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変態紳士の領内事情―アドルフ・ヒトラー氏の休日編―(自援絵有り)


「セ、セバスチャン。もう限界、休ませて……」


 ドーセット公爵邸(ドーチェスターハウス)執務室。

 極秘裏に英国本土に帰還したテッド・ハーグリーヴスは、今日も今日とて書類漬けであった。


「何をおっしゃいますか旦那さま。ドーセット公爵家の名誉を汚した不埒者を懲らしめるためには、一刻を争うのですぞ!」

「だからって、裁判所に提出する陳述書がこんなにあるのはおかしいだろ!? どんだけ案件抱えてるんだ!?」

「現在64件になりました。休んでいる暇などありませぬ。ハリー! ハリー! ハリー!」

「うわぁぁぁぁぁんっ!」


 テッドが書かされているのは、裁判所に提出する陳述書であった。

 当時者や証人が事実や意見に関する供述を記載した書面が陳述書であるが、本人がまったくあずかり知らぬことについて書かされるのは拷問であろう。


 本人の長期不在を良いことに、本国ではゴシップ記事や公の場での誹謗中傷が相次いでいた。テッドからすれば『やっかみ乙』で済む話なのであるが、お家至上主義に凝り固まったセバスチャンは無視することが出来なかったのである。


「タイプライターで良いじゃん!? 全部手書きとか勘弁してよセバスチャン」

「何をおっしゃいますか旦那さま。タイプライターで作った陳述書を提出しようものなら、偽造を疑われかねませんぞ!?」


 陳述書は内容が重要であって、手書きか否かは関係が無い。

 しかし、テッドは公では日本に赴任していることになっているので、手書きでないと証拠として弱いのではないかとセバスチャンは考えていたのである。


「……お、終わった」

「お疲れ様でございました旦那さま」


 デスクに突っ伏すテッド。

 それを横目に、書き上がった陳述書をセバスチャンは整理していく。


「必要な陳述書はこれで全てです。当面は大丈夫でしょう」

「当面は……って、嫌な予感しかしないのだけど?」

「それはもちろん、今後も当家を誹謗中傷する者どもは容赦なく訴えますぞ!」

「その、ほどほどにお願いします。いや、マジでホントに……」


 涙目で訴えるテッドであったが、残念ながら主人の願いはセバスチャンには届いていなかった。今後も帰国するたびに新たな案件で陳述書を書くハメになるのである。


(さっさと寝よう……)


 書類作業にかまけていたら、時刻は既に夜であった。

 夕食を済ませたテッドは、疲れた身体を引きずるようにして寝室を目指したのであるが……。


『遅いですわねぇ。テッドさん』

『ここで待っていれば必ず来るのだから焦っちゃダメよ?』


 寝室のドアを開ける直前で、テッドは硬直する。

 室内から漏れ聞こえてくるのは、おチヨとマルヴィナの声であった。


 このまま寝室に入れば、二人の性豪に絞り尽くされるのは目に見えていた。

 目の前の特大の地雷を避けれるならば避けるに越したことはない。ただでさえ、連日の夜伽で搾りつくされているのである。


 結論から言わせてもらえば、テッドは素知らぬふりで入室するべきであった。

 チートオリ主であっても、神ならぬ身では知りようが無かったのであるが……。


『コードXX(ダブルエックス)発動! 繰り返す。コードXX発動。メイド部隊は最優先で任にあたれ』


 館内スピーカーからセバスチャンの声が響き渡る。

 その声を聴くや否や、メイドたちは仕事を放棄して館内の捜索を開始した。もちろん、ターゲットはテッドである。


(あぁもう、どうしてこうなった!? 偶には普通に寝かせてくれたって良いじゃないか!?)


 手近な空き部屋に隠れたテッドは涙目であった。

 しかし、己が不幸を嘆いている暇は無かった。足音が近づいていたのである。


「旦那さま何処ですか~? どうせ逃げ切れないんですから出てきてくださいよ~?」


 入室してきたメイドは室内を捜索するが、テッドを見つけることが出来なかった。時間が惜しいとばかりに、隣の部屋へ向かう。


(行ったか……?)


 テッドはベッドの下に潜んでいた。

 見つからなかったことに安堵して、そのまま寝落ちたのであった。


「……!? なんじゃこりゃあ!?」


 目を覚ましたテッドは違和感に気付く。

 慌てて周囲を見回せば、四肢が固定されていた。思わず力を込めてしまうが、ガッチリと固定されていてビクともしなかった。


「ようやくお目覚め?」

「もうっ、テッドさん酷いです」


 状況を理解出来ないテッドであったが、目の前に現れたマルヴィナとおチヨの姿を見てさらに仰天する。露出度こそ差があるものの、その格好はどう見てもSMの女王さまルックだったのである。


挿絵(By みてみん)


「あの、二人とも、これはいったい……?」

「「おしおきよ(です)」」


 笑顔でハモるマルヴィナとおチヨ。

 テッドは悟った。これは何を言っても無駄であると。


『久々に後ろを掘ってみようかしら?』

『やだ、お姉さま。その張形(はりがた)とても……大きいです』

『ちょ、やめ……あっー!?』


 英国本土に帰還したテッドは、波乱万丈な日々を送ることになった。

 しかし、その一方で全力でオフを漫喫せんとする一人の(おとこ)がいた。


 彼の名はアドルフ・ヒトラー。

 ハーグリーブス財団の理事代行にしてテッド不在時の最高責任者であるが、テッドが居るときは趣味に走る単なるチョビ髭であった。







「うむ、今日も良い天気だな」


 心地よい風を感じながら、ヒトラーは呟く。

 彼が乗車するロールスロイス装甲車は、牧場の敷地をゆっくりと走行する。


 ヒトラーは、朝の日課の牧場巡りの最中であった。

 馬狂いな彼は、広大な牧場にいる大量の馬たちを一頭ずつ直接見やっているのである。


「ヒトラーさま、いました! 今日は二人です」

「いつものように警察に連絡して引き取ってもらえ。まったく、懲りない連中だな」


 御付きのメイド隊の報告に、馬を愛でてご満悦だったヒトラーの機嫌が氷点下まで急降下する。トラップにひっかかって動けなくなっている不審者は馬泥棒(未遂)だったのである。


「痛い痛い痛いっ!?」

「おらっ、キリキリ歩け!」

「仕事増やしてるんじゃねーぞコラ」


 通報から10分足らずで警官隊が到着、手慣れた様子で下手人を護送していく。

 この牧場では日常茶飯事な光景であった。


「ヒトラーさんご協力ありがとうございました。毎度ながら大したものですな」

「そんなことよりも、もう少しパトロールの強化は出来ないのかね? 君らには少なくない金を出しているんだが?」


 警官隊の上司が謝辞を述べるが、ヒトラーの渋面は晴れることがなかった。

 多額の寄付をしているのにも関わらず、馬泥棒は減るどころか増える一方だったのである。


 ヒトラーの牧場が希少な馬を多数保有していることは関係者には周知の事実であった。馬好きな人間からすれば喉から手が出るほどのものであり、一部の人間は金で人を雇って馬泥棒をさせていたのである。


 幸いにして、今回は未遂で終わったが過去には貴重な血統の馬を盗まれている。

 その時は怒りと悲しみで数日間不眠となってしまったほどであった。


(ドーセット公に頼んで警備会社から人材を派遣してもらうべきだろうか?)


 ヒトラーは、頼りにならない警察に見切りをつけつつあった。

 何時来るか分からない警察の巡回よりも、24時間警備出来る警備会社のほうがマシだろうと考えていたのである。


「……」


 日課の牧場視察が終われば朝食である。

 穏やかな塩気の白がゆを音を立てずに食していく。


 ちなみに、今日の朝食の献立は以下の通りである。


・白がゆ

・切り干し大根

・ふきの煮物

・梅干し

・たくあん

・ごま塩


 まごうこと無き精進料理である。

 ベジタリアンなヒトラーには都合の良いメニューであり、最近の朝食はほぼ精進料理であった。


 テッドが日本人移民を推進したことで、ドーセット領にも布教のために寺社が進出していた。宿坊(しゅくぼう)も運営されており、領民が精進料理を食する機会も増えていたのである。


 最近の人気は、築地本願寺ドーセット分院が運営している和カフェである。

 少量ながらも多種多様な精進料理が同時に味わえるので人気を博していた。


 当時の築地本願寺は関東大震災によって焼失しており、再建の目途が立っていなかった。そこにドーセットへの移民の話が持ち上がり、一縷の望みをかけて進出したのである。


 ドーセットに派遣された僧は平成会のモブであり、日本食が大流行していることを知って精進料理で領民に布教することを考え付いた。しかし、先に進出している寺の宿坊があるので、それでは単なる二番煎じである。


 そこでモブが思い出したのは、生前に食べたことがある築地本願寺の和カフェであった。メニューを完全再現して、連日行列が出来るほどの人気店にまで成りあがったのである。


『まずいぞ。このままでは信者を奪われてしまう』

『こちらもフィッシュアンドチップスで対抗……は無理だな。何か手は無いのか!?』


 このような動きに危機感を感じたのが、ドーチェスター市内で布教している合同教会であった。精進料理に釣られて改宗する領民が増えてきており、牧師たちは気が気でなかったのである。


『日本食が流行っているのならば、日本人に協力を仰ぐべきだろう』


 偶然、教会の近くで日本食レストランが開業することを知った牧師たちはすぐさま協力を要請した。合理的思考なアングロサクソンである彼らは、グルメで日本人と争う愚を理解していたのである。


『気が付いたら教会専属料理人にされて、改宗させられてた。何を言っているのかわからないと思うが、俺も何をされたのかわからなかった……』


 ドーセット産の野菜を利用したベジタリアンメニューは大ヒットした。

 地元の野菜を使用して、しかも美味しいということで農民からの信仰を確保することに成功したのである。


 以後のドーセット領では市街地では仏教徒が、農村では国教会の信者が占める状況が続いていくことになる。綺麗に住み分け出来てしまったので、醜い宗教バトルなどが勃発することなどなく緩やかな協調体制が続いたのである。







「それでは行ってくる。夕方には戻る」

「「「いってらっしゃいませ」」」


 メイドたちに見送られて外出するヒトラー。

 牧場の敷地内に建てられた邸宅から、2シータースポーツカーが弾丸の如き勢いで飛び出していく。


 ちなみに、ヒトラーは助手席座りである。

 運転は完全にメイド任せであった。


 ヒトラーの愛車である2シータースポーツカー――メルセデス・ベンツ・SSKは元々はフェルディナント・ポルシェからテッドに寄贈された車両である。しかし、じゃじゃ馬ぶりを持て余した彼はヒトラーに譲っていた。


 7年前に開催された第1回ドーセットグランプリに優勝したポルシェは、優勝賞金で念願の設計事務所を開業していた。そんな彼がダイムラー・ベンツから依頼を受けて設計したのがSSKであった。


 SSKは史実と同じく1928年に販売されたのであるが、当時のドイツ帝国はソ連とフランス・コミューンに挟撃される国家存亡の危機であった。そんな状況で国内でまともに売れるわけもなく、ポルシェはテッドに新たな販路を相談したのである。


 ポルシェから相談を受けたテッドは一計を案じた。

 SSKの写真にル〇ン、次〇、五〇衛門のイラストを描き加えて平成会に売り込んだのである。


『うおおおお!? 〇パンだ、ルパ〇三世だっ!?』

『アニメで見たけどホント小さいな。これなら五右〇門は後ろのタイヤに座るしかなかっただろうな』

『実車とはちょっと違う感じがするけど、複製人間のSSKは良く描けてたんだなぁ……』


 案の定というべきか、ル〇ンオタクな平成会のモブたちは熱狂した。

 用意したカタログパンフレットがあっという間に無くなってしまい、急遽増刷する必要があったほどの盛況ぶりであった。


 日ごろからブラック社畜な彼らは、暇は無いが金はたっぷりと溜め込んでいた。

 生前ならあり得なかった現金一括払いでSSKを購入する者が続出したのである。


 結果として、予想を遥かに超える30台成約という大商いとなった。

 このことに驚喜したポルシェは、お礼としてSSKを1台テッドに寄贈していたのである。


『うーん、せっかくポルシェ博士からもらったけど、普段使いするにはちょっと……』


 それなりにドラテクには自信のあるテッドであったが、そんな彼であってもSSKは持て余すシロモノであった。ポルシェが送り付けてきたのは、よりにもよってレース仕様の『エレファント』だったのである。


 エレファントは、仕様名ではなく正確にはエンジンに装着された巨大ブロワーの名称である。このタイプはガチガチのレース仕様で日常の足として使うには些か過剰なシロモノであった。


 2シーターなのに小さすぎてマルヴィナと乗れないのも問題であった。

 最近は愛人のおチヨもいるので、なおさら使い道が無かったのである。


『ドーセット公、あのSSKを車庫の肥しにするくらいならわたしにくれ。あの車は走っていてこそ価値があるのだっ!』


 テッドのSSKに目を付けたのがヒトラーであった。

 史実と同じく、この世界でも無類のカーマニアだったのである。


 テッドも車庫で埃をかぶるよりはと快諾した。

 そんなわけでSSKはヒトラーに譲渡されることになったのであるが、問題が無いわけでもなかった。


『そういえば運転出来るの? これって結構なじゃじゃ馬だけど?』

『わたしが運転するわけないだろう!? だからドライバーもセットで頼む!』

『威張って言うことか!? そういうことならば、そっちに派遣しているメイドで運転出来る子にレクチャーするしかないなぁ……』


 結局、牧場で装甲車の運転を担当しているメイドにテッドがドラテクを教えることになった。幸いと言うべきか、SSKを運転出来るだけの技量を短期間で仕込むことに成功したのであるが……。


「む、少し遅れているか?」


 助手席で懐中時計を見て呟いたヒトラーであったが、慌てて口を(つぐ)む。

 しかし、時すでに遅しであった。


「オッケィ! 飛ばしますわよーっ!」

「いや、待て。まだ時間はあるから!? 安全運転でっ、安全運転で頼むっ!」


 ヒトラーをガン無視してアクセルを踏み込むメイド。

 件のメイドはスピード狂、それも頭のネジが抜けたタイプの破滅型であった。


 メイドの足蹴で、7.1リッター直6エンジンが轟然と吠える。

 後輪に300馬力ものハイパワーを叩きつけ、車体は弾かれたピンポン玉の如く加速していく。


「ぬわーーーっ!?」


 ヒトラーは悲鳴をあげることしか出来なかった。

 道を大胆にショートカットし、線路を並走しているSLをぶちぬく。190km/hに達する最高速を誇るSSKだからこそ出来る芸当である。


「到着ですわ!」

「……」


 後れを取り返したばかりか、10分以上早い到着となった。

 スピード狂なメイドは鼻高々であったが、この後ヒトラーに叱責されたのは言うまでも無いことである。







「これはこれはヒトラーさま。おいでいただきありがとうございます」

「うむ、今日も楽しませてもらおうか」


 旧市街とニュードーチェスターの境目付近に建設されたドーセット中央競馬場。

 ここで過ごすのが休日のヒトラーの日課となっていた。


 この競馬場は、ヒトラーが牧場建設の予算を流用して建設したものであった。

 公私混同極まれりであるが、莫大な利益を出しているのでテッドも文句は言えなかったのである。


「ふん、ふん、ふ~ん」


 柄にもないセリフを口ずさみつつ、ヒトラーは一般客とは隔離された特別貴賓室(ダービールーム)への直通エレベーターで上の階を目指す。ダービールームへ入場するには招待状と許可証が必要なのであるが、競馬場の実質的なオーナーであるので顔パスである。


 ダービールームではジャケットとネクタイが必須である。

 この日のヒトラーの装いは、シャツにネクタイ、黒ズボン、ギャバジン製スーツ型ジャケットであった。


 イギリス服とは明らかに毛並みが違う仕立てである。

 ドレスコードは満たしているので入室で咎められることは無かったものの、周囲からは好奇の視線が突き刺さる。当のヒトラーは、そんなものは露ほども気にしていなかったが。


 この服はヒトラーが行きつけのテーラーに頼んで作ってもらったものである。

 テッドや平成会のモブが見たら『色違いの総統服?』とツッコミを入れること間違いなしなデザインであった。


 史実ナチス・ドイツの軍服がスタイリッシュで評価が高いのは、ヒトラーの意向が強く働いていたとされる。芸術家志望で審美眼が肥えている彼のお眼鏡に適うデザインが採用されたからであろう。


『ドーセット公、財団職員にも制服を採用しよう!』

『えー? そこまで必要あるのかなぁ……』

『組織において、階級と権威を示すには制服は絶対に必用だぞ?』

『むむむ、一理あるけど……』


 ヒトラーに押し切られたテッドは、ハーグリーブス財団の職員に制服を採用した。万の単位でいる職員全員の制服を用意するとなると莫大な予算が必要なのであるが、地元経済に還元すると割り切ったのである。


 予算の問題は解決したものの、実際に制服を製造するとなると問題が山積みであった。ドーセット領内には多数の零細テーラーが存在したものの、大量の制服の受注に応えられなかったのである。


 最終的に新たに製造工場を起ち上げることになったのであるが、工場を監督出来る人材がいなかった。そこにヒトラーが連れてきたのがジャック・シュプレイゲンであった。


 ポーランド系ユダヤ人のジャック・シュプレイゲンは、史実ではKangol(カンゴール)ブランドを起ち上げた男である。


 最初はベレー帽の製造から始まり、1980年代からはストリートブランドとして有名となり、21世紀に入ってからは日本の学生服のデザインまで手掛けるに至っていた。


 ジャックは制服にマッチするベレー帽をデザインした。

 それを見たヒトラーが大いに気に入り、正式に制服のデザインとして組み込んだのである。


『制服なんてめんどくさいと思ったけど、職場に着ていく服に悩まなくて済むのは良いな』

『デザインもかっこいいし、しかも無料で支給してくれるんだろ? これは着るしかないだろ!』

『女性用のデザインが用意されているのもグッドだわ!』


 ヒトラー(とジャック)がデザインした制服は職員からは大好評であった。

 機能性とスタイリッシュを両立したデザインは、海外からも高く評価されて大いに参考にされたのである。


 気を良くしたヒトラーは、領内のあらゆる組織の制服のデザインを手掛けていった。市役所職員の制服、駅員の制服、警官の制服――ETC(エトセトラ)


 その結果、膨大な制服のオーダーがジャックの製造工場に入ることになった。

 既に品質の高さが評価されていたこともあり、ジャックは史実よりも早くカンゴールブランドを確立することに成功したのである。


『ドーセット公は地元密着のテーラーを潰す気か!?』

『このままだと後継の育成もままならんぞ!?』


 しかし、地元の零細テーラーはカンゴールに敵意むき出しであった。

 カンゴールと地元テーラーでは競合せずに住み分け出来ていたのであるが、急速なカンゴールブランドの成長にテーラー側が危機感を持ったのである。


 すったもんだのあげく、後継育成のための服飾学校を設立して地元テーラーを教師として雇うことが決定した。地元テーラーに食い扶持を与え、かつ後継の育成も出来るという一石二鳥の良策であった。


『校長、服飾学校が大赤字ってどういうことさ!?』

『いやその、職人を志す子供の大半が小学校にも通えない貧しい家庭の出身でして……』

『オール奨学金で運営しているようなものか。伝統文化の保護として割り切るしかないかなぁ……』


 設立された服飾学校は毎年赤字を垂れ流すことになったが、テッドは伝統文化の保護として割り切った。しかし、これが後に大問題となる。


『伝統文化の保護』という錦の御旗を得た服飾学校の校長は次々にカリキュラムを追加していった。噂を聞き付けて海外からも入学志望者が殺到し、受け入れのための校舎の増築、通訳の手配など諸々で費用は膨れ上がっていた。


 これに加えて、教師の昇給要求を全て認めてしまったために人件費はうなぎ上りとなった。気が付けば、累積赤字がヤバいことになっていたのである。


『ザッケンナコラー! 僕が認めたのは伝統文化保護のための若手職人の育成であって、貴様らを肥え太らすためじゃねーぞゴルァ!?』

『ひぇぇぇぇぇっ!? ドーセット公お許しをーっ!?』


 後に内情を知ったテッドがブチ切れて大鉈を振るうことになる。

 学校を潰すことも真剣に検討したのであるが、卒業生が実績をあげていたことに加えて周囲からの必死の慰留で閉校だけは免れたのである。







「ヒトラー殿ではないか!? 久しぶりだな!」

「ダービー伯も、ご壮健そうででなにより」

「ははは、大好きな馬が走っているのを見ると疲れも吹っ飛ふからな」

「確かにその通りですな!」


 ダービールームに入室したヒトラーを出迎えたのは、第17代ダービー伯爵のエドワード・ジョージ・ヴィリアーズ・スタンリーである。同じ馬好きならば文字通りウマが合うだろうとテッドがヒトラーに紹介したのであるが、あっという間に二人とも親友と言うべき間柄になっていた。


「ところで、ヒトラー殿。今度ファロスを売りに出そうと考えているのだが……」

「なんと!? そういうことならば、是非とも買い取らせていただきたい」


 ファロスは、史実1920年代前半に活躍した競走馬である。

 この時期には既に引退後して種牡馬になっていた。


 より期待されていた全弟フェアウェイが種牡馬入りしたので、ダービー伯はファロスの売却先を探していた。そこで白羽の矢が立ったのがヒトラーの牧場だったというわけである。


「君ならそういうと思っていたよ。それで価格なのだが……」

「この小切手に好きな額を書いていただきたい。金に糸目は付けませんぞ!」


 言うが早いか、懐から白紙の小切手を取り出すヒトラー。

 その熱意に負けたダービー伯は、ファロスをヒトラーに売ることになったのである。


「いやぁ、良い買い物をさせてもらいました。今後も良い話があれば頼みますぞ。それと種付け料は弾みますので、フェアウェイの種を是非」

「ヒトラー殿に言われたら断れないな。フェアウェイの種は最優先で準備させてもらおう」


 わずか数分で巨額の金が動いてしまうのが馬主の会話というものである。

 もっとも、ヒトラーの財布は財団から出ているのであるが。


 テッドがヒトラーの散財を認めているのは、趣味に没頭出来れば政治に関わろうとはしないだろうと考えていたからである。


 円卓内部では、未だにヒトラーを危険視する人間が少なくない。

 実績を積ませることで、多少なりとも円卓からの(おぼ)えをめでたくする意図もあった。


 何のかんの言っても、最終的に成功させてしまうのも大きかった。

 さすがは史実の偉人というべきか、無駄にあふれる才能で不可能を可能にして利益を叩き出してしまうのである。


「おっと、そろそろレースが始りますな。馬券を買わねば」

「もうそんな時間か」


 ヒトラーとダービー伯はその場で馬券を購入する。

 ダービールーム内には馬券売り場が設置されており、並ぶことなく購入出来るのである。


「よっしゃ、いけーっ!」

「そこだっ! そこから一気に突き放せーっ!」


 観戦席に移動した二人は、推しの馬に熱い声援を送る。

 良い歳したオッサンたちが唾を飛ばして絶叫する様子は中々に暑苦しいものがある。


「……ところで、ダービー伯はランチはどうされるので? わたしは此処で摂っていこうと思っているのですが」

「残念だが、この後お招きされていてね。またの機会にしよう」


 午前のレースが終わり、昼食の時間となる。

 ダービールームでは食事も提供されており、ヒトラーは此処で食事を摂ることが常であった。


(こうやって、好きなものだけ食べれるのは良いな。最近は日本食も充実してるし)


 皿に揚げ出し豆腐を取りつつ、隣のかき揚げにまでトングを伸ばす。

 あっという間に、ヒトラーの皿はベジタリアンメニューの見本市となった。


 ダービールームの昼食はバイキング形式で提供されていた。

 ベジタリアンで偏食の激しいヒトラーでも、安心して食事が出来るようになっていたのである。


 ちなみに、食事の料金は無料となっている。

 ダービールームに入れるのは競馬場に多額の寄付をしている面子ばかりなので、金を取る必要が無いのである。


 その後のヒトラーは、午後のレースも観戦した。

 3時のおやつにケーキとお茶を楽しんでから、競馬場を後にしたのである。







「ヒトラーさまお帰りなさい。今日はこのままお屋敷に直帰ですかぁ?」

「いや、まだ時間があるから自動車博物館に寄ってくれ」


 レースが早めに終わって時間に余裕があったので、ヒトラーは自動車博物館に寄ることにした。博物館はドーチェスター郊外に建てられており、古今東西のあらゆる自動車が収蔵されていたのである。


「ね、ねぇ、ヒトラーさまぁ……やって良いですかぁ?」


 到着するや否や、メイドの態度がおかしくなった。

 頬が紅潮して息も乱れている様子は、台詞と相まって濡れ場と勘違いしそうである。


「……30分だけだぞ?」

「そんなんじゃとても足りません! 1時間ぽっきりで!」

「分かった分かった。その代わり、1時間したらちゃんと帰ってきてくれたまえよ」

「ありがとうございますぅ!」


 ヒトラーの許可を得たメイドは全力ダッシュで来た道を引き返す。

 見た目だけは瀟洒なメイドが血走った眼で走る姿を、彼は黙って見守ったのである。


(帰りは安全運転して欲しいからな。走れば落ち着くだろう。多分……)


 『クルマは走ってナンボ』というヒトラーの考えで、展示されている車両は全て動態保存されていた。自動車博物館自体がサーキットの敷地内に建てられており、車の調子を確認するために時折走行させているのである。


「パパ、すごいね!? たくさんクルマがあるよ!?」

「こらこら。走っちゃ駄目だぞ。迷子になってしまうからな」


 はしゃぐ子供に、たしなめる父親。

 そんな家族を微笑ましく思いながら、ヒトラーは自慢のコレクションを鑑賞する。


 自動車博物館には、ヒトラーが金に糸目を付けずに集めてきた車両が大量に展示されていた。しかも、見学料は無料なので休日には家族連れで大勢の見物客が来館していたのである


 普通に考えれば、車両の維持費用や人件費で大赤字間違いなしであろう。

 しかし、館内レストランの充実とグッズ販売、隣接するサーキットを貸し出すことで運営資金の足しにしていたのである。


「館長。ここにおられましたか」


 背後から声がかかる。

 声をかけてきたのは、自動車博物館の職員であった。


「何かあったのか?」

「はい。珍しい車両のレストアが終わったので、お見せしようかと」

「おぉ!? 早速案内してくれ!」


 動態保存を維持するために、自動車博物館では車両のレストアも手掛けていた。

 小規模ながらも敷地内に部品の製造工場を備えており、廃盤になった部品を再生産していたのである。


「これは……ベンツ・ヴィクトリアの初期型か!?」


 ヒトラーの眼前に鎮座しているのは、巨大な車輪を装着している小型車であった。テッドと平成会のモブが見たら『プロトベンツ?』とツッコミを入れること間違いなしな車両である。


 史実において、ベンツ・ヴィクトリアを知る日本人は意外と多い。

 某名探偵ホームズのアニメが原因であるが、作品内で活躍したのがプロトベンツことベンツ・ヴィクトリアだったのである。


 ちなみに、多くの子供たちをケモナーに目覚めさせた罪深い作品でもある。

 ハ〇ソン夫人は、あの時代において唯一にして至高のケモノ娘であった。


「いやぁ、懐かしいな!? すぐにでも動かせるのか?」

「レストアは終わったのでいつでも走れます。が、走行は日を改めたほうがよろしいかと」

「何故だね?」

「今のサーキットには暴走車両がいて大変危険なので……」

「あー……」


 職員の言葉で全てを察したヒトラー。

 楽しみにしてレストア車両の試走はあきらめて、サーキットに向かったのであった。


「ヒャッハー! わたしは風になりますのよーっ!」


 サーキットのホームストレートをかっとばすメイド。

 SSKのメーターは完全に振り切っていた。


「ここですわっ!」


 時速200km/hで第1コーナーに突入する寸前、メイドはヒール・アンド・トウでエンジン回転を調整して3速にシフトダウン。一瞬だけアクセルを全開にし、続く第2コーナーへアウト側にはらみながら再びブレーキングしてインベタでコーナーを抜けていく。もはやF1ドライバー顔負けのドラテクである。


(ドライビングテクニックは素晴らしいものがあるのだが。あの性格でさえなければなぁ……)


 レース好きなヒトラーは、サーキットを高速で走り回る車両を見るのが大好きであった。

 メイドが運転するSSKが並走している車両をぶち抜いていく様子を観客席から存分に見物したのである。


「ふぅっ、堪能しましたわぁ」

「十分に走っただろう? 帰りは安全運転で頼むぞ」

「もちろんですわぁ」


 自動車博物館を出るころには、既に陽が落ちかかっていた。

 サーキットでぶん回して満足したのか、スピード狂なメイドは憑き物が落ちたように安全運転を心がけたのである。







「「「おかえりなさいませ」」」


 邸宅に戻ったころには、完全に日が暮れていた。

 事前に連絡がいっていたのか、メイドたちが総出で玄関で出迎える。


「ヒトラーさま。先ほど業者が来まして例のモノをセッティングしていきました」

「そうか、すまないが夕食は後にしてくれ。そちらのほうが気になってしょうがない」

「かしこまりました」


 いつもならば、このまま夕食を摂るのであるが今日は違っていた。

 ヒトラーは、警備室へ足早に向かうのであった。


「これはまたデカいな……」


 邸宅内に設けられた警備室。

 広大な室内には、真新しい機械が存在感を示していた。


「ヴァージョンアップされた新型です。従来よりも処理速度が大幅に向上しています」

「これで馬泥棒どもを早期発見出来るわけだな!」


 メイド長の説明に興奮するヒトラー。

 これまで馬泥棒に煮え湯を飲まされた身としては、防犯システムの性能向上は心底歓迎出来ることだったのである。


 ヒトラーの牧場では、音で位置を特定する防犯システムが採用されていた。

 侵入者が発する音を大量に設置したマイクで集音、パラメトロン・コンピュータで処理して位置を特定する防犯システムなのであるが、精度はともかく処理速度に問題があった。


 牧場内では馬のいななきや風になびく木々の音など様々な音が発生している。

 そういった音をフィルタリングし、侵入者の足音だけを検出して位置を特定するには従来のパラメトロン・コンピュータでは処理能力が不足気味だったのである。


 今回導入された新型は、パラメトロン素子を水冷化してクロック周波数を向上させていた。制御プログラムの更新が前提ではあるが、パラメトロン素子自体がクラスタ化されて簡単に増設可能となっており、さらなる性能向上も可能になっていたのである。


「これが新しい表示装置か。真っ暗ではないか」

「今電源を入れます。ポチっとな」

「おぉ、明るい……しかもカラー表示か!?」


 カラーの大画面に大興奮するヒトラー。

 表示モニターも新型になっており、ロンドンのシンチレーシング・サイン社が開発したカラー電光掲示板に更新されていたのである。


 電光掲示板の歴史は意外と古い。

 史実においては、1927年にニューヨーク・タイムズ社に設置されたのが世界初の電光掲示板である。文字を右から左に流すだけのシロモノであったが、それでも当時としては画期的なものであった。


 今回納入された新型モニターは、史実では野球場でお馴染みの電光掲示板方式であった。赤、緑、青に着色されたカラー電球をユニット化して大量に並べており、それぞれの電球の電圧を調整することでカラー表示が可能になっていたのである。


「……ところで気になったのだが」

「なんでしょう? ヒトラーさま」


 ファ〇コン風の8ビット調な画面に大喜びなヒトラーであったが、唐突に表情を曇らせる。


「画面の右下の光点はなんだ?」

「!?」


 唐突に画面に表示される『warning!』の文字。

 防犯システムが侵入者を察知したのである。


「昨日の今日で懲りませんわね。ヒトラーさま、ちょっとひと狩り行ってきます」


 普段はロングスカートで隠されている太腿のレッグシースからナイフを取り出すメイド長。眼鏡の奥の眼光がヤバい。


「ちょっと待て、どんな武器を持っているか分からんだろ!? まずは警察に連絡してくれ!」

「たかが賊の一人や二人に遅れなどとりませんのに……」


 ブツブツ言いながらも、ヒトラーの指示には従うメイド長。

 実際、マルヴィナ・ブートキャンプを優秀な成績で卒業した彼女からすれば、大の男も赤子の手をひねるが如しなのであるが。


 マルヴィナ・ブートキャンプの『町娘を立派なアサシンに』という物騒なスローガンは伊達ではない。卒業者はメイド姿の殺戮機械(キリングマシーン)と化すのである。


(やっぱり、ドーセット公に頼んで警備会社から人を派遣してもらおう)


 邸宅で働いているメイドは全てテッドが派遣している人材であり、万が一があったら大問題となる。ヒトラーは、荒事専門のスタッフを雇う必要性を痛感していたのである。


「なんだ、もう日本へ戻るのかね? もう少しゆっくりしていけば良いのに」

『そうしたいのは山々なんだけど、日本でヤバいことが起こってそれどころじゃなくなったんだよ!?』

「そういうことならば仕方がないな。次は何時戻ってくれるのかね?」

『移動手段は確保したから、月一で戻れるよ。何も無ければ、だけどね……』


 唐突に始まったヒトラーの休暇は唐突に終わることになった。

 テッドが日本に緊急帰国するハメになったからである。


(ま、2週間も全ての仕事を放り出して休めたのだから上出来というべきか)


 趣味が仕事と化している現状、休みが無いのはヒトラーにとっては苦では無かった。財団理事代行として高額なサラリーをもらっているし、財団の財布も使い放題なのでなおさらであろう。


 部下に仕事を振れば休めるのに、それをしないのは単純にヒトラーが仕事人間だからである。逆に言えば、部下を信用していないとも言えるのであるが。テッドが居るときには対外的な案件を全て任せられるので、安心して趣味に没頭していたのである。


 なんにせよ、ヒトラーは現状に大いに満足していた。

 次の休みを期待しつつ、今日もまた仕事に励むのであった。

テッド君が緊急帰国した理由は本編で明らかになります。

もちろん、特大級の厄介ごとですw


>コードXX(ダブルエックス)

第46話『帰郷』参照。

テッド捕縛指令です。発動された瞬間に館内のメイドさんは全て敵に回ります(酷


宿坊(しゅくぼう)

参拝者のために作られた宿泊施設です。


>和カフェ

実際に築地本願寺で和カフェが運営されています。

18種類の精進料理を小鉢でいただけるのと、ランチメニューやケーキ、ドリンクもあって人気のお店です。


>築地本願寺ドーセット分院

史実だとこの時代は前身である本願寺築地別院なのですが、この世界ではドーセットに布教するために正式な寺に昇格しています。


>『気が付いたら教会専属料理人にされて、改宗させられてた。何を言っているのかわからないと思うが、俺も何をされたのかわからなかった……』

ポルポル乙(酷


>メルセデス・ベンツ・SSK

ルパン三世の愛車としてフィアットと人気を二分する名車。

実車はアホみたいに小さいしコクピットも狭いので、あれに二人乗るのは拷問だと思います。


>複製人間のSSKは良く描けてたんだなぁ……

個人的には、実車のスリムなイメージとは真逆のどっしりとした見た目は安心感を感じましたねぇ。


>結果として、予想を遥かに超える30台成約という大商いとなった。

史実だと33台しか製造されていないというのに、30台も一気に売れたらベンツ側も大喜びでしょう。ダイムラーベンツ日本の設立待った無しですねw


>件のメイドはスピード狂、それも頭のネジが抜けたタイプの破滅型であった。

キャラの外見や性格はガルパンのローズヒップを参考にしていますw


特別貴賓室(ダービールーム)

競馬場には必須とも言える設備です。

ダービールームの名称は東京競馬場での呼称であって、他の競馬場でもこの名前なのかは分かりませんので悪しからず。


>ダービー伯爵

自援SS『変態紳士の領内事情―モータリゼーション編―』参照。

テッド君に機械馬(メカホース)の召喚を要求した馬狂いです。この世界ではヒトラーとマブダチ(死語)だったりします。


>ベンツ・ヴィクトリア

アニメでの設定ではプロトベンツ。

ケモ耳ホームズに改造されてイカダの動力になったり、鉄路を走ったりと縦横無尽に活躍しています。でも、ハドソン夫人の活躍の前には霞んでしまいます(断言


>レッグシース

太腿に装着する刃物専用のホルスターです。

2次創作だと東方の某瀟洒なメイドが装着していることが多いです。多分。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ああ、主人公哀れ・・・まあ主人公だしいいか(酷 何のかんの言いつつ体調崩してるわけでもないし。 でも陳述書、書記に本文書かせてテッドがサインするんじゃだめなの?w >ヒトラー 服から建築…
[良い点] 今回も盛りだくさんの内容を楽しませていただきました。 馬と車、良い趣味ですな。 ヒトラー氏も車の運転を練習したら良いと思うのですが、人から習うのが苦手そうで教習所の教官を殴りかねないですね…
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