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5 妖精さん

 エリンとの式の準備は順調に進んでいった。

 スティーアンは毎日のようにエリンのもとを訪ねて彼女と一緒に読書をしたり編み物をして愛おしい時を過ごした。

 エリンも狩猟に挑戦したいと言うので、スティーアンが丁寧に彼女を指導するということもあった。ただ外に出るのは雨の日か夜だけ。彼女と共にいられるなら、スティーアンは些細なことは気にしなかった。


 二人の想いは通じ合い、順風満帆そのものだった。

 しかしスティーアンには気がかりなことがある。

 彼女と対面を果たしたその日から、妖精ミュイが姿を見せないのだ。

 エリンに気持ちを伝えられたのは確実にミュイの功績があるというのに。彼女の教えがなければレースも編めなかった。お礼も言えないままスティーアンは悶々とした日々を過ごしていた。


 結婚式を翌日に控えたある日。

 スティーアンは式の前に彼女に会っては縁起が悪いと家に引きこもっていた。

 ついにエリンと正式な夫婦となれる。その事実が嬉しくて、スティーアンはすべての物事に対して上の空となっていた。

 けれど突如として部屋の真ん中に淡い光が立ち込めれば、流石の彼も飛び上がって目を丸くする。


「みゅい!」


 光をかき分けて現れたのはミュイだ。数か月ぶりの再会に、スティーアンは柄にもなく興奮した声を出す。


「ミュイじゃないか! 久しぶりだな! 今まで何をしていたんだよ。君に伝えたいことがたくさんあるのに!」

「落ち着いてよスティーアン。ちょ、ちょと……近い!」

「あ、ごめん」


 つい前のめりになってしまった身体を縦に戻し、スティーアンは素直に謝る。


「エリンと上手くいったんだってね。ちゃーんと耳にしてるよ」

「本当か? 君のおかげだよ。早く感謝が言いたくて堪らなかったのに、どうして全然姿を見せなかったんだ」

「そりゃあ上手くいったんだから、私はもう必要ないって思って」

「そんな悲しいこと言うなよ。ちゃんとお礼を言わなきゃ終われないだろ」

「律儀だね」


 ミュイはくすくすと笑って一回転した。


「とにかくおめでとう。私もスティーアンがエリンと一緒になってくれて嬉しい。最初はどんな奴かと思ったけど、スティーアン、そんなに悪くない人だもんね」

「ミュイのお眼鏡にかなった?」

「うん! 合格っ」


 ミュイは決してぶつかることのない小さな手で拍手の仕草をする。


「本当に、僕は今幸せだよ。エリンと結婚できるなんて。彼女とても引っ込み思案だけど、やっぱり素晴らしい心を持っている。自分の容姿に自信がないからかあまり目を合わせてくれないのが寂しいけど。でもそんなことないのに。彼女はとびきりの美人ではないかもしれないけど、僕にしてみれば女神よりも美しいよ」

「あの肖像画と比べても?」

「比べるもんじゃないだろ。あの肖像画も綺麗な人だけど、だからといって好きになるわけでもない」

「ふぅーん」

「なんだその反応は」


 訝しんでいるのか感心しているのか分からない目をするミュイに、スティーアンは少しムッとする。


「そういえば、どうしてミュイはエリンのことをよく知っていたんだ? 彼女の趣味や趣向をすべて分かっていた。もしかして、ミュイってエリンの守護霊?」


 スティーアンは話題を変えようと咳払いをした後でミュイに訊く。

 ミュイはふよふよと左右に揺れ、勿体ぶるように笑う。


「知りたい? 知りたいのスティーアン?」

「ああ。エリンにも君のことを話そうかなって思って。ひょっとすると、彼女も君のこと知ってるんじゃないかと思うんだ」

「ふふふっ。確かに、知っているかも」

「え……? 本当に?」


 ただの憶測で言ったつもりのことをあっさり肯定するミュイ。スティーアンは拍子抜けして口をポカンと開ける。


「うん。当たり前。だって……」


 ミュイはこれまでに見たことがない速さでぐるぐると前に三回転した。

 すると。


「私のこと、エリンが知らないはずがないじゃない」


 星の砂の嵐が巻き起こった後で、ミュイよりも少し低い女性の声が部屋に響く。

 スティーアンは何が起こったのか分からず瞬きも忘れてしまった。

 さっきまでミュイが浮かんでいた場所には、エリンと同じくらいの背丈をしたショートカットの女性が立っていたからだ。


「初めまして、スティーアン。……いや、お兄ちゃん、かな?」


 シュッとした輪郭をした彼女は絵画から飛び出てきたような美貌の持ち主だった。

 考え込むように顎に手を添え、ニヤリと微笑む。


「…………は?」


 スティーアンの顎は外れてしまいそうだった。けれどどうにか矜恃を保って気の抜けた表情を振り払う。


「私、エリンの妹のヴェーネ。ようやく顔を合わせられたね」

「……へっ? それって、森の博士と結婚した……?」

「もう。博士なんて言い方可笑しいな。彼は魔法使いを目指してる将来有望な人なんだからっ」


 ヴェーネは声を弾ませ勝手に照れる。

 スティーアンは彼女の主張をしっかり理解しようとぐるぐる思考を回していた。が、やはり分からなくて結論はショートしてしまう。


「エリンがあなたと結婚するって聞いたから、どんな人だろうって偵察に来てたの。ようやくあの人が変身魔法を開発してね。それで、あなたのもとにやってきた。エリンには内緒だよ」


 あの人、とは、恐らく彼女の伴侶のことだろう。スティーアンはそれだけは理解できた。


「私の実家は、よく財産目当ての縁談が舞い込んでくるからさ。私もそれが嫌で家を飛び出したんだけど。その時、姉にはすごい迷惑をかけちゃったし、重荷を背負わせちゃった。だから責任を感じて、エリンは絶対に幸せな結婚をするんだって私も目を光らせてたの。財産との結婚なんて許さない。エリンを愛してくれる人じゃなきゃ。そうじゃないならどんな手段を使ってでも破談にさせようと思った。で、スティーアンのことを見ていたの」

「……ようは、僕は品定めされていたの?」

「悪い言い方をすればそうなるね。でも、それは間違いだった。スティーアンは心からエリンに恋をしていたし、彼女の容姿のことなんてまったく頭になかった。噂話を聞きはしても、どうでもよさそうな顔をしていた。だから今度は、あなたに協力したいって思ったの」

「それで、色々と教えてくれたの?」

「うん。スティーアンを逃しては駄目って私も思ってしまったものだから。ごめんなさい。勝手なことばかりして」


 ヴェーネは深く頭を下げる。重たい頭を決してあげようとはせず、ただスティーアンの決断を待っていた。


「僕は怒っていないよ。びっくりしたけど……。でも、君のおかげでエリンに想いを伝えられたのは事実だ。君がいなければ、僕は彼女に嫌われていたよ」

「ふふっ。それはないと思うけどねぇ」

「え?」

「エリン、貴方に夢中だもん。大好きすぎて、気づけば涙を流していたそうよ」


 彼女が一人部屋で肩を震わせる様子が頭に浮かび、スティーアンの胸は締め付けられた。そわそわとする彼の気持ちに気がついたのか、ヴェーネはいたずらに笑う。


「式は明日でしょ? 今会いに行くのは縁起が悪いんじゃなかったの?」

「でも……居ても立っても居られないよ……!」

「だめだめ。妖精の助言はちゃんと聞きなさい」

「ミュイは妖精じゃなくてヴェーネだ。妖精なんていないってことだろ。じゃあ助言も聞かなくていい?」

「だーめ」

「うあああ」


 ヴェーネが首を横に振れば、スティーアンは唸り声とともに頭を抱えてしゃがみ込む。


「明日、とびっきりの花嫁と会えるんだから我慢して?」

「……うううう」

「ほら、返事は?」

「…………はい」

「それでよし!」


 ヴェーネは得意気に笑って見事なターンをする。

 また星の砂が舞い上がり、ヴェーネの姿が消えた代わりにミュイが現れる。


「妖精はいないとしても、妹との約束なんだから。絶対に破らないでよね」


 ミュイはそう言い残し、スティーアンの返事も聞かずに薄っすらと消失していく。


「しょうがないな……」


 残されたスティーアンは、頭を抱えたまま渋々呟いた。


 翌日の結婚式。派手なことを嫌い、まだ世間に出ていく勇気が持てないエリンのため、式は親族だけの慎ましやかな儀式として執り行われた。

 スティーアンはエリンへの永遠の愛を誓い、エリンもまた同じ想いを宣誓した。

 ふと二人と見守る家族の方へと視線を向ければ、ヴェーネもしっかりと出席していた。スティーアンと目が合った彼女は、ウィンクをして彼を称える。

 式が終わり、息苦しいドレスを脱いだエリン。ちょうど着替え終わったスティーアンが部屋を訪ねてきた。


「エリン。君に提案がある」

「スティーアン。ふふ、どうしたの?」


 エリンを見るなり耐え切れず彼女を抱きしめたスティーアン。エリンは彼の胸の中で優しく訊き返す。


「君はとても勇敢で、優しくて、美しい女性だ。できることならまだ誰にも見つかっていない宝石のように、僕だけで隠していたい。でもエリン。僕は君の素晴らしさをもっと皆にも知って欲しいと願っている。君はヴェーネの夢を守り、家も守った。もう、隠れていなくてもいいんだよ」

「……だけどスティーアン……私、やっぱり自信がないわ」


 エリンの華奢な指先がスティーアンの腕をつかむ。


「社交界はとても素直なの。噂を否定もしなかった私のこと、きっと軽蔑する。そうしたら、スティーアンの評判まで悪くなってしまうわ。貴方は素敵な人なのに。そんなの嫌よ」

「心配ないよ。例えそっぽを向かれようとも、僕は君がいれば十分なんだから」

「……そんなのだめ」

「エリン」


 彼女を抱きしめていた腕を緩め、スティーアンは彼女と目を合わせる。


「君は太陽のもとを歩く人だよ」

「……スティーアン」

「僕も雨は大好き。君と二人きりで散歩が出来る。君と星を見つけるのも大好きだ。だけど日差しの下も、案外悪くないものだ」


 エリンの怯えた瞳には涙が滲んでいく。泣かせたくないのに。スティーアンは彼女の涙を指先で拭う。


「少しずつでいい。僕と一緒に、晴れた日に散歩をしてはくれないか?」


 彼の誠意に溢れた眼差しに、エリンはほろほろと涙を流し続ける。

 スティーアンは彼女が家に引きこもったまま後には引けなくなってしまったことを知っている。社交界の中で彼女が不安に怯える姿も容易く想像できた。

 けれど本当は彼女も大手を振って外を歩きたいのだと願っていることにも気づいていた。

 自由を愛した妹を救ったエリン。

 今度はスティーアンが彼女を呪いから解放する番だ。


「……湖」

「うん?」

「湖が見に行きたいの……真っ暗だと暗闇しか見えないし、雨だと滑ってしまうから、危なくて行ったことがないの」


 エリンは控えめな様子でスティーアンを見上げる。


「スティーアン。湖までの道、教えてくれる……?」


 涙で濡れた瞳に映るスティーアンの表情は、溶けるほどに甘い笑みを描く。


「もちろん。エスコートは僕に任せて」


 エリンの頬に唇を寄せ、スティーアンは再び彼女を抱きしめる。

 真綿のような優しい温もり。

 二人は決して離さぬよう、互いの存在を確かめ合う。


 それからエリンは、スティーアンとともに太陽のもとを歩くようになった。

 彼女にとって身を切るほどの決意が必要な変化。

 スティーアンが隣にいることで、エリンは変わる勇気を手に入れた。

 二人はやがて社交界でも羨まれる存在となっていく。

 美しい二人の関係に、かつてのエリンの噂話などどこかへ消え失せた。

 けれどこの二人を結ぶ立役者となった存在については誰も知らない。

 どうにも噂では、"妖精"が手助けしたという。

 しかしあくまでも噂は噂。実際のところは、誰も真実を知らない。



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