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変態日本両替事情―コミケで硬貨が無いとやってられないだろ編―


「らっしゃーせーっ!」

「新刊ありますよーっ!」

「ありがとうございます! 今後ともごひいきに……」


 1918年8月某日。

 上野公園内の不忍池湖畔では、記念すべき第1回コミックマーケット(コミケ)が開催されていた。


 この日のために平成会の有志たちはコミケ準備会を結成。

 イベントの周知や場所の確保のために駆けずり回ったのである。


『博覧会のような教養につながる有意義な興行ならともかく、本の即売会? うーむ……』

『そのようなものを開催したら公園の格が落ちてしまうではないか!?』

『とてもではないが許可など出せんよ』


 この世界の日本のコミケは初っ端から前途多難であった。

 場所の確保すら上手くいかなかったのである。


 この時代は上野公園で博覧会が多数開かれており、平成会側もコミケを開催するのに適当な場所と判断していた。しかし、この時代の意識の高い人々はコミケの意義を理解出来なかったのである。


 最終的に上野公園の外れにある不忍池湖畔で、しかも安くない場所代を支払うことになった。コミケ運営としては大赤字確定であったが、それでも開催することに意義があると平成会側は割り切ったのである。


『こ、こんな破廉恥な本を売るつもりか!?』

『今回の話は無かったことにしてもらおう!』

『わー!? ちょ、ちょっと待ってくださいぃぃぃぃ!?』


 コミケで取り扱う同人誌の内容も問題となった。

 東京府(当時)に提出したサンプルに18禁エロ同人誌が混入しており、これを見た役人たちが激怒したのである。


 元々日本人はエロには寛容な民族である。

 しかし、この時代は西洋の価値観が流入している時期であった。


 明治維新後は『外国人に見られると恥ずかしい』という理由で、夜這いや銭湯の混浴、裸の露出は次々と禁じられた。その規制は強制的かつ徹底的なものであり、『裸で表に出ることを許可せよ』と訴える一揆が明治時代初期には何度も起こったくらいである。


 同様に春画や艶本などの猥褻図書や器物の売買も厳しく規制された。

 第1回コミケでエロ同人がご法度となったのはやむを得ないことであった。


『エロ同人の無いコミケに存在意義などあるのか!?』

『ふざけんな! 人間はエロが無いと生きていけないんだよっ!』

『二次創作(イコール)エロが常識だろうが!?』


 この決定に平成会の過激派同人作家モブたちが猛反発したのは言うまでもない。

 一部の過激派はコミケ準備会の警告を無視してこっそりとエロ同人誌を頒布したのであるが……。


「エロ同人を発見した。ただちに撤去だ!」

「空気を読めよおまえら。コミケ起ち上げで厄介ごとを増やすんじゃねーよっ!」

「急げ! ポリ公が来る前に撤去するんだ!」

「あぁぁぁぁぁぁ!? 俺のサークルがぁぁぁぁぁ!?」


 警告のホイッスルが会場内に響き渡り、ガタイの良いコミケスタッフがドヤドヤとやってくる。あっという間にサークルのテーブルが片付けられ、サークル主は芋虫にされて連行されていく。


 最初のコミケということもあり、運営側は特に神経を尖らせていた。

 下手な醜聞で次回以降のコミケ開催が取り潰されるのだけは避けたかったのである。


「「「ありがとうございましたーっ!」」」


 コミケ運営の死に物狂いの頑張りによって第1回コミケは無事(?)に終了した。事前の宣伝によって想定以上の来場者となり、評判も良かったことでコミケの次回開催が許可されたのである。


 しかし、過激派のエロ同人に対する情熱は燃え上がりこそすれ消えることは無かった。彼らは雑草の如くたくましく、コミケの弾圧(過激派モブ視点)に立ち向かっていたのである。


「兄さん、兄さん。良いモノあるよ」

「うほっ!? こ、これは……!」

「へっへっへ。毎度あり」


 金を持っていそうな田舎もん――もとい、純朴そうな青年に声をかける過激派モブ。二人はコミケ会場の手近な物陰でひそひそと密談し、やがて青年は受け取った同人誌を大事そうに抱いて去っていく。


 サークル出店を潰された過激派モブたちは、縁日で洋物ポルノを売るヤクザの如き方法でエロ同人誌を販売した。トートバッグにエロ同人誌を詰め込み、カモを見つけては物陰に誘い込んで1冊ずつ手売りしていたのである。


 この頃のコミケは年1回の夏コミのみであったが、小規模な同人即売会は帝都の各地で開催される縁日でも行われていた。


 エロ同人の販売は次第に巧妙化していった。

 周囲への見張りの配置、カモの見極め、さらには1コインで買える価格設定にすることで釣銭の受け渡し時間を無くして摘発から逃亡しやすくする等のノウハウが蓄積されていったのである。


『ここまで僕をコケにしたおバカさん達は初めてだ……!』

『ぜったいに許さんぞ、虫けらども! じわじわとなぶり殺しにしてくれる!』


 このままエロ同人誌の販売スタイルが根付くと思われたが、それも1921年の第4回コミケまでであった。二番煎じをしていた済州人たちが虎の尾を踏んでしまい、あおりをくった過激派モブたちは根こそぎドーセット領に強制連行(ドナドナ)されてしまったのである。


 そのようなアクシデントとは関係なく、この世界の日本のコミケは引き続き開催された。1923年は関東大震災で自粛したものの、1924年からは年2回の開催となったのである。


『英国のコミケでも認められているなら問題無いのでは?』

『以前みたいにコソコソ売られてヤクザや政治結社の資金源になると面倒だ。ここは認可するべきだろう』

『所詮は漫画なのだ。そこまで目くじらを立てる必要もあるまいて』


 さらには、エロ同人誌の販売も許可されることになった。

 平成会の宣伝で英国のコミケの実情が日本で広く知られることとなり、潜在的な需要の大きさも相まって賛成派が反対派を上回ったのである。


『すいません。お釣りが切れたのでピッタリで払ってください!』

『なんだと!? 札しか無ぇよ!?』

『そうは言われましても……』


 コミケに出店するサークルが増え、来場者数もうなぎ上りになると釣銭に関するトラブルも急増することになった。お釣りを渡すのにもたついてサークルに行列が出来てしまう、あるいはお釣り用の小銭が不足して清算が出来ないなどの苦情がコミケ準備会に殺到することになったのである。


 釣銭に関するトラブルに関しては、生前の経験がある平成会系のサークルは釣銭を多めに用意することで対応していた。さらには、ワンコインで買える値段設定にして釣銭を減らして清算を素早く出来るよう工夫していたのである。しかし、それ以外のサークルでは中途半端な頒布価格にしてお釣りの手間を増やしてしまっていたのである。


『釣銭は多めに用意しましょう。事前に銀行で両替しておくことが望ましいです』

『頒布価格はキリの良い価格にしましょう。可能ならばワンコインが望ましいです』


 コミケ準備会では釣銭に関する条項をコミケットマニュアルに追加するほどであった。しかし、ここまでやっても釣銭に関するトラブルは減ることは無かったのである。







「お袋、帝都はすげぇところだよ! 人も車もいっぱいだ!」

『へぇぇ、凄いねぇ。おまえはそんなところで働いているんだねぇ』

「それでさ、今度」


 『お土産持って帰る』と母親に告げようとしたその瞬間。

 雰囲気をぶち壊すブザー音が鳴る。慌てて財布を取り出すも硬貨が無い。


「ごめん。いったんかけ直すよ!」


 男は受話器を戻すとガラス張りの電話ボックスを飛び出して隣の飯屋に駆け込む。紙幣を突き出して両替を頼んだのであるが……。


「うちは両替屋じゃないんだよ!?」


 うんざりとした表情となる飯屋の主人。

 本日の両替依頼は既に二けたを超えていた。お人好しな主人でも塩対応をせざるを得なかったのである。


『ケータイが無いと不便でしょうがないぞ!?』

『代わりに公衆電話を大量設置すれば良いのでは?』

『『『それだっ!』』


 この世界の日本では1920年代に入ってから公衆電話が急増していた。

 特に帝都は犬も歩けばなんとやらであり、平成の時代にはお馴染みだったガラス張りの電話ボックスが大量に設置されていたのである。


 公衆電話が大量に設置されたことで電話の便利さが社会的に周知されたといっても良い。しかし、それは両替トラブルという新たな社会問題を引き起こしていたのである。


(あれ? なんで両替出来ないんだ?)


 両替機に硬貨を投入しても、チャリンという音と共に吐き出し口から戻ってくる。何度やっても結果は同じであった。


(あ、こっちは両替出来るのか)


 別の硬貨で試すと小銭に両替された。

 ちなみに、同じ額面で似たようなデザインの硬貨である。


 両替トラブルを解決するべく、公衆電話に隣接している店舗には両替機が設置されるようになった。それでも両替トラブルを完全に解決するには程遠い状況ではあったが。


 史実21世紀の日本では考えられないことであるが、この時代の硬貨の大きさや重量にバラツキがあった。硬貨を製造する造幣局が大雑把――もとい、製造ロットの違いを把握していなかったことが直接の原因である。そもそも、この時代の硬貨は両替機の使用を前提としていない。


 社会問題化した両替問題に対し、設立されたばかりの内閣調査部は後藤内閣に提言を行った。提言は両替機に対応した新硬貨に関するものであり、その内容は以下の通りである。


・新硬貨はポケットの中でも指の感触だけで分る程度にデザインに変化を持たせること

・偽造防止のための技術を導入すること

・新硬貨は戦略資源の備蓄を兼ねること


 内閣調査部の提言は後藤内閣によって即刻承認された。

 事実上の丸投げとも言う。


『やっぱり5銭硬貨と50銭硬貨は穴あきにしたほうが良いな』

『感覚的には5円と50円だしな』

『大きさも同じにしよう』

『数字はゴシック体にしようぜ。楷書体も悪くないけど古臭いイメージだし』


 新硬貨のデザインは平成会の有志たちによって定められた。

 大正末期でありながらも、昭和の終わりを感じさせるデザインになったことは言うまでも無いことであろう。


『変造500ウォン硬貨許すまじ!』

『あれが自販機で釣銭で出てきたときの絶望感と言ったら……』

『コミケでこっそり紛れさせた奴は死んでほしい』

『あの哀しみを子孫に伝えないためにも、今のうちに偽造技術を導入する必要があるのだっ!』


 恨み骨髄なモブたちにより、新硬貨には偽造防止技術が積極的に導入された。

 この時代の技術では微細文字がせいぜいであったが、それでも偽造防止には大いに役立ったのである。


 内閣調査部の意を受けた造幣局では、以後も偽造防止技術が積極的に導入された。最終的には史実の令和時代にも採用される異形斜めギザや、変態の粋であるバイカラークラッド技術まで採用されることになるのである。


『戦時には鋳潰して戦略資源にする必要があるな』

『材質は1銭硬貨はアルミ、5銭は黄銅、10銭は銅、50銭はニッケルといったところか』

『デザインと相まって、生前使ってたのと同じ感じになったな……』


 新硬貨の発行には戦略資源の備蓄という側面もあった。

 銅は言わずと知れた戦略資源であるし、黄銅は薬莢の原料、ニッケルは真空管製造に不可欠である。


 特にアルミの原料となるボーキサイトは全量輸入に頼っている状況であった。

 最も流通量が多くなるであろう1銭硬貨がアルミ硬貨になるのは必然だったのである。


『史実では使われなかったが、陶貨の生産も考慮する必要があるな』

『戦争に突入したら市場から引き上げる必要があるからな』

『デザインはどうする? 史実の陶貨は小さくて厚ぼったくてダサくて好かんのだが』

『どうせならデザインと大きさは共通化させたいよなぁ』


 史実では戦争末期に製造はされたものの、結局は流通しなかった陶貨についても検討された。平成会傘下の陶器メーカーでは、実際に試作もされたのであるが……。


『大きさと厚さ、デザインは割と忠実に出来たけど……』

『落とすと割れちゃうのはいかんだろ』

『史実の陶貨が小さくてブ厚かった理由が分かった気がする』


 製作された陶貨は茶色いという一点を除けば、新硬貨と同じ大きさであった。

 しかし、ちょっと落としただけですぐに割れてしまう欠点があった。財布の中に入れていても気が付いたら割れていたりと、およそ実用には適さないものだったのである。


 新硬貨は1925年になってから市場に流通し始めた。

 旧硬貨は順次回収されていき、1930年には完全に入れ替わることになったのである。


「あ、ガチャガチャがある! かーちゃん、お金ちょうだい!」

「しょうがないわねぇ……」


 新硬貨が普及したことで、直接硬貨を投入するガチャガチャが普及することになった。これまではバラバラな硬貨に対応させることが難しかったためにトークンを使用するガチャガチャが主流だったのであるが、新硬貨の普及で低コストで導入が可能になったのである。


「何が出るかなぁ?」


 母親から1銭硬貨2枚を手渡された子供は喜び勇んでガチャを回す。

 この瞬間が、ガチャガチャの醍醐味と言える。


「わーい、筋肉男だーっ!」


 カプセルを空けて大喜びなチビッ子。

 それを笑顔で見守る母親。じつに微笑ましい光景である。


 直接現金が入るということもあり、街角の駄菓子屋ではガチャガチャの設置が流行した。特に普及したのは2銭ガチャガチャであり、これは1銭硬貨を2枚入れるタイプであった。


「……」


 男の目の前に鎮座する真っ赤な筐体。

 ガチャガチャであることには違いないが、他の2銭ガチャに比べて圧倒的な存在感である。


 彼はひたすらに悩んでいた。

 手にした50銭硬貨を入れるか否かである。


「いくぞ!」


 遂に意を決した男は50銭硬貨を投入する。

 レバーを一気に下まで下げる。ドスンという音と共に排出口から出て来たのは無地の紙箱であった。


 紙箱を回収していそいそと立ち去る男。

 帰宅して中身を確認するまでは、わくわくタイムであろう。絶望までの猶予タイムとも言うが。


 公衆電話の両替問題への対応のために導入された新硬貨であるが、ガチャガチャの普及にも一役買うことになった。この世界の秋葉原で既に普及していたトークンタイプも機種入れ替えで順次現金に対応していくことになるのである。







『大英連邦特恵関税制度発効 世界最大の経済圏誕生に』

『日銀貨幣供給量増大へ 社会不安の払しょくに向けて動く』

『鈴木商店 倒産の危機回避へ』


 史実よりも早期に発生した世界恐慌によって、この世界の日本経済は少なからぬ打撃を受けることになった。しかし、1927年に発効された大英連邦特恵関税制度(スターリングブロック)に加入したことで回復基調に乗ることが出来たのである。


 大英帝国の全ての自治領と植民地との貿易が可能になった日本は、加工貿易で大いに潤うことになった。経済成長率は二桁を記録し、大陸から撤退して衰退傾向だった日本経済に活を入れることになったのである。


「……また値上がりかよ」

「文句を言うなよ。給料は上がってるんだろ?」

「そりゃあまぁ、そうなんだが……」


 ランチ時に馴染みの洋食屋の店主に愚痴をこぼすサラリーマン。

 この時期の日本の外食産業ではよく見られた光景である。


 急激な経済成長は物価の上昇を招くことになった。

 しかし、そのこと自体はさしたる問題ではない。経済成長と物価上昇は切っても切れない関係なのである。


「毎度。ライスカレイとあいすくりん、コーヒーで55銭だな。1円札入りまーす……って、ありゃ?」


 店主がサラリーマンから代金を受け取り、お釣りを返そうして困惑する。

 売上金を保管している手提げ金庫に硬貨が入っていなかったのである。


「しゃあねぇな。釣りが無いから今回はツケにしといたらぁ」

「なっ!? 前回もツケだったじゃないか!?」


 コックとしては一流なのに、どんぶり勘定な店主は迷わずツケにしてしまう。

 その様子に焦り始めるサラリーマン。


「なんでぇ、今回は金はいらんのだから儲けものだろうが?」

「金が無い時に限ってツケの清算をしてくるだろうが!?」


 (わめ)くサラリーマンであったが、最終的にツケにするしか無かった。

 さすがに無料にするわけにはいかなかったのである。


 釣銭不足は紙幣での支払いが増えたことが原因であった。

 物価上昇によって、硬貨ではなく高額紙幣の使用が増えていたのである。


『偽造防止技術を盛り込んだせいで製造の手間がかかり過ぎるぞ!?』

『両替機で100%認識するための誤差が厳しすぎる!?』

『こりゃあ全部廃棄だな……』


 だったら硬貨をたくさん流通させれば良いだけなのであるが、そうも簡単にはいかなかった。貨幣の鋳造を担当している大阪造幣局は新硬貨に求められる品質精度に悲鳴を上げていたのである。


 この問題に対して、平成会は硬貨製造装置を新たに開発することになった。

 生前に造幣局で働いていたモブたちを招集して、材料の溶解から袋詰めまで一気にこなせる設備一式を造幣局に納入したのである。


 製造装置は平成会傘下の企業によって適宜アップデートが施されることになる。

 その都度、偽造防止技術が導入されたのは言うまでもないことであった。


 新型の製造装置によって、造幣局の硬貨製造量は飛躍的に増大することになったが、その性能を十全に発揮させるには職員の熟練が必要であった。硬貨不足を解消するためには今しばらくの時間が必要だったのである。


『釣銭が切れています。予めご了承ください』

『ただいまお釣りが出せません。お会計はピッタリでお願いします』


 そんなわけで、この頃の飲食店では釣銭切れの看板を見かけることは珍しいことでは無かった。この問題を解決するために飲食店側は新たな試みを導入することになったのである。


「お父さん、お腹すいたよ」

「そろそろお昼にしようか」


 日曜日のランチ時。

 ファミレスの入り口では、昼食を食べようと家族が目を輝かせていた。


「わぁ、美味しそう。お父さん、さばの味噌煮定食が食べたい!」

「わたしは鉄板ナポリタンが良いわね」

「はっはっは、じゃあ僕はハンバーグ定食にしようなな」


 目の前には色鮮やかな料理が並んでいた。

 いわゆる食品サンプルであるが、それ自体は珍しいものではない。この世界では史実同様に『飲食物見本』として既に大きなレストランなどでは採用されていたからである。


「えーと、合計で……あれ? 細かいのあるかな?」

貴方(あなた)、わたしが持ってますわよ」


 平成会が経営するファミレスでは、食品サンプルにメニューの名前と値段が明記されていた。事前に頼む料理の内容と値段が分るので、お釣りを最小限にすることが可能になるわけである。


 これだけならばメニューと値段を付けただけであるが、その程度で済むはずがない。生前は飽食世代と言われた平成会のモブたちが作った食品サンプルは、既存の飲食物見本とは比べ物にならないほどのクォリティを誇っていたのである。


『パット見で本物と区別がつかない』

『作りたてで湯気が立っているようにすら見える』

『フォークにパスタが絡んで美味しそう』


 こんなものを作ったのは、生前に食品サンプル会社に勤務していた平成会のモブたちであった。


 従来のパラフィン、ステアリン、木蝋などを混ぜ合わせ型に入れたものに油絵具で着色したものとは違い、合成樹脂を使うことで隔絶したリアルさを表現することに成功したのである。


『水の食品サンプルぅ!?』

『よりによって一番難しいものが注文されちまったぁ!?』

『コップに水滴付けるのがめんどぃぃぃ!?』


 モブたちが作った食品サンプルは、評判が評判を呼んで注文が殺到した。

 食品サンプルを専門に製造する株式会社『平成サンプル』を起ち上げることになるのである。


「さばの味噌煮定食と鉄板ナポリタンとハンバーグ定食ですね」


 ランチを終えた家族は伝票を持って行って会計を済ませようとする。

 伝票を受け取った店員は、手元に置かれた機械のテンキーに値段を打ち込んでいく。


「お会計は1円と20銭になります。5円お預かりします」


 蛍光表示管(VFD)に表示された数字を読み上げる店員。

 さらに預かった金額を入力すると差額が表示されて、現金の入った引き出しがオープンする。


「3円と80銭のお返しになります。ありがとうございましたーっ!」


 平成会のファミレスではキャッシュレジスターが導入されていた。

 計算は機械で行うので間違いようがなく、表示された数字の通りにお釣りを渡せば良いので釣銭トラブルが減ることを期待されていたのである。


『こんなのが売れるんですか?』

『この時代ならレシートは必要ない。釣銭さえ間違えなければ問題無いはず』

『いつまでもこの状況が続くとは思えないし。今のうちに新たな需要を、どうせならブルーオーシャンを見つけたいところだな』


 このキャッシュレジスターは、設立されたばかりの平成計算機工業が新たな計算機需要を掘り起こすために作った試作品であった。現在は航空機設計目的で飛ぶように売れていたが、この状況がいつまでも続くわけではないことを経営陣は憂慮していたのである。


 構造そのものは航空機設計用計算機を流用したものであるが、扱う数字が小さいことに加えて加減減算しか必要無いので論理回路として使用するVFDを大幅に削減していた。結果として、低価格化とダウンサイジングを実現していたのである。


 史実においては、この時代はアメリカ製の機械式キャッシュレジスターが圧倒的なシェアを握っていた。三越ではNCR社製のレジスターが大量に導入され、他の大型店舗でも採用されていたのである。


『レシート印字に対応したぞ!』

『レジ点印字にも対応。これで売り上げの計算が捗るぞ!』

『コインケースも史実のを参考に改良したぞ!』


 この世界ではアメリカとの関係は冷え切っていたため、NCR社のシェアは拡大することは無かった。その結果、平成計算機工業の改良型キャッシュレジスターが国内市場を独占することになるのである。


 新硬貨が本格的に流通し始めると硬貨不足は解消されることになった。

 しかし、物価も相応に上昇しており高額紙幣の支払いによる釣銭トラブルは尾を引くことになるのである。







『紙幣が黒く変色したぞ!?』

『大きさが違い過ぎて財布への収まりが悪い』

『両替機に対応して欲しい。釣銭が足りなくて不便過ぎる』


 1930年代になると、従来の紙幣に対する不満が増大していた。

 使い勝手の良い新硬貨に慣れてしまった人間からすれば、旧態依然とした紙幣は不便極まりなかったのである。


 この問題に対し、内閣調査部は犬養内閣に提言を行った。

 提言は両替機に対応した新紙幣に関するものであり、その内容は以下の通りである。


・両替機に対応するために新紙幣のサイズを統一すること

・偽造防止のための技術を導入すること

・紙幣の製造には完全自給出来る素材を使用すること


 内閣調査部の提言は犬養内閣によって即刻承認された。

 事実上の以下略。中国大好きマンな犬養は、紙幣のことなどアウトオブ眼中だったのである。


『自販機に対応するためには、少なくとも縦のサイズを共通化する必要があるな』

『縦のサイズが同じならば、財布への収まりも良くなるからな』

『史実だと縦のサイズは76mmだったはず。面倒だから以後のお札はこのサイズに統一しちゃいませんか?』


 平成の時代に生きていたモブたちからすれば、直接手にしていた諭吉さんのサイズがベストバランスであった。両替機に対応した新紙幣は縦のサイズを76mmにして、横のサイズで差別化を図ることになったのである。


『額面は1円、5円、10円が妥当か? この時代だと物価上昇ですぐに使えなくなりそうな気もするが』

『両替機の需要は比較的低額な額面なので問題無いと思います。それよりも、いきなり高額紙幣に対応すると防犯上の問題が出そうで……』

『あー、それはあり得るな』


 この時代には額面だけならば100円札も存在していた。

 いわゆる大黒札というやつであるが、史実21世紀の価値に換算すると25万円近い価値となりおよそ実用的とは言えないものであった。


 この大黒札には、紙質補強のためにこんにゃく粉が混入されていた。

 そのためか虫やネズミにかじられることが多く、現状では銀行の金庫の肥やしと大差無い扱いをされていたのである。


 さらには偽造防止用に採用された青インクにも問題があった。

 温泉の硫化水素と反応して黒く変色してしまい、逆に偽造されやすくなったために改造100円札を発行する騒ぎとなったのである。


『額面は良いとして、肖像画を誰にするべきだろうか?』

『聖徳太子は鉄板でしょうけど、その他の人となるとピンと来ないんですよねぇ』

『夏目漱石や新渡戸稲造は使えないか……』

『旧紙幣をそのまま流用するのが無難でしょうね』


 デザインは旧紙幣の意匠を流用しつつも、平成時代のお札っぽくアレンジしたものに決定した。肖像画は中央でなく右側に配置され、数字と漢数字が併記されたのである。


『両替機や自販機の更新需要を掘り起こすためにも、定期的にデザインの刷新が必要でしょう』

『定期的に更新して、その都度新たな偽造防止技術を導入するわけだな』

『災害の多い日本で最後にモノをいうのは現ナマだ。何が何でも偽造は防止しなければいかん』


 キャッシュレス化が急速に進む史実21世紀において、未だに日本人が現金を信奉しているのは災害の多さが原因であろう。電気が止まればキャッシュレスどころではないのである。


「これがお札の原料になるとは信じられんなぁ……」


 岡山県樫邑(かしむら)地域の美和村。

 隣接する山の斜面には、和紙の原料となる三椏(みつまた)が大量に栽培されていた。


「おぉ、会長さん。おいでんせぇ」


 斜面を見つめる男――平成会岡山県人会会長に、美和村の村長が声をかける。

 村長は70過ぎの老人であったが、腰も曲がらず矍鑠(かくしゃく)としたものであった。


「あ、村長さん。お久しぶりです」


 県人会長も挨拶を返す。

 二人はそれなりに長い付き合いであった。


「それにしても、ここまでしていただいて感謝の言葉もありませんのぅ」


 しみじみと語る村長。

 過疎化が進んでいた美和村であったが、平成会によって産業が起こされて人口増加に転じていたのである。


「この事業は御国のためになりますからね。採算なんて度外視ですよ!」


 心にもないことを(のたま)う県人会長。

 彼の脳内は利権に染まっていたのである。


『三椏は繊維が長いから丈夫なお札が出来るというぞ』

『史実だと三椏を海外からの輸入に頼っていたらしいが?』

『そんなことは許されん。何が何でも100%自給を目指さなければ!』


 三椏を原料にすると丈夫で光沢のある和紙を作ることが出来る。

 偽造されないお札を作るにはまずは原料からというわけで、内閣調査部は紙幣の材料に三椏を指定したのである。


 三椏は美和村を含む樫邑地域の特産品であるが、山の斜面での栽培と加工は重労働であった。若者は都市部に出稼ぎに出るなどして、就労者は高齢化が進んでいたのである。


 この問題に対して県人会長が採った解決策は機械力の導入であった。

 山の斜面にエンジン駆動の小型モノレールを敷設して現場への肥料の運搬と伐採した三椏の運搬を担わせたのである。


 岡山県人会謹製の小型モノレールは史実のモノラックを参考にしたものであった。本来は非乗用なのであるが、現場では出力と許容重量に余裕があるため移動の手段にも用いられた。


 欲にまみれた県人会長の暴走は、これだけにはとどまらなかった。

 点在していた小規模な加工施設を買収し、新たに最新設備が整った大規模加工施設を建設したのである。


 機械化による運搬手段の確立と大規模加工施設の稼働によって、三椏の生産量は飛躍的に増大した。周辺道路も整備され、毎日のようにトラックが和紙を積んで出発するのが風物詩となったのである。


 和紙となった三椏は大蔵省の印刷局で紙幣にされた。

 透かしや磁気インク、微細加工など偽造防止技術がてんこ盛りになったのは言うまでも無いことである。


 新紙幣の本格的な流通は1935年以降となった。

 対応した両替機はその翌年以降となったが、紙幣を硬貨に両替出来るようになって格段に利便性が増すことになったのである。


『なんだこれ!? お金を入れるとジュースが出てくるぞ!?』

『タバコも買えるのか!? これで夜に切らしたときでも買いにいけるな』


 両替機の普及に合わせて自販機も普及していった。

 最初は瓶ジュースのみであったが、タバコが販売されるまでさほど時間を要しなかった。


『やっぱり缶コーヒーだろ!? 缶コーヒーを開発せねばならんっ!』

『紙コップのジュースも捨てがたいだろ!?』

『アイスの自販機も欲しいぞ!』


 これがホット&クール機になり、秋葉でおでん缶が売られるようになるまで以下略。ここらへんは平成会のモブの独壇場であり、彼らの趣味嗜好が全開な自販機が続々と開発されていったのである。







「「「……」」」


 誰もが黙して語らない。

 クレムリンの会議室は重苦しい沈黙に包まれていた。


「……何か名案はないか? このままではソビエトは柔らかい脇腹を食い破られるやもしれぬ」


 ボソリと呟くような、それでいて広い室内に響き渡る声に側近たちは震え上がる。誰もが怒れる筆髭――ソ連書記長ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリンを恐れていたのである。


「ど、同志スターリン! 同志の指揮する赤軍は無敵であります。今回の危機も……」

「連れていけ」


 GPU(内務人民委員部附属国家政治局)の隊員が、うかつな発言をした側近を連行していく。シベリア行きで済めば御の字であろう。


 普段から容赦の無い暴君であったが、輪をかけて酷いのはソ連が置かれた状況故であった。ドイツ帝国がかねてより建設していた4ABC鉄道が遂に完成してしまったのである。


 ベルリン、ビザンティウム、バクダード、バグラーム、そして中華民国へ至る大陸横断鉄道が4ABC鉄道である。口さがない平成会のモブたちからは『逆一帯一路』と呼ばれていた。


 この鉄道の完成によって、中東の石油に加えて中華民国や満州国の資源を速やかに輸入することが可能となった。海路を頼らない資源輸入ルートの確立はドイツ帝国の悲願だったのである。


 しかし、スターリンが恐れていたのはドイツ帝国の継戦能力の強化では無かった。恐れてはいたが、真に恐れていたのは別のことだったのである。


(どいつもこいつも無能に過ぎる。あの鉄道の恐ろしさを理解しておらん……!)


 スターリンは内心で歯噛みする。

 彼が4ABC鉄道を恐れる理由は、ソ連の柔らかい脇腹を衝かれることだったのである。


 4ABC鉄道はアフガニスタンを通過する。

 それはすなわち、ドイツ帝国がアフガニスタンに速やかに戦力を派遣出来るということでもあった。


(アフガンからカザフに侵攻、欧州戦線と連動してモスクワで挟撃、か……)


 スターリンの脳裏に最悪の想定がよぎる。

 西部に戦力を集中している現状では、この戦法を取られたらただちに対応することは不可能であった。


 しかし、4ABC鉄道敷設ではドイツ帝国はかなりの譲歩をしていた。

 線路が敷設されている国家の独立保障はもちろんのこと、限定的な防衛義務まで担っていたのである。


 鉄道を敷設してもドイツ帝国が中東で好き勝手出来るというわけではない。

 そんなことをすれば、血反吐を吐く勢いで利害調整をした外務大臣コンスタンティン・フォン・ノイラートの努力は水の泡である。


 現状ではスターリンの最悪の想定は杞憂と言える。

 本人は知る由は無かったのであるが。


「所詮は鉄道です。破壊工作をしかければ……」

「連れていけ」


 最後まで言うことを許されずGPUに連行されていく側近その2。

 側近が言うまでもなく、スターリンは4ABC鉄道を破壊するべく部隊を派遣していた。しかし、その結果は悲惨なものであった。


『くそっ!? なんでバレた!?』

『ど、同志。アレを……』

『気球だとぉ!?』


 鉄条網を抜け、さらにその先に存在するであろう鉄路に接近する前に赤軍の特殊部隊は発見されていた。ドイツ帝国軍は武装装甲列車に気球を括り付けて高い索敵能力を獲得していたのである。


 アナクロな手段ではあるが、気球による監視は有効であった。

 線路の周辺には遮蔽物も何も無いのである。


『ちょ、待て!? 嘘だろう!?』

『嘘でもなんでも無いですよ!? 早く逃げ』


 最後まで言う前に特殊部隊は88mm高射砲(アハトアハト)の直撃で四散することになった。

 武装装甲列車は路線保守も兼ねており、貨物列車とセットで運用されていた。発見されようものなら遠距離からアハトアハトを容赦なく撃ちこまれるのである。


『接近すれば、あのデカブツも撃てま……』

『ぐわっ!?』


 距離を強引に詰めようとした別の特殊部隊は問答無用でハチの巣にされた。

 武装装甲列車にはハリネズミの如く機関銃が装備されていたのである。


『馬鹿なこちらが見えているのか!?』

『ひっ、こっち向いた!?』


 ちなみに、夜間の襲撃にも対応していた。

 ドイツ帝国技術陣は史実よりも早期に赤外線暗視装置(ノクトビジョン)を完成させており、気球に設置されたノクトビジョン付き双眼鏡によって暗闇でも丸見えだったのである。


「で、同志。何か名案は無いかね?」


 蛇に睨まれた蛙の如き、側近その3。

 このままだと前任者と同じ運命を辿るはずであった。


「……ドイツのマルク札の偽札を大量に作ってばら撒きます」


 しかし、側近その3には秘策があった。

 それはまさに天啓と言うべきものであった。


「ほぅ? 続けてくれたまえ」


 スターリンも興味を示す。

 連行されていった側近その1、その2とは明らかに違う態度である。


「偽札を大量にばら撒けばマルクの信用を失墜させることが出来ます。ドイツ帝国の経済活動を攪乱することが出来るでしょう」

「なるほど。経済を混乱させてドイツの戦争能力を削ぐということだな。面白い」


 ここまで来れば勝ったも同然であった。

 側近その3はスターリンの信頼を勝ち取ることに成功したのである。


 偽札工場は満州国に設置された。

 中立国であったので、手続きに瑕疵が無ければソ連の人間でも問題なく入国出来たのである。


 印刷機械は主に日本から仕入れられた。

 平成会のモブたちの熱意によって、この世界の日本では高性能なオフセット印刷機が開発されていたのである。


 偽札の原版の作成にはイタリアから職人をスカウトした。

 1mm幅に10本の線が引ける凄腕の職人によって、精巧なマルク偽札の原版が完成したのである。


「……駄目じゃ。全部やり直してくれ」

「何故だ!? 寸分違いない出来ではないか!?」

「綺麗すぎるんじゃよ。これではかえって不自然になる」


 マルク偽札の最終的なチェックを担当したのはサロモン・スモリアノフである。

 史実では旅券や贋札のニセ作師として国際的に暗躍しており、国家ぐるみの偽札作りである『ベルンハルト作戦』の中心人物でもあった。


 ロシア系ユダヤ人である彼は、ドイツ帝国で贋造の罪で指名手配されていた。

 逮捕される前に満州国へ逃亡していたのであるが、そこで偽札作りにスカウトされたのである。


 スモリアノフ監修の偽マルク札は本物以上の出来栄えとなった。

 マルク・元ブロック経済圏を根本的に破壊しかねない危険物が解き放たれる日は着実に近づいていたのである。







「くっくっく、いやぁ愉快愉快! これが全て丸ごと偽札で買ったものだとはのぅ!」

「偽マルク札をばら撒くのではなく、使うという発想は無かった。さすがは同志スモリアノフだな」


 大連港の片隅に停泊する貨物船。

 その船内の一室では、スモリアノフとスターリンの側近が祝杯をあげていた。


 この貨物船と中に積まれた最新のドイツ製機械は全て偽札で調達されたものであった。スモリアノフが完成させたマルク偽札は全く疑われることが無かったのである。


「で、同志よ。この船は何処へ行くんじゃ?」

「ウラジオストクまでだ」

「なんだ、意外と近所ではないか」


 当初の計画では偽札をばら撒いて経済を混乱させるだけであった。

 しかし、スモリアノフの意見が採用されて積極的に偽札を使用することにしたのである。


「うむ、なかなか満州の酒もいけるではないか」

「こんな料理、クレムリンでも食べられん。これは役得だな!」


 船室には酒と料理が溢れていた。

 二人は大いに酒を飲み、料理をかっ喰らったのである。


 マルク・元ブロック経済圏である満州国と中華民国ではマルク札も流通していた。そこに目を付けたスモリアノフたちは偽札で買い物をしまくった。現地人を偽札で札束ビンタしまくったのである。


 ここまで露骨なことをすればバレそうなものである。

 しかし、二人は如何にもドイツ紳士に見えるよう変装していた。そんな彼らがマルクの札束を出せば疑いようもない。


 もちろん、急激に増えたマルク札を満州国と中華民国の当局者たちは疑っていた。しかし、いくら調べようにも偽札と見破ることが出来なかったのである。


「……同志スモリアノフ。着いたぞ」

「んぁ? なんじゃもう着いたのか」


 船窓からは港が見える。

 貨物船は3日かけてウラジオストクに到着したのである。


「ここから載せ替えになる」

「これはまた壮観じゃのぅ」


 二人の眼前には、ウラジオストク港に新設された貨車操車場(ヤード)が広がっていた。

 港に荷揚げされた物資は、ここで積み替えられてシベリア鉄道経由でモスクワまで送られるのである。


「よし。戻るぞ同志スモリアノフ」

「なんじゃい、もうちっとゆっくりしても……」

「こんな最果ての地よりも満州のほうが休めるぞ?」

「それもそうか」


 荷物を見送った二人は直ちに踵を返す。

 ここでは偽札は使えないのである。さっさと帰って満州で豪遊するが吉であった。


「……なぁ、(わし)思ったんだけど」

「なんだ? 同志スモリアノフ」

「兵器の直接買い付けとか出来ないものかのぅ?」

「その発想は無かった……!」


 スモリアノフの大胆過ぎる発想に側近は戦慄する。

 これまでドイツ製の加工機械やレアメタルを(偽札で)購入してきたが、兵器を直接買うなんて発想は毛ほども無かったのである。


 一見すると無謀極まりない発想と言える。

 しかし、満州国は中立国であるので決して不可能では無い。


 あくまでも満州国は中立の立場である。

 それ故に、ソ連でも商社を介せば取引は出来る。もちろん、先立つものは必要であるが。


 とはいえ、いかに満州国が中立であろうとも馬鹿正直にソ連の商社にモノを売るとは思えない。そこでワンクッションが必要となるのである。


 最近のドイツ帝国は中華民国に軍艦を発注していた。

 建造トン数は増大の一方であり、中華民国では需要に応えきれず満州国に孫請けさせるケースが増えていたのである。


 二人はそこに付け込んだ。

 中華民国にペーパーカンパニーを作って、満州国の造船所に孫請けを装って軍艦を発注することにしたのである。


「……ここでは主に巡洋艦クラスの艦艇を建造しています。もうすぐドックが空くのでお客様の発注には迅速にお応え出来ますよ!」


 満州国のとあるドックでは、ドイツ帝国向けの巡洋艦を建造中であった。

 既に船体は完成しており、近日中に進水式が行われる予定だったのである。


「ふむ。今作っているヤツと同じで良い。手付(てつけ)はこれで足りるか?」


 側近の目くばせに、同行していたスモリアノフがアタッシェケースを開く。

 中には(偽)マルク札がぎっりしであった。


「それはもう! 早速ですが具体的な話を詰めさせていただきたい。おい、お二人にコーヒーをご用意しろ!」


 揉み手せんばかりなドックの所長。

 その後、正式な建造契約が結ばれたのは言うまでも無いことであった。


「でかしたぞ同志!」


 スターリンは、クレムリンの執務室で満州帰りの側近を激賞する。

 その笑顔は、まさにUR(ウルトラレア)ものであった。


「同志、君の国家への貢献は比類なきものだ。わたしとしてはそれに報いたいのだが……」


 しかし、URな笑顔は長くは続かなった。

 筆髭は猜疑心全開な相手を探るような表情となる。いつも通りと言えばそれまでなのであるが。


「同志スターリン、わたしはこの仕事に誇りを持っています。出来ればこの仕事を続けていきたいです」

「……そうか。そういうことならば是非もないだろう。すぐに戻りたまえ」

「ありがとうございます!」


 スターリンからすれば、下手に栄転させて自分のライバルと化すのは避けたかった。側近からすれば、下手な出世は死亡フラグ以外の何物でも無かった。つまりは、双方にとってWIN-WINな選択だったのである。


(あっちで大富豪なのに、何を好き好んで泥船に乗る必要があるのだ)


 側近からすれば、スターリン体制は泥船以外の何物でもなかった。

 出世しなくても粛清される可能性があるし、出世したらライバル視されて理不尽に粛清される未来しかない。そんなことなら、満州で思う存分に偽札で豪遊したほうがマシというものである。


 元側近とスモリアノフは本国からの指令を適度にこなしつつ、満州で謎の大富豪として成り上がっていった。製造された偽札はマルクだけでなく、クローネ、ポンド、円など多岐に渡ったのである。


 最終的にマルク・元ブロック経済圏が受けた経済被害は天文学的なものとなった。ドイツ帝国は旧紙幣を回収して新マルク札を発行することになるのである。







「明日は決戦の時。買い出し部隊準備は良いか!?」

「「「応っ!」」」


 深夜の永田町でも煌々と明るい内閣調査部ビル。

 毎度ブラック社畜なモブたちであったが、今日は様子が違っていた。


 会議室に集まったのはモブたちはカラフルなシャツにズボン、さらにはスニーカーを履いていた。史実20世紀のオールドオタクスタイルを彷彿とさせる服装である。


「トートバッグは!?」

「「「良し!」」」


 全員ノリノリで手持ちのトートバッグを突き上げる。

 このトートバッグは、平成会傘下のアパレル企業がオタ活のためだけに製造した特注品であった。


 このトートは分厚いポリエステル生地を縫製しているために極めて頑丈であり、分厚い底板が敷いてあるので戦利品を大量に入れても見た目が崩れにくかった。底板は敷いているだけなので、不要ならば外して内ポケットに入れることも出来た。


 特筆すべきはサイドファスナーの存在である。

 トートバッグを肩に抱えたまま、サイドファスナーを開いて出し入れが出来るのである。


 その他にも内ポケットやサイドポケットも充実。

 まさにオタ活のためのアイテムと言っても過言では無い完成度となっていたのである。


「飲み物は!?」

「「「良し!」」」


 全員ノリノリで以下略。

 今回は冬コミなので、温かい飲み物を入れられる魔法瓶持参である。


この魔法瓶も平成会傘下の企業が開発したものである。

スリムな見た目の割には大容量であり、保温時間も長い逸品であった。


「食べ物は!?」

「「「良し!」」」


 こちらは好き好みが分れる形となった。

 一口羊羹を出すものもいれば、手作りサンドイッチを出すモブもいた。


 この世界のコミケでは平成会によって飲食物販売に力が入れられていた。

 しかし、それでも来場者の全てが食事を摂ることは事実上不可能であった。歴戦のコミケ戦士であれば昼食持参は常識なのである。


「釣銭は!?」

「「「良し!」」」


 全員がずっしりと重い小銭入れを突き出す。

 中身は1銭硬貨と5銭硬貨がぎっしりであった。


『え? 無償で賽銭開きを手伝っていただけでなく、両替までしていただけるのですか?』


 当初、この話を持ち込まれた平河天満宮の宮司(ぐうじ)は困惑した。

 あまりにも話がうますぎると思ってしまったのである。


 この神社は内閣調査部とはご近所であり、困ったときの神頼みとばかりに日頃からモブたちは多額の玉串料を納めていた。そんなわけであるから、モブたちの頼みを宮司は断ることが出来なかったのである。


 内閣調査部のモブたちからすれば、ちょっとお手伝いしただけで釣銭が手に入る。神社側からすれば、賽銭開きを手伝ってくれるうえに銀行に持ち込むことなく両替出来るわけで双方にWIN-WINな関係であった。


 そんな経緯のためか、この世界の平河天満宮はコミケの神さまとしても信仰されることになる。(まつ)られている道真公からすれば、とんでもなく迷惑なことであることは言うまでも無いことであろう。


「よし、では買い出しリストを配布する! 今年は達成率100%を目指すぞ!」

「「「応っ!」」」


 モブの一人一人に買い出しリストが配布される。

 コミケに参加出来ない内閣調査部のモブ全員分なので、買い出しリストを作る必要があるほどの分量になってしまうのである。


「それでは出撃する。全員乗車!」

「「「応っ!」」」


 最終チェックを完了すると、ビルの玄関に止められた自動車に分乗する。

 ヘッドライトのビームが闇を切り裂き、続々と買い出し部隊は出撃していったのである。


「よし、着いたぞ。全員降車!」


 深夜0時。

 買い出し部隊は築地の勝鬨橋近くのセーフハウスに到着していた。


 コミケ会場(晴海)へは、ここから勝鬨橋を渡って1km足らず。

 この世界のコミケでも徹夜組は規制されていたので、ここで時間を潰してから一番乗りするのである。


「朝5時だ。起きろ!」

「「「!?」」」


 買い出し部隊のリーダーの声に反応して飛び起きるモブたち。

 差し入れられた朝食を手早く済ませ、ついでにトイレも済ませる。


「よし、今こそ決戦の時。いくぞおまえらっ!」

「「「応っ!」」」


 フル装備のモブたちが駆け足で勝鬨橋を渡っていく。

 その様子は軍隊染みており、彼らが歴戦のコミケ戦士であることを如実に示すものであった。


『ただいまより、第48回コミックマーケットを開催致します』


 素敵な声のお姉さん――いわゆるウグイス嬢であるが、彼女のアナウンスと同時に会場は人で埋まってゆく。当然ながら、内閣調査部の買い出し部隊は先頭を独占していた。


 世界中に偽マルク札が盛大にばら撒かれていたが、この世界の日本のコミケは平常運転であった。ドイツ帝国と満州国と中華民国の阿鼻叫喚など、大半の日本人には関係のないことだったのである。


『なんじゃこりゃ!? これはもう紙の材料を調達するところから始めないといかんぞ!?』

『同志スモリアノフ。紙幣用の紙を流用するわけにはいかんのか?』

『これはもうそんなレベルじゃない! いったい何の植物を使っているのだ!? しかも、偽造防止のための技術がてんこ盛り過ぎる……くくっ、燃えて来たぞぉ!』


 じつは円の偽造は既に試みられていた。

 しかし、世界屈指の贋作者スモリアノフの腕をもってしても偽造防止技術山盛りな円札の偽造は困難を極めていたのである。


『まさか史実のベルンハルト作戦をアカどもがやってくるとはな』

『5ポンド紙幣は対策済みであるが、念のため市場からの回収を急ぎましょう』

『それが良いだろう。本物と区別がつかない偽札は厄介極まり無いからな……』


 英国はソ連版ベルンハルト作戦を察知しており、史実でターゲットにされた5ポンド紙幣の回収を急いだ。そのうえで偽造防止技術を盛り込んだ改造札を流通させることで偽札に備えることになったのである。


 結果的に円とポンドは偽札被害を免れることになった。

 しかし、クローネやフラン、ペソやリラなどの偽札が大量に出回って各国経済に大打撃を与えることになるのである。

コミケの釣銭問題をネタにしたら、思っていたよりも話が大きくなってしまいました(汗


硬貨と紙幣が史実並みに規格化されたので、この世界の日本では戦前から自販機大国になることでしょう。


>『裸で表に出ることを許可せよ』と訴える一揆が明治時代初期には何度も起こったくらいである。

さすがは江戸時代に獣姦や触手を受け入れていた民族というべきか。

史実21世紀のアダルトコンテンツの充実っぷりを見ると、血は争えないですね…(汗


>二番煎じをしていた済州人たちが虎の尾を踏んでしまい……

本編第42話『怒髪天』参照。

よりにもよって、テッド君の同人誌のエロ2次創作を本人の目の前で売ってしまったので…南無ぅ( ̄人 ̄)ちーん


>根こそぎドーセット領に強制連行されてしまったのである

本編第44話『持ち出しが多過ぎるビジネス』参照。

やらかした過激派連中は、賠償金替わりにドーセット領にドナドナされることに……(ノ∀`)


>平成の時代にはお馴染みだったガラス張りの電話ボックス

総ガラス張りなのは防犯上の理由だそうです。

小さい頃はそこら中にありましたが、最近はめっきり見なくなりましたねぇ(´・ω・`)


>『変造500ウォン硬貨許すまじ!』

うちの弟の修学旅行でこれが使用されて警察沙汰になりました。

一時期はコミケでも出回って方々に迷惑をかけまくった諸悪の根源です。許すまじ!(# ゜Д゜)


>『史実の陶貨が小さくてブ厚かった理由が分かった気がする』

実際のサイズは小さなボタンくらいです。

落としたときに割れてしまうからだと思いますが、小さすぎてありがたみが無いですよね。当時はそれどころじゃなかったと思いますが。


>特に普及したのは2銭ガチャガチャであり

元ネタは昭和末期に流行した20円ガチャです。

おいらが子供ころには既に200円ガチャガチャがありましたが、30円とか50円のガチャガチャをよく回してましたねぇ。


>「わーい、筋肉男だーっ!」

もちろん元ネタはキンケシです。

小さいころはよく集めてたなぁ…。


>男の目の前に鎮座する真っ赤な筐体。

もちろん、元ネタは赤くてデッカイあんちくしょうです。

おいらが子供のころには、あれをやる勇気はありませんでした。


>食品サンプル

日本が世界に誇る変態技術。

海外だとジョークグッズとして大人気だったり。


>紙質補強のためにこんにゃく粉が混入されていた。

和紙……コンニャク……うっ、頭が……!?


>1mm幅に10本の線が引ける凄腕の職人

元ネタはゴルゴ13です。

マフィアが偽札の原版を作るのにイタリアから職人をスカウトしていました。


>トートバッグ

元ネタはオタ活向けバッグブランド『ジョイカバ』が販売している『カウモ 買いまわりトートA4』です。コミケなど同人誌イベント用に開発されたトートバッグということで、そっち目的に特化した使い勝手の良いトートバッグだったりします。


>史実でターゲットにされた5ポンド紙幣の回収を急いだ。

史実のベルンハルト作戦は英国の経済活動を攪乱することが目的でした。



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コミケの両替問題から偽札事件に! そして再びコミケの両替問題! 温度差で風邪引きそうwww >エロ厳禁 戦前までは寄席にも警察官がいて、噺家がエロい話をすると咳払いしてたそうですな。 んで、もののわ…
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