変態紳士の仲人事情―ローズマリー・レブソン=ガワーの花嫁修業編―
「当家にとってはありがたい申し出ではあるが……信用して良いのかね?」
「信用するも何も、国王陛下直々のオーダーですよ」
「ならば、あとは本人の意思次第だな」
1930年10月某日。
英国ハイランド地方に所在するダンロビン城では、関係者による話し合いがもたれていた。
窓から庭園と海が見渡せる応接室に居るのは、第4代サザーランド公爵クロマティ・サザーランド・レブソン・ガワーと初代ドーセット公爵テッド・ハーグリーヴス。そして……。
「……」
サザーランド公の横に座る複雑な表情のアラフォー美女――公爵家の4女であるローズマリー・ミリセント・サザーランド・レブソン・ガワーの3人であった。
『ちょっ、なんで僕が王子の婚約者を見つけなければならないんですか!?』
『元はと言えば、公のコミックが原因であろう。責任をとってもらうぞ!』
『あのときは女癖の悪さが治ったって喜んでくれたじゃないですか!?』
『息子たちの面倒も頼むとも言ったぞ! 今こそその時だ!』
『ああああああああ!?』
エドワード王太子の結婚問題を英国王ジョージ5世はテッドに丸投げした。
理不尽極まりない話であったが、グレートブリテン貴族である彼に拒否権は存在しない。悲しきは貴族社会である。
「わたしは今まで仕事に生きてきたのよ? 今更エドと結婚なんて……」
唐突な話に逡巡するローズマリー。
婚期を逃しかけていることに内心焦ってはいたものの、はいそうですかと結婚出来たら苦労はしない。
史実のエドワード8世が最初に付き合った女性がローズマリーである。
エドワードからプロポーズして彼女はそれを受け入れたのであるが、ローズマリーの身内のやらかしで婚約は解消されてしまった。その後の二人は親友として交流を続けたのである。
この世界においても二人の関係は概ね同様の流れを辿っていた。
ただ一点において、決定的に異なる要素が加わっていたが。
「……むしろ、テッド君の愛人に立候補するというのはどう?」
「ふぁっ!?」
「ロージー!? いきなり何を言っておるのだ!?」
ローズマリーの唐突な宣言に驚愕するテッド。
彼女の隣に座るサザーランドも困惑していた。
「この間、堂々とおチヨを紹介していたじゃない。今更一人増えたところでどうということもないでしょう?」
砕けた口調で語るローズマリーの態度は、初対面の人間に向けるものではない。
彼女はテッドと面識があったのである。
テッドとローズマリーの出会いは1908年にまで遡る。
生きるのに必死だった貧乏画家もどきと、英国有数の大貴族の御令嬢を結び付けたのは似顔絵であった。
当時のテッドは根無し草であり、ハイドパークで似顔絵を描いて日銭を稼いでいた。そこに通りかかったのがロンドン観光をしていたローズマリー(当時15歳)だったのである。
『ほい、さらさらさらっとな』
テッド(当時15歳)の手によって10分足らずで似顔絵は完成する。
手抜きながらも背景まで描いているのは何気に凄い。
『これがわたし? すごいわ!?』
完成した似顔絵に感動するローズマリー。
写真とは全く違う出来栄えに感動していたのである。
当時主流だったデッサン系の似顔絵とは違い、テッドの似顔絵は漫画タッチな画風であった。
当初は受け入れられずに苦労していたのであるが、そこはさすがチートオリ主。
依頼人の要望を取り入れた漫画タッチな似顔絵というコロンブスの卵の如き発想で人気を呼んでいたのである。
『この絵のような素敵なレディになれるよう頑張るわ!』
ローズマリーの依頼は20歳になった自分であった。
テッドは、ご要望どおりにアダルト体形な彼女の似顔絵を完成させたのである。
『ちょ、それはいくらなんでも無理過ぎぃ!?』
『大丈夫。貴方なら描けるわ!』
『こんなん描いたら牧師さまに睨まれるぅぅぅぅっ!?』
似顔絵を大層気に入ったローズマリーは、その後も様々なシチュエーションの似顔絵を描かせた。足繫く通って、その都度テッドに無茶ぶりをしたのである。
新聞で4コマ漫画の連載が始まり、多忙となったテッドは似顔絵描きを廃業せざるを得なくなった。それでも彼女は熱心なファンとして、新聞社を通して文通を続けていた。
しかし、二人の蜜月(?)関係は唐突に終わりを告げた。
急遽連載が取りやめられ、新聞社に問い合わせてもテッドの行方は知れなかったのである。
ローズマリーは八方手を尽くしてテッドを探したのであるが、当時のテッドは円卓の庇護下だったので見つけることは出来なかった。仮に見つけることが出来たとしても、アメリカに居たのでどうにもならなかったのであるが。
『やっと見つけた! まさか貴方が噂のドーセット公だったなんてね……』
『そ、その声は!?』
二人が再開したのは10年後のことであった。
ドーセット公として社交界に出るようになったところをローズマリーに捕獲……もとい、発見されたのである。
『さすがに公爵さまに似顔絵を描いてもらうのは畏れ多いわねぇ』
『いや、なんで僕が描くことが前提になってるの!?』
『そうだ。わたしこれでも赤十字のお偉いさんなのよね。ポスターを描いてくれないかしら?』
『全然話を聞いてくれないぃぃぃぃっ!?』
二人の交流は英国赤十字を介して現在も続いていた。
ローズマリーの個人的なコネで、テッドは赤十字のポスター製作を請け負っているのである。
「……まさか、ロージーとドーセット公が付き合っていたとはな」
「いや、これって付き合いにカウントされるんですか!?」
「何言ってるの? あの二人よりも長い付き合いじゃない」
サザーランドは、娘がテッドと交友があったことを知って驚愕していた。
しかし、さすがは英国有数の大貴族と言うべきか。最大の利益を享受するべく頭脳をフル回転させる。
「……そういうことであれば、今回の縁談に失敗したらドーセット公の愛人になるのを認めようではないか」
「さすがお父様!」
「ちょ、僕の意見は!?」
ローズマリーがエドワードと結婚すれば、サザーランド公爵家は外戚として王室に影響力を行使出来る。結婚出来ずにテッドの愛人に収まることになっても、ドーセット公爵家の豊富な資金力を得ることが出来る。どっちに転んでも損は無いのである。
(どうしてこうなった……)
テッドは、その場で頭を抱えたい気分であった。
失敗して愛人枠が一人増えることになろうものなら、マルヴィナとおチヨが何をしでかすか分かったものではない。仮にローズマリーが二人と上手くやっていけたとしても、搾る力が2倍から3倍にパワーアップして枯れ死にしてしまうであろう。
(こうなったら、どんな手を使ってでも王太子とローズマリーを結婚させる。絶対にだ!)
悲劇を回避するためには、エドワードとローズマリーを結婚させるしかない。
テッドは二人の仲を進展させることに全力を尽くすのであった。
「えーと、サザーランド公爵家の娘ローズマリー・レブソン=ガワー? めちゃくちゃ美人じゃないですか!?」
「この人、史実でウィンザー公と付き合っていたんですよね? なんで破局したんです?」
ドーチェスターハウスの執務室。
平成会の元過激派モブは極秘資料に目を通していた。
「あの、ドーセット公? なんでうちらにこんなのを見せたのです?」
「うん、もっともな疑問だよね。彼女を再教育して欲しいんだ」
「再教育……ですか?」
いきなり呼び出されて、資料を見せられたあげくに再教育をしてくれと頼まれる。はっきりいって、意味不明である。
「王太子に嫁をあてがえと国王陛下から勅命を受けたのだけど、僕の人脈にそんな都合の良い女性はいなくてさぁ」
「だったら、過去の女を王太子好みに再教育してあてがっちゃえと?」
「Exactly」
「「「うわぁ……」」」
テッドにドン引きする元過激派モブたち。
爽やかな顔をしているくせに、言ってることは鬼畜である。
「あ、先に言っておくけど本人に了承は取っているよ?」
「了承が無かったらマジで鬼畜外道じゃないですかやだー!?」
「もちろん、タダとは言わない。相応の報酬を出そうじゃないか。必要経費込みで1万ポンドでどう?」
「「「やりますっ!」」」
報酬は現在の日本円に換算して8000万円弱である。
もちろん、元過激派モブたちは即答で再教育を引き受けたのであった。
「ドーセット公から資料をもらったのは良いのだが、この人多趣味過ぎないか?」
「このままだと女性の嗜好が絞りこめないぞ」
「史実だとプレイボーイで鳴らしていたのに、この世界じゃ女性経験ゼロってどういうことだよ……」
エドワードの趣味嗜好を分析し、理想の女性像を探る過激派のモブたちはすぐに行き詰ってしまった。この世界のプリンスオブウェールズは女性との交際経験はそれなりにあるものの、女性経験は皆無だったのである。
「というか、ウォリス・シンプソンは何をしてるんだよ? ウィンザー公フラグは何処にいったんだよ?」
「以前王子と付き合ったらしいがすぐに破局したらしいぞ? ドーセット公がそう言ってた」
「20世紀最強の婚活女子でさえ投げ出すとか、もう結婚無理じゃね?」
衝撃の事実に戦慄するモブたち。
史実21世紀の婚活市場を知るモブたちからすれば、金持ちで美形な王太子を婚活女子が放っておくはずがない。
『金持ちで、いい男を見つけて結婚するのが夢なの』
ましてや、相手は金とルックス以外に興味は無いと常々公言していたウォリス・シンプソンである。その彼女が投げ出すほどの地雷物件をどうしろというのか。
ちなみに、この世界のウォリスは英国では有名人であった。
造船業大手のキャメル・レアード社の御曹司との破局が大々的に報じられたからである。
その後も短期間に大恋愛と破局を繰り返し、ウォリスは慰謝料と財産分与で財を成していった。ドーセット領に定住してからは婿探しにターボがかかり、未婚男性からはナマハゲの如く恐れられることになるのである。
「あのウォリス・シンプソンですらダメとなると方向性を変える必要があるな」
「共通の趣味とかあれば良いのですけどね」
「ざっと資料に目を通したが、二人に共通する趣味は見当たらんな。王子はオタクだし、ローズマリー女史はバリキャリだし」
男女の仲で共通の趣味から恋愛にシフトするのは良くある事例であるが、二人の趣味には全く共通点が無かった。無いならば作るしか無いのであるが……。
「あっ、ここ見てくださいよ! 同人誌収集が趣味って書いてますよ!」
モブの一人が目ざとく見つけた王子の同人誌趣味。
これが突破口となったのである。
「同人誌なら我らが専門ジャンル。これは勝ったな。風呂入ってくる」
「アホなこと言ってないでドーセット公に確認するぞ。あの人なら詳しく知ってるだろうし」
資料には同人誌の収集と読破が趣味とは書かれていたが、詳細なジャンルについては記載されていなかった。ならば直接確認するしかない。お茶請けに期待しつつ、過激派モブたちは公爵邸に赴いたのであった。
「王子が好きな同人誌のジャンルが知りたい? それは……」
開口一番、微妙な表情となるテッド。
ドーチェスターハウスの執務室には生姜の香りがほのかに漂っていた。
「このケーキ、生姜の香りがする。美味いっ!」
「色合いからしてチョコケーキかと思ったけど違うんですね。でも美味しいです」
「紅茶が美味し過ぎて涙が……今まで飲んでたのはなんだったんだ……」
そんなテッドの表情に気付くことなく、モブたちはお茶請けに夢中であった。
クリームをたっぷり載せたケーキ状のジンジャーブレッドと、ダージリンの組み合わせは絶品だったのである。
「……王子の好きな同人誌はここにあるよ」
「え? ここって書斎というよりもミニ図書館じゃないですか?」
テッドに案内されたモブたちは目を見開く。
目の前に広がるのは、ぎっしりと同人誌が並べられた書棚の列だったのである。
「どういうわけか、王子は僕が描く同人誌がお気に入りでね。新刊を出すたびに催促してくるんだよ」
「まさか、ここにある同人誌って全部ドーセット公が描いたんですか!?」
「個人で描く分量じゃないだろこれ……」
「酷いときは週に1本同人誌作ってたからなぁ……」
「「「週刊誌かよっ!?」」」
生前は売れない同人作家だったテッドであるが、商業作家並みに筆が早かった。
この世界ではさらに磨きがかかり、月200枚(アシ無し&背景付き)という超絶のペースで同人誌を作りまくっていたのである。
「話は分かったけど本気? 僕が言うのもなんだけど無節操に描きまくったからジャンルはバラバラだし、数も200冊超えてるけど」
「二人に共通する趣味が無い以上、共通の話題を作るにはこれしか手は無いんですよ……」
モブたちに出来たことは、テッドに同人誌の貸し出し許可をもらうことのみであった。エドワードお気に入りの同人誌に詳しくなれば共通の話題として話を転がしやすくなるし、そこから恋愛に発展する可能性も無きにしも非ずなのである。
しかし、モブたちは重大なことを見落としていた。
受験生じゃあるまいし、出されたものを無条件で学習してくれるとは限らない。
結局は本人の熱意次第と言える。
翌日から始めた詰め込み座学で、モブたちはそのことを思い知らされることになるのである。
「へぇ、これがテッド君の描いた同人誌なのね」
「さすがに分量が多いので、一度には持ちきれませんでした。読み終わった分は随時回収して新しいのを補充しますので」
ニュードーチェスターの高級ホテルの一室。
ローズマリーは、テッドの同人誌を手に取って目を輝かせていた。
「あら? わたしがテッド君のところに居座って読破しても良いのよ?」
「奥方さまが滞在しているのでやめてください。ドーセット公からも厳命されていますので」
「ストレスで流産でもしたらドーセット公に恨まれますよ!」
挑発めいたローズマリーの発言を過激派モブたちは必死になって諫める。
ホテルを読書部屋にしたのは、ローズマリーとマルヴィナの接触を避けるためであった。妊娠中に余計なストレスを与えるべきでないとテッドは考えていたのである。
「しょうがないわねぇ。ところで、これってどうやって読むの?」
「そこからですか……」
同人誌の読み方に戸惑うローズマリー。
史実においても、マンガのコマをどの順番で読むかで戸惑う外国人は以外と多いのである。
欧米のコミックスやビジュアルノベルは左から右に読むように描かれている。
これに対して、日本のマンガは一般的に右から左に読み進めるので慣れるまで違和感が強い。日本の漫画を翻訳した作品には、『You may be reading the wrong way!』(この漫画を間違った方向に読もうとしていませんか?)という注意書きのページが付いているほどである。
ちなみに、この世界の英国の同人誌は左から右に読み進める以外は史実日本の漫画と同一であった。これはテッドの同人誌を皆が真似た結果であり、反転コピーして日本語訳を載せれば日本人が普通に読める仕様になっていたのである。
幸いというべきか、ローズマリーはテッドの同人誌に強い興味を持っていた。
真面目に読み進める彼女の姿を見てモブたちは安堵したのである。
「……すみません、ここに置いてあったダンボール知りませんか?」
「知らんなぁ。他の連中にも聞いてみるか」
事件が起こったのは、ローズマリーの詰め込み座学が始まって2日目のことであった。モブたちが梱包していた作品が紛失して騒ぎになったのである。
「えっ、あの箱って即売会に出すやつだったのか?」
「てっきりローズマリー女史が読むやつだと思ってたんだが……」
「な、なんだとぉぉぉぉぉぉっ!?」
即売会の会場とホテルは近い場所にあり、ホテル側の好意で同人作品の一時預り所になっていた。預かり所の近くに置いてあったテッドの同人誌と、即売会用の同人誌を間違ってしまったのである。
「すみません、間違えてしまいました!? ただちに交換を……」
慌ててローズマリーの部屋に向かうたモブたち。
ノックしても返事は無い。しかし、鍵は開いていた。
「うふっ、うふふ……」
意を決して突入したモブたちであるが、既に手遅れであった。
部屋の中には鼻血を流しながら同人誌を読むローズマリーがいたからである。
「嫌よっ!? これこそわたしが求めていたもの。取り上げるなんてあんまりだわっ!?」
「いや、これは即売会に出すヤツでして……」
「ドーセット公の作品はこちらですので、こっちを読んでいただければ……」
「いーーーーーやーーーーーーっ!?」
作品を取り上げようとすると、ローズマリーは激しく抵抗した。
アラフォー美女が泣いて縋って歯茎を剥く姿は鬼気迫るものがある。
「……こほん。失礼、取り乱してしまったわね」
「そ、それはよかったです……」
散々にモブたちを振り回してから、ローズマリーは落ち着きを取り戻していた。
直前の暴れっぷりを嘘のように取り繕える神経は、さすがは英国の貴族子女といったところであろうか。
「そういうことなので、こちらがドーセット公の」
「嫌よ! さっきのを読ませなさい!」
モブの発言を遮って拒絶するローズマリー。
万人受けするテッドの同人誌と違い、元過激派モブの作る同人誌は麻薬の如しであった。免疫が無い彼女は瞬く間に中毒患者になってしまったのである。
「そうね。取引をしましょう」
「取引……ですか?」
不敵な笑みを浮かべるローズマリー。
その様子にモブたちは嫌な予感を禁じ得ない。
「テッド君の同人誌を真面目に読むから、ご褒美に貴方たちの同人誌も読ませなさい」
「えぇ、それはちょっと……」
モブたちは想定外な要求に困惑する。
しかし、彼女の要求を呑むとロクな未来にならないことくらいは直感していた。
「拒否するならテッド君に今回のこと報告するけど? あの人がこんな過激な内容を許すとは思えないわ」
「「「そ、それだけは勘弁してください!」」」
その場で総土下座するモブたち。
どのみち選択肢は無かったのである。
「……らっしゃーせー。新刊入ってますよー」
ホテルから程近い場所にある娼館街。
その一角では小規模な即売会が開催中であった。
娼館街の即売会には他のコミケや即売会には無い特徴があった。
年中無休の24時間営業であり、ブースが空いていれば予約無しで同人誌の頒布が出来るのである。
娼館街で働く平成会の元過激派たちによって即売会は始まった。
彼らは休みが不規則でコミケに行く暇が無かったので、規模は小さくても自前で同人誌を頒布する場所を欲していた。その結果が、前代未聞のコンビニ即売会(過激派モブ命名)だったのである。
「全部もらうわ」
「ありがとうございます! えっ?」
喜んだ瞬間に困惑する売り子モブ。
目の前にいたのは、サングラスをかけて変装したローズマリーだったのである。
「なにをやっているの? 早くしなさいな」
「は、はい」
ローズマリーに急かされて新刊を手渡そうとするモブであったが……。
「違うわよ! ここにあるもの全て寄越せって言ってるのよ!」
「ええええええええ!?」
そう言って、札束を放り投げるローズマリー。
その金額は、ブースに置いた新刊全てを買ってもお釣りがくるものであった。
「いや、一人でそんなに買ってどうするんですか!?」
「保存用と観賞用と布教用に決まってるじゃないの!」
「どこでそんなこと覚えたんですか!?」
ホテルでの一件以来、ローズマリーは急速に同人関連の知識を身に着けていた。
テッドがコミケの創設者なので、彼女が聞けばホイホイと教えてくれるのである。
「あら? 嫌だと言うならテッド君にチクるけど?」
「ど、どうぞ持っていってください……」
「残りは赤十字のわたしのオフィスに送ってね。手間賃を含めても充分でしょう?」
「は、はい……」
意気揚々と去っていくローズマリーをモブたちは止めることが出来なかった。
後日、英国赤十字に勤務する看護師たちの間で同人誌が爆発的に流行することになるのである。
「へぇ、ここがコミケなのね。それにしても凄い人数ね」
「久しぶりに来たけど、相変わらず賑わってるなぁ。ドーセット領でもこの規模のコミケを早く開きたいなぁ」
1930年12月29日午前10時。
ローズマリーとテッドはロンドンの冬コミ会場に居た。
二人が冬コミに一般参加しているのは、ローズマリーをコミケ慣れさせるためであった。エドワード王太子の趣味がコミケ巡りなので、彼女がコミケに同伴すれば二人の仲も進展しようというものである。
「大手サークルは今からだと入手が難しいから、僕のお勧めサークルに案内するよ」
「あ、ちょっと待ってテッド君。是非入手したい本があるのよ」
ローズマリーは、テッドのプランをスルーしてコミケカタログを取り出す。
分厚いコミケカタログには大量の付箋が貼られており、その見た目は受験生の参考書に見えなくもない。
「ちょ、これ全部回るとか無理過ぎぃ!?」
「今日のテッド君は荷物持ちよ。キリキリ働きなさい!」
「ええええええええ!?」
ローズマリーにトートバッグを押し付けられて困惑するテッド。
コミケを案内するはずが、荷物持ちにジョブチェンジさせられてしまったのである。
「まともなランチをコミケでは摂れないというのは本当だったのね」
「そこらへんの事情は日本のコミケも同じかな。昼食は軽くて嵩張らない物を事前に用意すること。もちろん水筒もね」
ショートブレッドを食べつつ、水筒の紅茶を飲む二人。
美男美女のカップルがやると絵になる光景である。
「そもそも午前中で終わるつもりだったんだけど」
「午前中だけだとコミケを全て体験したとは言えないじゃないの。サークルも全部回れないし」
ちなみに、二人のランチはメイド部隊からの差し入れであった。
テッドとしては午前中で切り上げるつもりだったのであるが、ローズマリーの意見を受け入れて午後からもコミケ巡りをすることになったのである。
「さぁ、午後からはペースを上げるわ! このままだとコンプは難しいわよ!」
「へぇ~い」
午後からもローズマリーは元気いっぱいであった。
その後ろをゾンビの如く付いていくテッド。
「……」
そんな二人を見つめる怪しい男が一人。
彼は煙草に火をつけるような仕草をし、その後は何事も無かったように早足にその場を立ち去ったのである。
(俺はついてる。こいつを持ち込めば大金持ちだ)
怪しい男はフリーのカメラマンであった。
たまたま別の取材でコミケ会場に来ていたところで、テッドとローズマリーのカップルを見つけてしまったのである。
(タイトルはコミケで堂々不倫。ドーセット公絶倫疑惑の真実ってとこか? こいつは高く売れるぜ)
ドーセット公のスキャンダルとなれば、大手出版社ならばいくらでも出すであろう。大金に目がくらんだ男は、真っ直ぐに出口を目指したのであるが……。
「すみません。そこのお方」
「あ、なんだよ?」
下を向いて足早に歩いていた男は、声をかけられて絶句する。
目の前にいたのは、黒いパンツスーツにソフトハットを被った中年女性だったのである。
「先ほど撮った写真を破棄していただきたいのですが」
「……なんのことだか分からんな。急いでいるので失礼する」
一瞬男は警戒したが、所詮は女性と侮った。
強引に突破しようとしたのである。
(なんで地面が横になっている……!?)
女性が何かをしたと思ったら、気付いたら横たわっていた。
必死になって身体を動かそうとするが、全く反応してくれない。
「確かこのへんに……あった」
動けない男を尻目に、女性は懐を探る。
やがて取り出したのは、ミノックスカメラであった。手慣れた様子でフィルムを没収する。
「はい、どうぞ」
「ふ、ふざけやがって!?」
ミノックスを返却された男は激昂する。
思わず殴りかかるが、あっさりと躱された。
「わたしが何者かは分かるでしょう? 今なら見逃してあげるのに」
「煩いっ! 俺の飯のタネを返せっ!」
「しょうがないわねぇ……」
女性はため息をつきながら攻撃を避ける。
その動きは尋常のものでは無かった。
「ふっ!」
女性が繰り出した右ジャブが顎にクリーンヒットする。
先ほども意識を刈り取った神速の一撃である。為す術もなく男はダウンした。
「ひっ」
必死に起きようともがく男の鼻先に、凄まじい速さで女性の足が落とされた。
鼻先をかすめたストンピングは、石畳を踏みぬいて大きな音をたてる。
「……これ以上やるというならば、骨の一本や二本覚悟してもらうけど?」
「し、失礼しましたぁ!?」
泡を喰って遁走する男。
その様子を見届けた女性は、またしてもため息をつくのであった。
盗撮被害を未然に防いだ女性は、ドーセット公爵家直属のSPであった。
メイド部隊は基本的にテッドとマルヴィナ、おチヨの専属であるが、SPたちはそれ以外の広範な警護が担当となる。今回はローズマリーを秘密裏に警護するために出張っていたのである。
ちなみに、所属部署が違うだけで訓練内容は変わらない。
彼女もマルヴィナ・ブートキャンプの卒業者であった。
マルヴィナ・ブートキャンプの『町娘を立派なアサシンに』という物騒なスローガンは決して伊達ではない。たとえ2児の母であっても、彼女は一般男性なんぞ瞬殺出来るだけの実力者なのである。
「出刃亀野郎がそっちに行ったわ」
『オッケー。こっちで確保しとくわ』
SPたちはトランシーバーで連携を取りつつ警護を継続した。
彼女たちのたゆまぬ努力によって、テッドたちは安心してコミケ巡りが出来たのである。
「……さて、ここに呼ばれた理由は分かるかな?」
冬コミの翌日。
元過激派モブたちは、ドーチェスターハウスに呼び出されていた。
「「「……」」」
沈黙するモブたち。
状況が全く分からないので迂闊なことを話せない。口は災いの元である。
(ローズマリー女史がやらかしたっぽいが、彼女があのことを漏らしたとは思えない)
(ギルティなら、こんなまどろっこしいことしないだろ。まだ疑ってる段階のはず)
(状況証拠のみならば、まだ逃げられる。ここは根競べだな)
瞬時にアイコンタクトで意思統一を図る。
もはや運命共同体。互いに頼り、互いに庇い合い、互いに助け合うからこそピンチを切り抜けられるのである。
「昨日冬コミに行ったのだけど、ローズマリーが買った同人誌のジャンルがちと偏り過ぎててね……」
ゲ〇ドウポーズを取りながら呟くように話すテッド。
口元が見えないので表情が分かりづらく、威圧感も抜群である。
「いや、それは普通にローズマリー女史の趣味なんじゃないですか? さすがにそんなことで疑われるのは心外なのですが」
「最近のコミケカタログは作品の詳細が載ってますからね。内容を見て興味を持たれたのでは?」
たまらず反論するモブたち。
しかし、それは藪蛇であった。
「ローズマリーが逆リョナやらショタやら、女性上位ものばかり購入してたんだよねぇ。僕は絶対にそんなの描かないし、彼女の趣味と言われればそれまでなのだけど」
「「「……」」」
テッドの言葉に黙秘するモブたち。
心なしか顔色が悪い。空調が効いているのに不自然に汗をかいていた。
「……」
無言のまま、さっと片手を上げるテッド。
どこからともなく、メイドたちが現れる。
「「「……」」」
メイドたちは黙して語らずテッドの後ろに整列していく。
これは怖い。ひたすらに怖い。
「じ、じつはーー」
静寂は長く続かなかった。
テッドとメイドたちのプレッシャーに耐えかねたのか、モブの一人がついに自白したのである。
「全員有罪! こうなったらタダじゃ済まさんぞ!」
言うが早いか、テッドは電話をかけ始める。
「もしもし署長? も〇も〇室使うから空けておいて。うん、とりあえず半年ほど。反省の色が見えないようならば、そのまま延長で……」
電話先はドーセット警察であった。
それも署長室への直通回線である。
ちなみに、も〇も〇室はドーセット警察署に設けられた懲罰房である。
その詳細は一切不明であるが、しばらく悪夢から立ち直れなくなるほどのトラウマを負わされる拷問部屋である――と、関係者からはまことしやかに囁かれていた。
「そこまでよっ!」
絶体絶命のモブたちであったが、救いの手が差し伸べられる。
ドアを開け放って入室してきたのはローズマリーであった。
「えーと……何しに来たのか知らないけど、とりあえず帰ってくれる? 僕はこいつらを処断しないといけないんで」
いきなりの登場に困惑するテッド。
このタイミングでの訪問は完全に予想外だったのである。
「何やってるのテッド君!? 貴方がやっていることは表現の自由の侵害よ!」
「こいつらのやらかしは度を越えているんだってば!」
「多少の暴力や流血表現がなんだっていうの!? そんなもの従軍看護師時代には日常茶飯事だったわよ!」
「過度なエログロは青少年の育成に悪影響が出るんだよっ!」
「「ぐぬぬぬぬぬっ……」」
双方一歩も退かない論戦である。
その内容は、いろいろと残念ではあるが。
「ドーセット領では僕がルールだ! サザーランド公爵家と言えど横やりは遠慮してもらおうか!」
「そっちがその気なら、こっちにも考えがあるわ。切り札を切らせてもらうわよっ!」
「面白い。その切り札とやらで僕を止められるなら止めてみるがいい!」
まさに売り言葉に買い言葉であるが、その直後にテッドは大いに後悔することになった。
「言われなくても……これを見なさいっ!」
「げぇっ!? そ、それは……」
「忘れるはずも無いわよね? 貴方が22年前に描いてくれたんだから」
ローズマリーが懐から取り出したのは、『20年後のわたし』と題した似顔絵であった。当時の彼女がお小遣い全額と、散々に渋るテッドを口説き落として描かせた力作である。
フロックコートの紳士とウェディングドレス姿のカップルが描かれているのであるが、その姿がテッドとローズマリーに極めて酷似していたのである。
「この似顔絵を奥さんに見せたらどうなるかしらねぇ?」
「そ、それだけは止めて!?」
慌てて土下座するテッド。
もはや形勢は完全に逆転していた。
「ま、そういうわけだから私刑はダメよ。こいつらの身柄はわたしが引き受けるわ」
「あ、姉さん! 一生付いていきます!」
「姉御。なんなりとお申し付けください!」
救世主に感謝感激雨あられなモブたち。
ここで終われば綺麗に終われたのであろうが、そうは問屋が卸さなかった。
「へぇ、面白いわね。わたしというものがありながら、こんな絵を描いていたなんてね」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!? で、出たーーーーーーっ!?」
褐色の大魔神降臨。
テッドは周囲をはばからず絶叫する。
「ねぇ、テッド。どうしてこんな絵を描いたの?」
声音は優しいが、目から完全にハイライトが消えている。
肩を掴む彼女の両腕に力が入る。テッドの骨が軋む。
「お取込み中みたいなので、うちらは帰りますね!」
「テッド君、また今度ね!」
「え、ちょ、助け……!?」
『ムカシノオンナヲミテシットニクルフマルヴィナ』と化した彼女を誰も止めることは出来なかった。その隙にローズマリーとモブたちは、修羅場から撤退することに成功したのである。
「なんか凄い音がしたぞ」
「絶叫も聞こえたような気がする」
「無視よ無視。関わってたら命がいくつあっても足りないわよ」
「「「イエス マム!」」」
暴走マルヴィナに両手両足を砕かれたテッドであったが、ショタ逆バニー服を召喚して無事生還を果たしている。命の危機の前には、男の尊厳など塵芥に過ぎないのである。
「あら? こんなところで会うなんて奇遇ね」
「ロージー!? 君もコミケに来てたのか」
1931年8月10日午前10時。
ローズマリーとエドワードはロンドンの夏コミ会場で偶然の再開を果たしていた。
「君がコミケに興味を持っていたとは思わなかったよ」
「テッド君に教えてもらったのよ。最近は推しのサークルもあるのよ」
「へぇ、先生とも知り合いだったんだ」
「こう見えても20年来の付き合いよ」
「そうなのか!?」
共通の話題があるせいか会話が弾む。
そんな二人の傍を女性がさりげなく通り過ぎていく。
女性が向かった先は、コミケ会場内に停車している2階建てバスであった。
運転席には特別駐車許可証が掲げられており、このバスがコミケ運営側から許可をもらっていることを外部に示していた。
『進路クリアー。指示求む』
「引き続き現場での警戒にあたられたし」
『了解。現場で警戒待機します』
バスの1階は通信機材が満載されており、オペレーターが指示出しに忙しかった。その様子を横目に見ながら、女性は2階へ上がっていく。
「やぁ、二人はどうだったかな?」
騒然としていた1階とは違い、2階はちょっとしたホテル並みの空間であった。
ソファでくつろぐテッドは、気になっていた件を女性に尋ねる。
「お二人とも会話が弾んでおいででした」
「今のところは順調ってことか。引き続き頼むよ」
「かしこまりました。ご当主さま」
女性はドーセット公爵家直属のSP部隊の隊長であった。
エドワードとローズマリーの出会いは偶然ではなく、全てテッドが仕組んだものだったのである。
「おっ、サークルが近いな。せっかくだから一緒に回ろう」
「そうね。わたしも荷物持ちがいると心強いわ」
一方その頃、テッドの思惑を知らない二人は呑気にサークルを回っていた。
エドワードはテッドの同人誌が委託されているサークルを目指し、ローズマリーは元過激派モブの描いた作品が委託されているサークルを目指す。偶然にも二つのサークルは近い場所にあったので、二人が一緒に行動するのは必然だったのである。
もちろん、テッドと元過激派モブの作品が委託されたサークルが近い場所にあったのは偶然でも何でもない。テッドが該当サークルに直接事情を説明し、大金を積んで説得したからである。
コミケ会場でこのようなことをやれば運営が黙っていないが、テッドは英国コミケの創設者でその威光は未だに健在であった。今回は二人の仲を進展させるという大義名分もあったので強引に押し切ったのである。
「テッド君は相変わらず題材に無節操だわねぇ。ネジだけで同人誌描いちゃうとか普通はしないわよ」
「そこが先生の魅力なんだよ。でも昔の作品の続きも描いて欲しいなぁ」
「同感ね。個人的には水上機で空中戦するヤツの続編を読みたいわねぇ」
「おっ、詳しいね。読んだことあるの?」
「昔ちょっとね……」
『詰め込み座学の成果よ』とは、さすがに言えないローズマリー。
しかし、学習の成果は確実に実を結んでいた。女性には奥手のエドワードと会話を続けることが出来たのである。
二人はサークル巡りに夢中になっていた。
テッドと元過激派モブたちは、この時のために大量の新刊を用意していたのである。
用意された大量の新刊は会場内のサークルに分散して委託されていた。
委託されたサークルには、多額の謝礼金が払われたのは言うまでも無いことである。
作品をコンプするためには、スタンプラリーの如くサークルを巡る必要があった。混雑するコミケ会場でそれを為そうとするならば、相当な時間がかかるのである。
「ちょうど席が空いてたのはラッキーだったなぁ」
「スナックは持ってきたけど、普通に食べれるならそれに越したことはないわね」
スモークサーモンときゅうりのサンドイッチをパクつくエドワード。
ローズマリーは紅茶を飲みつつ、B.L.Tサンドに手を伸ばす。
気付いたときには既にランチタイムであった。
幸運なことに二人は飲食スペースで昼食を摂ることが出来たのである。
もちろん、これも幸運でも何でもない。
二人をそれとなく誘導し、テッドが用意した屋台に誘導したのである。
一般人が近づかないように周囲には大量のエキストラを配置しており、それでも近づこうとする者はSPたちが排除していた。知らぬは当人ばかりなり、であった。
「ご当主さま。午前中に撮影した写真です」
「おっ、これは良く撮れてるな。採用しよう」
二人がランチを楽しんでいるのと同時刻。
テッドはSP隊長が持参した写真を確認していた。
テッドが吟味しているのは、エドワードとローズマリーのツーショット写真であった。距離的に盗撮としか思えないが、SPたちの仕業であることは言うまでも無いことである。
もちろん、アルバムにすることが目的ではない。
二人の仲睦まじい様子を週刊誌にリークして、外堀を埋めるつもりだったのである。
「うーん、僕が直接週刊誌に流すと警戒されるかな……」
テッドは一時期『ゴシップの帝王』という有り難くない異名で有名であった。
しかし、ドーセット公爵家家令セバスチャン・ウッズフォードが大弁護団を結成して徹底的に叩き潰した。
セバスチャンによって潰された出版社は両手の指を超えるほどであった。
この一件が業界内ではトラウマとなり、テッドの名前が出ただけでも警戒されてしまうのである。
「……そういえば、以前盗撮しようとして捕まえたフリーカメラマンがいたよね?」
「はい。年齢氏名住所全て押さえています」
「ここに連れてきてくれないか。どうせコミケ会場でお仕事してるんでしょ?」
「かしこまりました」
件のフリーカメラマンが捕縛されたのは30分後のことであった。
テッドが差し出した白紙の小切手を目にした男は、首を縦に振ることしか出来なかったのである。
1931年の秋以降、エドワードとローズマリーの熱愛報道が過熱していった。
王室もサザーランド公爵家も公式な見解は出さなかったものの、記事を否定することはしなかった。渦中の本人たちも明言を避けてはいたものの、露骨に否定もしなかった。
もはや、二人の結婚は時間の問題であった。
加熱する報道は結婚式の時期と場所に焦点が移っていったのである。
『ウェストミンスター寺院に続々と参列者が集まっています。あっ、ドーセット公の姿が見えます!』
1932年6月某日午前9時。
ウェストミンスター寺院でロイヤルウェディングが挙行されんとしていた。
式の様子はBBCによって世界中にラジオ実況された。
この時の推定聴取者数は世界中で4億人と後に判明することになる。
「本当にドーセット公だ。わざわざこのために日本から戻って来たのか」
「そりゃあ、王子の結婚式なんだぞ。何は無くても駆けつけるだろうよ」
ラジオ実況と並行して、テレビによる生中継も行われていた。
この世界では初めての試みであり、しかもカラー放送であった。
ロンドンの各所には街頭テレビが設置された。
高価なブラウン管テレビは普及途上であり、大多数のロンドンっ子はこちらを視聴していたのである。
『今、ローズマリー妃が到着されました! 父君であるサザーランド公爵と寺院内へ入って行きます……』
サザーランドに連れられて寺院に入って行くローズマリー。
純白なウェディングドレスに身を包んだローズマリーと、黒のフロックコートを着用したサザーランド公。白黒のコントラストは周囲の風景と調和して美しいものであった。
「「「……」」」
ローズマリーとサザーランド公がヴァージン・ロードを歩く。
その純粋さと荘厳さに沿道もロンドンの街も静まり返ったのである。
(うぅっ、緊張で胃が痛い……)
一方その頃、結婚式に強制参加させられたテッドは祭壇で待ち受けていた。
エドワードからベストマン役を要請されて断れなかったのである。
ベストマンは欧米の結婚式では欠かせない存在と言える。
結婚式の準備から式当日にまで関わる極めて重要な役目であり、ベストマンの良し悪しが結婚式を左右するといっても過言では無い。
(おー、綺麗だなぁ……)
ローズマリーに結婚指輪をはめるエドワードを、テッドはどこか他人事のように眺めていた。前日まで結婚式の準備にかかりきりだったせいか、疲労と心痛でヤバいことになっていたのである。
「……親友として結婚式を祝福します。この二人に神の祝福があらんことを」
ベストマンとしてスピーチするテッド。
この日のために原稿を考え、推敲し、一字一句を頭に叩き込んで臨んだ結果、参列者たちからは大好評であった。なお、当の本人は『ストレスと緊張で何も覚えていなかった』と後に述懐している。
その後の式典はつつがなく執り行われた。
ウェールズ大公と大公夫人となった二人をテッドは見送ったのである。
(二人を乗せた馬車はバッキンガム宮殿に着いたころかな?)
テッドは周囲を見回してため息をつく。
主役であるエドワードとローズマリーが去ったウェストミンスター寺院は落ち着きを取り戻しつつあった。帰り支度を始めている参列者たちを見て、ようやく終わったという実感が湧いてきたのである。
「お疲れ様ですドーセット公」
「司祭さま!? この度は本当にありがとうございました」
「いえいえ、わたしは大したことはしていません。全てはベストマンとしての貴方の尽力があってこそですぞ」
テッドに声をかけてきたのは、ウェストミンスター寺院の首席司祭ウィリアム・フォックスリー・ノリスであった。式典が破綻しなかったのは、ウィリアムのおかげと言っても過言では無い。
ウィリアムは聖職者でありながらも、芸術家としても並外れた才能を持っていた。そのためか同人誌に理解があり、テッドに対しても好意的だったのである。
テッドとしても、ウィリアムは無下にできない人物であった。
聖職者として周囲からの尊敬を集めており、過激派に対する抑止力として最適だったのである。
コミケ創設時の不幸な行き違いで、テッドは公序良俗に反する描写の全ての元凶とされていた。当時の国教会は不快感を表明し、それに呼応した過激派牧師に白昼堂々襲撃されるにまでに至っていたのである。
「ところで話は変わるのですが、寺院の財政が厳しくてですな……」
聖職者として非の打ち所がないウィリアムの唯一の欠点は、芸術家にありがちな金銭感覚の無さであろうか。寺院の修繕や改築に政府の決定を待っていては遅いとばかりに、テッドに要求してくるのである。
「あ、いえいえお気になさらず。今回は特にお世話になりましたし、どーんと寄付させていただきますよ」
「おぉ、ありがたい! これで倉庫をギャラリーに改造出来ます」
テッドの寄付によって、史実よりも早くウェストミンスター寺院の回廊がギャラリーに改装された。国教会の宝物が展示されて、史実よりも90年早く観光名所と化すのである。
過激派ほどで無いにしろ、これまでのテッドの行いに国教会は強い不信感を持っていた。結婚式に参加出来たのはウィリアムのおかげなのである。
もっとも、これ幸いと逃げようとしていたテッドからすれば迷惑以外の何物でもなかった。なんにせよ、ウィリアムの尽力によって国教会との関係は修復されたのである。
『エドワード王太子の結婚は、ドーセット公と英国国教会の正式な和解である』
――と、後世の歴史書に記されることになる。
ロイヤルファミリーは全員が英国国教会の洗礼を受けており、その一員であるエドワードのベストマンをテッドが務めたことで教会内部の過激派も振り上げた拳を降ろさざるを得なかったのである。
「がはははっ! よくやってくれたドーセット公!」
「ちょ、痛いっ!? 痛いですってば!?」
ぶっとい腕でバシバシとぶったたくジョージ5世。
テッドからすれば、拷問以外の何物でもない。
ロイヤルウェディングから数日後。
テッドはウィンザー城に呼び出されて、国王直々に感謝(物理)をされていた。
晩年は国民から広く愛されたジョージ5世の唯一と言ってよい悩みが、エドワードの女性問題であった。自身の死後に息子が破滅することを予言しており、それは現実のものとなった。しかし、この世界ではその悲劇は回避されたのである。
「これで前世の憂いは解決された。もう思い残すことはないな」
ジョージ5世は急にしみじみとした表情となる。
日頃のパワフルさとは打って変わって、年相応の好々爺に見えなくもない。
「何を急に弱気になってるんですか。あと10年くらいは余裕でしょうに」
そんなジョージ5世に、テッドは冷ややかであった。
史実と違って肺病を患わず、肉体をバキバキに鍛えているのですこぶる健康体なことを知っていたのである。
「まぁ、それはともかくだ。せっかくだから付き合え」
「さらっと流しましたね。僕は下戸なんですけど」
「弱い酒なら問題なかろう」
そう言って、酒瓶を取り出すジョージ5世。
もちろんテッドに拒否権は存在しなかった。
「ぶふぅーっ!? これ酒じゃない!? いや、お酒だけど養命酒だーっ!?」
「この酒は健康に良いのだ。是非とも長生きして倅たちの補佐を頼むぞ!」
「嫌だーっ! 娘に家督を譲って引退するんだーっ!」
「そんなの無理に決まっておろう。あきらめろ!」
実際に隠居が可能としても、20年は先のことであろう。
しかも、周囲が簡単に引退を認めてくれるとも思えない。テッドの人生は既に詰んでいたのである。
この時期が戦前の英国で最も輝いていた時期と歴史書に記載されることになる。
しかし、それも長くは続かなかった。リハーサルに過ぎなかった第1次大戦に対して、本番とも言える第2次大戦が近づいていたのである。
以下、今回登場させた兵器のスペックです。
AEC リージェント1
全長:7.62m
全幅:2.286m
全高:4.42m
重量:6.4t
速度:64km/h
行動距離:不明
武装:非武装
装甲:非装甲
エンジン:Autovac社製 OHV直列6気筒ガソリンエンジン95馬力
乗員:1名
史実でもロンドンバスとして採用された2階建てバス。
ドーセット公爵家及び、ハーグリーブス財団では移動目的や作戦指揮用に大量に購入している。
移動目的に使用するモデルは民間モデルと大差ない。
作戦指揮に使用する車両は1階部分に指揮通信システムとオペレーターを配置している。
※作者の個人的意見
ロンドンと言えば2階建てバスですよね。
2階部分をVIPルームの如く描写しましたが、天井が低いから広さの割りに解放感は無さそうです。
英国王室の最大の懸念事項が解決しました。
ジョージ5世も安心して逝くことが出来るでしょう。最期の言葉を今のうちに考えておかないと……!
>当時のテッドは根無し草
本編第1話『円卓』参照。
15歳で海難事故で両親を失ったあげく、遺産は親族やその取り巻きに根こそぎ奪われて身一つでロンドンに放り出された状態だったりします。
>ハイドパークで似顔絵を描いて日銭を稼いでいた。
いわゆる上野の似顔絵描きですね。
史実だとコロナの影響で壊滅していますが、現在でも稀に出店しているようです。
>月200枚(アシ無し&背景付き)という超絶のペース
石の森章太郎先生が月産650枚でギネス記録なので、それに比べれば圧倒的に遅いです。比較対象が狂ってますけどw
>『You may be reading the wrong way!』
1ページ丸々読み方の注意書きです。
コマ割りに番号と矢印が振ってあって、マンガ初心者な外人にも分かりやすい仕様になっています。
>「保存用と観賞用と布教用に決まってるじゃないの!」
オタクに限らず、こういう買い方をする人は割と多いらしいです。
>ミノックスカメラ
スパイ御用達の小型高性能カメラ。
現在でもフィルムを自作して撮影している猛者もいるとか。
>ドーセット公爵家直属のSP
メイド部隊がメイド服なのに対して、こちらは黒スーツにソフト帽がユニフォームです。
>もはや運命共同体。互いに頼り、互いに庇い合い、互いに助け合うからこそピンチを切り抜けられるのである。
どこかで聞いたような台詞?
気のせいじゃないですw
>も〇も〇室
元ネタは〇ーフェンに出てきた警察所の懲罰房。
署内胸毛ランキング1~10位までが常駐しているとかなんとか。
>『ムカシノオンナヲミテニシットニクルフマルヴィナ』
暴走したマルヴィナです。
機動力がおかしいので逃げられません南無ぅ( ̄人 ̄)ちーん
>ショタ逆バニー服
マルヴィナに特効ですが男の尊厳が根こそぎ失われます。
描きませんよ?おいらにそんな趣味は無いのです。
>過激派牧師に白昼堂々襲撃されるにまでに至っていたのである。
本編第1話『円卓』参照。
ハイドパーク内で怒り狂った牧師たちに襲撃されています。その後自宅にまで押し掛けた挙句、マルヴィナさんに撃退されてたりします。
>ウェストミンスター寺院の回廊がギャラリーに改装された。
史実だと2018年にオープンしています。
>養命酒
歴史を遡れば西暦1600年代には製造されていますが、本格的に普及しだしたのは大正時代になってからです。日本食好きで健康オタクなジョージ5世が見逃すはずもなく、健康飲料として愛飲しています。




