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変態世界格闘技事情―紀元二千六百年奉祝天覧武道大会編―


『たった今、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会の予選が開始されました!』

『世界中から日本武道館に集った強者たち。今、彼らの心技体の全てが試されます!』


 興奮したアナウンサーの声が電波となって、日本の津々浦々に木霊する。

 帝都では紀元二千六百年奉祝天覧武道大会の予選が始まっていた。


 この世界の紀元二千六百年奉祝天覧武道大会は、史実とは大きく異なるものとなった。大日本体育協会と大日本武徳会が東京オリンピックで採用される新競技で揉めたことが最大の原因である。


『五輪競技に柔道しか採用されないとはどういうことだ!?』

『近代5種とやらの由来は兵士の鍛錬ではないか。で、あるならば日本武術が全面的に採用されるべきであろうが!?』

『大日本体育協会に断固抗議するぞ!』


 大日本武徳会は大日本体育協会の決定に大いに不満であった。

 1940年に開催が決定した東京オリンピックにおいて、柔道だけがオリンピック競技に採択されてしまったからである。


 この問題について両者の間で何度も話し合いがもたれたのであるが、結果的には時間の無駄に終わった。大日本体育協会側は歩み寄りの姿勢を見せたものの、両者の主張はあまりにも食い違い過ぎた。決裂したのは当然と言える。


『あっちがその気なら、こっちも勝手にやらせてもらう!』

『奉祝天覧武道大会を五輪にぶつけてやるのだっ!』


 怒りが収まらない大日本武徳会側は、かねてより計画されていた紀元二千六百年奉祝天覧武道大会で東京オリンピックに対抗することを考えた。当初の計画よりも規模を拡大して、武徳会の外部からも猛者を呼び寄せることにしたのである。


『開催時期は7月下旬から8月上旬にしよう』

『なるほど、五輪にぶつけるわけだな?』


 開催時期まで五輪と同時期にしようとするあたり、喧嘩を売る気満々であった。

 五輪を楽しみにされている今上天皇の御勘気に触れかねないということで、さすがに取りやめになったのであるが。


『日本武術が今後発展していくためには、社会的に武術家が認知される必要がある』

『武徳会を除けば、現状は実家が太いドラ息子の趣味の延長線ですからね。その分、認められたら尊敬もされますけど』

『今回の武道大会は良い機会だ。大々的にラジオ実況を入れて、武道家の社会的な認知力アップを狙おう』


 意外なことであるが、平成会は武徳会に協調していた。

 この世界の武術家の扱いに格闘モブたちは不満を持っていたのである。


『どうせやるなら異種格闘技戦だよなぁ?』

『ら〇ま1/2ですね。分かります』

『無難に総合ルールかねぇ? オープンフィンガーグローブを作っとかないと……』

『部門別とかめんどいから、天〇一武道会ルールを適用しよう』


 格闘モブたちの思惑によって、この世界の紀元二千六百年奉祝天覧武道大会は大きく様変わりすることになった。


 武徳会側は平成会の横やりに良い顔はしなかったが、言ってることは正論だったので拒否はしなかった。今回の武道大会のスポンサーを買って出ていたので、拒否出来なかったというのが正確なところなのであるが。


『武術家が食っていけるようにしなければならん。この時代だとボクシングかプロレスくらいしか収入が無いからな』

『手っ取り早いのはプロ化だな』

『史実の〇-1を作れってことですね。分かります』


 それだけにとどまらず、格闘モブたちはプロ格闘技団体の発足を目論んでいた。

 職業として成立させることで武道家の社会的な地位の向上だけでなく、プロ化によって技量の向上を狙った一石二鳥の良策であった。


 様々な思惑が絡み合った結果、この世界の紀元二千六百年奉祝天覧武道大会は日本武道館で開催されることになった。事前の宣伝に大金をかけた効果はあり、予選初日から観客が押しかけることになったのである。


「……さて、早くも予選における注目の一戦となりましたが。解説の前田さん、どちらが勝つと思われますか?」


 館内に特設された実況席では、アナウンサーが隣の解説役に話題を振っていた。

 二人の目の前では、スリーピースに身を固めた紳士と半裸にトランクス姿のボクサーが武舞台に上がるところであった。


「そうですなぁ……」


 話題を振られた解説役――前田光世(まえだ みつよ)は、ちょっと考える素振りをする。

 あくまでも素振りである。彼の脳内ではどちらが勝利するかは既に確定していた。


 史実の前田光世は不世出の格闘家であり、グレイシー柔術の祖でもある。

 世界中を放浪してあらゆる武術や格闘技に喧嘩を売りまくり、その戦績は2000勝不敗とされる。


 この世界の前田も同様の経緯を辿っていたものの、南米には移住せずに妻と娘と共に日本へ帰国していた。現在は現役を引退して後進の指導に徹しており、後援者にも恵まれたこともあって道場の経営も順風満帆であった。


 なお、後援者の大半が平成会のモブなのであるが本人は知る由も無い。

 熱烈なファンであるモブたちは、前田が言うままにホイホイと資金提供していたのである。


「ボクサー相手にまともに殴りあうのは愚の骨頂。わたしなら初撃を捌いて飛び込んで絞め技で仕留めますな」


 豊富な実戦経験に裏打ちされた前田の格闘技の知見は、今回の解説役としてうってつけと言えた。この世界の紀元二千六百年奉祝天覧武道大会が異種格闘技戦と化してしまったので、なおさらであろう。


 実際、あらゆる格闘技の技を詳細に説明してくれる前田の解説は好評であった。

 柔道やプロレス、果ては空手やフェンシングにまでお呼ばれされる人気解説者となるのである。


「それはドーセット公に前田先生と同じことが出来るということでしょうか?」


 スリーピースに身を固めた紳士は、テッド・ハーグリーヴスであった。

 周囲から完全に浮いている服装は場違い感が凄まじい。


 テッド本人は今回の大会に参加することを望んでいなかったが、やむにやまれぬ理由で出場に追い込まれていた。どこまでも巻き込まれ体質な男である。


「公はバーティツ使いとして名高い。もし本気でボクサーと殴り合うならば、ステッキを用意したでしょう」

「ステッキ……ですか?」


 困惑するアナウンサーに前田は苦笑する。

 しかし、彼は解説役としての仕事を果たすことに専念することにした。


「ステッキを槍と見立てれば一方的に相手を攻撃出来る。ボクサーが相手でも例外は無い」

「なるほど! そう考えればステッキは有効な武器となりますね」

「だが、ドーセット公はステッキを持っていない。必然的に飛び込むしかないわけです」


 前田は過去にバーティツ使いとも対戦したことがある。

 それ故に、テッドの採るであろう戦法を予想することが出来たのである。


「我が国ではバーティツは馴染みのない武術ではありますが、ステッキの使用を前提とした技が多数あります」

「バーティツは剣道とか杖術といった類なのでしょうか?」

「違います。ステッキの使用が前提ではありません。必要なら使うということです。そもそもバーティツはあらゆる状況に対応した紳士の護身術であって……」


 前田の解説はなおも続く。

 この世界の日本でバーティツが広く周知された瞬間であった。


「武舞台からの落下や気絶、降参した場合負けとなります」

「武器の使用は禁止です。それ以外の小道具については事前に申告してください。状況によっては認められないこともあります」

「故意の目つぶしや急所攻撃は反則扱いになります。以上が予選ルールとなります」


 実況席がバーティツ談義で盛り上がっている間に、武舞台では審判モブが対戦相手に予選ルールの説明をしていた。バーティツ師範テッド・ハーグリーヴスと、元NBA世界ミドル級王者ソリー・クレガーの対決は刻々と迫っていたのである。







(どうして僕はここにいるんだろうな……)


 ため息をつくテッド・ハーグリーヴス。

 目の前では対戦相手のソリー・クレガーがシャドウボクシングをしているが、ルール説明中の挑発的な態度と相まって殺る気満々にしか見えなかった。


『吾輩はバーティツを引退するぞ弟子たちぃぃぃぃぃぃっ!』

『『『えええええええええええ!?』』』


 事の起こりは3ヵ月前。

 国際バーティツ連盟総裁のエドワード・ウィリアム・バートン=ライトが、唐突に引退を宣言したことであった。


 史実とは異なり、この世界のバーティツは会員数10万人(公称)の大勢力となっていた。その頂点に君臨する男の唐突な引退宣言が混乱を巻き起こしたことは言うまでも無い。


『吾輩も歳だし、余生は理学療法士として過ごしたいのだ。というわけで、後を頼むぞ!』

『なんで僕が!? 師匠なら他にも適当な高弟とかいるでしょう。これ以上仕事を増やさないでくださいよ!』


 バートン=ライトが次期総裁として推したのがテッドであった。

 一番弟子であるし、実力的には順当な人選だったのであるが……。


『意義有り! 実績の無いドーセット公が総裁となるのは納得いきません!』

『日本大使を務められているドーセット公が組織をまとめ上げるのは難しいかと……』

『ここは組織拡大に尽力した者が総裁になるべきではないでしょうか?』


 その場に居た高弟たちから猛反発を喰らうことになった。

 いくら一番弟子とはいえ、これまでバーティツの普及に尽力してきた人間からすれば納得のいく人選では無かったのである。


『ふむ、そういうことならば……』


 バートン=ライトが懐から取り出したのは封書らしきものであった。

 『N』の文字が刻まれた封蝋を開封して中身を読み上げる。


『紀元二千六百年奉祝天覧武道大会を開催する。なお、今回は特別ルールとして1対1の異種格闘技戦にて取り行う。以上……『N』』


 転生者たちが聞いたら『K〇Fかよ!?』と即刻ツッコミを入れそうな内容であった。実際、その内容をパクり――もとい、リスペクトしたのは史実20世紀終盤のアーケードで大流行した某格闘ゲームなのであるが。


 ちなみに、『N』は当時の大日本武徳会総裁である梨本宮(なしもとのみや)守正王(もりまさおう)のイニシャルであった。史実では軍務や時勢には関与していないにも関わらずA級戦犯容疑をかけられた梨本宮であったが、この世界でも本人のあずかり知らないところでネームバリューを利用されていたのである。


『バーティツは紳士の護身術である。で、あるならば紳士的な手段で決めるべきであろう。この大会で最も優秀な成績を残した者を次期総裁にする。これで文句はあるまいな?』


 格闘モブたちの趣味と酔狂でK〇Fと化してしまった紀元二千六百年奉祝天覧武道大会は、世界中から猛者を募っていた。この世界では世界一の格闘技団体と言っても過言では無いバーティツにも招待状が送られていたのである。


 実力からしてテッドが勝ち抜くのは目に見えていたし、この大会で優秀な成績を残せれば実力を不安視する連中を黙らせることも出来る。バートン=ライトからすれば、一石二鳥の良策であった。


『そういうことであるならば是非も無いです』

『我らの実力、思う存分に発揮させてもらいます!』

『誰が勝っても遺恨無しですぞ!』


 高弟たちはバートン=ライトの提案を受け入れた。

 あくまでも表向きは、であるが。


『……』


 テッドは高弟たちが何を考えているのか察してはいたが、それ以上は反論しなかった。そんなことをしても大勢は覆せないし、師匠の意見にケチをつけるだけになってしまう。


「……あんなのでも、腐っても高弟だから簡単には負けないだろし妨害もしてくるだろうし。本当に面倒なことになった」


 テッドは事の次第を思い出してしまい、ぼやいてしまう。

 高弟たちは紳士であると同時に権謀術数にも長けていた。実力で負けるつもりはないが、場外戦術を駆使されると面倒なことになる。


「なんだワケありかよ? なら、さっさと負けちまえ。俺もボーナスが出るしな」

「えっ? それはどういうことだ?」


 しかし、そのぼやきは対戦相手に聞こえていた。

 予想外のクレガーの言葉にテッドは聞き返してしまう。


「おっと、口が滑っちまったぜ。これ以上知りたいなら俺に勝つんだな!」


 これ以上はしゃべらないとばかりに、ファイティングポーズをとるクレガー。

 軽快なステップと相まって隙が全く見当たらない。


「おらぁっ!」


 試合開始早々に、クレガーは左のロングフックを打ち込まんとする。

 さすがは元ミドル級チャンプと言うべきか、その速さとリーチは恐るべきものであった。


「うわっ!?」


 しかし、クレガーはテッドを甘く見過ぎであった。

 見え見えのロングフックにカウンターで双手刈(もろてがり)を合わせる。両者はそのままグラウンドポジションへ移行する。


「ぐわぁっ!?」


 一瞬でテッドはクレガーの片足を()める。

 こうなると抜け出すことは不可能であった。


「ドーセット公の双手刈からの片足挫返(かたあしひしぎがえし)! クレガー選手、これはたまらずギブアップだぁ!」


 試合は開始30秒でテッドの勝利となった。

 その内容は前田の事前の予測と完全に一致していた。


「……さて、話してもらおうか。誰に頼まれた?」


 試合終了後。

 二人は人気のない場所へ移動していた。事の次第を問い質すために、テッドがクレガーを誘ったのである。


「モルガンと名乗っていたな。試合だから殺しても問題ない。その場合は特別ボーナスを出すって言われたよ」

「あのおっさん、まだ僕を恨んでたのか……」


 モルガン商会会長のジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアは、テッドに対して恨み骨髄な人物であった。現在は英国へ亡命して辣腕を発揮しているが、それは復讐を諦めたことを意味しない。今回の大会を絶好の機会として刺客を送り込んでいたのである。


「他に知ってることは?」

「俺以外にも刺客はいる。少なくとも両手の指に余るくらいはいたぜ」

「だろうね。あの男の執念深さならそれくらいはやるだろう」


 さらっと、とんでもないことを宣うクレガー。

 しかし、テッドからすれば予想の範囲内であった。


「ところで、他の刺客についての情報は?」

「さすがにそれはタダでは話せないな」

「何が望みなんだ?」

「アンタは大使館の人間なんだろう? 俺の亡命を認めて欲しい」


 クレガーは、モルガンの手引きでアメリカから密入国していた。

 このままだと遠い異国で餓死するしか無かったのである。


「日本への亡命は手続きや根回しで時間がかかる。ドーセット領(うち)ならどうとでもなるから、それで良い?」

「この際どこでも良いぜ。文句を言える立場でも無いし」


 ドーセット領へ亡命したクレガーは、後にカジノの賭けボクシングで名を馳せた。元ミドル級王者の実力とネームバリューは客寄せ効果絶大であり、カジノ運営側から重宝されたのである。


「……全員負けてるじゃん。無駄な出費をしてしまったなぁ」


 予選の取り組み表を見て、テッドはため息をついていた。

 クレガーから渡された刺客リストと照らし合わせていたのであるが、送り込まれたモルガンの刺客は1回戦で全員敗北していたのである。


「おいおい!? 今更約束をチャラにするとか言わないでくれよ!?」


 テッドと一緒にリストを確認していたクレガーが焦る。

 勝ち残っている刺客について解説するつもりだったのが、あまりにも予想外過ぎる展開であった。


『運用資金を流用してまで立てた計画がぁぁぁぁ!?』


 この結果に当のモルガンが絶叫したことは言うまでも無い。

 ますますもって恨まれることになったのであるが、テッドとしても大迷惑な話であった。


 しかし、それで問題が全て解決したわけではない。

 1回戦落ちしたモルガンの刺客とは違い、バーティツ使いの高弟たちは全員が2回戦へ進んでいた。


 テッドとしてはこれ以上の面倒ごとは背負いたくないのであるが、鼻持ちならない高弟たちに国際バーティツ連盟の運営を任せる気にもなれなかった。何よりも、下手に負けようものなら師匠からの折檻が怖い。結局のところ、テッドには勝ち進むしか選択肢は無かったのである。







『ただいまより予選ブロック決勝を行います。参加選手は武舞台へ上がってください』


 日本武道館内に選手へのアナウンスが響き渡る。

 4日目の紀元二千六百年奉祝天覧武道大会では、予選ブロックの決勝戦が行われようとしていた。


 これまでの武舞台は撤去され、武道館の中央にひと際大きい新たな武舞台が設置された。同時進行だった予選とは違い、ここからは1試合ずつの進行となる。


『それでは予選ブロック決勝へ進出した選手たちの紹介をいたします!』


 スパンコールスーツに蝶ネクタイな司会が選手紹介を敢行する。

 こんな悪目立ちな服装が出来るのは、司会の中身が平成会のモブだからこそである。


 武舞台には予選ブロック決勝へ進んだ8名の選手たちが上がっていた。

 司会の紹介で出場選手たちが一人ずつ前へ出る。


『まずは生ける伝説。合気道の創始者である植芝盛平(うえしば もりへい)大先生だぁ!』


 小柄ながらもがっしりとした体格の老人が、ペコリと頭を下げる。

 観客席からは惜しみない大歓声が送られる。


『続いては、鬼の牛島ここに降臨! 牛島辰熊(うしじま たつくま)だぁ!』


 植芝とは対照的な巨躯が無言で腕組する。

 当代最強の柔道家という評判は伊達では無い。こちらも植芝に負けない大歓声である。


『鬼の弟子も参戦! 将来の日本柔道界を背負って立つ男。木村政彦(きむら まさひこ)だぁ!』


 牛島の愛弟子である木村も予選ブロック決勝に進出していた。

 師匠とは対照的に小柄ではあったが、その肉体が発する迫力は勝るとも劣らない。こちらも柔道関係者を中心に大歓声であった。


『角界からの刺客。元関脇の天竜(てんりゅう)だぁ!』


 司会の紹介に合わせて豪快な四股を踏む元大関の天竜。

 大会参加選手最重量の放つ迫力は尋常なものでは無い。館内にはどよめきが広がっていた。


『日本で一番有名な外国人なのは間違いなし! 英国大使のドーセット公だぁ!』


 他の選手と同等かそれ以上の、まさに割れんばかりの大歓声に迎えられるテッド。どちらかと言うと黄色い声援が多いような気もするが。同じ武舞台に立つ高弟たちからの殺意マシマシな視線はスルーである。


『……以上、予選ブロック決勝に参加する8名の選手たちでした。皆様、もう一度盛大な拍手をお送りください!』


 選手たちは一礼すると武舞台から降りていく。

 控室へ向かう彼らの背中に惜しみない拍手が送られたことは言うまでも無い。


「……いよいよ予選ブロックの決勝となったわけですが。解説の前田さん、ここまでの展開どう思われますか?」


 選手紹介が終わったのを見計らって、実況席ではアナウンサーが前田に質問していた。


「ここまで来ると日本武道とバーティツの対決と言っても過言では無いですな」

「ははぁ、彼らは黒船のようなものですか?」

「そう思ってもらっても結構です」


 前田の言葉は正鵠を得たものであろう。

 予選ブロック決勝参加選手8名のうち、バーティツ使いはテッドを含めて3人もいたのであるから。


「とはいえ、ドーセット公を除いたバーティツ使いはここから先は厳しいでしょうね」

「それはどういうことでしょう?」

「今語ってしまっては興ざめというもの。試合で嫌でも分かりますよ」


 意味深な発言をする前田。

 彼の言葉が正しかったことは、すぐに証明されることになる。


(まさか弁当に下剤を仕込むとか。これだから、あいつらは好かんのだよなぁ……!)


 予選ブロック決勝第1試合を制したテッドは、トイレで奮闘中であった。

 流石は英国紳士と言うべきか、場外戦術はお手の物であった。


 試合中に押し寄せる便意に耐えるテッドは悪鬼羅刹と化した。

 トイレ最速を目指すテッドの攻撃はじつに容赦が無く、必勝を期して策を弄したはずの弟弟子は逆に瞬殺された。


『牛島選手突進! まるで闘牛だ。掴んで豪快に投げ飛ばしたぁ! 相手は起きれない。完全に失神しています!』

『木村選手が突き出されたステッキを掴んでいます!? ビクともしません! なんという膂力! そのまま強引に引き寄せて、大外刈りいったぁ! 師匠と同じく失神KOです!』


 テッド以外のバーティツ使いは、史実の達人たちに瞬殺された。

 長いトイレから出て来たテッドが歓喜したことは言うまでも無い。


 それすなわち、国際バーティツ連盟の次期総裁に就任することが確定した瞬間でもあったわけだが。そのことに気付いて頭を抱えるのは武道大会が終了してからのことであった。


「相手は誰なんだろう……って、あのおっさんか!?」


 プレッシャーから解放されて、お気楽気分だったテッドの表情が瞬時に曇る。

 目の前で開催されている予選ブロック決勝の最終試合の片割れは、かつてテッドが苦杯をなめさせられた――もとい、一方的に蹂躙された相手だったのである。


「我々は夢を見ているのでしょうか!? 体格的には大人と子供の差があるというのに、一方的に投げ飛ばしています!」


 実況するアナウンサーの声は、もはや絶叫であった。

 あまりにも予想外な光景が武舞台上で繰り広げられていたのである。


(こんなことが……こんなことがあってたまるか!?)


 天竜は対戦相手を歯ぎしりせんばかりに睨みつける。

 しかし、目の前の小男は余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)であった。


 天竜は身長187cmで体重116kgという巨躯であった。

 片や、対戦相手の植芝盛平の身長は156cmで体重は75kgに過ぎない。


 素手の喧嘩(ステゴロ)の場合、体重差が20kgあるとパンチ力が倍は違ってくる。

 よほどのことが無い限り、まともな喧嘩にはならない。


 体重が重いほど単純に図体は大きくなる。

 図体が大きくなればリーチも長くなって殴り合いに有利となる。極論すれば、体重の重さは強さに直結すると言っても過言ではない。


 二人の体重差は、ボクシングのミニマム級とクルーザー級くらいの開きがあった。その差はなんと16階級。ボクシングの階級は17階級なので、ほぼ全階級制覇である。


「ぬぅぅぅぅぅぅっ!」


 天竜がリーチの長さを活かして植芝を(つか)む。

 その剛力をもってすれば、小柄な老人など一捻りのはずなのであるが……。


(も、持ち上がらん。まるで鉄棒を相手にしてるみたいだ)


 天竜は驚愕していた。

 先ほどから何度も投げを打とうとしているのに、投げられないのである。


「ぐはぁっ!?」


 わけが分からないまま、再び投げられた。

 背中から地面に叩きつけられて、さしもの天竜も激痛で一瞬動けなくなった。


「1、2、3……」


 審判によるカウントが開始される。

 天竜は必死に起き上がろうとする。


 予選ブロック決勝からは本戦ルールが適用される。

 どちらかが舞台から落ちた場合、ダウン後10カウント以内に立ち上がれなかった場合、本人が降参した場合に決着となる。


「4、5、6……」


 カウントダウンが進むが、天竜の動きは亀の歩みよりも遅い。

 のそのそと体を起こすのがやっとであった。


「8、9、10! 10カウントです。植芝選手の勝利となります!」


 完全に心が折れてしまった天竜は立ち上がることが出来なかった。

 史上空前の体格差に合気が通じることが公の場で証明されたのである。


 セミファイナリストは、テッド、植芝盛平、牛島辰熊、木村政彦の4人となった。ここからは天覧試合である。史実の達人たちが大いに奮い立ったことは言うまでもない。


(怪我しない程度に適当に済ませたいけど、陛下の目の前で手抜きも出来ないしなぁ)


 若干1名がリタイアしたがっていたりするが、そのようなことが許されるはずも無く。セミファイナリスト唯一のバーティツ使いは、ひたすらに頭を抱えるのであった。







『紀元二千六百年奉祝天覧武道大会5日目。日本武道館の天井からは満員御礼の大札が掲げられています』


 アナウンサーの声に緊張の色が混じる。

 5日目の紀元二千六百年奉祝天覧武道大会は準決勝を迎えていた。


 試合が始まる1時間前だというのに、既に3階席までびっしりと埋まっていた。

 日本武道館始まって以来の来場者数であった。


『『『……』』』


 その場に居る誰もが余計な声を発しない。

 日本武道館には異様な雰囲気が立ち込めていた。


『全員ご起立ください! 天皇陛下ご臨席です』


 その瞬間、観客が一斉に起立する。

 1万4千人余りの一糸乱れぬ動きは、館内の空気を振るわせて鼓膜を揺さぶる。


 沈黙が支配する中、今上天皇が設置された玉座に座る。

 傍らには侍従長の鈴木貫太郎(すずき かんたろう)海軍大将が控える。


『……ご着席ください』


 着席していく観客の殆どが礼装や学生服であった。

 今回からは天覧試合ということで、選手だけでなく観客も気合を入れてきたのである。


「天竜は敗れたか。残念だったな」


 玉座に座った今上天皇は残念そうな表情であった。

 史実同様にこの世界でも大の相撲好きであり、今回の天覧試合も天竜が目的であった。後にこのことを聞かされた天竜は、己の不甲斐なさに男泣きに泣いたという。


「陛下、ドーセット公がまだ勝ち残っておりますぞ」

「それもそうだな」


 侍従長の言葉で玉顔に笑顔が戻る。

 もう一つのお目当てはテッドであった。


 意外なことであるが、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会で天覧試合は予定されていなかった。この世界の大日本武徳会の出自が史実とは異なっていたためである。


 史実の大日本武徳会は武術を上覧するべく作られた団体であった。

 実際に武徳会の主催で剣道や柔道の試合が行われ、その多くが天覧試合となった。


 この世界の大日本武徳会は設立当初から平成会が後援していた。

 正確に言えば、後援せざるを得なくなったのであるが。


 不祥事のもみ消しと生贄を兼ねて格闘モブが武徳会に差し出された。

 この時期の武徳会が実戦的な武術団体と化したのは、史実21世紀の格闘技を吸収したことが原因である。


 平成会が後援したことで武徳会は武術の研鑽(けんさん)に専念することが出来た。

 関係者たちは日本全国を行脚して有望な古武術をスカウトし、その大半は範士や教士として後身の指導にあたったのである。


 武徳会の庇護対象は流派だけでない。

 牛島辰熊、木村政彦の師弟コンビの生活の面倒を見るなど、技量に優れた武術家を庇護していた。


 そんなわけで、この世界の大日本武徳会はアカデミックな武術研究団体としての側面を持つことになった。あちこちにコネを持つ便利な平成会(財布)があるので独自に事業を始めるなど、既に天覧試合開催どころではなくなっていたのである。


『ふ、ふふふ……ドーセット公、万事任せてください。二度とあの男の顔を見ないで済むように計らいますから』


 大日本武徳会が天覧試合から遠ざかったもう一つの理由が、先代総裁である久邇宮(くにのみや)邦彦王(くによしおう)がテッドに不義理を働いたことであった。


 この一件に激怒した今上天皇は武徳会の解散すら辞さない構えであった。

 武徳会上層部の必死の謝罪と、テッドの執り成しで最終的に取りやめになったのであるが。


 それでもトップに御咎めなしというわけにはいかなった。

 久邇宮は武徳会総裁を解任されることになったのである。


『ドーセット公頼む。陛下を説得してくれ!』

『えー? やだよ面倒くさい。そもそも、自分が蒔いた種でしょうが』


 困り果てた久邇宮は、テッドに許しを請いた。

 当然ながらテッドは拒絶したのであるが……。


『ドーセット公! お願いだから陛下を説得してくれ!』

『いや、いい加減しつこいんですけど!?』


 この世界の久邇宮は、史実に輪をかけて金に汚い人物であった。

 貴重な収入源が無くなると分かるや、テッドに粘着し始めたのである。


『公が首を縦に振るまで居座ってくれるわ!』

『ええええええ……』


 しまいには英国大使館に日参する始末であった。

 腐っても皇族であるし、日英同盟のアピールのためにも表敬訪問と言う名のタカリを断る選択肢は存在しなかった。


『秘蔵のコレクションをやるから!』

『いや、僕はカードゲームに興味なんて無いし。そもそも、そんなのに現を抜かすからこんなことになったんでしょうが』

『儂のコレクションを馬鹿にする気か!?』

『唐突に逆切れされた!?』


 ちなみに、久邇宮が金に汚い原因の一つがカード収集であった。

 平成出版が出した『陸軍これくしょん(陸これ)』を箱買いして金欠になっていたのである。ある意味、平成会が原因だと言えなくもない。


『閣下。その、また来られているのですが……』

『適当に茶菓子出してあげて。それと家族に連絡を』

『はぁ……』


 テッドは久邇宮の来襲に有効な手を打つことが出来なかった。

 皇族相手に手荒な真似をするわけにもいかなかったのである。


『すみませんすみません! すぐにつれて帰りますので!』

『ほら、帰るぞごくつぶし! おまえのせいで、こっちは一族郎党やばくなるんだぞ!?』

『嫌だ―!? 儂はここに住むんだぁ!?』


 久邇宮に居座られたら家族に連絡して引き取ってもらうことしか出来なかった。

 最初のころはマッハで引き取りに来てくれたのが、最後には慣れてしまったのか夕方引き取りになってしまっていたが。図々しいところは血筋なのかもしれない。


 今上天皇にチクれば良いだけの話なのであるが、そんなことをすれば本気で久邇宮家を取り潰しかねない。史実では戦後に皇籍離脱しているが、香淳皇后の実家で21世紀には皇籍復帰の有力候補を取り潰すわけにはいかなかったのである。


 そのため、本人が薨去(もうきょ)するまでタカられることになった。

 桃〇の貧乏神に取りつかれた気分だった――と、後にテッドは述懐している。


 新体制となった大日本武徳会の総裁には梨本宮が就任することになった。

 実際は名目だけであり、組織の主導権を握っていた格闘モブたちによって武徳会が暴走する原因となってしまったのである。







「それでは準決勝第1試合を開始します。双方、礼!」


 予選とはうってかわって、和服のフォーマルである黒紋付を着用した司会モブ。

 さすがに天覧試合でスパンコールスーツを着る度胸は無かったらしい。


「……師匠、全力でいかせてもらいます!」

「無論だ。逆に手を抜いたらぶっ殺してくれる!」


 準決勝第1試合は牛島と木村の師弟対決となった。

 『講道館でやれ』と言わんばかりの光景であったが、両者が装着しているオープンフィンガーグローブが全てをぶち壊していた。


 ちなみに、オープンフィンガーグローブは史実のMMAグローブの準拠した仕様である。組技や関節技で相手を掴みやすいように5本指が出せる形状となっており、拳の部分は打撃の衝撃から指を保護するためにパッドで保護されていた。


「それでは……始めぃ!」


 司会のコールと同時に木村が飛び出す。

 爆発的な瞬発力で一瞬にして間合いを詰める。


「ぐっ!?」


 迎え撃つ形となった牛島は、激しい当身を繰り出す。

 木村は咄嗟にブロックするも、そのまま吹っ飛ばされる。


「でぇああああああっ!」


 態勢を崩した木村に猛然と牛島が迫る。

 その様子はまさに闘牛であった。


「「ぬぁぁぁぁぁぁぁっ!」」


 そのまま双方は激しい組み手争いに移行する。

 牛島は身長182cmで体重100kg、木村は身長170cmで体重85kgと圧倒的な体格差があったが、それでも投げられないのは両者の卓越した技量の高さを証明していた。


 しかし、均衡は一瞬で崩れることになった。

 木村の必殺の大外刈りをスカした牛島は、一瞬にして奥襟(おくえり)を取る。こうなると木村は何も出来ない。


「ぬぅぅぅぅぅんっ!」


 奥襟を取った牛島は、力任せに木村をぶん投げる。

 観客は文字通り人間が『飛ぶ』瞬間を目撃することになった。


「ぬぉぉっ!?」


 受け身をとって難を逃れた木村であったが、武舞台から転落しそうになる。

 本戦ルールでは武舞台からの落下は敗北である。片足を引っ掛けて辛うじて転落を阻止する。


「うぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 そこに突進する牛島。

 なんとかの一つ覚えであるが、とにかく攻めて攻めて攻めまくるのが彼のスタイルなのである。


「なんのっ!」


 しかし、木村もさるもの。

 牛島の足を取って寝技へ移行、そのまま腕緘(うでがらみ)を極めんとする。


「甘いわっ!」

「どわぁっ!?」


 勝利を確信した木村であったが、牛島は一瞬の隙を逃さない。

 腕緘が完全に極まる直前に抜け出し、寝技の態勢のまま体を起こしてぶん投げる。とんでもないパワーである。


『場外! 場外です。牛島選手の勝利です!』


 司会モブが牛島の勝利をコールする。

 師弟対決は師匠が制することになったのである。


「ほっほっほ。10年ぶりかな? 長生きするもんじゃな」

「僕としては二度とやりたくなかったんですけどね……」


 準決勝第2試合の取り組みは、植芝盛平とテッド・ハーグリーヴスである。

 武舞台に上がる二人の態度は、じつに対照的であった。


 両者は初対面ではない。

 12年前に戦ったことがあった。その結果は一方的な蹂躙というべきものであったが。


「それでは準決勝第2試合を開始します。双方、礼!」


 テッドはシルクハットにスリーピース、植芝は紋付袴(もんつきはかま)

 武舞台に上がった両者は正装であった。


 バーティツも合気も日常生活に根差した護身術であり、道着というものが存在しない。天覧試合ということでTPOに配慮したのである。


「それでは……始めぃ!」


 司会のコールと同時にテッドは距離を取る。

 対する植芝は動こうとしない。全くの自然体でその場に佇んでいた。


「ふっ!」


 ステッキで鋭い突きを繰り出すが植芝には(かす)りもしない。

 しかし、テッドは間合いを維持したまま突き続ける。


(これでいい。このまま相手が焦れるまで待つ)


 これはテッドの作戦であった。

 合気は相手の力を利用する武術であるが、それは相手が攻めてくることが前提となる。つまりは、相手の手や足を取らない限り攻撃出来ないわけである。


「ほいっ」


 植芝は突き出されたステッキを無造作に掴む。


「ふぁっ!?」


 その瞬間、テッドは大きく態勢を崩す。

 観客たちからは勝手に倒れたようにしか見えない。


 テッドの分析は間違ってはいない。

 しかし、それは普通の合気使いが相手の場合である。植芝ほどの達人となれば、ステッキ越しに合気を効かせることも可能なのである。


「この化け物めっ!」


 とっさにステッキを手放して間合いを取るテッド。

 対する植芝は無造作に間合いを詰めてくる。


「このっ!」


 テッドは左ジャブを連打する。

 当てるつもりはない。あくまでも牽制である。


「ほいっ」

「ぐわぁっ!?」


 牽制だったはずの左ジャブはあっさりと絡め取られた。

 そのままテッドは地べたに叩きつけられる。


「このぉっ!?」

「おぉっ!?」


 咄嗟(とっさ)にテッドは腕を伸ばして片足を取りにいく。

 転倒させることは出来なかったが、植芝の態勢を崩すには十分であった。


(勝機!)


 瞬時に起き上がって双手刈を敢行する。

 寝技に持ち込んでしまえば、合気といえど無力のはずであった。


「えっ? ちょっ!?」


 しかし、起死回生だったはずの攻撃はあっさりとかわされた。

 それどころか、勢い余って転落の危機である。


「ほっほ、甘いのぅ」


 寝技に持ち込むことに執心していたテッドは、位置関係を把握していなかった。

 植芝の巧みな動きによって、いつの間にかに武舞台の端に追い込まれていたのである。


「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」


 武舞台の端で必死にバランスを取る。

 そんなテッドに植芝は笑顔で近づく。


「ちょいっと」

「あーっ!?」


 植芝が軽く突いただけで、テッドはバランスを崩して武舞台から落下した。

 テッドの場外負けによって、準決勝第2試合は植芝盛平の勝利に終わったのである。







『紀元二千六百年奉祝天覧武道大会6日目。本日も日本武道館の天井からは満員御礼の大札が掲げられています』


 6日目の日本武道館では3位決定戦と決勝戦が開催されようとしていた。

 最終日ということもあり、本日の日本武道館も大入り満員であった。


「それでは3位決定戦を開始します。双方、礼!」


 テッドは前日と同じくシルクハットにスリーピース、木村も同じく柔道着を着用していた。双方とも既に戦闘モードである。


「それでは……始めぃ!」


 司会のコールと同時に木村は爆発的に距離を詰める。

 対するテッドは、その剛腕が触れる直前で動いた。


「むぅっ!?」


 視界の外から飛んで来たパンチを木村は直感でガードする。

 瞬時に右に回り込んだテッドが左ジャブをお見舞いしたのである。


「ちっ!?」


 思わず舌打ちするテッドであったが、動きを止めることはしなかった。

 軽快なステップで、あっという間に間合いをあける。


「あの野郎、アウトボクシング上手いじゃないか……!」


 観客席にいたクレガーが思わず賞賛するほどに、テッドのボクシングは様になっていた。そもそも、近代ボクシングの発祥は英国なのである。発祥国のボクシングが弱いわけがない。


「ぬぅぅぅっ!?」


 全周囲からのジャブ連打に、たまらず足を止める。

 しかし、それは木村が無力化したことを意味しない。


「効かんわ!」


 三戦(サンチン)でガードを固める木村。

 剛柔流空手師範代としての実力と、鍛えに鍛え上げた筋肉の鎧はテッドのジャブ連打をものともしない。


「ふんっ!」


 カウンターで放たれる正拳突き。

 一撃で勝負を決めかねない文字通りの必殺拳であったが、テッドには掠りもしない。試合は一方的な様相を呈していったのであるが……。


(このままだとジリ貧だ。どうしたものか)


 焦れていたのはテッドのほうであった。

 これがボクシングならポイントで逃げ勝つことも出来ようが、この試合ではKOかギブアップしかない。木村の性格からしてギブアップはあり得ないわけで攻めあぐねてしまったのである。


「なっ!?」


 左ジャブを打ち込んだ瞬間、腕が動かなくなる。

 木村の指がスーツの裾を掴んでいたのである。


「やばっ!?」


 咄嗟にガードしようとするも、左腕を絡め取られた状態では満足なガードは不可能であった。


「おわっ!?」


 直撃したら致命傷になりかねない蹴りを、テッドは身を投げ出して辛うじて回避する。しかし、それは木村の計算のうちであった。


「あだだだだだっ!? ギブギブ!? ギブアップ!」


 絶対に逃がさないとばかりに必殺の腕緘を極める。

 一瞬で極まってしまい、テッドはギブアップを余儀なくされた。


『木村選手の勝利です! この時点で3位が確定しました!』


 3位決定戦は木村の勝利となった。

 両者の激戦に惜しみない歓声が送られたのである。


「こ、これより決勝戦を開始します。そ、双方、礼!」


 決勝は植芝盛平と牛島辰熊の取り組みとなった。

 双方ともに自然体ではありながらも、その身に纏う雰囲気は尋常のものではない。その気迫をモロに受けてしまったのか、司会モブの声は震えていた。


「それでは……始めぃ!」


 司会のコールと同時に牛島は突進する。

 相手が誰であろうが戦い方は変えないし、変えられない。それが牛島という(おとこ)なのである。


 対する植芝は動かない。

 あっという間に袖と奥襟を掴まれてしまう。


「ぬぅっ!?」


 牛島は困惑していた。

 投げようにも投げられないのである。


「ほいっ」

「うぉっ!?」


 体重100kgの巨体が吹っ飛ぶ。

 それは予選の天竜の試合の再現であった。


「……」


 牛島の受けた衝撃は相当なモノであった。

 かつて柔道の試合で、ここまで体格差のある相手に投げられたことはなかったのである。


「ぬおおおおおおおっ!」


 だからといって、牛島がやることは変わらないのであるが。

 荒れ狂う闘牛の如く、ひたすらに突進する。


「ほいっ」

「ぐわぁっ!?」

「ひょいっと」

「ぬぅぅぅぅ!?」


 何度も突進しては投げられる。

 予選の天竜はこれで心を折られた。しかし、牛島は突進をやめようとはしなかった。


 身長187cmで体重116kgの天竜に対して、牛島は身長182cmで体重100kgと体格的には似通っていた。


 そんな天竜と牛島の違いは無尽蔵のスタミナとパワー、それに何よりも底知れない闘争心であろう。何度投げられようともゾンビの如く立ち上がってきたのである。


「ぬっ、い、いかんっ!?」


 珍しく焦った様子の植芝。

 合気を効かせることに失敗してしまったのである。


「ぬぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 牛島はそのタイミングを見逃さなかった。

 持てる筋力を総動員してぶん投げる。


「ほいっと」


 吹っ飛んだ植草は軽やかに着地する。

 その様子は猫の如しである。


「ありゃりゃ。場外じゃのぅ……」


 しかし、着地した先は武舞台の外であった。

 この瞬間に勝敗は決した。


『けっちゃぁぁぁぁくっ! 優勝は牛島選手に決定いたしましたぁぁぁぁぁっ!』


 勝敗の決め手となったのは双方の体格差ではなかった。

 相手の力を利用する合気とはいえ、使い手の体力には限界がある。牛島の無尽蔵のスタミナと闘争心が合気に打ち勝ったのである。







『それでは優勝者と入賞者に陛下直々に栄誉が与えられます。皆様、盛大な拍手を!』


 司会モブのコールに武道館内は拍手で満たされる。

 既に武舞台は撤去され、代わりに表彰台が設置されていた。


「やっと終わったなぁ」


 テッドの目の前では表彰台に登った3人が表彰されていた。

 惜しくも4位に終わったテッドは離れた場所から見物していたのである。


(何はともあれ大した怪我がなくてよかった)


 テッドの偽らざる本音である。

 化け物(そろ)いな史実の達人相手に大怪我をしなかっただけでも儲けものと言える。


『ドーセット公は表彰台までお越しください』


 館内放送で名指しされたような気がするが空耳であろう。

 テッドは一瞬手を止めたが、帰り支度を続行する。確実に面倒ごとになると彼の第6感がささやいていたのである。


『繰り返します。ドーセット公は表彰台までお越しください!』


 念を押すように再度館内放送が流れる。

 それでも聞こえないふりをして帰ろうとしたのであるが……。


「おい、呼んでるぞ。行かないとヤバイだろうが!?」

「ちょ、離せクレガー!? おまえは関係無いだろう!?」


 突如現れたクレガーに、テッドは羽交い締めにされた。

 そのままグイグイと表彰台の方へ押しやられる。


「この国じゃ俺は何も出来ないんだよ!? というか、俺の事忘れてなかったか!?」

「忘れてないって。今呼びにいこうと思ってただけで……」

「嘘つけぇっ!?」


 この騒ぎで周囲の注目を集めてしまい、素知らぬふりをして帰る選択肢は失われた。表彰台へ向かうテッドの様子は、断頭台へ向かう死刑囚の如しであった。


「わざわざ呼び立てして申し訳ない。これをどうぞ」


 表彰台で手渡されたのは『賜』の文字が入った紙箱であった。

 表彰するのは3位までだったのであるが、テッドの奮闘を惜しんだ今上天皇は直々に(たま)うことにしたのである。


 箱の中身は宮内省用特製口付紙巻たばこであった。

 いわゆる『恩賜の煙草(おんしのたばこ)』というやつである。


「あ、ありがとうございます」


 恩賜の煙草は非常に辛口かつ、きつい味で史実では有名であった。

 非喫煙者なテッドからすれば激しくいらないものであるが、恩賜品を断るわけにもいかない。微妙に引き攣った笑顔を浮かべつつ、テッドは紙箱を受け取る。


「それと国際バーティツ連盟日本支部の設立に便宜を図りましょう。大日本武徳会共々、日本の武道の発展に寄与してください」

「ふぁっ!?」


 今上天皇の反応に驚愕するテッド。

 まったくもって寝耳に水だったのである。


『このままではドーセット公に次期総裁をかっさらわれてしまうぞ!?』

『あんな苦労を知らないボンボンに総裁が務まるはずが無いだろう!?』

『わたしに良い考えがある。やつを日本支部長に推挙するのだ』

『なるほど。日本支部長のポストを押し付ければ、総裁をやってる暇なんぞ無いということだな』


 今上天皇に余計なことを吹き込んだのは、予選で敗退したバーティツの高弟たちであった。さも本人が(のたま)っていたかのように、かつ自然に今上天皇の耳に入るように裏工作していたのである。場外戦術の巧みさは流石は英国紳士と言うべきであろう。


「おぉ、バーティツの道場を作るのか。道場破りして良いか?」

「ずっこいですよ師匠!? 俺が先にやるんです!」

「ほっほっほ。時折、遊びに行って良いかのぅ?」


 テッドの強さを認めた3人は、国際バーティツ連盟日本支部の設立を歓迎していた。その様子は、さながら新しい玩具を見つけた子供の如しであった。


『流石は我が一番弟子。なんのかんの言っても日本支部を上手く運営しているではないか。これで吾輩も心置きなく引退出来るな!』

『『『こ、こんなはずでは……!?』』』


 しかし、高弟たちはテッドを甘くみていた。

 彼は腐ってもオリ主チート枠なのである。


 ありとあらゆる妨害を試みた高弟たちであったが、わずか数年でテッドは日本支部を軌道に載せた。公の場で示した武術家としての実力と、ずば抜けた組織運営力を見せられては総裁就任を止めることは不可能であった。


『君らには日本支部の運営を任せたい。先に言っとくけど、僕が手塩にかけた支部なんだから余計なことするなよ?』

『『『こ、こんなはずでは……!?』』』


 テッドとしても不本意なことではあったが、昨今の国際バーティツ連盟の腐敗ぶりは目に余った。自らが総裁に就任して綱紀粛正するしか無いと判断したのであるが、結果的に仕事が増えて自分の首を絞めることになった。


 日本支部設立以降、国内ではバーティツを学ぶ人間が増えていった。

 競技人口では空手や柔道に及ぶべくも無かったが、紳士の護身術として完全に受け入れられたのである。


 紀元二千六百年奉祝天覧武道大会の成功によって、この世界の日本で異種格闘技戦を受け入れる素地が出来た。史実のK-〇やM〇Aもどきの格闘団体が雨後の筍の如く設立されてラジオ実況されるほどの人気を博すことになる。


 既存の格闘団体も負けていなかった。

 伝統派空手からフルコン空手へ派生したり、ムエタイをキックボクシングに改造したりと、格闘技や武術が異常に発展することになるのである。

主人公を肉体的にアクションさせるのは作者のストレス解消になります。

その場合、テッド君が酷い目に遭うのは確定なのですがw


ちなみに、拙作の紀元二千六百年奉祝天覧武道大会のイメージはDBの天下一武道会と刀牙の最大トーナメントを足して割ったような感じです。どちらかというと天下一武道会かな?刀牙に寄せるとエグイ描写になっちゃいますし。


>近代5種とやらの由来は兵士の鍛錬ではないか。

ナポレオン時代に馬で敵陣に乗り込んで途中の敵を銃と剣で討ち倒し、川を泳いで渡って丘を越えて走りぬけたという故事を参考にクーベルタン男爵が近代5種を考案しています。


>武舞台

元ネタは天下一武道会の本戦が行われる屋外会場の四角形の舞台。

当然、平成会のモブの趣味です。 


>前田光世(身長164cm 体重70kg)

史実では2000戦不敗でグレイシー柔術の祖。

この世界では世界中を放浪したあげく、外国人妻と娘を連れて錦を飾った勝ち組です。現在は現役を退いていますが、道場経営と実況の二足の草鞋で多忙な生活を送っています。


>テッド・ハーグリーヴス(身長175cm 体重85kg)

御存知我らが主人公。

現役のバーティツ師範だけあって、かなり鍛えています。それでも、史実の達人の技とフィジカルには苦戦していますが。


>ソリー・クレガー(身長173cm 体重69.6kg)

元NBA世界ミドル級王者。

史実同様にこの世界でも引退していましたが、多額のボーナスに釣られて現役復帰。足技対策をしていなかったためにテッド君にあっさり負けましたが、普通にやってたら滅茶苦茶強いです。


>エドワード・ウィリアム・バートン=ライト

この世界でもバーティツの開祖で国際バーティツ連盟総帥。

テッドは一番弟子(本編第4話参照)だったりします。


>国際バーティツ連盟

拙作オリジナルのバーティツ団体。

公称会員数10万人は、この時代では破格の規模です。当然、利権に群がる輩も多いわけで運営には苦労しています。


>『N』の文字が刻まれた封蝋を開封

元ネタは『R』です。

こんなことをやらかしたのは、当然平成会の格闘モブです。悪ノリにもほどがあるだろ(汗


>梨本宮守正王

史実ではひげの宮様として有名。

戦後にA級戦犯容疑で引っ張られましたが、関係者曰く『過去の人』で皇室への恫喝のために捕まった不幸な人。この世界でも本人が与り知らないとことでネームバリューを利用されています。


>諸手刈

別名足取り投げ。

決まれば一瞬で勝負を決めれるので、テッド君は好んで使っています。


>片足挫返

いわゆるアキレス腱固め。

諸手刈で倒してから片足挫返へ移行するのがテッド君はお好き。


>ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア

モルガン商会会長にしてテッド君の怨敵。

現在は有能さを買われて英国の金融界で辣腕を発揮していますが、今回の裏工作で顧客の運用資金に手を付けてしまったのでテムズ川に浮かぶ日も近いかも?


>スパンコールスーツ

スパンコールを縫い付けたスーツ。

光が当たるとキラキラ光るので悪目立ちします。


>天竜(身長187cm 体重116kg)

元大相撲関脇。

史実では植芝盛平に投げられて弟子入りした逸話が有名。この世界でも弟子入りする可能性は微レ存あるけど、あんな負け方をしたら厳しいかも。


>植芝盛平(身長156cm 体重75kg)

史実における合気の伝説的存在。

この世界でもチートしてますが、過去にテッド君と対戦経験(変態世界格闘技事情―バーティツVS日本武道編―)があったりします。ちなみに、身長と体重はこち亀の両津勘吉よりも上(身長152cm 体重71kg)だったりします。


>今上天皇

史実の昭和天皇は無類の相撲好きで生涯に71度も大相撲を観戦されています。

横綱高見山を贔屓にしていたことでも有名です。


>牛島辰熊(身長182cm 体重100kg)

史実では鬼の牛島と呼ばれた柔道家。

柔道史上最強を謳われる木村政彦の師匠としても有名。ゴールデンカムイのチンポ先生のモデルだけあって、いろいろとヤバい人でした(滝汗


>木村政彦(身長170cm 体重85kg)

牛島から鬼の名を継いだ最強柔道家。

師匠に負けず劣らず頭のおかしい逸話に事欠かないヤバい人。プロレスへの転向と八百長疑惑で柔道の歴史から抹殺されていましたが、最近になって復権しつつあります。


>バーティツ使いの高弟

テッド君の弟弟子にあたります。

員数合わせでしたが、そこそこの実力はありました。相手が悪かったとしか言いようがありません。


>まるで鉄棒を相手にしてるみたいだ

史実でも同様の経緯で天竜は植芝に投げられています。当の本人がわけわかめなのですから、外から見れば魔法にしか見えないでしょう。


>この世界の大日本武徳会は設立当初から平成会が後援していた。

自援SS『変態世界格闘技事情―バーティツVS日本武道編―』参照。


>陸これ

平成出版が二匹目のどじょうを狙ったカードゲーム。

元ネタはりっくじあーすだったりします。


>オープンフィンガーグローブ

拳サポとは違い、指の部分に穴が開いていて掴むことが出来ます。

見た目はスト2のリュウやケンが装着している拳サポに近いです。


>三戦

剛柔流などの那覇手系統の流派では基本中の基本の構え。

列車の中とかで吊り革に頼らず三戦立ちで耐えるとかっこいい……ってのは、おいらだけかなぁ?


>腕緘

大外刈りと並んで木村の得意技。

大外刈りは失神者が続出し、腕緘も脱臼者続出で禁じ手になったとのこと。これだけでもヤバ過ぎるのに、剛柔流空手の師範代クラスで打撃もいけるとかチート過ぎるじゃろ……(滝汗


>牛島は身長182cmで体重100kg

写真から推定した数値だったりします。

身長はともかく、体重はもっとあるんじゃないかなと思ってます。

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― 新着の感想 ―
まんまKOFすぎい! しかしステッキありなんかw 本物のバーリトゥードだなw そして引っ張り出されるテッドくん乙。 もう多分40過ぎだというのにw モルガンの刺客全員一回戦負けは大爆笑www 向こう…
>国際バーティツ連盟日本支部  この支部独自の派生技として、ステッキに仕込んだ仕込み杖による居合斬りが追加されそう。本場のイギリスじゃステッキの握りとか傘の柄をくり抜いて鉛を流し込んで重くして凶器化す…
>主人公を肉体的にアクションさせるのは作者のストレス解消になります (帰国後) 主人公を肉体的にアクションさせるのはマルヴィナ、おチヨのストレス解消になります
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