変態英国グルメ事情―ファーストフード編―
「おっちゃん、ラージサイズ一つ!」
「あいよっ! ……って、えらくご機嫌だな?」
屋台でフィッシュアンドチップスを注文する青年。
汚れと擦り切れが目立つが仕立ての良い服を着ている。おそらくは良家の出身なのであろう。
「ふふんっ、新聞の連載が決まって原稿料がたんまり手に入ったんだ!」
「ほほー、そりゃあやかりたいねぇ……」
「どうしたん? いつものおっちゃんらしくない」
青年の知る屋台のおっちゃんは、多少のことは気にしない豪快な人物であった。
そんな性格だからこそ、ホームレスとなって気落ちしていた青年にフィッシュアンドチップスを食べさせてくれたのである。
「そろそろ店を畳もうと思ってな……」
「そんな!? どうして!?」
「競争が激しくて利益が出せねぇんだ。馴染みの客も減っちまったし」
「おっちゃんのフィッシュアンドチップスが失われるなんて世界的な損失だよ!?」
「そうは言ってもな。誰も来ない屋台に立ち続けるのは疲れたんだよ……」
ここの屋台は絶品ではあるが、青年が必死になるのは別の理由があった。
文字通り命がかかっていたからである。
ロンドンの屋台は、19世紀ビクトリア朝のころから存在していた。
街頭商人ストリート・ベンダーという立ち食い屋台であり、焼きジャガやパイ、うなぎシチューなど種類も豊富で労働者の胃を満たしていたのである。しかし、衛生なんて概念が毛ほども存在しない時代であり、食品の不正な水増しや有害な添加物が社会問題化していた。
一例を挙げると焼きジャガの場合、獣脂ラードで水増し程度なら可愛いもので、その大部分が炭酸カリと砂と水で構成されていたことがあったと言われている。他にも長期熟成の代わりに小便に付け込んだチーズとか、赤チョークや粘土入りの肉など、史実中国の段ボール肉まんや、毒ギョーザが裸足で逃げ出すレベルであった。
さすがに20世紀に入ると、多少なりとも改善の傾向はみられていたものの、底辺層の食事は常に命がけであった。青年も没落してから屋台の食事で何度か死にかけており、数少ない『当たり』である屋台が無くなることは文字通りの死活問題だったのである。
「僕が生き延びてこれたのは、おっちゃんのフィッシュアンドチップスのおかげなんだ。今こそ恩を返すよ!」
「いや、そこまでしてもらわんでも……」
俄然やる気となった青年。
何の因果か、20世紀初頭の英国に転生してしまった彼は元日本人であった。
日本人は『食い物の恨みは恐ろしい』なんてことわざのあるほど食に拘る人種である。今まで生きることに必死であっても、ギリギリで自重していた彼が、手段を択ばなくなった瞬間であった。
「サラダ油? なんだいそれは?」
「ぐぬぬぬ……!」
屋台のおっちゃんと別れて、ハロッズにやってきた青年はいきなり躓いていた。
ハロッズは史実21世紀に至るまで続いている老舗の超大型デパートである。そのモットーは、『あらゆる商品を、あらゆる人々へ、あらゆる場所へ』であり、世界中からありとあらゆる品物が入荷していた。しかし、それでも青年の望むモノは手に入らなかった。
ちなみに、サラダ油は日本の発明である。
史実だと1924年に実用化されているので、まだ10年以上先のことであった。
「しょうがない。オリーブオイルある?」
「こいつでどうだい?」
「ちょっとお高いなぁ……こいつでいいや」
高級品ではなく、敢えて安めのオリーブオイルを選ぶ。
オリーブオイルで揚げ物をするには、エキストラバージンオリーブオイルよりも、香りや風味の少ないピュアオリーブオイルのほうが都合が良いのである。生前に自炊して身に着けた生活の知恵であった。
「あとマヨネーズある?」
「お薦めはヘルマンのブルーリボンだよ」
「じゃあ、それで」
史実21世紀では、当たり前のように使用しているマヨネーズであるが、昔は手作りで作るのに手間がかかるために高級品であった。しかし、20世紀初頭にアメリカの東海岸で大量生産が始まっており、英国に逆輸入されていたのである。
「おぉ!? ハインツがある。これください!」
「そいつはアメリカからの輸入品だよ。ちょっと値が張るが良いかい?」
ハインツはケチャップのパイオニアである。
史実では1876年からケチャップの生産を開始しており、この世界でも大々的に生産していた。生前はカゴメ派であったが、ハインツも全然オッケーなので即買いである。
サラダ油こそなかったものの、それ以外のモノはあっさり見つかった。
当時の大英帝国には、世界中からあらゆる物品が流入しており、ハロッズはその最前線なのであるから当然のことではあるが。
食材以外にも必要なモノを求めて、アホみたいに広い店内を縦横無尽に駆け巡る。なにせ、5エーカー(2万㎡)の敷地に、100万平方フィート(9万㎡)以上の売り場面積、その中には数百の専門店が出店しているのである。貧弱ぼーやな青年が買い物を終えるころには、すっかりグロッキーであった。
「てめぇ、うちのニシンにケチをつけるってか!?」
「こんなクソみたいなものを売りつける貴様もクソだろうが!?」
「ザッケンナコラー!」
怒号が飛び交う中を両耳を塞いで歩く。
他所と差別化を図るべく、新たな食材を探しにきた青年であったが、あまりの大音量に辟易していた。
此処はビリングスゲイト。
史実21世紀でも続いているロンドンの魚市場であり、当時は世界最大の魚市場であった。
ちなみに、英和辞書でビリングスゲイト(billingsgate)を引くと罵詈雑言の意味である。辞書に載ってしまうくらい酷いというのは、あんまりのような気がするが、海の男が威勢が良いのは万国共通ということなのであろう。
「おいしい牡蠣だよー! 新鮮な牡蠣だよーっ!」
「おっちゃん、牡蠣ください!」
牡蠣と聞いた瞬間に、カキフライを想像してしまうのは元日本人の性であろう。
テムズ川は、古くから良質の牡蠣が大量に獲れる場所であった。古代ローマの英雄ユリウス・カエサルが、『テムズ川河口の牡蠣を食べたかったからイギリスに侵攻した』と言われたほどであり、その品質は折り紙付きであった。
思わぬ収穫に思わず笑みが止まらない青年であったが、ふと立ち止まる。
(腹減った……何かお腹に溜まるものは無いかな……)
朝からハロッズ内を駆け回り、その足でビリングスゲイトまで出向いて食材探しをしていたら、とっくに昼を過ぎていた。いい加減空腹も限界に達しつつあったのである。
「おいしいおいしいシチューだよーっ!」
唐突に聞こえてきた声に振り向くと、そこにはシチューを売る屋台があった。
鍋のシチューはぐつぐつと煮えており、じつに美味しそうに見えてしまうのは決して空腹のせいだけでは無いだろう。
「シチューくださいっ!」
「あいよっ!」
大皿にごろごろとぶつ切りが入ったシチューが手渡される。
食してみると、ハーブとスパイスが効いており、なかなかに美味しい。
「美味しい! おっちゃん、これ何のシチューなの?」
「うなぎのシチューさ! うちのは絶品だろ?」
「うな……ぎ?」
英国でうなぎときたら、思い出すのはアレである。
シチューに罪は無いが、お代わりは遠慮した青年であった。
「……」
安宿の一室で黙々と作業をする青年。
パン屋で購入した食パンを細かく千切り、さらにそれを小さくしていく。
「だ、ダルい……」
力仕事では無いが、延々と続くと気が滅入る。
食パン一斤分を全部パン粉にすることを考えると気が遠くなりそうになったが、それでも己を叱咤して作業を続けていったのである。
青年が作っているのは、生パン粉であった。
パン粉の歴史は古く、ヨーロッパでは伝統的な食材である。しかし、そのパン粉は乾燥したパンやクラッカーを細かく粉砕して作られたものであり、生前の記憶にあるパン粉とは全く違うものだったのである。
「おばちゃーん、厨房借りて良い?」
「ちゃんと後片付けしておくれよ」
夜分遅くに、ダメ元で宿屋のおばちゃんにお願いする。
意外なことにOKをもらえたので、気が変わらないうちに速攻で調理していく。
卵を茹でつつ、玉ねぎを微塵切りにして水にさらす。
完成した茹で卵をボールに入れて潰し、マヨネーズにビネガー、塩コショウとパセリを加えて混ぜて完成である。
「それは何なんだい?」
「タルタルソースだよ」
宿屋のおばちゃんは、出来上がったタルタルソースに興味深々であった。
「……美味いっ!」
タルタルソースを味見して絶賛する。
テーテッ〇レーなんて効果音が聞こえてきそうなくらいに素敵な笑顔であった。
厨房の使用料として、タルタルソースのレシピを渡してから部屋に戻ってきた青年であるが、まだやるべきことが残っていた。
(後はフライヤーバスケットか。こればかりは何処を探しても無かったんだよなぁ……)
フライヤーバスケットは、揚げ物を中に入れてそのまま油で揚げる調理器具である。要はステンレス製の網かごで、史実21世紀ではありふれた物なのであるが、この時代では見つけることが出来なかったのである。
(まぁ、これくらいなら起きるまでには戻ってるでしょ。多分……)
深夜の安宿を外から見ている者がいれば、カーテンを閉め切った彼の部屋から光が漏れているのを目撃出来たことであろう。幸いにして、そんな奇特な人間はいなかったのであるが。
(終わった。お休みなさい……)
そのままベッドに潜り込む。
ベッドの横には、何時の間にかにピカピカなフライヤーバスケットが置かれていたのである。
「おっちゃん、居るー!?」
「なんだなんだ、朝っぱらから……」
屋台のおっちゃんは、顔をしかめていた。
早朝から家に押しかける不審者がいるのだから当然であろう。
「おっちゃん、台所借りるよ!」
「ええ!?」
おっちゃんの許しが出る前に強引に厨房へ突撃する。
大鍋にオリーブオイルを入れ、横に転がっていたフィッシュアンドチップスの生地にニシンの切り身とカキをぶち込む。
生地に浸した切り身とカキに、夜なべして作った生パン粉を投入。
生前に、てんぷら粉とパン粉で手抜きチキンカツを作った経験がここで活きていた。
大鍋のオリーブオイルが良い加減になったので、切り身とカキをフライヤーバスケットごと大鍋に投入する。たちまち立ち込める香ばしい香り。
「おい、いい加減に……!」
「ていっ」
好き勝手されて、さすがにブチ切れそうになったおっちゃんの口に、青年は揚げたてのフライを突っ込む。
「こ、これは……」
「おいしいでしょ?」
「ああ……。美味い、サクサクしていくらでも腹に入りそうだ」
従来のフィッシュアンドチップスとは違う軽快な食感。
生パン粉は、大粒のパン粉に含まれる水分が揚げ油の中で素早く油と入れ替わることによって、サクサクとした軽快な食感となる。この特性を活かして、史実日本ではエビフライやトンカツ、コロッケなど様々な洋食が生み出されたのである。
「こっちもどうぞ」
「これも美味いな! こいつは……オイスターか!?」
「ご名答」
「オイスターは、生をビネガーと胡椒で食べるもんだと思っていたが、こんな食べ方もあるのか……!」
カキフライを食べて感動するおっちゃん。
カキフライは歴とした日本食であるから、知らないのも無理は無いことであろう。
ちなみに、英国では牡蠣オイスターは生食が基本であった。
牡蠣は生食すると食中毒の危険があるが、ビリングスゲイトで水揚げされる魚介類は史実現在の基準から見ても、かなり新鮮な状態で流通しており、生食を可能にしていたのである。
「これはいけるっ! 間違いなく売れるぞこれは!」
「でしょ?」
「こうしちゃあいられねぇ! 急いで仕入れてこないと」
「手伝うよ」
「いいのか? 助かるっちゃあ助かるが……」
「今までの分をまとめて出世払いだよ! 今こそ恩を返す!」
「すまねぇ……!」
固い握手をする二人。
ここから怒涛の大反撃が始まったのである。
「なんだこの食感は!? 今まで食べてきたフィッシュアンドチップスとは別物だぞ!?」
「オイスター美味ぇぇぇ!? サクサクした生地に、ふわっとした感触がたまらん!」
屋台の前に集結する紳士たち。
彼らは口々に、フィッシュアンドチップスを絶賛する。
彼らは、テッドのコネで呼び寄せたマスコミ関係者であった。
ニュースタイルなフィッシュアンドチップスの試食会と称して、作品を連載している新聞社の暇な連中を強引に引っ張ってきたのである。
「このモルトビネガーも素晴らしいな。これほどの味が埋もれていたとは……!」
フィッシュアンドチップスのソースは、モルトビネガーが定番である。
店ごとのレシピが存在し、それが個性となるのである。屋台のおっちゃんのモルトビネガーは絶品であった。
「このソースも良いな! モルトビネガーとは違った美味さがある」
「じつに濃厚だ。軽い食感とのミスマッチがたまらない……!」
しかし、元日本人な青年からすれば、フィッシュフライやカキフライにタルタルソースは外せない。史実でもフィッシュフライやカキフライにタルタルソースが提供されていることもあってか、こちらも英国紳士には好評であった。
「このケチャップとやらも悪くない」
「フライにもポテトにも合うし、彩り的な意味でもグッドだな」
ハインツのケチャップは、ジェットコースターに乗車中に垂れない事を実証するコマーシャルが史実で流されるくらいに濃厚である。購入して歩き食いすることの多いフィッシュアンドチップスでは、垂れにくいという点は有利であった。味も悪くなく、彩りを添えることからも、主に女性や子供に人気が出ることになる。
「では、皆さん。方々に言いふらせてくださいね。何なら、記事に取り上げても良いんですよ?」
「任せてくれたまえ。こんな美味しいものを食させてもらって、何もしないのでは英国紳士の名が廃る」
「お値段も手ごろだし、これなら放っておいても売れると思うんだが? まぁ、頼まれたからには宣伝するよ」
満足して帰っていく記者たち。
腐ってもマスコミ関係者であるから、それなりに宣伝してくれるであろう。多分。
「……で、どういうことなんだ?」
「彼らに宣伝してもらうんですよ。さすがに新聞記事には出来ないでしょうが、かなりの宣伝効果が見込めるかと」
テッドの目論見は成功し、翌日から大盛況となる。
おっちゃんは嬉々としてフィッシュアンドチップスを揚げまくり、その横では青年が死に物狂いで接客する日々が続くことになるのである。
「おっちゃん、ラージサイズ一つ!」
「あいよっ! ……って、えらくご機嫌だな?」
行列に並んでフィッシュアンドチップスを注文する青年。
派手さは無いものの、仕立ての良いスーツを着ている。
「コミケが成功裡に終わってね。苦労した甲斐があったよ」
「あのアレクサンドラ・パレスでやってたっていうイベントか。新聞で見たが大盛況だったらしいな?」
アレクサンドラ・パレスは、ロンドン万国博覧会で使われた建物の解体資材で造られた展示場兼宮殿である。青年の暗躍によって、この世界ではコミケの開催が実現していた。
「ふっふっふ、クソめんどい運営からは逃げれたし、次回からは本格的にデビューしちゃる。目指せ壁サークル!」
「お、おぅ……。なんか知らんが頑張れ」
屋台があった場所には、立派な店舗が建っていた。
接客を店員に任せたおっちゃんは、青年と共に人気の少ない場所へ移動する。
「それはそれとして、わざわざ並ばなくても、お前さんならすぐに出すぜ?」
「僕にとって、おっちゃんのフィッシュアンドチップスは、並んで買って歩き食いするものなの。こればかりは譲れないね」
「おまえさんは変な奴だな」
「おっちゃんだって、人のこと言えないでしょ? 店の経営は順調で、楽隠居だって出来るでしょうに」
「俺はガキのころから、フィッシュアンドチップスを仕込まれたんだ。それ以外ことは考え付かないんだよ」
「僕だって、同人誌描くのが生き甲斐なんだから、死ぬまで描き続けるつもりだよ」
「なんだ、変な奴はお互い様ってか」
そういって笑いあう二人。
テッドが監修したフィッシュアンドチップスは売れに売れまくった。気が付けば、ロンドンでも評判のフィッシュアンドチップスを出す店にまで成長していたのである。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「おう、また食いに来い!」
フィッシュアンドチップスをパクつきながら去っていく青年。
彼の名はテッド・ハーグリーヴスといった。
というわけで、自援SSを書いてみました。
自援SSって何ぞやという感じですが、リスペクト元で書いていた支援SSと同じです。こちらは、本編もSSも全部自分でやっているので、オナ……じゃない、自家発電ですが。
本編で扱いきれなかったネタとか、伏線をバラまくために今後も不定期書いていく予定です。
基本的に独立した話にするので、どれから読んでも大丈夫です。なお、リスペクト元では憂鬱の枕詞がタイトルに付いていましたが、拙作では変態が枕詞になります(酷




