第18話 常連さんは魔王の娘
3日が経った。
キアラも1000人のフギンに慣れてきた。ダンスも歌も悪い所も見当たらない。
もうかなり仕上がっている。人前に立っても十分なレベルだ。この前まではど素人だったと思うと驚異的な成長だ。
全ては努力に努力を重ね、一日も休まずにここまでやってきたキアラ自身の頑張りの賜物。けれど、休む事も大事だ。
僕とフギンの協議の結果、今日は休憩日にした。少しでも身体に蓄積された疲れをとってほしい。休む事も成長には必要なもの。
だが、キアラは休もうとしなかった。いや、練習はしていない。遊びに行こうとしている。
何度も何度も説得した。しかし、キアラは遊ぶのも休憩だと言い聞いてくれなかった。
それに無理にキアラの主張を却下して、休ませたとしても、モチベーションの低下に繋がるかもしれない。……仕方なく、キアラの主張を承諾した。僕とフギンが傍にいる事を条件に。
僕らはリムジンに乗り、人間界に向かっている。
「休み、休み。お買い物」
隣の席で座るキアラは鼻歌を歌いながら人間界に着くのを心待ちにしている。
服装はこの前琉歌さんに会いに行った時と同じ服。人間界に行く時はこの服装で決めているんだろう。
……それにしてもなんと言うスタミナ。
普通は休日に遠出しようとは思わないぞ。休憩して、明日の、それ以降の事を考えるものなんだぞ。まぁ、人間の常識を魔族に押し付けるのもよくないか。
魔族には魔族のやり方があるもんな。けど、フギンも休ませようと必死だったもんな。
やっぱり、キアラのスタミナが無尽蔵過ぎるんだよな。なんで、あんなにずっと部屋に居た子がこんなにスタミナがあるんだ?……もしかして、部屋の中でアイドルのコンサートDVDを見ながら動いていたとか。
ありえる。ありえるぞ。確かめようか。いや、確かめない方がいい。地雷を踏んでしまう可能性が大いにある。
「あと五分程で人間界に着きます。人間界についてからどこに行かれますか?」
助手席に座るフギンがキアラに訊ねる。
「えーっとね。アイドルショップ。ファミアスター」
「え、あそこに行くの」
驚きのあまり声を荒げてしまった。
アイドルショップ・ファミアスターと言えば、ファミリア・プロモーション所属のアイドルのプロマイドや写真集やグッズなどを販売しているショップ。
ファミリア・プロモーションが運営しているショップだから、店員は僕の事を知っている。
僕も店員の事を知っている。だから、キアラとフギンと一緒に行くのは気が引ける。
恥ずかしいと言うか、気まずいと言うか、僕の置かれている状況を?にするのが面倒と言うか、様々な理由がある。
「え?行っちゃだめなの?」
キアラは悲しそうな表情で僕を見つめてくる。
見るな、そんな表情で見るな。何も言えないじゃないか。罪悪感にかられるだろ。
「だ、駄目じゃないよ。行こう」
本心じゃない事を言ってしまった。本当は行きたくない。全力で行きたくない。
だって、からかわれるのが目に見えている。からかわれるのが分かっていて行くやつなんて、Mだ。
ドMだ。僕は違う。Sだと言うわけじゃない。からかわれるのが嫌なだけなんだ。
いじられて上手く返せるタイプじゃない。関西人じゃないんだ。ノリツッコミとかできないんだ。
ただただ、苦笑いする事しか出来ないんだ。その苦笑いをするのが嫌で嫌でたまらないんだよ。
「うん。買い物付き合ってね」
キアラは満面の笑みを浮かべた。
ずるいよ。可愛いってずるいよ。どんなに可愛い人に慣れていてもこんな笑顔をされたら何でも許しちゃうよ。
だって、男だもん。単純な男だもん。想像より妄想が先に浮かぶ男だもん。
「……うん。付き合います」
なんだろう。自分の弱さに泣けてきた。もっと、女性に対して強くならないと。でも、なぜだ。琉歌さん相手なら大丈夫なのに。キアラ、相手だったらこうなるんだ。
「ありがとう」
「どう致しまして。会計の時は僕も一緒に行くよ」
「なんで?」
「僕が居れば安くなるから。一応、ファミリア・プロモーションの人間だから」
もう行く事は決定しているんだ。逃げられないんだ。だったら、少しでもキアラの役に立てた方がいい。
「そっか。それじゃ、お願いします」
「う、うん」
――10分程が経った。
外からは蝉の鳴き声が聞こえる。人間界に居ると言う事が分かる。リムジンから外は見てはいけない事になっているから耳から入って来る音だけが情報だ。何とも不憫だ。
「まもなく到着します」
助手席に座るフギンは言った。
「ワクワク、ワクワク」
キアラの感情は言葉になって溢れ出ている。
「……もう少しか」
「楽しみだね」
「……まぁ、そうだね」
からかわれる事を考えると悲しくなってきた。
「どうかした?」
「どうもしてないよ。楽しみだな」
どうもしてない事はない。楽しみではない。でも、キアラの楽しみを阻害したくはない。
僕はキアラのマネージャだ。そうだ。キアラの為になればどんな事でも受け入れよう。それが僕の役目だ。自己犠牲の精神だ。……覚悟は決めた。
「うん。何かいいのあったら教えてね」
「了解」
リムジンが停車した。後部座席側のドアが自動で開く。車内に外からの熱気が入って来る。きっと、外は暑いのだろう。
「着きましたよ」
「着いた。お買い物、お買い物」
キアラは楽しそうにリムジンから降りた。僕もそのあとに続いて降りる。
白を基調にした一階建て。入り口の上にある看板には「ファミアスター」と書かれている。入り口の自動ドアには「美咲琉歌。新作写真集入荷」と書かれた紙が貼られている。
昼間だからなのか周りには誰も居ない。暑いから外に出たくないのだろう。気持ちは分かる。僕もこの暑さなら用がない限り家から出ない。
「行こう」
「お、おう」
キアラは僕の手を掴み、店へ向かう。
自動ドアが開く。
僕とキアラは店内に入った。
「涼しい」
「……本当に涼しいな」
店内は冷房が効いている。効きすぎじゃないかと思う程に涼しい。それにしても、いつ見ても、グッズの量には驚かされる。
特に琉歌さんのグッズは。
まぁ、トップアイドルだから妥当と言えば妥当かもしれないが。
僕はあまりグッズの商品会議に参加しないからこうやって店に並んでいる現物を見て、知る事が多い。
キアラのライブが無事成功して、人間界に正式に戻ったら、僕も商品会議に参加しないといけないな。自分の会社の事なのに他人事にしているのは駄目だ。
「いらっしゃいませ」
店の奥にあるレジカウンターから男性店員の声が聞こえる。
僕は声が聞こえる方に視線を向ける。視線の先には小太りで眼鏡をかけて、髪形は金髪のソフトモヒカンのどこのバンドか分からないバンドTシャツを着た中年男性がレジカウンター前の椅子に座っていた。
「私、こっち見てるね」
「う、うん」
キアラは琉歌さんのグッズコーナーへ向かった。本当に琉歌さんが大好きなんだな。この行動でよく分かる。
レジカウンター前の椅子に座っている中年男性は大道兼弘さんだ。やっぱり、今日もシフト入ってたんだ。いや、店長だから毎日入ってるか。
「どうも。大道さん」
「お、仁君じゃないか。今日はどうしたんだい?」
「えーっと、仕事で来ました。出向先のタレントのマネージャー業務です」
上手く言った気がする。これなら、いじられても仕事ですからと言える。何事も先手を打つに限る。
「出向先の?……あーそう言えばこの前SD72コーポレーションと業務提携を結んだったな」
「はい。そうです」
「それで彼女がそのタレントさん?」
大道さんは美咲琉歌のグッズコーナーに居るキアラに視線を向ける。
「はい」
「ちょっと待て。彼女は」
大道さんはレジカウンターから出て来た。
「ど、どうしたんですか?」
「仁君、彼女がタレントさんなのかい」
「はい。そうですけど」
「そうかい。そうかい。そうなのかい」
大道さんはキアラの方へ向かう。
何が起こるんだ。ここで大道さんの動きを止めた方がいいのか。分からない。
「お久しぶりです」
大道さんはキアラに挨拶をした。
「あ、どうも。店長さん。お久しぶりです」
キアラは挨拶を返した。
お、おい。あの人見知りのキアラが普通に挨拶を返したぞ。どう言う事だ。どう言う事なんだよ。おい。
「今日、いいもの入りましたよ。見ます?」
「本当ですか。見ます、見ます」
「じゃあ、こちらへ」
大道さんはレジカウンターへ入って行った。キアラはレジカウンターの方に来た。
大道さんはレジカウンターの後ろの棚に置かれている段ボール箱を取り出し、レジカウンターへ持って来た。そして、レジカウンターの上で段ボール箱を開けた。
「こ、これって」
「そう。美咲琉歌初コンサートの時に販売されたグッズだよ。独自のルートで手に入れたんだ」
段ボール箱の中には琉歌さんの初コンサートの時に販売されたタオルやプロマイドなどが入っていた。懐かしいな。琉歌さんがまだ垢が抜けてない。
「うわーいいな」
「いいだろう。譲ってあげるよ」
「え、本当ですか?」
キアラは琉歌さん本人と出会った時と同じぐらい嬉しそうな表情をしている。
「あぁ。常連さんだからね。だから、今日もいっぱい買ってよ」
「はい。買います、買います」
「じゃあ、これは後で渡すから」
「はい。じゃあ、ちょっと見てきていいですか?」
「どうぞ。ごゆっくり」
キアラは琉歌さんのコーナーへスキップしながら戻った。
「大道さん。ちょっといいですか?」
「なんだい?」
「キアラはこの店によく来るの?」
「あぁ。そうだよ。最近は来てなかったけど、来る時はいつもいっぱい買ってくれる。常連さんだよ」
「……そうなんだ」
「びっくりだよ。タレントさんだったんだ。どうりで美人なわけだ」
大道さんは笑って言った。
キアラは筋金入りの琉歌さんファンだな。それによく来ている店だから足取りがよかったのか。なんとも分かりやすいな。キアラって。