35.マゼンタ様の謝罪
マゼンタ様が来るまでの二日間、気持ちが落ち着かなかった。
立ち会うと決めたものの、怖いことには変わらない。
なんとか自分を奮い立たせようとしているのに気がついたのか、
兄様は私のそばから離れなかった。
「止めても無駄なのはわかっている。
だから、何でもないことでも俺に頼ってほしい。
してほしいことがあれば、何でも言って?」
「兄様……そばにいてくれるだけで心強いわ」
「そばにいるのは当たり前だ。
ジュリアンヌにはそれ以上を望んでほしいんだ」
今以上を望んでしまえば欲張りになる。
だから、今だけでもそばにいてほしい。
「ううん、大丈夫。こうして手をつないでいてもいい?」
「ああ、もちろんだ」
なんとなく兄様が残念そうな顔をした気がするけれど、
つないだ手からは温かさが伝わって来る。
あと一時間もすれば約束の時間になる。
マゼンタ夫人が応接間に通された後で私たちは呼ばれる。
それまでは私室にいるようにと言われていた。
緊張で兄様と会話をすることもなく、エリが淹れてくれたお茶を飲む。
喉は潤うけれど、美味しいはずのお茶の味もしない……。
ようやく呼び出されて、立ち上がろうとしたら足が震えている。
「ジュリアンヌ、手を出して」
「ええ……」
兄様に手をひかれるようにして応接間に向かう。
ドアをあけたら、黒髪が目に飛び込んでくる。
黒髪黒目のマゼンタ様はあの時よりも年を取ったけれど、
私を見てにやりと笑う表情はそのまま。
その笑みに優しさや親密さは感じられない。
まるで獲物を見つけて喜んでいるような……。
立ちすくんでいると、兄様が私を背に隠してくれる。
マゼンタ様の視線が外れて、ようやく息を吸える。
「ジェラルド、ジュリアンヌはそちらに座っていなさい」
マゼンタ様の前には伯父様が座り、私たちは少し離れた場所に座る。
「それでマゼンタ夫人、今日は何をしに来たんだ?」
「お時間をいただきましてありがとうございます。
私とヴィクトルがしてしまったことを謝りたかったのです」
「してしまったことというのは?」
「手紙にも書きましたが、私の娘シュゼットはヴィクトルとの子です。
そのことでロズリーヌ様を深く傷つけてしまい、
結果としてヴィクトルと離縁させることになってしまいました」
「なってしまった?それはマゼンタ夫人が望んだのではないと?」
お母様を傷つけるつもりはなかったとでも言いたげなマゼンタ様に、
伯父様が冷たく指摘した。
「いえ……あの時はまだ私も若かったですから。
ロズリーヌ様にヴィクトルを取られたと思っていたのもあります。
離縁した時は喜んでいました……」
「では、なぜ今になって謝罪を?」
「……王家から処罰を受けたことで、いい機会だと思いました。
今になって思えばロズリーヌ様だって好きで結婚したわけではなかった。
ロズリーヌ様も被害者だったと気がついたのです」
「妹も被害者か……まるで自分たちも被害者だと言いたげだな。
王命が出た時はマゼンタ夫人とイフリア公爵も被害者だったかもしれない。
だが、関係を切らなかった時点で被害者ではない。
被害者面はやめてもらおうか」
「……わかりました。申し訳ありません」
マゼンタ様は神妙な顔で頭を下げたけれど、申し訳ないとは思っていない気がする。
「謝られたとしても、謝罪を受けるつもりはない。
ジェラルドとジュリアンヌを同席する必要はなかったな」
「お待ちください。お二人を同席したのは理由があります。
……たしかに私たちが悪かったのはわかります。
それでも、子どもたちには関係ありません」
「……何が言いたいんだ?」
「シュゼットはジュリアンヌ様の妹です。
あの子はジュリアンヌ様と姉妹として仲良くしたいと」
「……は?」
黙っていられなかったのか、隣に座る兄様が低い声でつぶやいた。
私の手を握る手に力が入る。
「ふざけるな!何を馬鹿なことを言っているんだ?」
「そうだ……なぜジュリアンヌが不貞の娘と仲良くしなければいけない」
「そうでしょうか?ヴィクトルとロズリーヌ様の結婚は王命でした。
伝統派と推進派の派閥争いを失くす、という大きな使命がありました。
それを離縁という形でダメにしてしまったのは私たちです。
ですが、シュゼットとジュリアンヌ様が仲良くなれば、
派閥の確執を失くすことが可能になります」
「なぜ、お前たちのしりぬぐいをジュリアンヌがしなければならない」
「ジュリアンヌ様は派閥の争いを失くしたくありませんか?」
「……それは」
マゼンタ様の目がまっすぐに向けられて、何も言えなくなる。
派閥間の確執なんてない方がいいに決まっている。
私がシュゼット様と仲良くできるのなら、派閥の争いも減るかもしれない。
だけど……シュゼット様と仲良くしたいとは思えない。
「何を勝手なことを言っているんだ。
ジュリアンヌに犠牲になれというつもりか?」
「もちろん、ジュリアンヌ様だけに強いるつもりはありません。
シュゼットはレドアル公爵家に嫁がせたいと思います」
「はぁ!?」
シュゼット様をレドアル公爵家に嫁がせるって……
兄様と結婚させるってこと?
「なぜ、不貞の娘なんかと俺が結婚しなきゃいけないんだ」
「ロズリーヌ様はイフリア公爵家に人質のように嫁がれました。
今度は伝統派が推進派に人質を送る番だと思います。
シュゼットをレドアル公爵家に嫁がせ、ジュリアンヌ様と姉妹として仲良くする。
そうすることで伝統派と推進派の垣根がなくなります。
とても素晴らしい案だと思いませんか?」
「ふざけるな!!不良品を押しつけて何が人質だ!
父上、もういいですよね?夫人を帰してください!」
「ああ、そうだな。話すだけ無駄なようだ。
お帰り願おうか」
「お待ちください!よく考えてください。
これ以上の案はないと思います。
王家ともご相談くだされば、きっとこの案が最良だと思えるはずです」
「いいから、帰れ。もう二度とこの家には入れない!」
「お前たち、マゼンタ夫人はお帰りだ。玄関まで案内しろ!」
伯父様が使用人たちに命じ、マゼンタ様を無理やり外に連れ出していく。
その間もマゼンタ様は微笑んで「いい返事を待っていますわ」
と何度も言っていた。
「ジュリアンヌ、大丈夫か?」
「ええ……私、結局何も言い返せなかった」
「いいんだ。この場にいただけでもすごいことだ。
よく頑張ったな、ジュリアンヌ」
「兄様……」
ぎゅっと抱きしめられ、背中をなでられる。
ずっと緊張して力が入っていた身体から力が抜けていく。
まさかマゼンタ様があんなことを言うとは思わなかった。
伯父様も兄様も否定してくれたけれど……まだマゼンタ様の声が耳に残る。
それから何度もマゼンタ様から伯父様と兄様宛に手紙が届いていた。
もしかしたら私にも届いているのかもしれないけれど、
手紙の内容すら教えてもらえなかった。




