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以徳治世

 一つ、また一つと桃の蕾が開いていた。まるで人間の命がこの世に誕生するかのように美しく咲き誇り、春先に芽吹いた若葉が枯れ落ちてしまった木を一気に彩っていた。人間の生は泥の混沌から生まれ、その意識は時間と空間を越えて受け継がれて生の営みがいつ終わるともなく続いていた。


 人は創造神女媧により創造された。女媧がこの世を作った時に、黄河の畔へ行き水に映る自分の姿を見て自分に似せた生き物を創ろうとした。そして黄河の川底の泥を掬い取って自身の神性を混ぜながら捏ね、手が出来るとその手は動き出し、足を作ると一人で歩き出した。最初は失敗して、犬や豚などが創られたのであるが、やがて泥を捏ねるのに慣れてくると、泥人形は次第に大きくそしてより人間らしくなって行ったのだ。伝承では、女媧は天地が出来た一日に鶏を創り、二日目に犬を創り、三日目に豚を創り、四日目に羊を創り、五日目に牛を創り、六日目に馬を創り、七日目に人を創ったという。

 この頃の人間は女媧の神性を練り込まれていたために神々に近い非常に高い神性を持っており、初期の人間と神は近い存在であった。神とは神性そのものに意識を吹き込み創り出されたために、初期の神々は実体を持っていなかった。やがて神々の中にも実体を持つ者が現れた。


 初期の人間は高い神性を持つと共に、その出来たての大地にも神性が溢れていたために大地は潤い凍えることもなく、木々には緑や青、赤や紫といった多種多様の果物や木の実が一年中実を結んでいた。

 神性の高い者たちはそもそも食によりエネルギーを得る必要がなく、神性が低い人々や猛獣、霊獣達も山の恵みにより十分な食を得ることが出来ていたので森に棲む者たちは互いに争う理由もなくただ穏やかな時間が流れ、人間は自分達を山の人という意味で仙人と呼び自然の中でゆったりと暮らしていた。この時代は大道と呼ばれていた。


 しかし、人間は交配を重ね子孫を残すたびに徐々に神性が失われていき、その内に神性を持たぬ人間が生まれるようになり、現在では神性を持つ者の方が圧倒的に少ないという状況になっているのである。また、時間の経過とともに人間の神性のみではなく大地の神性も減少していき、大地の神性も枯れつつあったため、平地では食料となるような木や草は山中ほどには育たなかった。

 その一方で深い山にはまだまだ神性は残っており山神も多数住んでいたので非常に豊かな実りを与えていたが、そのような場所には例外なく魑魅魍魎ちみもうりょうや龍、霊獣、猛獣たちが住み着いていた。豊かと言っても昔に比べて森の生産性も低下していったので、人間は腹をすかせた猛獣などにより食料にされることが増えたため、人間は身の危険を感じていつしか平野部に追いやられて生きていかざるを得なくなっていた。山を追い出された人間はこの様にして平野部へと逃げるように移り住み、水辺の周りに邑を作り農業を行うようになって行ったのだ。

 平野に追いやられた人間たちであるが、そのまま黙っていたわけではなく、森を焼き払ってしまおうとした者もいたが、例外なく異変を察知した魑魅魍魎や猛獣の襲撃を受けて多大な被害を出していた。

 この様に、山間部は今では人間にとっては危険が溢れる場所であったのだが、一方で人間の好奇心や欲望を満たす様々な珍しい食料や薬、鉱物、玉璧などを得ることが出来る魅惑的な場所でもあったために、逆にお宝を求めて魑魅魍魎の徘徊する山中へと果敢に踏み込んでいく者たちが後を絶たなかった。この時代はこの様に人間のみではなく霊獣や神々も住む世界であったのだ


 この物語は中原の神話時代に生きた伝説の帝、黄帝軒轅こうていけんえんの話である。


                 ◇


 その時軒轅は涿鹿たくろくの野にある背の低い草が生い茂るなだらかな丘の頂上に佇み周囲を見渡していた。軒轅のすぐに足元には夏の兵たちが太古の陣形である握奇陣あっきじんを敷き、敵の襲撃に備えていた。

 兵たちは明日にでも始まるであろう中原の命運をかけた戦いを前に、自身の運命を託している王を見上げ、その顔にはそれぞれ決意を決めた表情が見て取れた。


 涿鹿は冀州きしゅう、今でいう河北省付近にあり、涿鹿の南方には夏軍の九黎軍きゅうりぐん侵攻に対する最前線基地である冀州城があった。夏軍は数日前に冀州城を出てこの涿鹿の地へ到着しており、東から蚩尤しゆうに率いられて進軍してくる九黎軍をこの地で迎え撃とうとしていた。そしてこの日、西日が差し込み始めたころに蚩尤を中心とした九黎軍が涿鹿の野に現れて、この平地を挟んで両軍共々に様子を伺いながらのにらみ合いの状態となっていた。

 これから中原の行く末を決める大戦がはじまろうとしているにもかかわらず、華夏軍を率いている軒轅の心は意外にも穏やかで、軒轅の脳裏にはこれまでの激動の人生がよぎり多くの人々との出会いと別れを思い出していた。


「ああ、暮れ行く空が何と美しいことか」


 夕暮れに差し掛かり、ひんやりとした風が頬を掠め、昼間の強い日差しで流れた汗を乾かし、心地よさを感じながら軒轅は天を仰ぎ見て呟いた。

 明日にでも行われるであろう蚩尤しゆうとの戦いは軒轅にとっては初めて蚩尤とまみえる瞬間である。しかし、明日の戦いはどちらかが死ぬしか決着は無く出会ってすぐに別れとなってしまうであろうことは薄々感じていた。


 軒轅は今、この涿鹿の地に夏軍として集っている全てに感謝の気持ちを持っていた。否、夏軍という言い方は適切ではないであろう。その軍勢は中原に住む夏族を中心にして崑崙山こんろんさんの神々や霊獣、そして強大な力を誇る龍たちから成る混成軍であったのだ。本来なら共に戦うことなど無い神々や龍、神獣たちを、反蚩尤連合軍としてまとめ上げたのが有熊国ゆうゆうこくという小国の王である軒轅であったのだ。

 夏軍に加わった者たちは軒轅に惹かれていた。それは人間だけではなく、神々や霊獣、そして龍たちもそうであった。彼らは皆、神性を失いつつある人間などもはや取るに足りない存在であると思っていたが、考えを改めて軒轅を一人の主として従っていたのだ。

 この一人の人間が神々をも従わせることが出来たのは、軒轅が数百年に一度生まれるという高い神性を伴った土徳どとくを持って生まれてきたからであった。土徳とは、火徳が人々に繁栄をもたらすように、人々の間に秩序をもたらす者であるという意味合いを持っている。

 農業を行った神農氏は火徳かとくを持って生まれ、人々に繁栄をもたらしたと伝わっており、この神農氏の死後500年程が経過した今、土徳を持つ軒轅が誕生したのだ。


 盛夏が過ぎ秋に差し掛かり夕方陽が落ちると少々肌寒く感じるようになっていた。気の早い木の葉はいち早く黄色く色づいており秋を感じさせており、葦の背は高くなり綿毛を飛ばす準備を整えつつあった。薄明りの中、既に輪郭しか見えなくなっていたが、遠くにうっすらと見える蚩尤軍からは気勢が上がっており血気盛んな様子が伝わってきた。

 眼前は森に囲まれた平野となっており、この丘からは北から西、東にかけて周囲十里ほどが見渡せ、敵対している蚩尤しゆうの軍勢を容易に伺い知ることができた。


 傍らには軒轅の乗る馬に似た霊獣である貔貅ひきゅう、明晰な頭脳で軍を統率する有熊の軍師風后ぐんしふうこうと戦うために生まれてきたような勇猛な将軍力牧しょうぐんりょくぼく、そして崑崙山の神々であり、西方の神々を統治している西王母せいおうぼをも凌ぐと言われている最高の術者の女神旱魃めがみかんばつや崑崙山を主管し、九本の尾を持つ九尾虎きゅうびこの天神陸吾てんじんりくご、そしてこの世の理を知ると言う神獣白澤しんじゅうはくたく、さらには翼を持った中原最強の神龍である応龍おうりゅうなど強大な戦闘力を持つ者たちが控えており、松明の明かりに照らし出されていた。


 夏軍を統率している軍師である風后は肌色に変わり乾燥した葦の茎を折って笙簧しょうこうと言う草笛を作り音楽を奏でていた。笙簧は創造神である女媧じょかが天地を創造した際に作り出したと言う原始的な楽器であり、葦の茎を長さが異なるように切って並べ、音階を作ったものである。

 この楽器で表現できる音階は少なかったが、神農氏の子孫である炎帝榆罔えんていゆもうの部下の猛将、刑天けいてんの作った楽曲、扶犁ふりを奏でるには十分であり、周囲にいる多くが風后が吹く笙簧の切ない音色に耳を傾けていた。

 薄い青色の布を体に巻き、その上から白い着物を羽織っており髪の毛は背中程まで伸ばし、一見すると女性のように見える美しい顔立ちとたたずまいに軒轅の傍を守る兵士たちはうっとりと見とれていた。

 その中には榆罔ゆもうやその腹心で風后の奏でる曲を作った本人であり、天下無双と名高い刑天、風后の副官で後に造字聖人と呼ばれる四ツ目の倉頡そうけつなどの姿もあった。


 榆罔は神農氏から数えて八代目の炎帝であり、もともとは軒轅の統治する国である有熊ゆうゆうも属していた諸侯連盟の王であったのであるが、その荒々しい気性により各地を侵略していたために業を煮やした中原の諸侯たちが軒轅を盟主として反炎帝連合軍を結成し、この連合軍に阪泉はんせんの野の戦いで敗北を喫したのだ。その後の冀州の戦いでも蚩尤軍に敗れてしまったために急速に勢力を縮小させ、今では軒轅軍の並み居る諸侯の一人となっていた。


 有熊の巫術師ふじゅつしの首領である女丑じょちゅうは軒轅達から少し離れた場所で、主だった十人の弟子である十巫じっぷ達と共に三苗族さんびょうぞくが呪術で操る怪物たちの対策を話し合っていた。

 巫術とは、神性を操り神々に働きかけその力を借り召喚を行い、神性を変化させることで直接攻撃を行う上に、薬草に神性を込めて使用することにより非常に高い治癒効果を得るなど神性を様々なエネルギーに変化させて使用する術である。さらには、亀と蛇を合わせたような形状の冥界の霊獣である玄冥げんめいを操り、冥界の神である泰山府君たいざんふくんから神託を受ける形で未来を予言することも出来る。しかし、その卜占にも限界があり、細かい未来や神により創り出される未来は見ることはできなかった。

 神性の低い巫術師が玄冥を使役すると、火にくべた亀の甲羅のヒビの入り方を通して未来を教えてくれるが、女丑のように太古の濃い神性を宿す者が使役すると、玄冥は実態を伴って現れるのであった。一方で冥界の霊獣は人間の魂魄を抜き取りかねないため、使役をする際には十分な注意が必要となるために、高い神性を持つ巫術師のみがこの現実世界に玄冥を召喚できるのだ。


 一方の蚩尤に加担している三苗族が操るのは呪術である。呪術はより精神の奥に侵入していき対象を操ることや各種の毒を極限にまで高め、毒に実体を持たすなど恐ろしい術を操る。巫術は陽に属し、一方の三苗の呪術は陰に属し表裏をなす術であり、その効果は魑魅魍魎をより凶悪に変化させ、蠱毒こどくと言い毒に実態を持たせて対象を攻撃する呪いを得意としている。

 特に三苗の蠱毒は強力であり、以前敵対していた蚩尤にも蟲毒を仕掛けたことがある。蟲毒は成功したのであるが、強大な神性により高い回復力を持つ戦神蚩尤は生死の縁を彷徨ったが、殺すことは出来なかった。否、三苗族に言わせてみると蠱毒をまともに喰らって生きているというあり得ないことであり、蠱毒の中でも三苗でさえ危険すぎるとして禁呪としていた挑生蠱ちょうせいこという最悪の術を暗殺のために使用しても蚩尤は死ななかったのである。

 蚩尤とは三苗の理解を超える存在であり、それまで九黎に敵対していた三苗の戦意を完全に喪失させるには十分な出来事であった。

 三苗族はこの呪術により怪物達を操ることも非常に上手く、夏族が初めて九黎族に勝利した冀州城の戦いでは修蛇しゅうだ封豨ほうきと言った伝説中の化け物たちを操りながら夏軍と前面衝突をし、血みどろの戦いを繰り広げた。 人間はおろか神々や龍たちすら操りかねないこの恐ろしい三苗の呪術者達を決して夏軍に近づけるわけにはいかない。

 三苗族の呪術に対抗できるのは人間の中では高い神性を持ち様々な術を使いこなす巫術師たちだけであり、有熊の巫術師の首領である女丑は命に代えても中原連合軍を守り切る覚悟である。この女丑の腰には崑崙山の神々の主である西王母せいおうぼから下賜された剣身のない影だけの剣、承影しょういんいが下がっており、柄の先にうっすらと影の刃が輝いているのを神性を持つごく少数の者たちは目に出来た。


 女丑を囲んでいる巫術師達は弟子の十巫である。彼らは幼い頃に女丑と軒轅の妻の嫘祖れいそにより中原中から選りすぐられた高い神性を持つ者たちである。そして幼少のころから女丑や力牧などにより徹底的に鍛えられているため、巫術のみではなく巫術を応用して神性を打撃や斬撃などに変えて戦う格闘や剣術においても非常に高い能力を発揮しており、通常の人間の攻撃や身体能力をはるかに上回っていた。さらに、彼らが開発した巫術師専用の武具である汞丹こうたんを用いることで、怪物たちに匹敵する力を手にすることが出来るのであった。

 汞丹とは軒轅の子供の頃からの部下である常先(じょうせん)と冀州城で鍛冶職人として九黎の鍛冶職人として働いていた欧冶子おうやし、そして十巫たちが協力して、蓬莱山の仙人に倣い煉丹術により水銀と神性の塊である霊玉を融合させて作り上げたもので、水銀の特性を生かし術者に呼応して形状を自在に変えたり硬度を増したりできる武具である。

 攻撃の際には汞丹は剣や槍などに形状に変え、自身を守る時には盾や鎧の形状に変化させる。この汞丹は霊玉と融合させる金属の特徴を受け継ぐために、融点の低い水銀と融合させると形状を変えやすくなるが、融点の高い鉄と融合させると形状を変えにくくなる一方で、硬度を上げることができるために非常に硬い武器や防具となる。金も汞丹の材料として使用できるが、元々柔いので武器や防具としては中途半端な性能になってしまう。しかし、金は術の触媒としての効果が高いために、陰術を用いる召喚術者が霊獣を召喚する触媒として使用していた。このため、卜占など儀式に特化した汞丹には柔らかいが神性と共鳴しやすい金が多く配合されていたのであった。また、汞丹には神性が練りこまれているので、汞丹を使用することで神性を補強でき術の効力を上昇させる効果ももたらす。この汞丹を自在に操り戦闘を行う巫術師たちが夏軍の主力をなしていた。


 十巫たちはさらに火、雷、水、風、爆と言った属性の術を習得しており、それぞれが属性に従い得意な術が異なっていた。一人一人の戦闘能力は蚩尤の兄弟に迫っており、特に連携して戦えばお互いに劣っている点を補い合うことが出来るために蚩尤の兄弟を凌ぎ、人間の中核を担う存在として成長を遂げていた。


「女丑様、風が妙ですね……。これは神々の仕業でしょうか」


 十巫の一人が女丑に聞いた。


「そうね、巫咸ふかん、神々の力を感じる。強大な風神のようね……」


 女丑が巫咸と呼んだ十巫の美しい少女は、まだ十代の半ばを過ぎたくらいであるが、長身に長髪をなびかせ風の術を得意とし、風を操り自身の動きをコントロールすることで体術を強化すると共に、刃状にした汞丹と共に鎌鼬を起こして攻撃することを得意としていた。

 女丑は巫咸に風神がいるようだ、と言ったが、神々の力を感じ取るとその凄まじく研ぎ澄まされた神性に自分たちが対抗できるのかと内心不安が込み上げており、不安を表に出さないように気をつけてはいたが勘の良い十巫たちはその不安に当に感づいていた。その不安を見て取った女神旱魃が、


「心配しないで。あの神々は私が倒します」


 と、自信に満ちた涼しげな表情で巫術師たちに向かってにっこりとほほ笑んだ。


 崑崙山一の術師が自信を見せているのである、女丑たちは救われる思いでその笑顔を見ていた。


 十巫達から少し離れたところには、この十巫達を鍛え上げた一人であり、ひと際目立つ巨体の力牧がおり、筋肉質の逞しい腕を胸の前で組んで遥か前方の蚩尤軍の陣をまっすぐ見つめ物思いにふけっていた。

 上半身には汗で薄汚れた布切れを一枚巻き付けており、その隙間から鍛錬を重ねた硬い筋肉をのぞかせていた。

 その周囲には金属光沢を持ち不思議に輝く液体のようなものがまとわりついていた。力牧が愛用している汞丹である。

 足元には巨大な弓があり偉丈夫でも引くことは困難なほど固く絞られており、軒轅軍中でこの弓をまともに引けるのは力牧を置いていなかった。それは崑崙山の武器である落星弓らくせいきゅうであった。力牧は主に汞丹で金属の矢を作りだし落星弓と共に使用していた。


 一度放たれた矢の速度は速く人の太ももくらいの太さの樹の幹程度なら貫いてしまうほどの威力を持っており鉄の体で剣では断ち切ることのできない蚩尤に対して有効な武器となっていた。


「あの巨人は……、なるほど、面白くなりそうだ」


 蚩尤の陣には遠くからでも目立つ巨人がおり、力牧はこの巨人を見つめていい獲物だとニヤリと不適な笑みを浮かべながら一人つぶやいていたのであった。


 巨人の名は誇父こほと言い巨人族の長であった。太陽を追いかけたと言う伝説を持ちその力量は四海に轟いていた。義に篤く蚩尤とは兄弟のような関係であった。

 今回の助勢も蚩尤に義理を感じての事であったが、個人的な理由であるため一族は巻き込まず一人だけ蚩尤の陣に加わっていた。力牧はこの巨人の姿を見ると思わず口元が上がり刃をまみえることを想像して心を躍らせていた。


「どうした力牧? にやつきやがって……。もしかしてあの巨人とやろうって言うのか?」


「もちろんだ」


「フッ、全くお前にはかなわんぞ。」


 二やつく力牧の隣にはあきれ顔の刑天がおり、巨大な斧である鉄製のえつと四角い鉄の盾であるかんを両手に持ちながら力牧と共に蚩尤軍を見据えていた。刑天の持つ戚と干も力牧と同様に煉丹術により創り出された汞丹である。

 力牧の汞丹は水銀に霊玉を融合させて作り上げられた一方で、刑天のものは霊玉を鉄と融合させているのである。水銀は融点が低く特に火術者にとっては熱することで形状を変えやすく相性が良い。一方で水術者は温度を下げることでより強度を増すことが得意であるために、融点が高くより硬い鉄の汞丹が好まれた。刑天の汞丹は刑天の神性に伴って非常に硬く、戦神蚩尤の強力な一撃にも耐え、鉄よりも固い蚩尤の身体を傷つけ得る強度を持っている。

 立ち並ぶ力牧と刑天の大柄な後姿を見ながら夏兵たちは恐怖心が消えて蚩尤軍に立ち向かう勇気が与えられていた。刑天と顔を見合わせながら力牧はやがて来る戦いを想像して思わず刑天に笑みをこぼした。


 力牧は言葉通り戦うために生まれてきたような男であり、その神性は戦闘に特化したものであった。

 力牧の身体を見るとこれまで幾多の激しい戦いを潜り抜けてきたことを体中の傷跡が証明していたのであるが、力牧はさらに激しい戦いを欲していた。

 何度かまみえた蚩尤軍の先鋒との戦いでも相手に満足はせずより強い相手を求めてしまう、戦場で死ぬことなど頭にはなく戦いの中でより激しい戦いに自ら投じて行く、これが力牧と言う通常の人間には測りがたい男の本質である。

 しかし、迫りくる屈強な蚩尤軍と戦い続けいたずらに兵を消耗させてしまい、主である軒轅の軍勢を危険にさらす行為に軍師風后は撤退を強く迫った。実際にこれまで蚩尤の兄弟を三人葬り去っており、夏軍にとっては自分たちが蚩尤に対抗できることを知り力牧に大いに勇気づけられたのであるが、一方の蚩尤たちにとっては兄弟の敵として何が何でも殺したい相手ともなっていた。

 頑強な力牧でも将軍である以上、風后の進言は理解し撤退の際には怒りで天に向かい吼えた。この時の雪辱が今こそ晴らせると思うといてもたってもいられなかったのであった。


 軒轅は力牧の戦いになると闘争心をむき出しにする気性を頼もしく思っていたが、風后と共によく力牧に臆病になって生きろと言った。一つには将軍が戦死したら作戦が遂行できなくなってしまうからであり、もう一つは力牧と言う圧倒的な力と存在感を持ち且つ寡黙で実直な戦友を失いたくなかったからであった。

 二人と軒轅との出会いは神性が引き合い導かれたというべき不思議な縁ではあったが、共に有熊の臣に加わった日の事を昨日のことのように覚えており、軒轅を含めてその出会いは忘れられない瞬間であった。あれから随分と時間が流れ戦争も数多く経験した。そして皆の結びつきは日増しに深くなっていった。


 力牧の傍らに立っている刑天はというと、風変わりな男であり気性が荒く戦いを好むのではあるが利発な面があり楽器を弾くのが好きであった。

 特に楽器の腕前は遠方にまで轟いており、楽器の名手である上に様々な曲まで作ってしまうという音楽に関して才能を発揮していた。戦いの際に刑天の曲が聞こえてくると、その名声と相まって死神が現れたと敵兵は震え上がり我先にと逃げ出していった。刑天は鳳凰の鳴き声が好きで、その声を聞き分けることで音階を作ったと言われており、鳳声楽ほうせいがくとも呼ばれていた。

 刑天の作った曲の中で最も有名なのが風后の吹いている扶犁であり、この才能を風后は高く評価していた。

 刑天は当初、炎帝榆罔と共に有熊と敵対する立場であったが、蚩尤の進攻と実際に九黎軍と戦った榆罔や兵の怯えようを見て利発な刑天は私情は捨てて有熊と共に戦うことを選択した。最初は榆罔を倒した軒轅に良い感情は持っていなかったが、蚩尤という共通の敵と対峙していることや、力牧や風后と会うことで次第に打ち解けて行き、今ではお互いに理解し合う良い仲間となっていた。

 この力牧と刑天を始めとして、女丑と十巫たち巫術師たちが人間の主力となし、他の兵たちは軍師風后の采配により動き、主に霊獣や龍たちの援護に回る手はずになっていた。


 一方の蚩尤の軍勢では、力牧が自分の獲物といった巨人族の長である誇父のそばには空中に浮かんでいる人影があった。この微かな人陰に気づいた旱魃は、


風伯ふうはくか……」


 とポツリと呟いていた。


 女丑が感じ取っていた風神は、風伯ふうはく、名を飛廉ひれんと言い、風を操る最上位の神であり自身の操る風に乗って空中に浮かんでいるのである。この風伯がいるとなれば雨師うしもいるに違いないと、この時の旱魃の脳裏をよぎっていたのであるが、その予感は的中しており、雨神である雨師萍翳うしへいえいも蚩尤軍に加わっていた。

 風伯と雨師、風を操る最上位の神と雨を操る最上位の神、この二神が組むと台風以上の暴風雨を起こしてしまうのである。


 旱魃は日照りの神であり、その外見は崑崙山一の美貌と言われている。旱魃は太陽の本体である三本足の鳥、金烏きんうを使役して戦う。膨大な熱量を持つ太陽を使役することが旱魃が崑崙山一の術者と呼ばれるゆえんである。しかし、金烏を雲で遮られればその術の効果も半減してしまい決して相性がいい相手ではない。一人一人ならともかく、二人同時に来られると非常に厄介であった。


 蚩尤は東方で勢力を拡大した部族の長で九黎きゅうりと呼ばれる部族を中核にして周辺の部族を糾合し、軒轅が統治する中原地帯へと侵攻してきた。これまで夏族と九黎族は何度も小競り合いをしたが、圧倒的な蚩尤軍の戦闘力の前に冀州城の戦いを除き夏の諸侯たちは全て敗北していた。

 九黎の膨張を肌で感じ取った軒轅は、このままでは黄河中流域に勢力を拡大していた支配地を奪い取られるだけでなく自身が率ている夏族の民衆が蚩尤たち九黎族に支配され、それまで耕してきた土地を奪われると供に、奴隷として重労働を課せられる危機を感じとり様々な対策を行った。その一つが葦笛を吹いている風后や遠くを見据えて戦いを心待ちにしている力牧などの有能な人材の登用であった。

 やがて、応龍を始めとして旱魃などの龍や神々も軒轅の元に集まり、夏軍は中原に生きる者たちの混成軍と成って行き、現在の夏軍の姿を形作っていったのだ。


 丘から見下ろす蚩尤軍は陣形とは程遠く無秩序に兵を配置していた。蚩尤の数多くいる兄弟たちはそれぞれ兵を持ち気の赴くままに戦っていたので思い思いの場所に陣取っていた。ある者は木々の中にある者は草原の真っただ中にいてこちらの様子を監視しながら、軒轅軍が円形に配置されていることを見て臆病風に吹かれて皆で固まってぶるぶる震えているだけだと嘲笑していた。

 実際、このような無秩序な兵の配置でも高い防御力と想定外の攻撃に対する対応力を誇っていたのであった。正確に言うと、それまで統率がとれ秩序だった動きをする軍隊からの攻撃を受けたことが無いと言った方がいいであろうか。


 一方の軒轅軍はここ涿鹿に到着し風后が考案した握奇陣を敷いていた。兵士の数で蚩尤に優る軒轅であったが兵の数が増えるとより効率的に兵を動かすための配置が必要になりその要求により風后により握奇陣が考案されたのである。

 握奇陣は円形に兵を配置したいわゆる円陣で、中国神話に伝わる最古の陣であり八陣とも呼ばれている。

 韓信や諸葛亮などといった後世の大軍師たちはこの握奇陣を改良して使用して戦果を挙げているが、そもそも握奇陣とは霊獣や龍と人間の混成軍による戦闘を想定して作られたものなので、霊獣や龍のいない握奇陣は陣形の持つ本来の力を発揮できるものではない。このため、後世では人間のみで使用する陣形として改良が重ねられた経緯がある。

 握奇陣は円陣であるので四方からの攻撃に対処できるが周囲を囲まれると袋の鼠となり逃げ場がないと言う難点があったので、風后は常に小高い丘や山の上など高所に陣を敷き、後方から攻撃されると言う憂いを取り除き退路の確保にも抜かりはなかった。

 また、高所に陣を敷くことは高いところを登ってくる敵に対して下に駆け下りながら戦えると言う利点がある上に弓の攻撃力も高所から撃ち下ろしたほうが有効だからという理由もある。


 このことは幾多の戦いを潜り抜ける中で風后が身をもって感じ取った戦争の摂理であった。


 握奇陣の正面は北を向いており、黒色をした巨大な亀である霊亀れいきにより守られていた。霊亀はその硬い甲羅で敵の進攻を食い止め、矢を防ぐ盾となっていた。

 南方は邪を祓う神鳥の真紅の羽を持つ重明鳥ちょうめいちょうが守り、西方にはひと際大きな青い龍に率いられた龍部隊が、そして東方には白色の九尾虎きゅうびこ天神陸吾てんじんりくごによってそれぞれ守護されていた。中央には軒轅を始めとして女神旱魃、軍師風后、そして風后の副官で夔牛きぎゅうの皮と雷獣の骨で作った太鼓の傍らには作戦を伝える役目を務める倉頡が、さらには翼を持った黄色い龍である応龍も中央に配置されていた。


「いよいよか……」


 握奇陣を見下ろしながら軒轅はポツリと呟いた。

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