ほら、すぐに王宮に届けないと夜になってしまう」
「ええ?」
差し出された書類は婚約に関するものだった。
もうすでにレドアル公爵とイフリア公爵の名が書かれている。
「認めてくれるってこと?」
「認めないわけないだろう。最初からこうなるとわかっていたんだから」
「え?」
「もっと早くジェラルドが我慢できなくなると思ってたけどね」
伯父様とレイモン兄様ののんきな会話に力が抜けそうになる。
「わ、私はすごく悩んでいたのに!」
「それも知っているよ。
だけど、人から言われて気がついたんじゃだめだろう。
俺はジュリアンヌが自分でジェラルドを選ぶのを待っていただけだ」
「……そうかもしれないけど」
「決めた時にすぐに婚約できるように準備は整えていたんだぞ。
感謝してほしいくらいだ」
「準備?」
何のことだろうと思っていると、伯父様とレイモン兄様がにかっと笑う。
「うちの養女のままだと婚約できないからな」
「だからイフリア公爵家の籍に戻したんだよ」
「それって、そういうことだったの!?」
「そうだよ。ジェラルドも気がつかずに落ち込んでいたようだが」
隣に座る兄様を見ると、兄様も私と同じように驚いていた。
知らなかったのが自分だけじゃなかったので少しだけほっとする。
「二人の話し合いも終わったし、これですんなり婚約できるな」
「……ありがとう」
心配させていたのは間違いないので、お礼は言っておく。
ジェラルド兄様が署名した後で、私も署名する。ジュリアンヌ・イフリア
この名前で署名する日が来るなんて、思いもしなかった。
「……すぐにまたジュリアンヌ・レドアルに戻るけどな」
「ジェラルド、結婚は学園を卒業した後だよ?」
「……あと二年半もあるのか」
絶望するような兄様にレイモン兄様が追い打ちをかける。
「それまでジュリアンヌはイフリア公爵家で生活するからね」
「は!?」
「婚約したからといって、レドアル公爵家には戻さないよ。
やっと兄妹で一緒に暮らせるようになったんだから」
「……嘘だろう」
私が戻って来ると思っていたのか、兄様が私の手を強く握る。
離れたくない気持ちは同じだけど、私はイフリア公爵家に帰らなくてはいけない。
せっかく両思いだとわかったのに、また離れなくちゃいけない。
切なくなって兄様を見れば、兄様もさみしそうな目で私を見ていた。
「……やっぱりこうなったか」
「伯父上、予想通りですね」
「父上、レイモン、何のことだ?」
また何か話し合っていたのか、伯父様とレイモン兄様が笑っている。
「ジェラルド、イフリア公爵家の仕事を手伝うなら、
うちの屋敷にジェラルドの部屋を用意してもいいよ」
「本当か!」
「ああ。新しい公爵としてやらなくちゃいけないことは山積みでね。
使用人も減らしてしまったから大変なんだ。
伯父上に、ジェラルドを借りれないか相談していたところだった」
「いくらでも手伝うよ!公爵家の仕事なら慣れているし!」
「期間はジュリアンヌの学園卒業まで。それでいいか?」
「ああ!」
どうやら今度は兄様がイフリア公爵家に住むことになるらしい。
伯父様とも話がついていたようで、私と兄様たちはイフリア公爵家に戻ることにした。
署名した書類は伯父様が王宮に提出してくれるらしい。
明日には私とジェラルド兄様の婚約が成立する。
馬車に乗ってイフリア公爵家に戻った時にはもう夜になっていた。
三人で夕食を取り、私は私室へ戻って湯あみをして眠る用意をする。
今日はいろいろあって疲れたし、兄様にも会えた。
ずっと眠れなかったけれど、今日なら眠れるかもしれない。
そう思ってベッドに入ると、ドアがノックされた。
部屋に入ってきたのはジェラルド兄様だった。
「どうしたの?」
「ジュリアンヌを寝かしつけてから寝ようと思って」
「……今日は大丈夫だと思ったのに」
「もうずっと寝てないって聞いた。ほら、横になって」
「……うん」
きっとレイモン兄様から聞いたのだろう。
ずっと寝ていないから倒れるかもしれないとか言ってそう。
横になって兄様と手をつなぐと、レドアル公爵家にいた時を思い出す。
あの時は素直に甘えることができなかったけれど、今はそうじゃない。
もう兄様としてじゃなく、婚約者として甘えてもいいんだ。
「なんだかうれしそうだな」
「うん。ずっと会えなくてさみしかったから。
こうしてまた一緒にいられてうれしい」
「……急に素直になったな……。
俺もうれしいよ。いないあいだ、本当にさみしかったから」
「うん、ごめんね」
何も言わずに避けていて、冷たくして、ごめん。
もう一度謝ろうとしたけれど、眠くて目が開けられなくなる。
眠りに落ちる瞬間、唇に兄様がふれた気がした。
それがうれしくて、幸せな気持ちがあふれそうだった。




