第13話 汚いリストバンド
リムジンに乗って、ファミリア・プロモーションに向かっている。
隣に座っているキアラはハイウエストの紺色のデニムミニスカートにピンクのシャツをインした今時の高校生みたいな服装をしている。
人間界で浮かない為だろう。でも、浮くよ。だって、可愛いんだもん。普通にルックスだけなら日本に居るアイドルの中でも、ベスト10には入る。
……違うな。ベスト5には入るな。
たぶん、キアラと歩いている所を光輝に見られたら、半殺しにされるな。
「もう少しで着きます」
助手席に居るフギンは言った。フギンの表情は普段より明るい。
フギンもよく簡単に許可をしてくれたものだ。まぁ、キアラが自分からあんなふうに言う事がなかったから嬉しくて許可を与えたのかもしれない。
「緊張するなー楽しみだなーでも、自分が失礼な事して嫌われたらどうしよう。怖くなってきた。どうしよう。どうしたらいい?仁哉」
「自然体で居ればいいと思うよ」
無理に作って会うよりはいいだろう。それにキアラにとっては尊敬する人であり大好きな人だ。何かが起こると思う。
「自然体?私の自然体ってどんなの」
「今みたいな状態かな」
「なにか、それって酷くない」
「酷くないよ。大丈夫。琉歌さんは悪い人じゃないからさ」
「……そうだよね。琉歌ちゃん、いや、琉歌さんなんだもん。良い人に決まってる」
「……うん。変な人ではあるけどね」
キアラに聞こえないぐらいの声で呟いた。だって、実際そうなんだから。
「何か言った?」
「いや、何も」
知らなくてもいい事が世の中にはたくさんある。それに琉歌さんがちょっと変わった人だと知ったキアラは幻滅するかもしれない。
いや、キアラだから逆にもっと好きになるかもしれない。けど、どっちに転がるか分からないから教えない。そんな博打を打ちたくはない。
5分程が経った。リムジンは停車した。きっと、ファミリア・プロモーションの前に着いたのだろう。
「着きましたよ」
「ありがとう。フギン」
「あ、ありがとうございます」
あ、あれ。急に緊張してきたぞ。そうだ。僕は今から家族のような人達のもとへ行く。
こ、これって、あれだ。あれだよ。初めて、両親に彼女を紹介するみたいじゃないか。
やばくない。かなりやばいよね。だって、そう見えるよ。どうしよう。どうしたらいいだろう。全く考えていなかった。
リムジンのドアが自動で開く。
「早く行こう」
キアラは席から立ち上がり、外に出ようとしている。
「ちょ、ちょっと待って」
「どうしたの?」
キアラは不思議そうにしている。
「先に連絡した方がいいと思って。業務連絡ってやつ」
一秒でも多く時間を稼ぎたい。考える時間がほしい。事務所の人達にキアラとの関係を説明する文言を考える時間が。
そうじゃないと、事務所の人達全員に「うわ。仁哉君。彼女連れて来た」とか思われる可能性がある。それは今後の人生に支障がでると思われる。避けたい。それだけは避けたい。
なぜ、ニウムヘルデンを出る時にこう言う状況になると考えてなかったんだ。
いや、それを言うなら、なんで、キアラに琉歌さんに会いに行こうと言ったんだ。
ニウムヘルデンに行って、危機管理能力が下がってしまったのか。あー、そんな事考えているなら早く打開策を考えろ。
「行って説明したらいいんじゃない。もう着いたんだし」
「そ、それは」
そうなんですけど。そうじゃないんですよ。男には色々とあるんです。
「行こう」
キアラはそう言って、僕の手を握った。
「お、おう」
僕はキアラの手を握り返して、流れで席から立ち上がってしまった。
事態はとてつもなく悪い方へ向かっている。どうしようもできない。いや、一つだけ残された方法がある。アドリブだ。
もう流れに身を任せて、乗り切ればいいんだ。そうだ。それで頑張ろう。
「それじゃ、キアラ様をお願いします」
「は、はい」
僕とキアラはリムジンから降りた。
視界に広がる光景は懐かしいものばかり。僕が居るべき世界。人間界だ。
肌を焼き尽くすんじゃないかと思うほどの暑さ。その暑さをさらに暑くさせる蝉の鳴き声。
人間界は夏真っ盛りだ。そう思えばニウムヘルデンの気温はかなり過ごしやすいものだった。
「人、人、人、人、人、子犬、人」
キアラは僕の背中に隠れた。慣れない環境に怯えているのだろう。やっぱり、こう言うところはまだ改善できていないな。
まぁ、これは無理にまだ直さなくてもいいだろう。
「大丈夫、大丈夫」
「そ、そうだね。行こう」
「うん」
僕とキアラはファミリア・プロモーションに向かう。なぜだろう。遠く感じる。
魔王城より、迫力がある。もうアドリブで乗り切ると決めたじゃないか。無我の境地に立ったじゃないか。ここでびびるな、僕。
ファミリア・プロモーションの入り口の前に着いた。自動ドアが開く。僕とキアラはエントランスに入った。
「こんにちは」
大野さんは僕らに向かって挨拶をしてきた。
「こんにちは」
受付に行く。キアラは僕の背中に隠れたままだ。やっぱり、キアラは人見知りみたいだ。
「あ、仁哉君じゃない。久しぶりね。たしか、SD72コーポレーションのお手伝いに行ってるんだけ」
「は、はい。そうです」
そうだ。そう言えば、表向きはSD72コーポレーションに行っている事になってるんだ。ニウムヘルデンで色んなことがあって忘れていた。これは使えるぞ。
「頑張ってるんだね。さすがね」
「ありがとうございます」
「あ、そうだ。その後ろに隠れている人は誰?」
大野さんはキアラの存在に気づいた。
「キアラ。挨拶して」
「は、始めまして。キアラ・リュッツイです」
キアラはひょっこり顔を出して、おどおどした声で挨拶をした。
「か、可愛い。受付の大野玲子です。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
「え、どうしたの?仁哉君。どうしたの?」
大野さんは普段見たことないぐらいに興奮している。こ、この状態の大野さんはかなり珍しい。
「えーっとですね」
「も、もしかして、彼女。彼女?」
大野さんは近所のおばさんのような聞き方をしてきた。大野さんでこれだ。たぶん、これから会う人全員がこんなテンションなんだろう。
いやだな。出来るだけ人に会わないように行かないと。
「ち、違いますよ。SD72コーポレーションのアイドルの卵です」
「そ、そうなんだ」
なんだ、ちょっとショックみたいな表情をしないでくれ。
「はい。あ、琉歌さん。今日はいつ来ます?」
「琉歌ちゃん?琉歌ちゃんならもう来てるわ。レッスンスタジオでひたすら自主練してる。さすが、練習の鬼ね」
「ははは、そうですね」
「なんで琉歌ちゃんが居るか聞いたの?」
「あ、それはキアラにトップアイドルの練習姿を見せたくて」
「そう言う事ね。わかった。はい、これ」
大野さんはIDカードを手渡してきた。
「ありがとうございます」
僕はそのIDカードを受け取った。
「キアラちゃん。琉歌ちゃんは凄いから。圧倒されないようにね」
「は、はい。圧倒されないように頑張ります」
キアラは声を震わせながら答えた。まだ緊張してるのだろう。そう思えば、僕に対してはほとんど緊張していないように思える。
それは僕の事を信頼してくれているって事だ。なんか、嬉しいな。そして、ちょっとむずがゆいな。
「それじゃ、行こっか」
「う、うん」
キアラを連れて、セキュリティーゲートへ向かう。
10日も来てなかったから、ちょっと変な感覚する。数年ぶりぐらいに思えてしまう。
そう思ってしまうぐらい、いつもは事務所に来ていたのだろう。
セキュリティーゲートのカードリーダーにIDカードを当てる。IDを認証した音が聞こえる。
僕とキアラはセキュリティーゲートを通り、エレベーターに乗り、壁面にある10階のボタンを押す。
エレベーターは10階に向かって、上昇する。
キアラはエレベーターに乗ってからも、僕の背中に隠れている。
「もう少しで琉歌さんに会えるよ」
「う、うん」
「嬉しい?」
「嬉しいよ。だって、ずっと憧れていた人に会えるんだもん」
「そっか。じゃあ、一つだけいいこと教えてあげる」
「なに?」
「これからは憧れじゃなくて尊敬するようにしてみて」
僕はキアラの方を向いて言った。
「憧れと尊敬って一緒の意味じゃないの?」
キアラは不思議そうに聞いてきた。
「違うよ。憧れのままだったら同じ場所には立てない。だって、憧れは敗北宣言と同じだから。
ずっとその人を上に見たままなんだ。だから、遠慮してしまうし、自分の力を出せない。
でも、尊敬は違う。相手に対して全力で接する事が出来るし、全力を出してる分、普段よりいいパフォーマンスができる。キアラ、君はね。
もう観客じゃないんだ。ステージの上に立つ側になるんだ。琉歌さんと同じアイドルになるんだ。大好きな琉歌さんのパフォーマンスが下がるのは嫌だろ」
「……嫌だ……分かったよ。私、憧れは捨てるよ。そして、同じアイドルとして、琉歌ちゃんを尊敬する」
キアラの中にアイドルとしての自覚が芽生えたような感じがした。
初めて会った時に比べてかなりの成長だと思う。このまま成長してくれたら、ライブの本番でも、ちゃんとパフォーマンスができるはずだ。
「うん。その心持ちだよ」
自動ドアが開いた。
僕は歩き出した。キアラは僕の背中に隠れて歩いている。
「それはまだ治らないね」
「うん。これはまだ無理」
「まぁ、いつか治るでしょ」
「……そっかな」
「うん。きっと……あ、あっちだな」
奥にあるレッスンスタジオから琉歌さんの新曲が聞こえる。コンサートで初披露する曲だ。
僕とキアラは新曲が流れているレッスンスタジオに向かう。
「あー緊張する。心臓が爆発しそう。頭の中真っ白」
キアラは余裕のない心を言葉で必死に保とうとしている。琉歌さんは怖い人じゃないから、そんなに緊張しなくてもいいのに。
僕とキアラは新曲が流れているレッスンスタジオの前に着いた。
レッスンスタジオの中ではジャージ姿の琉歌さんが必死にダンスをしている。左手首には僕があげたリストバンドを付けている。
琉歌さんが居る周辺の床は汗で光っている。ここからでも分かるほどと言う事はかなりの時間練習していた事が分かる。
「ほら、琉歌さんだよ」
「ほ、本当だ。マジだ。美咲琉歌ちゃんだ。いや、美咲琉歌さんだ。生だ。生きてる。マジで生きてる。三次元に存在している。無茶苦茶美人。あーどうしよう。私、生きてるよね。うん。生きてる。でも、もう少し近づいたら気絶しちゃいそう。あーもう。帰る」
キアラは会いたかった人を目の前にして錯乱を起こしている。恐ろしいな琉歌さんの魅力。そして、大丈夫か。キアラ。
「落ち着いて、落ち着いて」
音楽が止まった。入るなら今しかチャンスがないな。
レッスンスタジオのドアのドアノブを握った。それと同時にレッスンスタジオ内の琉歌さんは僕に視線を向けてきた。
琉歌さんは満面の笑みを浮かべながら、こちらに人間とは思えない速度で向かって来た。
そして、ドアを開けた。
「仁ちゃん。久しぶり。何、琉歌さんが恋しくなって会いに来ちゃった?」
あ、琉歌さんだ。トップアイドルの琉歌さんじゃなくて、めんどくさい琉歌さんだ。
「会いに来たのは合ってるけど、恋しくはないよ」
「なにそれ。酷い。琉歌さん、泣いちゃうよ。いいのかな?」
「年下男子にその脅しはなしでしょ」
「うわー冷たい。でも、嫌いじゃない。うん?後ろに誰か居るの?」
琉歌さんは僕の後ろに居るキアラの存在に気づいたようだ。
「いますよ。キアラ」
「キアラ・リュッツイって言います。よ、よろしくお願いします」
キアラは僕の背中からひょっこり顔を出して、挨拶をした。
「……可愛い。え、天使じゃん」
琉歌さんはキアラを見て、言った。
えーっとですね。天使じゃないです。魔王の娘です。でも、そう形容してしまうのは仕方が無いと思う。
「……本物だ。美人だ。息してる」
キアラは琉歌さんに見惚れている。
なんだろう。この空気感。僕だけ蚊帳の外みたいだ。
「でも、ちょっと待って。キアラちゃん。ちょっと、そこで待っててくれるかな」
「は、はい」
「真音仁哉君。ちょっと話があるんだけど」
琉歌さんは笑顔で言ってきた。でも、僕には分かる。これは僕が問い詰められるやつだ。
だって、目が笑ってないもの。な、何か、僕悪い事したかな。してないよな。絶対にしてない。
「……はい。キアラ、ちょっとごめんね」
「う、うん」
キアラは目を光らせながら琉歌さんを見つめて返事をした。僕の事は見ていない。ちょっと、それは失礼だぞ。別に怒らないけど。
僕は琉歌さんに腕を掴まれて、レッスンスタジオの奥に連れて来られた。
「……なんで、あの子は呼び捨てで、長年の付き合いの私にはさん付けなのかな?」
琉歌さんはキアラに聞こえないように小声で言った。
「それはですね」
うわーかなり面倒な時の琉歌さんだ。それに別にそんな事気になるか。まず、琉歌さんは年上だし。
琉歌さんを呼び捨てにしたら、僕がこの事務所の人達全員に怒られる。
「それはなに?」
「彼女にそう言ってと言われました」
「……そうなんだ。私は昔から呼び捨てで良いって言ってるんだけどな」
「そ、そうでしたね」
「何が違うのかな?」
「……分かりません」
「それにあの子はなに?仁ちゃんとはどう言う関係?も、もしかして、彼女。え、彼女なら泣くよ。大人がしない泣き方するよ」
僕とキアラが恋人だったら何で泣くんだよ。よくわからないな。でも、変な事言って刺激したら、僕の身が危ない事だけはたしかだ。
「……恋人じゃないですよ。彼女はSD72コーポレーションのアイドルの卵です。僕は琉歌さんの練習姿とかを見てもらいたくて連れて来たんです。それにあの子、琉歌さんの事を尊敬してるんですよ。これで分かってもらいましたか」
「……恋人じゃない。アイドルの卵……私の事を尊敬している。なんだ、そっか。あーホッとした。なんで、最初に言ってくれなかったの」
「いや、言うタイミングなかったし」
「あったでしょ。それより、あの子、キアラちゃんでよかったんだっけ」
「はい。そうですよ」
さっきまでのあれはなんだったんだ。びびり損じゃないか。琉歌さんは長年の付き合いだけど分からない所がまだたくさんあるな。
「キアラちゃん。こっちにおいで」
琉歌さんはキアラに手招きする。
キアラはおどおどしながら、琉歌さんのもとへやってきた。
「ちゃんとした挨拶まだしてなかったね。美咲琉歌です。よろしくね」
琉歌さんはキアラの手を握って、言った。
「よ、よろしく、お、おねがい、し、します」
キアラの顔は真っ赤になり、頭からは目視出来る程の湯気が出ている。
大丈夫かな。気絶しないか心配だ。
「アイドルの卵なんだってね。一緒にステージに立てたらいいね」
「は、はい。立ちたいです」
キアラは嬉しさのあまり涙を流しそうになっている。キアラってこんなに表情豊かだった。初めて知った。
「そっか。私何かすればいいの?」
琉歌さんは手を離してから聞いてきた。
「一つだけでいいから。教えてあげてくれないかな。克服法を」
「克服法?」
「そう。キアラ、自分で言ってごらん」
「う、うん。私、自信がなくて前を向けないんです。鏡を見れないんです」
「初歩中の初歩だね。まぁ、私も苦労したのはしたんだけど。……うーん、そうだな。アイドルって仕事は可愛いくないといけないの。自分なりの可愛いを追求しないといけない。だから、鏡を見て、自分のどの角度が可愛いか、どんなふうにしたら可愛いくなるかを考えないといけない。最初は恥ずかしいかもしれないけどね。でも、必死に鏡に映る自分と向け合えばどんどん可愛くなるはずだし、ダンスも上手くなる。そうすると、自信もついてくるはずだよ」
「……可愛いを追求」
「うん、そう。大丈夫。キアラちゃんなら出来るよ。絶対に。私が保証する」
琉歌さんはキアラにニコッと笑った。
「は、はい。あ、ありがとうございます」
キアラは嬉しそうに答えた。
尊敬している人からの言葉。これほど何かを頑張る為の原動力になるものはない。
「あ、そうだ。プレゼントあげるよ。ちょっと待っててね」
琉歌さんはレッスンスタジオの荷物置きの棚に行き、棚に置いているかばんから白色のシュシュを取り出した。そして、その白いシュシュを持って、戻って来た。
「はい。これ」
琉歌さんはキアラに白いシュシュを渡した。
「……え?」
「何て言うか、御守代わりってやつ。これを付けてたら、どんな事でも成功するはず。私が念を送ったから」
「……いいんですか」
「うん。私もね。昔、御守もらったんだ。その御守のおかげで色々な苦難を乗り越えられてるから」
琉歌さんは左手首に付けている汚いリストバンドをキアラに見せた。
そ、それは僕があげたやつだ。嬉しいな。言葉にはしないけど。だって、言葉にしたら琉歌さんがめんどくさくなるはずだから。
「……ありがとうございます。どんな時も身に着けます。琉歌さんの念を感じます」
「よろしい。これでいいかな」
「はい。色々とありがとうございます。琉歌さん」
「いいの、いいの。可愛いキアラちゃんと仁ちゃんの為だから」
琉歌さんは優しい口調で言った。普段は変わった人だけど、やっぱり誰よりも優しい。それを絶対に言いはしないけど。
「嬉しいです。練習をちょっとの間、外から見てもいいですか。邪魔にならないようにするんで」
「いいけど。面白くないよ」
「それがいいんです」
「じゃあ、どうぞ」
「ありがとうございます。キアラ、琉歌さんの練習を廊下から見よう」
「うん。ありがとうございます」
「どうもどうも」
僕とキアラはレッスンスタジオから出て、琉歌さんの邪魔にならない場所に行く。そして、そこから静かに琉歌さんの練習風景を見ることにした。