変態日本鉄道事情―弾丸列車編―
『山手線 震災翌日から営業再開』
『陸軍鉄道隊 横浜線の復旧に従事』
『横須賀重砲兵連隊 横須賀線復旧に尽力』
1923年の関東大震災によって帝都及びその周辺の鉄道は甚大な被害を被った。当然ながら鉄道復旧が急がれることになったのであるが、その過程は史実とは大きく異なるものとなっていったのである。
『後藤復興大臣の大英断 省鉄と私鉄の線路統一へ』
『日本鉄道の大転換 狭軌から標準軌へ』
『帝都高速度交通営団発足 帝都の地下に鉄道建設へ』
平成会の提言を受け入れた当時の復興大臣後藤新平は標準軌への改軌を実施した。鉄道省と私鉄はもちろんのこと、帝都に建設される地下鉄も標準軌で建設されたことで相互乗り入れが可能になったのである。
「来た来たっ! エーヨンが来たよぉ!?」
「本当だっ! かっこいい!」
「は、早すぎて写真が撮れないよ……」
東海道線沿線で歓声をあげる子供たち。
彼らの目線の先には、疾走するエーヨン――英国製機関車クラスA4の姿があった。
「すっげーよな。やっぱり英国の機関車ってかっこいいぜ」
「何言ってんだよ!? 日本の機関車もかっこいいだろうが!?」
「あぁもぅ、喧嘩はダメだよぅ」
子供たちが言い争いをしているうちに、クラスA4の姿は遥か彼方となる。
この時代の東海道線沿線の日常的な光景であった。
標準軌への改軌は予想外のメリットを生み出した。
朝鮮半島からの資源輸入がスムーズに行えるようになったのである。
この世界の朝鮮半島は大韓帝国が統治してたが、それは名目上に過ぎなかった。
実態は英国の国策会社極東朝鮮会社(Far East Korea Company)と、その番犬たるウォッチガードセキュリティによる植民地支配だったのである。
FEKCは半島北部では資源採掘、半島南部では畜産と農業を推進した。
それらを輸送する鉄道も標準軌で建設されたのである。
北部で採掘された鉱石と南部で生産された食料は鉄道で釜山へ運ばれた。
以前はここで船に積み替えていたのであるが、日本の鉄道が標準軌になったことで貨車ごと船に積み込むことが可能になったのである。
しかも、単に線路が統一されただけではない。
この世界の日本では長距離のノンストップ運転を可能するための設備が設置されていたのである。
「水が心もとなくなってきたぞ!? まだか?」
東海道線を疾走するクラスA4。
その機関室では機関士が水の残量を気にしていた。
蒸気機関車は走行するために大量の水を消費する。
長距離にわたってノンストップの列車を運行しようとする場合は、走行中に給水する手段がどうしても必要となるのである。
「標識が見えました。ウォーター・スクープ下ろします!」
機関助手の操作で炭水車から給水用のサイフォンチューブが下りていく。
ウォーター・トラフの水面下に達したチューブは、機関車の速度と相まって凄まじい勢いで水を吸い上げていく。
「わぁ、綺麗だなぁ」
「すごいすごい!」
「相変わらず派手だなぁ」
派手な水しぶきに沿線の見物客は歓声をあげる。
東海道沿線にはウォーター・スクープが一定距離に設置されており、走行中に給水が可能になっていた。
英国だけでなく日本の鉄道もウォーター・スクープの恩恵にあずかることになった。史実よりも早期に編成された特急『燕』は、これまた平成会の横やりで早期に実用化されたC62相当の高速機関車に牽引されて東京―神戸間を7時間で結んでいたのである。
ちなみに、史実の燕の最高速度は95km/hで平均速度は65.5km/hであった。この世界の燕の最高速度は余裕の100km/h超えを達成し、平均速度も85km/hにまで引き上げられた。標準軌採用の恩恵と言えるが、これでも同時期の英国の特急に比べれば遅い部類であった。
ウォーター・スクープは蒸気機関車以外でも使用された。
朝鮮半島からの機関車が蒸気機関車からデルティックに変更された際、客車の暖房用の蒸気ボイラーに水を供給する必要があったからである。朝鮮半島から日本へ向かう人間はごく少数であったため、短期間で電気式暖房に置き換えられてしまったのであるが。
「駄目だ、これ以上は突っ込みようがない……」
「半島からの便を減らすことは出来ないのか? このままじゃ破綻してしまうぞ!?」
「それよりも陸軍の特別列車をなんとかする必要があるんじゃないか?」
「バカ言え、そんなことをあいつらに言ったらとんでもないことになるぞ!?」
鉄道省東京鉄道局が入居する雑居ビル。
その一室では、いわゆるスジ屋と呼ばれる者たちが悲鳴をあげていた。なお、名古屋、神戸、門司の鉄道局でも同様の光景が繰り広げられている最中であった。
列車運行のためにはダイヤを作成する必要がある。
ダイヤを作成する専門家は複雑なグラフ状の線(筋)を引くことからスジ屋と呼ばれていた。
彼らの奮闘によって分単位で東海道線の列車は管理されていた。
しかし、増大する輸送需要に加えて陸軍の特別列車、ダメ押しで朝鮮半島からの資源や食料輸送で東海道本線と山陽本線はパンク寸前だったのである。
この問題に対し、内閣調査部は後藤内閣に提言を行った。
提言はいわゆる史実の弾丸列車構想であり、その内容は以下の通りである。
・東海道本線と山陽本線に高規格鉄道を可及的速やかに実現すること
・従来の鉄道よりも高速運転を実現すること
・一時的な代替手段として鉄道連絡船を増やすこと
内閣調査部の提言は後藤内閣によって即刻承認された。
この世界でも鉄道先覚者であった後藤新平は、この問題を深刻に捉えていたのである。
後藤内閣の全面的バックアップを受けたことにより、この世界の弾丸列車構想の滑り出しは順調であった。しかし、世界恐慌や健康問題により後藤内閣の退陣、その他諸々なイベントによって完工まで遅延に遅延を重ねることになるのである。
「それでは第1回幹線調査委員会の開会を宣言致します。各自忌憚のない意見を述べていただきたい」
帝都丸の内の呉服橋に建てられた鉄道省の仮庁舎。
その会議室では幹線調査委員会の開会が宣言されていた。
関東大震災に被災した鉄道省本館は丸ごと焼失していた。
そのため、現在は木造バラック造りの仮庁舎で営業していたのである。
ちなみに、史実の鉄道省庁舎は仮庁舎を含めて3度出火している。
このことを重く受け止めた平成会側は、建設中の新庁舎に防火構造の採用と大量の耐火金庫の設置を進めていた。
「弾丸列車の実現はお国のためになる。儂が鉄道大臣のうちに何としても完成させる!」
会議が開催されたのも早々に鉄道大臣小川平吉が吠える。
史実の小川は1927年の田中義一内閣の鉄道大臣に就任しており、それまで左書きだった駅名標をすべて右書きに改めた。さらには、説明のローマ字を廃止して国粋大臣の異名で呼ばれたバリバリのタカ派であった。
「土地収用に反対している輩がいるだと? どこの馬鹿だ? 今すぐ此処に呼んで来い!」
当然というべきか、この世界の小川もバリバリの以下略。
有無を言わさない小川の強硬な態度に列席している委員たちは内心で閉口していた。
「静岡の平成会が反対しているようなのですが、今すぐお呼びしましょうか?」
委員として参加していた島安二郎が小川に提案する。
その反応は、ある意味激烈であった。
「んがっ!?」
平成会と聞いた瞬間に小川は奇声をあげてしまう。
その様子はじつに滑稽であった。
「……決められるものから先に決定するべきだろう。説明を頼む」
「はい。それでは手元の資料をご確認ください」
その後の小川は借りて来た猫の如く大人しくなった。
さしもの彼も、後藤新平の懐刀である平成会に表立って逆らう気概は無かったのである。
島の機転によって、第1回幹線調査委員会はつつがなく終了した。
弾丸列車のルートがほぼ決定することになったのである。
「弾丸列車の旅客駅は予定通り沼津に! 三島には渡しませんぞ!」
「なんだとぉ!? 史実だと三島なんだから史実通りにするべきだろうが!」
「まぁまぁ、ここは間を取って函南で……」
「「ふざけんな死ね!」」
平成会静岡県人会が所有するビルディング。
その一室では鉄オタなモブたちが激論を交わしている最中であった。
彼らの争点は弾丸列車の停車駅であった。
当初の計画通り沼津を主張するモブと史実の三島を主張するモブ。さらには、我田引鉄よろしく自分の出身地を停車駅にと目論むモブとの三つ巴のバトルになっていたのである。
史実の弾丸列車構想では静岡の停車駅は沼津であった。
しかし、弾丸列車構想を引き継いだ新幹線では三島に変更されてしまったのである。
「旅客駅は計画通り沼津で。市長には是非協力していただきたい!」
「今噂の弾丸列車のことですな? 国策でありますから、特に反対するつもりはありませんが……」
沼津市長和田伝太郎はモブの唐突な陳情に困惑した。
しかし、彼はモブの陳情を無下にすることが出来なかった。
当時の沼津市は合併して間もない時期であり、市役所庁舎は大手町にあった旧沼津町役場を改装して使用していた。そこに静岡県人会が多額の寄付をして新市庁舎を建設したのである。
静岡県人会は地場産業の振興にも多大な貢献をしていた。
モブの陳情は和田にとっては命令に等しいものだったのである。
史実における沼津から三島への停車駅変更であるが、沼津で特段の反対運動が起きていたわけではない。それ以前に鉄道省による弾丸列車の土地収用はかなり強制的に行われており、市レベルで反対したところで止められるものでは無い。弾丸列車構想が続いていたら停車駅は確実に沼津に決定していたはずである。
しかし、沼津の土地を鉄道省が取得する前に弾丸列車構想は頓挫してしまった。
戦後になってから、あらためて国鉄が土地を買収する段階で問題が起きてしまったのである。
太っ腹な鉄道省と違って国鉄はケチ――もとい、節約に勤しんでいた。
全てを負担した鉄道省とは違い、駅の建設費用の一部負担を自治体に押し付けたのである。
沼津駅(予定)が既存駅と離れていて魅力が無いうえに、駅の建設費用も負担とあっては当時の市長の反対もやむを得ない判断であろう。そのおかげで、沼津は発展の機会を失ってしまったのであるが。
「やぁやぁ、お待ちしておりました」
「……どなたさまですかな?」
「幹線調査委員会の委員である貴方さまに是非お願いが。これはつまらないものですが、おちかづきのしるしに……」
そう言って、菓子箱を手渡すモブ。
ずっしりと重い箱は、どう考えても菓子の重さではない。
史実通りの三島を推すモブたちは委員たちを一人一人説得していた。
内閣調査部の権限を悪用して調査委員会に参加している委員たちに山吹色の菓子を配っていたのである。
「先んじて新丹那トンネルの用地を買収して国へ寄付しよう!」
「当然地名は新幹線だよな?」
「函南周辺の土地も駅用地として取得しておこう。もちろんこれも寄付だ」
第3勢力として函南を推すモブたちは土地収用に走った。
土地を国に寄付することで弾丸列車構想へのアピールを狙ったのである。
沼津三島&函南抗争は激化する一方であった。
鉄道省も平成会が関わっていると知ると及び腰となってしまい、他の工区を優先して工事を進めることになったのである。
「……それで、うちに来たわけですか」
「あぁ。君たちの意見を参考にしたいんだ」
帝都の丸の内に立つ鉄筋コンクリート造りのビルディング。
建設されてまだ数年の新築ビル『平成会館』は珍客を迎えていた。
「そりゃもう電気一択でしょう。電化すれば燃料代は石炭の1割程度で済みますし」
「うむ、それは重々承知しているのだが……」
平成会館へやってきた珍客――島安二郎は複雑な表情であった。
史実では息子の島秀雄と同じく熱心な広軌・電化論者だっただけに、そんなことは分り切っていたのである。
しかし、そう簡単に弾丸列車を電化出来ない事情があった。
弾丸列車に使用する機関車の駆動方式をめぐって鉄道省内では蒸気、ディーゼル、電気の3案が火花を散らしていたのである。
『電化するとならば架線を設置するだけでなく、変電所を建設する必要がある。蒸気機関車ならばその必要はない』
『安価かつ効率的な燃焼が可能なピッチ練炭の大量供給の見通しが既に立っているというのに、蒸気機関車を選ばない理由が無い』
『現在東海道線に乗り入れている英国製のA-4型機関車を参考にして世界最速の蒸気機関車を作るのだ!』
鉄道省内でも最大勢力を誇る蒸気推進派の鼻息は荒かった。
平成会の技術チートや英国からの技術導入によって蒸気機関車の性能向上が達成された結果、彼らは弾丸列車も蒸気機関車でイケると判断していたのである。
実際、蒸気推進派の言い分にも理はあった。
彼らなりに電化に必要な資材と予算を見積もったうえで許容出来ないと判断していたのだから。
ピッチ練炭の実用の目途が立っていたのも蒸気推進派の声が大きくなる理由であった。これは粉末化した石炭に石油由来の糊を混ぜて蒸気加圧して成形したものであり、従来の石炭と比べてムラなく均一な品質で効率良く燃焼する次世代燃料として期待されていた。
激増した蒸気機関車の運用で石炭消費量が激増した結果、この世界の日本では蒸気機関車に割り当てられる石炭の品質低下が起きていた。
一部のローカル線で供給されている石炭は石炭ガラばかりで不完全燃焼となってしまい、出力低下で定刻運転に支障が出ていたのである。ピッチ練炭の実用化に目途がついたことは関係者にとっては大いなる福音であった。
ちなみに、この世界のピッチ練炭は平成会傘下の企業が実用化していた。
従来の石炭よりも着火しやすくハイカロリーで燃えガラも少なく、しかも安価とくれば採用しない理由は無い。蒸気推進派はピッチ練炭に多大な期待をかけており、製造工場を頻繁に視察するくらいの熱の入れようであった。
弾丸列車をけん引する機関車は英国製クラスA-4型が参考にされた。
同じ標準軌であるため足回りの設計はそのまま流用可能であり、大出力ボイラーの搭載と空力重視の流線形ボディの採用を前提に設計が進められていたのである。
これに加えて、弾丸列車には無煙炭をベースにした特注のピッチ練炭が採用される予定であった。組成を工夫することでウェールズ炭に匹敵するハイカロリーと着火しやすさを兼ね備えたものとなり、蒸気機関車による200km/h運転を狙っていたのである。
『石炭よりもディーゼルのほうが燃費が良い。さらにはディーゼルは保守点検が簡単だ。動力近代化は世の流れだ』
『英国では既にディーゼルの超特急が走っているという。我々も追随するべきだ』
『ディーゼル機関車の採用は石油需要を拡大する。国内の石油業者への恩恵も大きい。ディーゼルトラックと連携すれば物流は進化するはずだ』
ディーゼル推進派も負けてはいなかった。
いつまでも蒸気機関に頼ることに危機感を抱いていたのである。
とはいえ、蒸気推進派に比べるとディーゼル推進派は今一つ決定打に欠けていた。燃費と燃料費の安さを全面的に押し出すも実際は大差無かった。史実とは違い、この世界の日本は石炭も石油も自給出来ることがマイナスに働いていたのである。
ディーゼル推進派の数少ない希望は、英国でディーゼル特急が実用化されたことであった。英国の超特急『フライング・スコッツマン』が新型のディーゼル機関車で170km/h運転を開始したとの情報を掴んでいたのである。
しかし、この時代に便利なネットは存在しない。
ディーゼル推進派は夢の新型ディーゼル機関車の現物を当時は知りえなかったのである。
彼らがそれを知るのは1927年まで待つ必要があった。
そのあまりの変態――もとい、独特な機構に悶絶することになるのである。
蒸気推進派に後れを取っていることを自覚していたディーゼル推進派は、トラック輸送との連携でメリットをアピールした。特にディーゼルトラックは燃料を共用出来るので燃料費の節約になることを強調したのである。
ディーゼル推進派は、トラック輸送の効率化を図るためにコンテナの開発にも熱心であった。貨車から簡単にトラックの荷台に載せられる構造や、フォークリフトの開発にも力を入れていったのである。
『モーターは電力を投入した瞬間にパワーが出る。複雑な変速装置は不要だし、加速も優れている。電気以外に選択はあり得ない』
『当然、電気機関車形式だ。いろいろ融通が利くし』
『なんだとぉ!? 効率を考えたら電車形式が最良だろうが!』
『『『やんのかごるぁ!?』』』
蒸気機関車と並んで本命とも言える電気推進派であるが、こちらはこちらで機関車派と電車派で対立していた。要は史実のTGVのように大出力の電気機関車で牽引するか、史実の新幹線のようにモーターを分散配置するかの争いである。
旅客専門の史実新幹線とは違い、弾丸列車は貨物列車の運行を考慮する必要があった。そうなると機関車形式一択になりそうなものであるが、電車を推す派閥はモーターを貨車に分散配置した史実のスーパーレールカーゴもどきを考案して対抗していた。
機関車と電車、どちらにも理があるために甲乙決め難かった。
電気推進派の内部対立は深刻化する一方であり、蒸気推進派が一丸となっているのとは対照的と言えた。
『有事の際に変電所や発電所を攻撃されると運行不能となってしまう。基本的に弾丸列車は非電化が望ましい』
弾丸列車に対する陸軍のスタンスも電気推進派にとって逆風となっていた。
戦時下の空襲で破壊されたとしても、電化設備は他の設備に先立って復旧されるので電化故の復旧遅延が皆無なことは史実が証明している。しかし、この時代にはそれなりの説得力があったのである。
「……で、結局どうします? 電気を推進するならば平成会でバックアップしますけど。後藤さんを説得する自信はありますし」
「我々に残された時間はあまりない。よろしくお願いする。ついでに電気推進派の意見の取りまとめもお願いしたいのだが……」
「いや、それは島さんが責任をもってやってくださいよ!?」
島の要請で平成会が電気推進派の後援になったことで、弾丸列車は電化に大きく舵を切った。しかし、鉄道省内部の蒸気推進派やディーゼル推進派が激しく抵抗することになり、最終決定までに時間を要することになるのである。
『紐育株価暴落 まさに奈落』
『影響は米国だけにとどまらず 列強各国で株価続落』
『デマで取り付け騒ぎ 高橋蔵相は銀行の倒産は無いと強調』
1926年10月に発生したアメリカの株価暴落――世界恐慌によって世界の経済は甚大な損失を被ることになった。第1次大戦以来、右肩上がりな経済成長を続けていた日本もその影響からは逃れなかったのである。
「弾丸列車の工事が無期限延期とはどういうことですか!?」
開口一番に後藤新平を非難する島安二郎。
事の事態を知った島は、真っ先に首相官邸に怒鳴り込んでいた。
「儂だって好き好んで延期したいわけではない! 着工したくても予算が無いのだ!」
対する後藤もキレ気味に怒鳴り返す。
この時代でも屈指の鉄道先覚者である彼としても、弾丸列車の無期限延期は受け入れがたいものであった。しかし、先立つものが無ければどうにもならないのである。
「銀行への資金供給を絶やすんじゃないぞ! 限界まで輪転機を回すのだ!」
奇しくも同時刻。
大蔵省の大臣室では蔵相高橋是清が官僚たちに激を飛ばしていた。
意外なことであるが、この世界の日本は世界恐慌の影響を直接は受けてはいなかった。日英同盟の締結以来、貿易の主軸は英国本国とその植民地が大半だったからである。
『メリケンさんとこは銀行がバタバタと倒れてるって新聞に書いてたぞ!?』
『米国がヤバいってことは、日本もヤバいんじゃ?』
『銀行の倒産に備えて今のうちに預金を下ろさないと!』
問題は必要以上に世界恐慌の影響に怯える庶民たちであった。
マスゴミが過剰なほどに世界恐慌について報道したことに加えて、根拠のないデマが広まったことで取り付け騒ぎが頻発していたのである。
『日銀の資金力は無尽蔵である。決してお金が足りなくなるわけではないので安心していただきたい』
高橋はラジオに積極的に出演して国民に訴えつつ、経済不況に備えるべく概算要求段階だった予算を大幅に変更して不況対策をねじ込んだ。この段階で、弾丸列車関連の予算が軒並み減額されてしまったのである。
「……アメリカの世界恐慌ですか。たしかにそれではしょうがないですね」
後藤から工事延期の理由を聞かされた島はようやく得心する。
それはもう不承不承といった形ではあったが。
「だが、全てが無期限延期というわけではないぞ。是清を説得して発電所建設と東京駅のホーム増築は認めさせた」
予算が軒並み減額された弾丸列車関連の予算であるが、補正予算によって東京駅の弾丸列車用ホームの建設と発電所の建設は認められた。後藤の強い働きかけで、ホーム建設と電化に必要な発電所建設を不況対策事業の一環として扱うことになったからである。
ちなみに、東京駅の弾丸列車用ホームはウォッチガードセキュリティの慰安旅行で使用されることになる。正式開業前ではあったが電化を除くホームと設備一式は完成しており、一般乗客とは隔離出来るということで重宝されたのである。
「無いよりはマシといったところですか。設計を煮詰める時間が出来たと思うことにしましょう」
「そう言ってもらえると助かる」
これまで順風満帆だった弾丸列車は世界恐慌によって工事が延期されたが、後藤や島も含めた関係者たちは意外と楽観的であった。この時点では来年度予算で建設予算が下りると信じていたのである。
彼らの自信の根拠は1927年2月に発効された大英連邦特恵関税制度であった。適用範囲は大英連邦を構成する全ての植民地と自治領であり、特例として日本とフランス共和国も参加が認められていたのである。
実際、大英連邦特恵関税制度に加入した日本は株価上昇に転じていた。
1927年の夏には株価暴落前の値に戻しており、日本は世界最速で経済不況を脱しようとしていたのである。しかし……。
「弾丸列車の工事がまた無期限延期とはどういうことですか!?」
開口一番に以下略。
弾丸列車がまたしても延期されることを知った島は、問答無用で首相官邸に怒鳴り込んでいた。
「儂だって好き好んで延期したいわけではない! 着工したくても予算が無いのだ!」
「そのセリフ以前にも聞いた気がするのですが!?」
対する後藤も以下略である。
とはいえ、今回の工事延期の理由は別のものだったのであるが。
『大英帝国としては、太平洋における騒乱は歓迎していません。必要とあればあらゆる手を打つ所存です』
1927年12月某日。
ハワイにサウスダコタ級戦艦6隻が配備されたことを受けて、駐日英国大使館では緊急の記者会見が行われた。
サウスダコタ級戦艦は40サンチ砲12門搭載の4万トン級戦艦である。
こんなものがハワイに6隻も配備されたとあっては、日本海軍の関係者のみならず社会全体が騒然となるのは致し方ないことであろう。
駐日全権英国大使であるテッド・ハーグリーヴスの宣言は、日本国内を鎮静化させるだけの効果はあった。彼の言葉は太平洋有事の際は世界最強の大英帝国が介入すると宣言したも同然だったからである。
『ドーセット公の言葉は心強いが、だからといって海軍が手抜きして良い理由にはならん!』
『然り。改装中の戦艦の出渠を急がせねば』
『幸いにして経済も回復基調に乗った。ここは新型戦艦を建造すべきではないか?』
『『『それだっ!』』』
しかし、海軍上層部にはこれを良しとしない空気があった。
特に艦隊派と呼ばれる者たちは、国難を理由に新型戦艦建造を目論んでいたのである。
『史実の大和を建造するチャンスだ!』
この動きに平成会の戦艦マニアたちが迎合してしまった。
海軍と平成会(の一部)から突き上げを喰らう形となった内閣と海軍上層部は対応に苦慮していたのである。
『役立たずの戦艦よりも空母を作るべきだ!』
『駆逐艦のさらなる増産を!』
『呂号潜水艦の増備を!』
海軍内部の空母マフィアや水雷屋、ドン亀乗りも黙っていなかった。
この状況を好機と捉えて戦力拡充を目論んでいたのである。
関係者の必死の努力にもかかわらず、海軍の戦力整備の一環で弾丸列車の優先順位はさらに下げられることになった。目に見えた効果が分かりにくい将来の弾丸列車よりも、目の前の問題である国防を優先せざるを得なかったのである。
「……また君か。と、言いたいところではあるが弾丸列車の予算を許可しよう」
「どういう風の吹き回しです? これまで散々に理由を付けて渋っていたというのに」
1931年9月某日。
弾丸列車計画の事実上の責任者となっていた島安二郎は、犬養毅の発言を訝しんでいた。
「何か誤解があるようじゃが、儂とて好き好んで弾丸列車計画に反対していたわけじゃないんじゃぞ?」
弾丸列車を後押ししていた後藤新平は1929年に健康上の理由で政界を引退。
同年9月に犬養内閣が発足していた。
犬養は前任者である後藤を気に入っていなかった。
当時総裁だった原敬が後藤を次期総裁に推したことにより、犬養は総裁になることが出来なかったのである。
しかし、犬養は無類の中国大好きマンではあったが政治に私情を挟むほど愚かでも無かった。弾丸列車の着工は延期に延期を重ねて現在に至っていたが、世界恐慌やサウスダコタ級のハワイ配備など諸々の原因が積み重なった結果に過ぎないのである。
「しかし、ここに来て急に弾丸列車の着工を認めるというのは何かあったと勘繰ってもしょうがないでしょう?」
「もちろん、何かあったのじゃよ。これを読んでくれるか」
机の引き出しから書状を取り出す犬養。
それを受け取った島は、封蝋の欠片が付着した封筒から書状を取りだす。
「拝見します……こ、これはっ!?」
書状を読んだ島は思わず目を剥く。
その内容はあまりにも重大であった。
「先月、リンドバーグ君が直接これを渡しに来たんじゃよ。分かってはいると思うが他言は無用じゃぞ?」
「こんなこと口外出来るわけないじゃないですか!?」
島が目を通したのは大統領親書であった。
その内容は大統領派の決起宣言であり、1935年に解放戦争を起こすことが明記されていたのである。
「米国が内戦状態になるのであれば、当面海軍の軍拡を考慮する必要は無くなるわけじゃ」
「それが理由ですか」
犬養は大統領親書と弾丸列車を徹底的に利用する腹積もりであった。
長期間の工事と予算が必要となる弾丸列車構想は、海軍の軍拡を阻止するのに適当なお題目だったのである。
「もう少し右……右……よーし、下ろせーっ!」
クレーンからコンクリート板が下ろされていく。
路盤に下ろされたコンクリート板は、あらかじめ設けられた突起にはまり込むようにして固定された。
1932年8月上旬。
予算が認可されたことで東京―品川間の工事が始まっていた。
弾丸列車の工事の様子は従来の鉄道からはかけ離れたものであった。
砂利と枕木で構成されたバラスト軌道ではなく、コンクリート路盤と軌道スラブで構成されたスラブ軌道が採用されていたのである。
スラブ軌道は史実の新幹線で初めて採用された技術である。
この世界では平成会の鉄道モブたちによって実用化されていたのであるが……。
『弾丸列車の軌道は全線スラブ軌道に決まっているだろうが!?』
『スラブ軌道は自然災害などで破壊された場合に迅速な復旧が困難だろうが!?』
『スラブはカント角度変更に多大な時間と費用がかかる。そこらへんを考慮するとバラスト軌道のほうが……』
しかし、その採用の是非については喧々諤々な議論があった。
バラスト軌道とスラブ軌道のメリットとデメリットを勘案した結果、スラブ軌道とバラスト軌道の併用が決定されたのである。
「順調すぎて怖くなるな」
「あぁ。丹那での苦労はなんだったんだと思いたくなるよな」
「しっかし、こんなのでトンネルを掘るってすげぇよなぁ」
巨大な円筒状の空間で感嘆する作業員たち。
巨大なカッターヘッドが削りだした土がチャンバー内で泥水化し、排泥管を通して外に排出されていく。その後ろでは作業員が小型クレーンなどの建機を用いてでセグメントを組み立てていた。
1932年11月中旬。
静岡県熱海町付近の山麓では新丹那トンネルの掘削が開始されていた。
史実の新丹那トンネルは新工法の採用で丹那トンネルよりも安全かつ短期間で開通することに成功した。だからというわけではないが、この世界の新丹那トンネルではシールド工法が採用された。
シールド工法が採用されたのは工期短縮と安全確保の観点からであった。
この世界では関門トンネルや東京湾横断海中トンネルで実績もあり、そのノウハウが新丹那トンネルに活かされることになったのである。
ちなみに、新丹那トンネルで採用された工法は半自動式泥水式シールド工法であった。
身も蓋もない言い方をすれば、史実の泥水式シールド工法の下位互換と言える。さすがの平成会チートでも、史実で40年以上先の技術を完全に再現することは出来なかったのである。
「……180……190……200! 200キロ出ました!」
「「「おおおおおおおっ!?」」」
騒音と振動の中で快哉を叫ぶ技術者たち。
弾丸列車の旅客用電車が最高時速200km/hを達成した瞬間である。
1933年からは弾丸列車の運用試験が本格化した。
既に車両は完成しており、旅客用列車と貨物用機関車を実際運用することを前提に問題の洗い出しが行われていったのである。
『投票の結果、第12回オリンピック開催地は日本の東京に決定致しました!』
1936年8月某日。
ドイツ帝国で開催された第35回ベルリン総会において、第12回オリンピックの開催地に東京が選出された。
『号外! 号外だよ! 帝都がアジア初のオリンピック開催地に決定したよ!』
これは号外が出るほどの快挙であった。
帝都民たちはオリンピック招致成功を大いに祝ったのであるが……。
「工期を短縮する!? どういうことですか!?」
その一方で大いに不利益を被る者も存在した。
弾丸列車の責任者である島安二郎もその一人だったのである。
「弾丸列車を東京オリンピックに合わせて開業出来れば国威発揚に利すること大である。そう思わないかね?」
「それはそうですが……」
島は総理大臣鈴木喜三郎の発言に困惑する。
選挙のマニフェストだけでなく、所信表明演説でも弾丸列車には一切触れてこなかった鈴木がここに来て弾丸列車を推進する理由が分からなかったのである。
この世界の鈴木は内相として実績を挙げることが出来なかった。
やるべきことは平成会と内閣調査部があらかた片付けていたからである。
そんなわけで、鈴木の政友会内部での立場は微妙であった。
健康問題で引退した犬養の後を継いで政友会総裁になれたのは、偶然と妥協の産物に過ぎないのである。
1936年6月に総理に就任した鈴木は、とにもかくにも実績に飢えていた。
彼が目を付けた手っ取り早い実績獲得の手段。それが東京オリンピックと弾丸列車だったのである。
「弾丸列車は新幹線の安全神話を継承しなければならない!」
「そのためには安全確実なATSを作る必要があるな」
「この間の速度試験はブレーキングが散々だったからな……」
一方その頃、弾丸列車開発に関わっている鉄道モブたちは新たな問題に直面していた。自動列車停止装置の技術開発に手間取っていたのである。
ATSは赤信号で列車が侵入するのを警告する装置である。
史実においては、地上信号方式を採用する装置全般を指す。
「うーむ、打ち子式は技術的に枯れていて安心確実だから採用したいんだけど」
「弾丸列車の速度域だと採用は無理だろ」
「減速距離を考慮して距離を取るのはどうだ?」
「あまり信号から離しても意味が無いんだが……」
当初検討されたのは既に実績と信頼を積み上げていた打ち子式ATSであった。
信号に連動する線路上のトリップアームで機械的に列車のブレーキコックを操作する方式であり、単純な機構ながら信頼性は高い。それ故に、史実では一部の地下鉄で2004年まで使用されていた。
「最悪の場合、時速200キロでアームがブレーキコックを直撃しかねない。さすがに無謀では?」
「何らかの原因でトリップアームが歪んでしまったら、ブレーキが効かないどころか周辺機器を破壊しかねないぞ」
「機械的な方法はあきらめたほうが良さそうだな……」
しかし、物理的手法の限界からスピードアップ時の安全確保に対応することが出来ない欠点が打ち子式にはあった。最高速度200km/hの速度域では打ち子式ATSは無力だったのである。
「やはり線路に信号を流して車体で受信して速度制御するべきだろう」
「史実の国鉄型ATCだな。アナログ制御だし、この時代でも技術的には何とかなるはずだ」
その次に候補となったのは自動列車制御装置であった。
史実では1964年に開業した東海道新幹線に採用されており、アナログ制御なのでこの時代の技術でも実現可能と見積もられたのである。
「いやでも、この時代だと真空管メインで作ることになるんじゃないか? 制御装置が車体に収まるのか? それ以前に信頼性もヤバイような気が……」
「「「あっ!?」」」
肝心なことを見落としていたこと気付いて思わず叫んでしまうモブたち。
彼らは知らなかったのであるが、じつは史実の鉄道省でもATSは試作されていた。いわゆる鉄道省型ATSと言われる装置であるが、当時の真空管の低信頼性やその他諸々な原因で不採用とされていた。
国鉄型ATSをこの時代の技術で再現するとなれば、制御部分に大量の真空管が必要となるのは明らかであった。この世界の日本の真空管は史実よりはるかに高品質ではあったが、史実の半自動式防空管制組織を知るモブたちからすれば真空管の多用は悪夢でしか無い。
「い、いやいやいや。ま、まだ慌てるじ、時間じゃない……!」
「思いっきり動揺しとるじゃないか!?」
「だが、これはヤバイぞ。制御装置を完成させないことには弾丸列車の安全運転は不可能だ」
オリンピック見物で大量の外国人が乗車する可能性を考えると安全対策に手を抜けない。弾丸列車を運行するためには、何が何でもATSを実用化する必要があった。
『あ、これくらいの信号レベルならうちの蛍光表示管で代替出来るよ?』
『本当か!?』
この問題を解決したのは、意外なことに身内である平成計算機工業であった。
VFDを応用した画期的なスイッチング素子を平成計算機工業は実用化しており、それを利用して和製エニアックもどきや電子計算機を製造していた。
ちなみに、VFDは史実では主に表示装置に用いられていた。
その構造は3極真空管そのものであり、制御だけに限れば従来の真空管を置き換えることが可能だったのである。
現在の平成計算機工業は新たな飯のタネを探している最中であった。
一時期のキャッシュレジスター特需も落ち着き始めており、そんな中でのATS開発は願っても無いチャンスだったことは言うまでもない。
最終的に弾丸列車のATSは史実の国鉄型ATCを技術的にレトロフィットさせたものとなった。制御部分にVFDを採用したことで真空管を採用した初期案と比べてダウンサイジングと信頼性の確保に成功しており、運用試験でも満足のいく成績を残したのである。
「いやぁ、富士山を見ながら食べる食事は絶品だな!」
「俺らの時代じゃ食堂車なんて無かったからなぁ」
「利便性を追求し過ぎるのも考えものだな……って、俺らが言えた義理じゃないな」
弾丸列車の食堂車で舌鼓を打つ鉄道モブたち。
東京オリンピック開催の1ヵ月前に弾丸列車は開業にこぎ着けていた。
現在進行形でモブたちが食しているメニューは史実0系の食堂車のメニューを再現したものであった。食い意地――もとい、食には拘る日本人なだけあってメニュー表まで完璧に再現する熱の入れようだったのである。
「そして最後はこれ。スゴイカタイアイスだ!」
「あぁっ!? スプーンが折れたぁ!?」
「もはやこれは鈍器だろ……」
ちなみに、史実の新幹線で車内販売されていた『シンカンセンスゴイカタイアイス』も完璧に再現されていた。付属のプラスチックスプーンでは歯が立たないほどの固さであり、乗客の間で大いに話題となったのである。
『バレットトレインは速いし快適で素晴らしい!』
『これこそ新時代の鉄道だ!』
『極東にこれほどの鉄道があったとは……』
弾丸列車は、オリンピック観戦で訪日した外国人観光客たちから大好評であった。当然というべきか、その利便さを体験した乗客たちは自国にも同様の高速鉄道を求めた。1940年以降、各国では高速鉄道の計画が雨後の筍如く出てくるのである。
「日韓トンネルぅぅぅ!?」
「なんでそんな話になるんだ!?」
「阻止だ! ダンコたる阻止をっ!」
1950年8月。
降ってわいた計画に平成会はパニック状態であった。
開業から10年で弾丸列車は当初の計画通り東京―下関間の全線開通が実現していた。それまで一度も赤字になることなく、鉄道省のドル箱として莫大な利益を上げ続けていたのである。
『作れば儲かる。ならば作らない理由は無い』
『沿線住民も喜ぶので作らない理由は無いからな』
『議員の陳情もあるし、作らないわけには……』
史実でも激烈な新幹線誘致合戦があったわけであるが、この世界でも同様であった。既に東北線が完工目前であり、それ以外の路線も続々と着工されていたのである。
『日韓の車両航送は資源輸入のボトルネックだ』
『あそこをトンネル化すれば資源輸入の手間が減るだろう』
『大陸有事の際にトンネルを利用出来れば速やかな戦力展開が可能だ』
そんな中で異彩を放つ路線が経済界と軍部が主導する唐津―釜山ルートである。
唐津からトンネルで対馬を経由して釜山に至るもので、そこから大韓帝国の鉄道に接続して資源輸入をスピードアップしようというものであった。
「日韓トンネルは建設しても元が取れません。見直しを要求します!」
「しかしね、君……わたしとしては、経済界と軍部の要求を無視するわけにはいかないのだよ……」
日韓トンネル建設について、内閣調査部は総理大臣鳩山一郎に緊急提言を行った。しかし、その提言は半ば無視される形となったのである。
史実の鳩山の政治行動は親軍的な部分と軍に抵抗した部分が混在していた。
この世界でも同様であり、今回は親軍に振れていたのである。
「ドーセット公! もはや貴方しか頼れません。日韓トンネルを阻止してくださぃぃぃぃぃっ!」
「うわっ!? いきなりなんだよっ!?」
万策尽きた平成会は、最後の頼みの綱に縋ることになった。
テッドとしても心情的に日韓トンネルは認めがたいし、何よりもトンネルが接続されることで半島北部の核実験場の存在が露見するとヤバイことになる。そのため、全力で潰すべく動いたのである。
「……ドーセット公。これはどういうことはご説明願いたい」
テッドを問いただす鳩山。
どことなく怒気をはらんでいるようにも見える。
「どうもこうもそのままの意味ですが?」
対するテッドは、一見すると困惑しているように見えた。
表情はともかく、目が笑っているように見えるのは気のせいであろう。多分。
日韓トンネルの建設には両国の合意が必要となるのは当然であるが、日本政府は交渉のテーブルにさえ着くことが出来なかった。鳩山は英国による妨害行為だと断じ、抗議するべく英国大使館に怒鳴り込んだのである。しかし……。
「貴方は誤解しておられるようですが、何年か前の京城の大暴動で政府首班は鬱陵島に疎開しております。現在の大韓帝国は事実上の無政府状態なのです」
「なん……だと……」
鳩山は初めて知る事実に驚愕する。
しかし、これは致し方ないことではある。鎖国状態の大韓帝国の内情を知る方法など存在しないわけであるから。
「そういうことですので、交渉は鬱陵島の臨時政府としてください」
「もし、臨時政府と交渉がまとまれば工事をしてもかまわないのですな?」
「それはもちろんです。当事国の決定事項に我が国が口をはさむ余地はありませんので」
「その言葉、忘れないでいただきたいものですな」
もう用は無いとばかりに鳩山は足早に去っていく。
テッドは黙ってその背中を見送ったのであった。
『建設費は全額日本持ち。利益は折半にするニダ!』
『当然メンテナンスも全部日本がやるニダ!』
『それはそれとして、とりあえず謝罪と賠償をするニダ!』
臨時政府との交渉は初っ端から暗礁に乗り上げた。
テッドがニダーたちを密かに焚き付けたせいであることは言うまでもない。
日本側もあの手この手で説得を試みたのであるが、結局はご破算になってしまった。臨時政府の言い分を丸呑みすると大赤字になることが判明したからである。
『今度は日高トンネルかよ!?』
『思い出したように計画が持ち上がりやがる。ここまで来ると呪いか何かだと思っちまうぞ!?』
『あぁ、ドーセット公が居てくれれば、こんな計画すぐさま潰してくれただろうに……』
一度は潰えた日韓トンネルであったが、その後も計画が出ては潰されるの繰り返しであった。21世紀になっても平成会のモブたちは苦労させられることになるのである。
今回は弾丸列車について書いてみました。
この世界では真っ当な電車形式として完成することになりましたが、弾丸列車に触発された列強の高速鉄道はかなりの変態――もとい、特徴ある鉄道になることでしょう。
>標準軌採用の恩恵
鉄道は基本的に軌間が広いほど高速安定性が良くなります。
参考までに蒸気機関車による最高速度は狭軌ではC62の129km/h、標準軌ではクラスA4の203km/hになります。
>弾丸列車
戦前に計画された高速高規格鉄道です。
計画は中止されましたが、その一部は戦後の新幹線に引き継がれています。ちなみに、海外向けの最初期の新幹線の紹介パンフレットにはバレットトレイン(弾丸列車)と紹介されていました。
>防火構造の採用と大量の耐火金庫の設置
火災で重要な書類を焼いた苦い経験から、名古屋鉄道局では対策を研究していました。その対策が耐火金庫の設置だったのですが、予算が無くて高価な金庫を多数確保する余裕が無かったとのことです。
>それまで左書きだった駅名標をすべて右書きに改めた。
戦前の駅の写真で駅名が逆読みになっているのは小川平吉のせいだったのです(ナ、ナンダッテー
>「当然地名は新幹線だよな?」
静岡県函南町上沢には『新幹線区』と呼ばれる地区があったりします。
>ピッチ練炭
史実だとC62を運用する一部の路線で『特級(急)豆炭』と呼ばれるピッチ練炭が採用されています。機関車の性能を底上げするほどの威力を発揮したそうですが、それでも辛うじて定時運行が出来る程度だったとか。ただし、この運用には車齢16年以上の古い機体があてがわれたので、性能低下を考慮する必要もあります。
>超特急『フライング・スコッツマン』
この時代にはクラスA4蒸気機関車からクラス2型ディーゼル機関車(史実55型ディーゼル機関車相当)に交代しています。史実のクラス55型よりも高性能で170km/h運転を可能にしています。
>彼らがそれを知るのは1927年まで待つ必要があった。
第69話『ウォッチガードセキュリティ壊滅す!』参照。
>コンテナの開発にも熱心であった
いわゆるJRコンテナです。
トラック輸送にも都合が良いサイズなので、この世界の日本の物流は駅とトラックが主流になるでしょう。
>史実のスーパーレールカーゴもどき
いわゆる電車形貨物列車です。
動力分散方式とすることにより加減速性能の向上と軸重の軽減を図り、積み替え時間の短縮のために貨物の積載はコンテナのみの仕様です。史実では16両編成ですが、こちらは10両で1編成となっています。
>スラブ軌道
メンテが少なくて済むうえに雪にも強いメリットがありますが、騒音が大きなるのが困りものです。この時代だと騒音なんて考慮しないでしょうから問題は無いでしょうけど。
>東京湾横断海中トンネル
第52話『帝都復興に奮闘する平成会』参照。
川崎と木更津を結ぶ海底トンネルです。身も蓋もない言い方をすれば、史実の東京湾アクアラインそのものです。
>第12回オリンピックの開催地に東京が選出された。
史実だと戦前に中止された幻の東京オリンピックですが、この世界だと無事に開催されました。詳細は本編で書くので乞うご期待?
>鈴木喜三郎
史実での主な実績は全府県への特高の設置、治安維持法の改正、共産党の一斉検挙です。この世界だと特高は公安警察と化しましたし、治安維持法は破防法に、共産党は一斉検挙する前に自滅してたりします。
>自動列車停止装置
その名の通り、一定の条件で自動的に車両を停止させる装置です。
大別すると機械式と信号式があります。
>打ち子式ATS
単純で信頼性が高いので、さして高速にならない地下鉄では割と最近まで使用されていました。
>自動列車制御装置
ネットでいくら探しても現物は見当たらないんですよね……。
ただ、あの時代ならばトランジスタと真空管を併用していたと思います。
>鉄道省型ATS
こちらも現物どころかまともな図面も見当たりませんが真空管と機械制御の折衷品らしいです。戦時なので真空管の質が悪いのは確かですが、そのことが不採用の直接の原因になったかは不明です。
>半自動式防空管制組織
5万5千本の真空管を使用し、床面積は2000㎡、重量は275トンで消費電力は最大3メガワットの超巨大コンピュータ。稼働率を100%に近づけるために毎日数百本の真空管が交換されていたらしいです。
>蛍光表示管
身近なものだと昔のビデオデッキの表示部分に使われてました。
構造的には完全に3極真空管なので増幅作用があり、最近ではそれを逆手にとった真空管アンプ『Nutube』が販売されています。
>一時期のキャッシュレジスター特需も落ち着き始めており
自援SS『変態日本両替事情―コミケで硬貨が無いとやってられないだろ編―』参照。
平成計算機工業は特需に頼り切って倒産しかけた苦い経験があるので、貪欲に新しい分野に首を突っ込んでいます。
>史実0系の食堂車のメニューを再現したものであった。
当時のメニュー表はネットで検索すると出てくるのですが、ビーフシチュー330円とか、ハンバーグステーキ280円とか……凄く安い。でも、当時の物価からすれば高いほうなのかもしれませんね。
>『シンカンセンスゴイカタイアイス』
この世界の弾丸列車では食堂車でそのまま食せます。
付属のプラスプーンでは歯が立たないので、史実みたいにステンレスのスプーンが販売されるかも?
>日韓トンネル
史実の弾丸列車では実際に検討されており、実際に海底調査までやったらしいです。史実では無用の長物ですが、この世界だとそれなり以上にメリットがあるので困りもの。今後も何かの拍子で計画が再燃して平成会のモブが手を焼くことになるのは確定事項だったりします。
>何年か前の京城の大暴動で政府首班は鬱陵島に疎開しております。
自援SS『変態朝鮮国内事情―K国版最終的解決編―』参照。
本人は疎開と言っていますが、事実上の幽閉です。
>『今度は日高トンネルかよ!?』
高は高麗共和国の略です。
ミレニアムに誕生した半島国家ですが、名前に反して国民の大半はアフリカ系黒人で使用言語は英語というワケワカメ国家です。




