変態日本御遊戯事情―カラオケ編―
「もう嫌だっ!? いい加減お家帰るっすーっ!?」
「終電はとっくに過ぎたぞ。もうアキラメロン」
「やれやれ、若いねぇ。俺も配属されたときはこういうリアクションだったわ」
1938年2月某日深夜1時。
永田町の不夜城こと、内閣調査部は本日も平常運転であった。
「なんで先輩方は平然としてるんっすか!? もう1週間も帰れてないんですよ!?」
しかし、配属されて1年未満の新人モブのSAN値はガリガリに削れていた。
具体的には5ポイントのSAN値を喪失して、アイデアロールに成功したといったところであろうか。
「この程度で音を上げるとは、まだまだだなルーキー」
「そうそう。1ヵ月帰れなくてゾンビ化するところからが本番だぞ?」
「何を言ってるか分からないし理解したくもないけど、嫌な予感しかしないっすよ!?」
新人モブは本能的に理解することを放棄した。
理解してしまったら不定の狂気に陥ったあげくにトラウマと化していたであろう。彼は賢明であった。
「ま、これ以上根を詰めてもしょうがないだろう。ちょっと銭湯にでも行かないか?」
「「「賛成!」」」
新人モブはもちろんのこと、その場にいたモブ全員が同意する。
なんのかんの言っても、彼らも心身的に追い詰められていたのである。
「ふぅぅ……生き返るぅ……」
「サウナと水風呂のコンボは効くぜ……」
「この時間だと貸し切りみたいで気分がいいな」
『カポーン』と効果音が聞こえてきそうな大浴場。
深夜にも関わらず、スーパー銭湯『霞湯』は平常営業であった。
「いやまぁ、疲れは取れるんすけどね。内に溜まったストレスはどうにもならんと思うんっすよ」
いかにも体育系でございとばかりに、ごつい肉体の新人モブ。
タオルを巻いただけの状態でコーヒー牛乳を一気飲みする。
「言わんとすることは分らんでもないが。漫喫じゃダメなのか?」
隣に立つ先輩モブは、腰に手を当ててイチゴ牛乳を一気飲みする。
面倒見の良い彼は新人モブの相談に乗っていたのである。
「あれはストレス解消にはなっても、ストレス発散にはならないんっすよ……」
内閣調査部の福利厚生は当時としては非常に充実していた。
それだけスタッフが激務に晒されるということでもあるのだが。
「ふむ、メンタルヘルスのスタッフでも雇うべきか?」
「そうじゃなくて! 単純にストレスを発散する手段を用意して欲しいんっすよ!」
幸か不幸か、内閣調査部のモブは文系ばかりであった。
当然ながら福利厚生も文系向けとなってしまい、体育会系の新人モブには受け入れがたいものとなっていたのである。
「ストレス発散なぁ……具体的にはどんなのが良いんだ?」
「絶叫マシンとか?」
「この時代にあるわけないだろ。浅草の花やしきにジェットコースターすら無いんだぞ」
日本初の遊園地である『浅草花やしき』は既に存在していたが、この時代は動物園に遊戯機器が設置されているに過ぎなかった。日本で現存最古のローラーコースターは戦後になってから設置されたものなのである。
「バンジージャンプはどうっすか?」
「ゴムロープの開発が必要になるが、実現性は高そうだな」
「じゃあ、それで……!」
「場所の選定とジャンプ台の設置が必要だから今すぐというわけにはいかないと思うぞ?」
この世界におけるバンジージャンプは、平成会愛知県人会の手によって実現することになる。バンジー用の安全なゴムロープの開発に意外と手間取ってしまい、10年もの歳月を浪費することになるのであるが……。
「良いアイデアと思ったんっすけどねぇ……でも、バンジーのためだけに遠出するのも考えものっすね」
「近所でバンジーするなら中国のマカオタワーみたく、東京タワーからバンジーするという手もあるが……まぁ、無理だろうな。お役所が許可を出すとは思えん」
先輩モブの予言は的中することになる。
後にバンジージャンプは日本中で流行することになるのであるが、東京タワーからのバンジーを所轄の逓信省は絶対に認めなかったのである。
「買って来るぞと勇ましく~っと、くらぁ」
思い悩む二人の目の前を赤ら顔のおっさんが通り過ぎていく。
酒が入って上機嫌なのか、歌詞らしきものを口ずさんでいたのであるが……。
「そうだ。カラオケにしよう!」
先輩モブに電撃の如き天啓が舞い降りたのはその瞬間であった。
生前はストレス発散でカラオケに通い詰めていたのである。
「カラオケっすか。良いっすね!」
その手があったか、とばかりに新人モブも賛意を示す。
彼もまた生前はカラオケに通い詰めていた。ブラック社畜な先輩と違って合コンの打ち上げがメインではあったが。生前の新人モブはリア充であった。
「よし、そうと決まれば行動あるのみ。ついてこいルーキー!」
「はいっす! お供するっすよ!」
この世界でカラオケの概念が具体化した瞬間であった。
しかし、その実現には幾多もの困難が待ち受けていたのである。
「……それで、僕に相談しに来たわけ?」
テッド・ハーグリーヴスは目を丸くしていた。
大使館を抜け出して同人誌を読んでいたら、唐突に先輩&新人モブに相談されたのであるから。
漫画喫茶『キャッツアイ』は深夜の永田町で営業している数少ない店舗である。
内閣調査部の福利厚生に組み込まれている店舗ではあるが、一般人も利用可能で紅茶とコーヒーの美味しさには定評があった。
これだけなら普通の喫茶店なのであるが、キャッツアイには関係者だけが利用出来る特典が存在した。店舗の大部分を占める膨大な書庫に収蔵された同人誌を好き放題に読むことが出来るのである。
しかし、収蔵された同人誌を維持管理するにはそれなりに費用がかかる。
少しでも維持費を捻出するために喫茶スペースが一般人にも開放されているのである。とはいえ、深夜の永田町では一般客は絶無であったが。
ちなみに、テッドが入り浸っているのは開店資金が彼の財布から出ていたからである。スポンサーの趣味嗜好がモロに反映されており、某アニメで出て来た新宿にある喫茶店そのものな外観になっていた。
「そういうことなら、こんなのはどうかな?」
そう言って、テッドは懐から手のひらサイズの金属の箱を取り出す。
箱の側面にはメカニカルなスイッチと、何かを差し込むような数ミリ程度の穴が存在していた。
「えっ、この世界だともう実用化されてるんっすか!?」
「いくらなんでもチートすぎだろう!?」
驚愕するモブたちであるが、それも当然であろう。
テッドが取り出したのは史実のウォークマンもどきだったのである。
史実のウォークマンは音楽を携帯し気軽に楽しむという文化を創造した。
手のひらサイズが実現したのは当時のソニー技術陣の努力の賜物であったが、コンパクトカセット規格を採用したことも大きい。
史実のコンパクトカセットはオランダの電機メーカーであるフィリップス社が1962年に開発した。しかし、この世界の英国では第1次大戦前には既に実用化されていたのである。
(もともとはMI6がどうしてもって言うから召喚しただけなんだけどね)
騒ぐモブズを見て複雑な表情となるテッド。
この世界におけるコンパクトカセットの用途は盗聴――もとい、会話の録音目的だったのである。
戦前の大規模召喚によって顕現したコンパクトカセットは、MI6の情報収集に大いに役立てられた。録音に特化したデバイスとセットで運用することで重要な情報を盗聴しまくったのである。
コンパクトカセットはフェライトを素としたオーディオ用磁気記録テープ媒体の規格であるが、この世界の英国ではパラメトロンコンピュータが実用化されたことでフェライト関連の技術が発達していた。その技術を応用することで音質の改善と長時間の再生録音に耐えるカセットが実用化されたのである。
この世界のコンパクトカセット規格はオーバーテクノロジー扱いとされ、存在そのものが秘されていた。その恩恵にあずかれたのは、これまではMI6のみだったのである。
しかし、既に召喚から20年以上経過していた。
盗聴目的にはMI6が独自開発したミニカセットが既に主流になっており、テッドの強い嘆願もあってOT指定から解除されたのである。
好きなタイミングで好きな音楽が聴けることは、劇場の生オーケストラにも勝るものであった。ウォークマンを欲したからこそ、テッドは円卓に圧力をかけたのである。
「こらこら。それは試作品なんだから手荒に扱わない」
「あっ、すいませんっす……」
ガチャガチャ弄繰り回していた新人モブは慌てて手を引っ込める。
『play around man』と名付けられた画期的なポータブル音楽プレイヤーは、テッドの思惑に反して試作品止まりであった。
コンパクトカセット規格のOT指定が解除されたことを受けて、テッドは円卓の技術陣を総動員してウォークマンもどきの開発に邁進した。幾多の技術的困難を克服したあげくに完成したのであるが……。
『ドーセット公、申し訳ないがこれの販売は許可できない』
『なんで!? コンパクトカセットはOT指定解除されてるでしょうが!?』
『カセット自体は問題無いのだが……』
『じゃあ、なんで!?』
『……再生機器に使用されている技術のOT指定が解除されていない。だから販売は不可能だ』
『なん……だと……』
完成したウォークマンもどきは円卓によって販売不可とされてしまった。
カセットはともかくとして、再生機器に使用されているトランジスタ技術がもろにOTだったのである。
「本体は機密だけど、中身はそうでもないからコイツをカラオケの音源に使えば良いよ」
テッドは音楽プレイヤーから中身を取り出す。
その見た目と大きさは史実のコンパクトカセットそのものであった。現物を召喚して商品化したのだから、当たり前と言えば当たり前であるが。
「ありがたいことなのですが良いのですか? これって、イギリスの特許なんじゃ……」
恐る恐るといった様子でカセットを受け取った先輩モブ。
念押しするように特許について確認する。
「特許権ならとっくに消滅しているよ。実用化されたのは20年以上前の話だし」
対するテッドは事もなげであった。
数年前にOT指定を解除されたコンパクトカセットは、英国の音楽分野で急速に浸透していたのである。
「技術的な仕様書は後でそっちに届けるよ。そちらで独自に改良しても良い。魔改造はそっちの得意分野でしょ?」
「その副産物をドーセット公は美味しくいただくと」
「意外とセコいっすね……」
テッドは日本お得意の魔改造に期待していた。
技術を与えればカラオケ以外にも役立つものを作り出してくれると信じていたのである。
「そういうことならば、ありがたくもらっていきます。よし、帰るぞルーキー……って、どうした?」
「いや、先輩!? 窓に! 窓に!」
「えっ? なぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
普段の口調をかなぐり捨てた新人モブの絶叫。
その目線を追った先輩モブも絶叫することになった。
『『……』』
道路側に面したキャッツアイの大きな窓に貼りつく大柄な褐色美人と小柄な大和撫子。その様子は幽霊の如しである。これは怖い。
「ドーセット公!? これはいったい……」
先輩モブは向き直るが、既にテッドはいなかった。
新人モブが悲鳴を上げた瞬間に逃走していたのである。
『なにぃっ!? 正面は囮だったのか!?』
『ご当主さま、門限はとっくに過ぎております。帰りましょう』
『嫌だい嫌だい! たまには静かに夜を過ごしたいんだ僕は!』
『ならば実力行使です。あなた達、やっておしまいなさい』
『あっ、ちょっ!? 多勢に無勢とは卑怯って、止めて縛らないでーっ!?』
裏口から聞こえてきた悲鳴を二人は無視する。
触らぬ神になんとやら。テッド絡みのトラブルには関わらないのが平成会のモブに伝わる鉄則であった。
「相変わらずここのコーヒーは美味いっすねぇ。カラオケでも飲んでみたいっす」
「カラオケにコーヒーは無いだろう。だが、サイドメニューの充実は有りだな」
テッドの悲鳴をBGMにしながら、カラオケの構想を練るモブズ。
この世界におけるカラオケの実現にまた一歩近づいたのは事実であるが、それでもなお実現には多くの困難が存在していたのである。
「なんというか、見た目が武骨というかプロトタイプ臭がするというか……」
「実際、試作機なんだから見た目は勘弁してくれ」
「というわけでカセットオン! ポチっとな!」
平成計算機工業の技術開発部。
その一室では、カラオケの試作機がお披露目されていた。
「うーん、これはちょっとなぁ……」
「音質が悪すぎる。イヤホンで聴くのならともかく、スピーカーで大音量で再生するとノイズが無視出来ん」
「マイクが拾うノイズも気になるなぁ。まだまだ改良の余地ありだなぁ」
残念なことに試作機の性能は期待を下回るものであった。
平成の世で通信カラオケを歌いまくったモブたちからすれば、音質の酷さは許容出来るものではなかったのである。いくらなんでも比較対象がアレ過ぎるような気もするが。
昭和のイメージが強いコンパクトカセットであるが、平成時代になっても現役であった。CDに音質的にはかなわなかったものの、その使い勝手の良さで根強い需要があったのである。
「ちゃんと仕様書通りに作ったんだよな?」
「ドーセット公から提供された仕様で再生機器は製作しています。問題は無いはずですが……」
「うーむ、カセットの音質ってこんなものだったか? ラジカセで再生したときはもっとマシだったような気がするのだが。思い出補正ってやつかねぇ」
そんなわけで、コンパクトカセットの音質を知るモブは多かった。
しかし、思い出補正を抜きにしても試作機で再生された音楽はノイズまみれだったのである。
「思い当たる原因は無いのか?」
「再生ヘッドの設計の煮詰め不足かと」
「真空管と蛍光表示管で回路を構築したのも原因かもしれません。オリジナルはトランジスタやICを使ってましたからね」
「テープの特性もあるな。俺らの時代にはメタルテープも実用化されていたが、このテープはノーマルっぽいし」
さすがというべきか、技術モブたちは原因を突き止めていた。
あとは改善するのみなのであるが……。
「待ってください。このままコンパクトカセットを改良したとしてもCD並みの音質は不可能です」
しかし、ここで技術モブの一人が懸念を表明する。
史実のコンパクトカセットはあくまでも会話録音用の規格であり、ハイファイオーディオ用途において当時のメーカー及び消費者が性能や音質に疑問を抱いたことは事実なのである。彼の懸念は間違ってはいなかった。
「じゃあ、どうすれば良いんだ?」
「デジタル音質を追求出来ないのであれば、アナログ音質を極めるしかありません」
「具体的には?」
「それはもちろん、オープンリールです! 21世紀になっても生き延びているアナログ音質の最高峰ですよ!」
ここぞとばかりに力説する技術モブ。
生前の彼は度を越したオーディオマニアであった。
「オープンリールってあれか? 昔の映写機みたいなやつ」
「磁気テープ剥き出しなヤツだろ確か」
「却下だ却下。あんなクソ嵩張ってセットが面倒なのをカラオケで使えるか」
「そんなぁぁぁぁぁっ!?」
当然というべきか、オープンリールは問答無用で却下された。
音質は文句無しであったが、使い勝手という観点からは問題が山積みだったのである。
「いや待て。オープンリールは論外だが、オープンリールに匹敵する規格があったはず。こ〇亀でネタにされてたぞ!」
「思い出した! エルカセットだ。確かにあれなら音質はオープンリールに勝るとも劣らない。しかもカセットだから使い勝手も悪くない」
エルカセットは『オープンリールの音を、カセットに』という開発思想の下に当時のソニー、松下電器、ティアックが提唱した音楽規格である。見た目はコンパクトカセットを二回りは大きくしような外見であり、当然ながら互換性は存在しない。
コンパクトカセットの利便性とオープンリールの音質を兼ね備えた音楽用として実用に耐えるカセットテープシステムという触れ込みで商品化されたのであるが、諸々の事情でコンパクトカセットに取って代わることは出来なかった。
史実では負け組なエルカセットであったが、カラオケの音源にCD並みかそれ以上の音質を求めていた技術モブたちには関係無いことであった。ただちにオーディオマニアだったモブが招集されてエルカセットの仕様再現に血道をあげることになったのである。
「……で、完成したのがコイツというわけか」
「なんかジュークボックスみたいっすねぇ……」
数か月後。
エルカセットに対応したカラオケ試作機2号機が内閣調査部でお披露目されていた。
「構造的には似通ってますよ。複数のエルカセットを内蔵していて、番号を選択すると対応するカセットがセットされる仕組みです」
試作機を持ってきた平成計算機工業のスタッフが新人モブの疑問に応える形で説明を加える。その後ろでは、技術モブたちが2号機の設置に大わらわであった。
「ところで、どんな曲が入ってるんだ?」
「それは聞いてみてのお楽しみということで。早速再生してみましょう。ぽちっとな」
ジュークボックスのボタンを押すと、メカニカルな作動音と共にエルカセットが挿入された。そして、十数秒の沈黙の後にエルカセットの再生が開始される。
「これはヤクルトの応援歌!? レコードで聞いたことあるけど、むっちゃクリアだな!?」
「そういえば、この時代にはもうあったんだな」
「俺よく歌ってたけど、こんな歌詞があったんだ。初めて聞いたぞ」
「歌ってるの女性なのか!? 名前からして男だと思ってた……」
これがいわゆる普通(?)のモブの反応であった。
CD並みの音質に彼らは十分に満足していたのである。
「なんだこれ!? CD並みにノイズが無いだけでなく音に伸びがある!?」
「音に温かみがあるのは真空管アンプを使っているからだろうな」
「なんでこれで天下が取れなかったんだ……あの時代の俺らの耳は節穴かよ……」
オーティオマニアなモブたちは、その音質に驚愕した。
アナログの極みとでもいうべき音質を彼らの鋭敏な聴覚は見逃さなかったのである。
「サンプルでこのレベルということは本命は期待出来るな!」
「他に何を入れてるんだ!?」
「史実のアニソンとJ-POPのカラオケメドレーを作ってきました。音質は先ほどのとおり保証済み。きっと満足していただけるかと」
「でかした! おい、コンビニ行って適当な酒とツマミを買ってこい。明日は日曜だし、オールナイトで歌うぞ!」
「「「おおおおおおおっ!」」」
まだ帰ろうと思えば帰れる時間帯なのに、迷わずお泊まりを選択してしまう内閣調査部のモブたち。生前はゆとり世代だったくせに、すっかりブラック社畜な根性が身についてしまっていた。
「……えっ、いや、そういうわけでは……はい、はい。申し訳ございませんでした」
「いや、睡眠妨害とかそういうのではないです! えぇ、えぇ、誠に申し訳ございません」
「日曜日の朝だってのに抗議の電話が殺到している。もう勘弁してくれぇ!?」
オールナイトの即席カラオケ大会の代償は大きかった。
翌日が日曜日だったというのに、クレームが殺到して対応に追われることになったのである。
『なんだこの見積もりは!? 防音ルームを作るのって、こんなに高いのか!?』
『施工業者の話だと、このビルに防音設備を捻じ込むよりも一から作ったほうが早いし安上がりだとのことです』
『仮にこのビルに施工したとしても音響が心配になるな。歌声が響かないとカラオケで満足感が得られないし』
『だったら、本格的なカラオケボックスを作るしかないよなぁ?』
今回の事態に懲りた内閣調査部は周囲を憚ることなく思いっきり歌えるスペースを欲した。カラオケ狂いなモブたちが結託して、本格的なカラオケボックスの建設に動き出したのである。
「……で、是非とも内閣調査部さんにお願いしたいのですが」
「そうは言われましても、それはうちの所管外です」
「いやいや、内閣調査部と言えば総理の懐刀とまで言われてるじゃないですか。やってやれないことは無いのでは?」
「いや、ですから……」
とある日の内閣調査部。
会議室ではモブたちが対応に追われていた。
内閣調査部はメディアに露出しているわけではないのであるが、目端が利く連中には目を付けられていた。野心に燃える企業家や軍人がひっきりなしに訪問してくるのである。
「ふぅ、やっと帰りやがった……」
午後9時。
この日最後の来訪者が帰ったことで会議室は静けさを取り戻していた。
「お疲れ様っす。センパイ」
「おぅ、サンキューな」
ゲンナリした表情の先輩モブに温タオルと缶コーヒーを差し入れる新人モブ。
顔をタオルで拭い、激アマ缶コーヒーを一気飲みするとすっきりした気分になった。
「今日はどうします? 直帰するっすか?」
「いや、今日は思ったよりも早く終わったし。行かないか?」
「良いっすね!」
男同士、永田町、21時、何も起きないはずがなく。
先輩新人モブは夜の永田町に繰り出したのである。
「いらっしゃいませ……って、客じゃないのか。接客して損した」
「むしろ客が来たことあるのか?」
「あるわけないだろう」
二人が向かった先は近所のカラオケボックスであった。
手続きを済ませた二人は、受付スペースを出て空いている部屋に入室する。
カラオケボックスの見た目は空地に鉄道コンテナが並んでいるだけである。
この時代の人間には理解出来ない光景らしく、周辺住民からのウケは悪かった。
内閣調査部と平成会の有志たちのカンパによって完成したカラオケボックスはキャビン型カラオケボックスであった。これは史実のカラオケボックス黎明期に多く見られた形式であり、全棟が独立構造なのが特徴である。
モブたちがキャビン型を選択したのは安く作れるからであった。
史実のカラオケボックス黎明期も同様の理由で船舶コンテナや国鉄コンテナを用いたカラオケボックスが多かったのである。
風が吹けば桶屋がなんとならで、弾丸列車計画がカラオケボックスを作るうえで追い風となった。鉄道省内部では弾丸列車に使用する機関車の駆動方式をめぐって蒸気、ディーゼル、電気の3案が火花を散らしていたのであるが、ディーゼル推進派が打ち出したコンテナ規格の統一で史実の31ftコンテナが既に実現していたのである。
トラックの輸送を前提とした31ftコンテナは船舶コンテナよりは小さかったものの、それでも十分なスペースがあった。鉄道省に以前恩を売ったこともあり、ロハでコンテナを手に入れた内閣調査部はコンテナに徹底的な防音設備を施してカラオケボックスを開店したのである。
『……うー! にゃー!』
マイク片手に熱唱する新人モブ。
ソファに座る先輩モブは、次に歌う歌を決めるべく曲名リストのチェックに余念が無かった。
「よし、次は俺だな」
先輩モブがカラオケ機のスイッチを操作する。
曲が止まり、ガチャガチャと内部のエルカセットが交換される。
カラオケ機内部には演歌、アニソン、J-POPの3種類のエルカセットがセットされていた。90分のテープにジャンルごとに録音されており、歌い手はジャンルと曲名リストから曲を選択する仕組みになっていた。
「お、始まったな」
ジャンル選択後にテンキーで番号を入力すると自動的に頭出しされて曲の再生が始まる。エルカセットにはコントロールトラックエリアが設けられており、頭出しが容易かつ短時間で選曲可能であった。
『……恨みまーすー!』
コブシを効かせて絶叫する先輩モブ。
相当にストレスが溜まっていたのであろう。
「すみませーん、ポテトの盛り合わせとビールの中ジョッキ2杯追加っす!」
そんな先輩モブを生暖かい目で見つつ、新人モブは内線でメニューの追加を頼んでいた。カラオケボックスの受付は厨房も兼ねており、簡単な調理が可能な仕様になっていたのである。
「ったく、どこぞの牛丼屋じゃないんだぞ!?」
愚痴をこぼしながら調理する受付モブ。
実質的に内閣調査部の福利厚生であり、しかも夜の永田町で客が来る可能性は絶無。ワンオペになってしまうのは必然と言える。
ちなみに、カラオケボックスの受付は内閣調査部のモブの持ち回りであった。
客が来ないから暇を持て余すかと思いきや、仕事終わりにモブが殺到されると死ぬほど忙しくなるので罰ゲーム扱いされていたのである。
「お、今日のポテトは美味いっす。当たりっすよ!」
「あの野郎、文句が多いわりに料理は上手いんだよなぁ……」
喉休めに注文したフライドポテトを貪る二人。
塩気の効いたポテトに、キンキンに冷えたビールが美味い。
『ピザは無いのかピザは!?』
『揚げワンタンはー?』
『おつまみメンチ食べたい!』
『ドリンクバーは無いのか!?』
しかし、すぐにサイドメニューに不満が爆発することになった。
生前は無駄に舌が肥えていたモブたちは、ポテトやから揚げ程度では到底満足出来なかったのである。
カラオケボックスのサイドメニューの改善は内閣調査部の総意と化した。
誰だって歌いながら美味しい料理を食べたいのである。
土地に余裕はあるので厨房を拡大して料理人を雇えば解決する話なのであるが、そんなことをすれば大赤字確定なので却下された。福利厚生と割り切っていても限度というものがある。
『おい、注文来たぞ! ミラノ風ドリア3つとミックスグリル4つだ!』
『あいよーっ!』
そこで考えられたのが、近所のファミレスからのデリバリーであった。
カラオケボックスの受付からファミレスへ注文、完成したメニューはオート3輪でデリバリーされたのである。
『おーい、注文するけどそっちも何かあるかぁ?』
『おい、隣が注文するってよ。何か欲しいのあるか?』
『あっ、うちも注文するぞ!』
なお、サイドメニューはなるべく注文をまとめることが推奨されていた。
いくら近所からとはいえ、デリバリーに使用しているオート3輪の最大積載量はバイク便とは桁が違う。少しでも燃料代を抑えるべく自助努力が為されたのである。
「いらっしゃいませ……えええええええええっ!?」
とある日の深夜のカラオケボックス。
暇を持て余していた受付モブは驚愕することになった。
「やぁ、来ちゃった」
グレー色のヘビーコートに同色のボルサリーノ。
衿の大きなアルスターカラーが目立っていた。
「あ、受付はこれかな。日本語じゃないとダメだよね? さらさらっとな」
受付モブが硬直しているうちに、コート姿の紳士――英国全権大使さまは受付を済ませてしまう。そして、にっこり笑って一言。
「分かってるとは思うけど、僕がここに居ることを話したらダメだよ? 分かってるよね?」
念押しするテッドに受付モブは首を縦に振るしか無い。
上機嫌で去っていく彼の背中を見守るしか無かったのである。
『もしもーし? カルボナーラとハンバーグステーキ、チョコレートケーキと紅茶を頼むよ』
程なくして、テッドから内線でサイドメニューの注文が入る。
深夜だというのに、なかなかにヘビーなメニューである。
「サイドメニューの注文です。メニューは……」
受付モブはメニューをメモすると即座にファミレスへ電話する。
以前は厨房に立つ必要があったが、今は右から左に注文を流すだけである。楽なものであった。
『……でメニューは以上ね。了解したわ』
受話器から聞こえてきたのは流暢ではあるが、少しなまりが感じられた。
とはいえ、普通に聞いたら分からないレベルではあった。
しかし、受付モブは別の違和感を感じていた。
注文を受けたファミレスのコックの声があきらかに女性だったのである。
(気のせいか? 女性のようだったけど。女性のコックも最近じゃ珍しくないのかもな)
受付モブが迫り来る災難を回避するには、このタイミングしか無かった。
回避を試みても、実際に逃げられたのかは甚だ疑問であったが。
「お? 来たか」
受付モブはデリバリーのオート3輪がやってきたのに気付く。
空冷4ストローク単気筒の騒々しいエンジン音は、建物の中に居ても聞こえてくるのである。
「「ご注文の品をお持ちしました!」」
デリバリー係を見た受付モブは硬直する。
受付スペースに入ってきたのは、ファミレスのウェイトレス服に着込んだ二人組の女性だったのである。
「メニューはどの部屋に持っていけば良いの?」
身の丈2mに迫る体躯にスイカップを装備した褐色美女が受付モブに迫る。
言うまでも無く、テッドの正妻であるマルヴィナである。
「早く持って行かないと料理が冷めちゃいます。何処ですか?」
もう一人の大和撫子――愛人枠の伊藤チヨが受付モブに笑顔で凄む。
小柄に見えるが隣の相方がデカすぎるだけである。体格とプロポーションはモデル顔負けであった。
(怖ぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?)
正妻愛人コンビに迫られて受付モブは失禁寸前であった。
恐怖のあまり喋れなくなってしまい、必死になって部屋の番号を指差す。
「ありがとう。じゃあ持っていくわね。ちょっと騒々しくなるけど通報はやめたほうがいいわ」
「お互いに余計な仕事は増やしたくないですよね?」
「は、はひ……」
受付モブは二人の背中を見送ることしか出来なかった。
人は時として無力である。というより、この二人に勝てる人間がいるのか甚だ怪しいものであったが……。
『やっと来た! 遅いってぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?』
5分も経たずに聞こえてくるテッドの悲鳴。
扉が閉められたのか声が聞こえなくなってしまう。
「……」
怖いもの見たさで問題のコンテナに接近する受付モブ。
つい先ほど怖い目に遭わされたばかりだというのに、その根性は大したものであった。
『……もっと……あぁ……いぃ……』
『……うぎっ……もうっ……やめっ……っあー!?』
『……さぁん。後ろ……うふっ……』
コンテナの側壁に耳を当てれば聞こえてくるのは嬌声であった。
声だけでなくコンテナ全体が揺れていた。内部でどれだけの運動をすればコンテナが揺れるというのか。
中の惨劇が想像出来たのか、受付モブはそっとコンテナから離れる。
その後は何食わぬ顔で受付業務を続けたのであった。
「……あ、お会計ですね。今計算しますので」
3人が出て来たのは4時間後のことであった。
別人のようにやつれたテッドは、妙にツヤツヤしている正妻と愛人によって両脇を固められていた。
「釣りはいらないわ」
料金を計算する前にマルヴィナが札束を放り投げる。
新札に帯がしてあり、ビンタ出来そうな分厚さである。
「そんな、いただけませんよ!?」
「迷惑料とクリーニング代込みよ。これで十分でしょう」
「えっ、いや、しかし……」
受付モブを無視するように3人は去っていった。
しばし呆然としていた彼は、気を取り直して部屋を確認したのであるが……。
「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁ!?」
受付モブは、コンテナ内部を見て絶叫することになった。
食い散らかされたサイドメニュー、そこら中に飛び散る謎の液体、その他諸々でまるで爆撃に遭ったような惨状を呈していたのである。
『僕のせいじゃないのにーっ!?』
『そもそも、テッドが抜け出すのが悪いんじゃないの』
『テッドさん。この際ですから、大使館の中にカラオケボックスを作りましょう!』
テッドと正妻愛人コンビはカラオケボックスを出禁にされた。
清掃が終わるまでカラオケボックスを営業不能にしてしまったのであるから、これでも温情的な措置と言えなくもない。最悪の場合、営業妨害で訴訟に発展する可能性もあったのだから。
「いらっしゃいませ」
今日も今日とて平常営業なカラオケボックス。
この日は真昼間にも関わらず来客があった。
カラオケボックスは内閣調査部の福利厚生施設ではあるが、漫喫と同じく一般人にも開放されていた。少しでも赤字を補填する目的であることは言うまでも無いことである。
「……」
グラサンとマスクという怪しすぎる出で立ちの女性。
受付を済ませると、そそくさとボックスへ向かっていく。
(どこかで見たような気がするんだよなぁ)
顔の大部分が隠れてはいたが美人なのは間違いない。
ハイセンスで金のかかった服装と相まって、一般人ではないのは確実であろう。
『……ホットレモネードをお願いするわ』
受付モブの思案を中断させたのは内線であった。
美しいソプラノボイスに聞き覚えがあったのである。
「まいどー。サイドメニュー持ってきましたー」
「ご苦労さん。今回は俺が持っていくから」
「そりゃまたどうして?」
「モロに変装してたからな。多少は配慮してやらないと」
配達された料理をデリバリー係から奪い取る受付モブ。
もっともらしい理由を付けているが、半分は本当で半分はウソであった。
「ホットレモネードをお持ちしました」
「ありがとう。テーブルに置いておいて」
ドリンクを持って来た受付モブを出迎えたのは、華やかな美貌とソプラノボイスであった。さすがに室内ではサングラスもマスクも外していたのである。
「……どうしたの?」
「あの……その……」
ドリンクを持って来たのに立ち去ろうとしないことに怪訝な表情となる女性。
その瞬間に受付モブは動いていた。
「こっ、小林千代子さんですよね!? サインくださいっ!」
「なんだ。バレてたのね……」
史実の小林千代子は戦前期に活動した流行歌歌手・声楽家である。
この世界でも多数の大ヒット曲を生み出して、音楽業界の第一線で活躍中であった。
その美声は21世紀になってもネットで聴くことが出来る。
生前の受付モブは彼女のソプラノボイスに惚れ込んでいたのである。
「ところで、なんでこんな場所で歌っているんです? あなたほどの人ならスタジオを貸切ることだって出来るでしょう?」
受付モブの疑問はもっともなことであった。
日本ビクター蓄音器株式会社の看板歌手なのであるから、会社の設備を借りれば済む話のはずである。
「新曲は直前まで隠しておきたいの。でも最近は周囲に不審者が多くてどこから漏れるか分からないわ」
「それでうちに来たというわけですか」
「ここなら人がいないので安心して練習出来るのよ」
「そりゃまぁ、ここに来る客は絶無でしょうからね」
小林がカラオケボックスに目を付けたのは、その秘匿性故であった。
いったんコンテナに入ってしまえばバレることは無い。防音設備が充実しているので、思う存分新曲の練習が出来るのである。
「……ちょっと気になったんですが、カラオケ機を使ってるんですよね?」
「そうよ。マスターテープを持ってきたのよ」
「なんでテープの出し入れを知っているんです?」
「うちの会社にも同じ機械が入っているからよ。最初はおっかなびっくりだったけど、思ったより簡単よね」
平成計算機工業によって発売されたカラオケ機は、久々のスマッシュヒットとなった。オープンリールよりも扱いやすいことが音楽業界で評価されたのである。
『圧倒的に小さいのにオープンリールに匹敵する音質とは素晴らしい!』
『頭出しが簡単で助かる。オープンリールだと職人芸が必要になるからなぁ』
『保管に気を使わなくて大助かりだ。とにかくオープンリールは場所を取るからな』
カラオケ機単体の性能もさることながら、エルカセット自体が放送現場で大歓迎されていた。オープンリール並みの音質でありながらも嵩張らずにコンパクト、堅牢なカセットシェルによって保管に気を遣う必要も無い。結果として放送現場の労働環境改善に一役買っていたのである。
「……このところ通報が多いんです。いい加減なんとかしてもらえませんかねぇ?」
永田町を所轄する麹町警察署。
その取調室では、お説教の真っ最中であった。
「そんなことを言われても困るのですが……いったいどうしろと?」
「言いがかりにも程があるっすよ!?」
困惑する先輩モブ&新人モブ。
まさか警察に呼び出されることになるとは思ってもいなかったのである。
こんなことになったのは、カラオケボックスの外観のせいであった。
整地された土地に並ぶ鉄道コンテナもどき。何も知らない人間からすれば怪しいことこのうえない。
「怪しい場所に怪しい恰好をした人間が出入りする。これで通報されないほうがおかしいでしょう?」
「客側の都合にこちらが立ち入るわけにはいきませんよ」
「そんなこと言われても客の恰好にいちいちツッコんでいられないっすよ!?」
カラオケボックスの客層も通報件数が増える原因となっていた。
顔を隠した人間が頻繁に出入りしているのである。傍から見れば怪しいことこの上ない。
顔を隠す必要があったのは客層が売れっ子歌手だからである。
迂闊に素顔を曝そうものなら、熱心なファンだけでなく鬱陶しい記者連中に絡まれることになりかねない。
カラオケボックスは周囲を気にすることなく好きなだけ歌の練習が出来る夢のような環境であった。特に宣伝をしたわけでは無いのであるが、口コミで噂が広がって歌手たちが殺到していたのである。
警察側はカラオケボックスを犯罪の温床の如く扱った。
事あるごとに注意や説教をして、内閣調査部の反感を買っていたのである。
しかし、警察の嫌がらせは長く続かなかった。
つい、うっかりと口を滑らせたモブがいたからである。
「なにをやっとるんだ貴様らはぁ!?」
「「ひぇぇっ!?」」
首相官邸に響き渡る怒声。
警視総監と副総監は、第22代内閣総理大臣鈴木喜三郎に激しく叱責されていた。
史実における戦前の警察は内務省の一部局であった。
そして、この世界の鈴木内閣では総理が内務大臣を兼任していた。つまりは上司と部下の関係なのである。
「内閣調査部は内閣の懐刀にして、同盟国英国との窓口でもあるのだぞ!? 相応の根拠があるのだろうな?」
鈴木は英国との関係を特に重要視していた。
それをぶち壊すような態度を取るそうとする輩を断じて許せなかったのである。
「いやその、それが……」
「こちらで調査したところ現場の先走りのようでして……」
「だったら、しかるべき措置を取らんか! それとも貴様らが詰め腹を切ってくれるのか? それなら構わんが……」
「し、至急手を打ちます!」
転げ出るように退出する警視総監と副総監。
署長の首が挿げ替えられたのは、それから1週間後のことであった。
この世界でカラオケの真価を最初に理解したのは歌手や声楽家であった。
しかし、口コミで徐々にカラオケの楽しさが知れ渡り、雑誌で特集されるようになると一気にブレイクすることになったのである。
1940年代に入ると雨後の筍の如く日本全国にカラオケボックスが出店した。
しかし、その大半は内閣調査部のカラオケボックスを見様見真似でパクったものに過ぎず、機材も防音設備もお粗末なものであった。
カラオケボックスと近隣住民のトラブルが常態化してしまい、社会問題にまで発展するまでに時間はかからなかった。事態を憂慮した平成会は日本平民党を通じてカラオケ関連法案を提出することになるのである。
「レディースアンドジェントルマン! 本日は開店記念イベントへようこそ! さぁ、栄えある一番手は誰だ!?」
お立ち台に立った店主が開店記念イベントの開始を宣言する。
気合の入ったタキシード姿に大仰なアクション。思いっきりノリノリであった。
「「「イェアァァァァァァッ!」」」
ノリノリの店主に対して、客もまたノリノリであった。
エールを満たしたパイントグラス片手に大いに騒ぐ。まだ明るい時間帯だというのに完全に出来上がっていたのである。
「よっしゃあ! 一番手は俺だぁ!」
頭髪の薄いおっさんがお立ち台に上がると、マイクを握りしめて歌い始める。
伴奏も何もあったものではない。そもそも音源すらないのでアカペラである。単なるおっさんのがなり声とも言う。
「次はわたしだな! レコードをかけたまえ!」
続いてお立ち台に上がったのは、如何にも謹厳実直な紳士であった。
きっちりと着こなしたモーニングコートにトップハットという出で立ちはダンディズムの極みであろうが、場違いにも程がある。
「ほぅ……これはこれは……」
古めかしいレコードから昔の民謡のメロディが流れてくる。
持ち歌なのか、件の紳士は自信満々にバラッド・オペラを歌い出す。
バラッド・オペラは英国の演劇の1ジャンルである。
用いられる曲はほとんどが既存の曲であり、民謡や童謡など多岐に渡る。バラッド・オペラに精通していれば、大概の曲に合わせることが出来るのである。それをカラオケと言うべきかは激しく疑問であるが。
「なんだこのコレジャナイ感は……」
カラオケボックス(?)の片隅で、テッドは頭を抱えていた。
あまりにも自分が知っているカラオケと違い過ぎたのである。
ドーセット領にカラオケボックスが出店するというので、無理やり時間を作って視察に来たら酔っ払いどもが騒ぎを起こしていた――何を言っているのか分からないが以下略。
英国のカラオケは『カラオケイベントを開催しているパブで知らない人間の前で歌うタイプ』と『個室を借りて歌うタイプ』に大別されており、テッドの目の前で繰り広げられている乱痴気騒ぎ――もとい、開店記念イベントは前者に分類される。
なお、史実における英国のカラオケは圧倒的に前者が主流である。
パブで酔っ払いが集まってワイワイやるので、カラオケの音源も適当で問題無い。この世界では適当さにターボがかかっており、レコードやバンドの生演奏、果ては演奏無しのアカペラとやりたい放題であった。
テッドとしては、目の前の乱痴気騒ぎをカラオケと認めるわけにはいかなかった。彼にとっては日本式のカラオケこそがスタンダードであり、真のカラオケ文化をドーセット領に広めることを決心したのである。
「いらっしゃいませーっ!」
「ただいま開店記念セール中でーす!」
テッド肝いりのカラオケボックスは娼館街に建てられた。
娼館街で働いている平成会の元過激派モブを客に当て込んでいたのである。
採算を度外視することになるが、テッドは経営が軌道に乗るまでの初期投資と割り切った。モブが利用することで娼館街の住民も釣られてくれることを期待していたのである。実際、娼館街に半ば以上定住しているロイヤルな一家がカラオケボックスに入り浸ることになる。
「今ならサイドメニューが半額ですよーっ!」
「屋台の持ち込みもOKですよ! 是非ともご利用ください!」
娼館街にカラオケボックスを建てたのは、元過激派モブを労働力として期待していたこともあった。普段は屋台で生計を建てているので料理の腕は保証済みであり、そこらのパブとは比較にならないほどサイドメニューが充実することになったのである。
娼館街から始まったカラオケボックスが領内に広まるまで時間はかからなかった。そこからさらに英国本土や植民地にまで広がることになり、将来的には日本へ逆進出することになるのである。
『はぁ!? ドーセット公から200台分の注文が入っただと!?』
『数を揃えるだけでも大変なのに、イギリスまで輸出とか勘弁してくれぇ……』
『だが、海外に販路を拡大するチャンスでもある。絶対にしくるなよ!』
ちなみに、カラオケ機は日本からの輸入の輸入に頼ることになった。
テッドとしてはレーザーカラオケを実現したかったのであるが、例によってOT扱いで表に出せなかったのである。
輸入したカラオケ機を解析した円卓技術陣は、その技術を高く評価した。
使用されている技術が未だ表に出せないOTの代替になると判断したのである。
『これは真空管か? パラメトロンではないのは確かだが。面白い素子を使っているな』
『構造的には3極真空管だな。信号処理に特化して低電圧での作動を可能にしたのか』
『トランジスタには及ばないが、それでもパラメトロンよりは高速化が可能だ。これはいけるぞ!』
特にVFDに円卓の技術陣は熱を上げていた。
政治的な理由でトランジスタの使用を封じられている彼らは、パラメトロンに代わる新たな素子を探していたのである。
この世界の英国のお家芸とも言えるパラメトロンコンピュータは、あらゆる手段で高速化がはかられた。フェライトコアの微細化や水冷化、果てはクラスタ化までなされたがコンピュータ単体での高速化は既に技術的な限界に達していた。
残された手段は並列処理による高速化であったが、これにはアムダールの法則による限界があった。並列処理による高速化は10倍速までが限界で、それ以上は足踏みしている状況であった。
円卓技術陣の見立てではVFDにはまだ発展余裕があり、トランジスタを出すまでのつなぎになると考えられた。英国と日本の技術マッドどもが好き放題した結果、多数のVFD素子を超微細化加工でパッケージング化したICチップもどきが開発されることになるのである。
『このエルカセットというのは素晴らしいな。扱いやすいうえに音質も素晴らしい!』
『これを作っているのは平成会なのだろう? 関係を強化するために合弁会社を打診してはどうだろうか』
エルカセットの音質と扱いやすさも大いに評価された。
こちらもVFDと同様に平成会と提携して世界規格として普及していくことになる。
『エルカセットにデータを保存出来ないだろうか?』
『史実のコンパクトカセットよりは高速大容量のデータ保存が出来るかもしれない』
『サッポロシティ・スタンダードをこの世界でもやることになるのか』
エルカセットの主な用途は当然ながら音楽の録音と再生であったが、マイコンが登場すると平成会の技術陣は補助記憶装置として利用することを思い付いた。この規格は『トーキョーシティ・スタンダード』として世界中で用いられることになる。
『それにしても、今回は思わぬ拾い物でしたな』
『ドーセット公がまたやらかしたかと思ったがな』
『この技術が広まれば世界はより便利になるでしょう』
『トランジスタやCDを何時世に出そうか悩んでいるときでしたからな』
円卓としても今回の事態は歓迎するべきものであった。
史実では日の目を見なかった技術であるから普及しても問題無い。時が来れば本命のトランジスタとCDを発表すれば良いだけである。
『だが、これでドーセット公には召喚を急いでもらう必要が出て来たな』
『切り札を見せるなら、さらなる奥の手を持て……でしたかな。どこの諺かは忘れましたが』
『幸いにして、影武者が優秀だから例の副作用も問題にはならないだろう』
しかし、それはテッドが大規模召喚を急ぐ理由にもなった。
なんだかんだと理由を付けてこれまで延期してきたが、この世界で英国が覇権を握り続けるためには是が非でも召喚してもらう必要が出て来たのである。
『……なんですかこれ? 表紙にタイトルが無いんですけど? ノートにしては分厚いし……』
『いや、今度召喚してもらうリストなのだが』
『ちょ!? ハードカバーの文庫にぎっしり書かれてるぅぅぅぅぅ!? 空母やロケット、トゥエルブナインのフッ酸製造施設!? あんたら節操無さ過ぎだろう!?』
『これでも必要最低限なのだ。我が国の世界戦略のためにもこれだけは譲れんよ』
後に円卓から召喚リストを提供されたテッドは、その分量に顔を青くしたという。それでも過去に約束した手前、断ることも出来ずに召喚することになるのである。
今年初めての更新となります。
今年もマイペースに更新しますのでよろしくお願い致しますm(__)m
>5ポイントのSAN値を喪失して、アイデアロールに成功した
アイデアロールはINT(知力)×5で判定します。
頭がよいほど真実に気づき狂いやすいというゲームの設定が反映されています。
>『カポーン』と効果音が聞こえてきそうな大浴場。
この効果音でお風呂を連想出来る人はらんま1/2を読んだことがあるはず。
>スーパー銭湯『霞湯』
自援SS『変態日本官僚事情―内閣調査部編―』参照。
内閣調査部というより、霞が関の省庁の福利厚生施設です。有能モブが霞が関の官僚を説得して作らせたスーパー銭湯です。
>「買って来るぞと勇ましく~っと、くらぁ」
元ネタは1973年に放送されたゲームバラエティの番組名です。
歌詞じゃなくて番組名なのでセーフですね。
>オーバーテクノロジー
この時代に存在するはずのないオーパーツ、それに関連する技術全般を指します。
テッド君が召喚したものは全て該当します。
>『play around man』
直訳すると遊び歩く人です。
つまりは遊歩人です。おいらは高校の通学時に愛用していました。
>こ〇亀でネタにされてたぞ!
71巻の第2話『無加月くんのツキだめし!の巻』で出てきます。エルカセット以外にもキワモノが登場しますw
>これはヤクルトの応援歌!?
鹿児島県民なおいらとしては、イントロがおはら節なので親しみがあったりします。10番まで歌詞があるのですが、全部歌える人はまずいないでしょうねぇ。
>缶コーヒーを差し入れる新人モブ。
自援SS『 変態日本両替事情―コミケで硬貨が無いとやってられないだろ編―』参照。
この世界の日本では1936年には自販機対応のお札が流通しています。当然、缶コーヒーの自販機もあります。
>キャビン型カラオケボックス
就職で上京する前に母親といっしょに行ったカラオケボックスがこれでした。
空地に古ぼけたコンテナが置いているだけで怪しさ爆発でした。21世紀では絶滅危惧種ですが『ビッグエコー 五井駅前店』のように現在でも営業している店舗はあります。
>弾丸列車計画
自援SS『変態日本鉄道事情―弾丸列車編―』参照。
ディーゼル推進派は弾丸列車の機関にディーゼルを採用することは出来なかったものの、コンテナの規格統一やフォークリフト開発など地味に貢献していたりします。
>近所のファミレスからのデリバリーであった。
自援SS『変態日本官僚事情―内閣調査部編―』参照。
予算超過&会計の不正処理で内閣調査部が会計検査院に睨まれる原因になりました。
>オート3輪の最大積載量はバイク便とは桁が違う。
この時代の代表的なオート3輪『ダイハツHD型』は空冷4サイクル単気筒498ccエンジンを搭載して最大積載量は400kgもあります。
>カラオケの音源も適当で問題無い。
リアルだとツベとかネットで適当に取って来たのを音源にしてるみたいです。
日本じゃ考えられませんね(;^ω^)
>ロイヤルな一家がカラオケボックスに入り浸ることになる。
歌うだけで済めば良いのですけどね……。
>超微細化加工でパッケージング化したICチップもどき
イメージ的には多桁表示のVFDを超小型して並べたものです。トランジスタと違って集積には物理的な限界があり、トランジスタが登場すると廃れていきます。
>サッポロシティ・スタンダード
テープレコーダーを利用してカセットテープにデータを書き込む規格の一つ。
提唱者が札幌の人だったのでこの名前が付きました。他に代表的な規格にカンサスシティスタンダードがあります。
>それでも過去に約束した手前、断ることも出来ずに召喚することになるのである。
本編『第27話 ロマノフ朝の終焉』参照。
テッド君が恋の両生類に同情しなければこんなことにはならなかったのに……。




