第2話 普通に相談してくれません? 期待しちゃうから
6時間目の授業の終了を伝えるチャイムが鳴る。
現代国語の先生は宿題のプリントをそれぞれの列の先頭の生徒に手渡す。先頭の生徒は後ろの生徒に渡し、その生徒はまた後ろの生徒に手渡していく。
「はいよ」
前の席に座る、親友の根本光輝が宿題のプリントを手渡してきた。
「どうも」
宿題のプリントを受け取り、変な折れ方がしないようにクリアファイルに挟み、リュックの中に入れる。
現代国語の先生が教室から出て行き、僕らの担任の小山先生が入れ替わりで教室に入って来た。
「解散。帰ってよし」
クラスメイト全員がざわつく。それはそうだろう。開始一秒も経たずにHRが終わるなんて。
「もう帰っていいんすか」
クラスメイトの1人が小山先生に訊ねる。
「いいよ。伝える事ないし。じゃあ」
小山先生は教室をあとにした。
クラスメイト達は帰ったり、部活動に行ったり、だべったりしている。
……帰るか。まぁ、事務所に一回行ってからだけど。
「帰るか。仁哉」
光輝はいつもと同じように一緒に帰ろうと誘ってくる。
「おう」
僕と光輝は同じタイミングで椅子から立ち上がった。
「あのー真音くん。ちょっといいかな」
女子生徒の声が後方から聞こえる。振り向くと、交野道香さんが居た。
交野さんは我がクラスが誇るとても可愛い女子だ。アイドルのように可愛い。まぁ、親が芸能事務所を経営しているせいで、アイドルは見慣れてるが。これを光輝に言うとキレられるから言わないようにしている。
「なに?」
「ちょっとここじゃ話せない事があるんだ。すぐに済むから」
光輝の方へ視線を送る。
「校門で待ってるわ」
「ありがとう。じゃあ、交野さん行こっか」
「うん」
僕と交野さんは教室を出て、廊下を並んで歩く。
「どこに行くの」
「うーん。屋上でいいかな」
……屋上か。何の話だろう。すぐ済む話って。
も、もしかして。いや、そんな事はないよな。だって、そんな素振りなんてなかったし。でも、可能性は0じゃないし。……告白か。告白なのか。告白されるのか、僕は。
心臓の脈打つ速度が急に上がった。こ、これは緊張しているのか。落ち着けよ、僕。
平常心、平常心だ。心頭を滅却するんだ。無をイメージするんだ。
階段を上り、屋上に繋がるドアの前に着いた。
交野さんはドアを開けて、屋上に入る。僕もその後についていく。
太陽の日差しが熱い。7月で日が沈むのが遅く、太陽は絶賛照っている。それに今居るのは屋上だ。この学校の中で一番太陽との距離が近い場所。そのせいか、他の場所より熱さを直で感じる。
屋上からはグラウンドで活動している野球部やサッカー部や陸上部の姿が見える。青春ってやつだな。僕には全く縁のない世界だ。
交野さんを見る。交野さんの頬は赤くなっている。て、照れているのか。もしかして、想像している事が起こるのか。こ、告白されちゃうのか。
「話ってなに?」
「えーっと」
交野さんがモジモジしている。
「えーっと」
「……好きなの」
こ、告白だ。人生初めての告白だ。心臓が皮膚から突き抜けそうな程激しく動いている。
死ぬのか、僕。いや、死にたくはない。死んでしまったら、これからの薔薇色の人生を謳歌する事が出来ない。
「……うん」
「那古谷君の事が」
「那古谷君?」
幻聴か? いや、交野さんは確かに今那古谷君って言ったぞ。ちょっと待て。ちょい待ち。
「うん。真音君。那古谷君と仲いいでしょ」
「まぁ、仲は良いほうだと思う」
有頂天だった数秒前が恥ずかしい。薔薇色に描いた未来は一瞬にして砕け散った。
いつもと同じやつだ。告白だと思っていたら、ただの相談。もう少し皆さん、僕の事を気遣ってください。これで8回目だもの。
僕の心は変な方向に強くなっている気がする。
那古谷君とはよく話す。友達と言ってもいいぐらいの仲だ。
那古谷君は男前な上に性格もいい。非の打ち所がない。同世代では珍しい男から見てもいい男だ。
「那古谷君、私の事どう思っているのか知りたくて」
「可愛いいって言ってたよ、交野さんの事」
これは事実だ。この前、僕に言ってたから。
「本当に?」
交野さんの目はとてもきらきら光っている。目から星が出てきそうなほどに。まぁ、星などは出ないけど。
「うん。本当」
「それじゃ、告白しても大丈夫かな」
「大丈夫だと思うよ」
貴方の美貌なら誰でもOKって言うと思いますよ。
「……そっか。ありがとうね。真音君」
「どう致しまして」
「バイバイ」
交野さんは僕に元気よく手を振って、屋上を去って行った。
僕は人が落ちないように設置されている金網のフェンスまで行き、金網を握った。
「みんな含みを待たせずに相談してくれないかな。男って単純なんだよ。すぐに期待しちゃうんだよ。男は想像より先に妄想が来る生き物なんだよ」
声を押し殺して言った。本当は叫びたかったが、そんな事すれは色々と面倒な事になるのは分かる。
芸能事務所のマネージャーだ。リスクマネジメントは同世代の誰よりも心がけている。
悲しさと虚しさと卑屈さが心の大半を占めているまま、僕は屋上から出て、下駄箱に行き、靴を履き替え、校門の前に向かう。
校門の前では光輝がスマホをいじりながら立っている。やっぱり、大事なのは親友だ。
「悪い、用事は済んだ」
僕は光輝のもとへ駆け寄って、言った。
「お、そっか。それでどうだった?」
「ただの相談だよ」
「やっぱりな。お前の顔で分かったよ」
「女子が怖い。あんな雰囲気出されたら告白だと思うだろう、普通」
「まぁ、たしかにな。これで告白だと思ったら、相談だったやつ5回目か」
「違うよ。8回目だ」
「悪りぃ、悪りぃ」
「まぁ、何回目でもいいんだけどな」
「お前ってつくづく辛い立ち位置だな」
「否定できない自分が悲しい」
そう言う星のもとに生まれてきたのかもしれない、僕ってやつは。
「落ち込むなよ。ここでだべってるのもよくねぇし。帰るぞ」
「おう」
僕と光輝は歩き出した。
「でもよ。お前さ、可愛い子選び放題じゃん」
「なんで?」
「なんでって、芸能事務所のマネージャーだろ。所属タレントと付き合ったらいいじゃんか」
「それはできない」
「なんで?」
「タレントとマネージャーが付き合うのはご法度だからだよ。それにうちの事務所は所属タレントとは家族みたいなもんなんだ。家族には手を出さないだろ。倫理的に」
「ふーん。面倒な世界だな」
面倒な世界であるのは確かだ。色々と誓約はあるし、イメージを損なわないように生活をしないといけない。
「まぁな」
「じゃあ、俺にタレント紹介してくれよ」
「それも駄目だ」
「なんだよ。ケチ」
「お前、可愛い子の前ではがちがちになって何も話せないだろう」
幼稚園からの仲だが、光輝が女子とちゃんと話す所を見た事がない。
照れて顔を赤くして、早口になり、すぐに噛む。そんな場面を何度も見てきた。
「た、たしかに。お前、痛い所突いてくるな」
「長い事とつるんでいるから分かるんよ」
「さすが、幼稚園からの仲」
走行している内に住宅街を抜けて、大通りに出た。
住宅街とは違い、大勢の人達が歩いている。車道を走行している何台もの車のタイヤの音やどこの建物から聞こえてくるか分からない音楽が耳に勝手に入って来る。
多種多様な店が入っているビルの外壁に備え付けられている液晶モニターには数秒間隔で様々なCMが流れている。
「やべぇ。琉歌ちゃん、マジ美人」
光輝は液晶モニターに映る美咲琉歌を見て、言った。
「まぁ、美人だな」
美咲琉歌は両親が経営している芸能事務所・ファミリア・プロモーションに所属するトップアイドル。容姿端麗で、歌もダンスも上手い。ファンサービスもよく、誰からも愛されるアイドル。
「お前はタダで会えるんだもんな。ずりぃよ」
「そうか」
「そうだよ。トップアイドルだぞ。トップアイドル」
光輝は詰め寄ってきた。顔が近い。離れてくれ。
「そ、そうだな。トップアイドルだな」
「そう。トップアイドルだよ。普段、どんな生活してるんだろうな……もしかして、彼氏とか居るのか」
光輝は慌てて訊ねて来た。表情豊かだな、本当に。こいつのこう言うとこ、飽きないな。だから、何年もつるんでいるんだろうな。
「みんなと同じような生活してるよ。職業がアイドルなだけだから。あと、彼氏はいないよ」
「そっか。それじゃ、あの男性アイドルの記事はガセか。よかった」
「あ、あの記事ね。あれは迷惑な記事だよ。本当に」
ゴシップ誌の「美咲琉歌、有名男性アイドルIと熱愛か」と言う記事の事を言っているのだろう。あの記事は本当に迷惑だった。色々と迷惑な電話が掛かってきた。
「まだ可能性があるって事だな。よし」
光輝は小さく拳を握った。
「お、おう」
……ごめん。その可能性は0に近いと思う。同業者じゃないし。
「あー美人。神、女神。琉歌ちゃん」
「……そうだな」
棒読みで言ってしまった。
アイドルって本当に偶像なんだな。なんと言うか、見ている人がどんどんイメージを膨らませて、崇拝されるんだな。
琉歌さんは美人だが、僕からしたらただの人間だ。努力家で、誰よりもアイドルと言う仕事に誇りを持っている人。けど、その反面、レッスンをしすぎて、レッスンスタジオで寝るし、ご飯も食べるのも忘れるし、炊事洗濯も僕らが面倒見ないといけない。
なんと言うか、不器用な人だ。だから、愛されるのかもしれないが。
「じゃあ、また明日たな」
「おう。また明日」
光輝と別れた。事務所と家は逆方向だ。事務所に行かない日は光輝と一緒に帰る。光輝の家と僕の家は目と鼻の先の距離だ。