蜘蛛の妖女、化け物ヒヒを退治する の巻
人里に近い山の中、十六夜の月に照らされて、盛りを過ぎた桜の花が夜風に舞っていた。
ベべベン。
その花びらの舞いに合わせて、三味線の音が静かに響いていた。
三味線を爪弾いているのは、二十歳かそこらの若い女だった。
大きなつづらの上にしどけなく腰掛け、夜の闇に溶けるような美しい黒髪を、風が弄ぶままにさせている。
身にまとうのは、蜘蛛の巣に囚われた蝶が描かれた、黒い着物に紫の帯。
整った顔には妖しいまでの美しさがあり、夜道を行く者を惑わす魔の物と見紛うばかりだった。
気まぐれな風に合わせて響いていた音が、不意に止まった。
「四郎。遅い」
バチを止めた女が、虚空を眺め不機嫌そうな声でつぶやいた。すると、何もなかった空間にぼんやりと光が現れ、炎のように揺らめきながら女の前へやってきた。
「悪い悪い。色々立て込んでてよ」
まるで人魂のようなその光は「ホログラム」という技術らしいが、三味線を爪弾いていた女にはよくわからないカラクリだった。
「準備はできたの?」
「おう、バッチリだ。あとはお前さん次第だぜ、若菜姫」
女──若菜姫はうんざりした様子でため息をつくと、やや強めに三味線を弾いた。
「やれやれ。金で買われて、どんなヒヒジジイの相手をさせられるのかと思いきや。まさか本物のヒヒの相手をさせられるとはね」
「ん? なんだ、ヒヒジジイの方が良かったのかい?」
「いいわけないでしょ」
ベベン、と三味線のやや強い音が響く。若菜姫とて、好きでもない男に肌を触れられるのは嫌だ。しかし、だからといって。
「大人の男の十倍はある化け物ヒヒを倒せって。なんなの、それ?」
「世のため人のため、そしてお金のための、化け物退治さ」
ホログラムの向こう側から、けけけ、と声が聞こえてくる。
「……まったくあなたって」
若菜姫は三味線をおろし、目の前のホログラムを見た。
この声の主は、ホログラムの向こう側、こことは違う場所にいるという。「諸事情で」と名乗ってすらいない。それでは不便なので、若菜姫は「四郎」と適当に名前をつけて呼んでいるが、何かと思わせぶりな言い回しが少々面白くない。
「そう怒りなさんな。お前なら楽勝だって」
「そうだとしても。あなたは何もせず上前はねてるだけ、ていうのがねえ」
「おいおい、ひでえな。俺の綿密な作戦があればこそ、じゃねえか。それに、俺が頭脳、お前が現場。そういう役割で握ったはずだぜ?」
「それはそうだけど」
でもさあ、と若菜姫は口をとがらせる。
「今回のはなんなの? 女郎屋に身売りして、言われるままに買われていけ、て」
「化け物ヒヒに娘を差し出したくない金持ちが、代わりの女を探してる、て知ってね。直接行ったら買い叩かれそうだったから、女郎屋を経由した、てわけだ」
「その金持ちが別の女郎屋に行ってたら、私はいまごろ、客を取らされていたんじゃない?」
「黙って男に押し倒されるお前じゃないだろ」
それに、と四郎がゆらゆらと笑う。
「けっこうな大金が手に入ったろ? さらに化け物ヒヒを倒せば、国から褒美がもらえる。当分生活には困らないぜ」
「四郎が持ち逃げしなければね」
「しないしない。する気もない。ちゃーんと山分けさ」
「どうだか」
フヨフヨと四郎が宙を漂う。そんな動きをされると本当に人魂みたいで、胡散臭さがさらに増す。
「信じてくれって、相棒。これまで苦楽を共にしてきた仲じゃないか」
「どの口が言うのやら」
さあてね、とうそぶいた四郎がくるりと一回転し、若菜姫の手が届かないところまで上昇した。若菜姫はため息をつきつつ袖から紐を取り出し、手早く髪を一つに束ねた。
そして、やおら立ち上がると、そのまま振り返り。
「だいたいこの化け物ヒヒ、大人の男の十倍どころか、二十倍はあると思うけど」
音もなく忍び寄っていた化け物ヒヒを見て、若菜姫はそんな感想を漏らした。
◇ ◇ ◇
巨大な化け物ヒヒが人里を荒らし回り、若い娘を連れ去っては食っている。
助けを求めるそんな声が都へ届いたのは、半年ほど前だという。
都では、最初は「何をバカなことを」とまともに受け止めなかったと言う。だが、あまりにも訴えが続くものだから、念のためと兵を派遣したところ、それが本当だとわかった。
「で、本格的な討伐隊が派遣されたが、わずか一日で全滅したらしい」
全軍の三分の一という大損害に、これ以上兵は出せぬとなった。しかし放置しておくわけにもいかず、やむなく全国に化け物ヒヒの討伐令が、懸賞金付きで出された。
その懸賞金がかなりの高額で、我こそはという腕自慢が、一攫千金を狙って化け物ヒヒ退治に集まったという。
「で、そいつらは全員返り討ちにあっちゃった、てことね」
「そういうこと。そこで俺たち、化け物退治屋の出番さ」
「そんなものになった覚えはないんだけどね!」
全速力で森を駆け抜けた若菜姫は、行く手に見えた断崖絶壁に向かって躊躇することなく地面を蹴り、ひらりと宙に舞った。
その直後、化け物ヒヒの巨大な手が大地を穿ち、ドォンッ、と巨大な音が響き渡る。その衝撃で周囲の木々が吹き飛ばされ、投げつけられた巨大な岩が宙を舞った。
「……まったくもう」
落ちてくる岩や木を見上げた若菜姫は、ため息交じりに肩をすくめると。
「舞えや糸!」
若菜姫が広げた両手に、パッ、と銀色の花が咲いた。
それは花ではなく糸だった。
若菜姫の両手から伸びた無数の糸が、岩や木へ伸びていき、巻きつき、次々と粉砕していった。
「紡げや糸!」
あらかたの岩と木が砕けたのを見て、若菜姫は両手を振った。再び広がった糸が、今度は格子状に絡みついて、盾となって降り注ぐ土砂から若菜姫を守った。
「結えや糸!」
くるりと宙で体を回し、振り抜いた足から伸びた糸が、まだ立っていた木に伸びて絡みついた。若菜姫の体がぐいっと引き寄せられ、地面に向かって落ちていく。そのまま落ちれば大ケガだが、若菜姫は盾となった糸で巧みに身を守りつつ、二、三度跳ねてからふわりと着地した。
「おお、さすがだなぁ!」
「お世辞は結構」
四郎のやんややんやの喝采に、若菜姫はそっけなく答えて髪を払った。
「……やっかいね」
若菜姫は化け物ヒヒを見上げながら独りごちた。その攻撃をかわしながら、腕を切り落としてやろうと糸を伸ばしたのだが、剛毛に弾き返されて糸が切れた。鉄でも断ち切る糸が、である。遠目には柔らかそうに見えるヒヒの毛は、見た目に反してかなりの強度だった。
「私の糸じゃ、あれの毛を切れないみたい」
「ああ、それは任せてくれ。手は考えてある」
化け物ヒヒの体毛が鋼の剣ですら跳ね返すことはわかっていた、という。
「だが、むき出しの部分はそれほど強くない。そこを狙う」
「顔を? 手で防がれるんじゃない?」
それに顔を攻撃するためにうかつに近づけば、あの素早い動きで叩き落とされそうだった。さすがにそれは危険すぎると若菜姫が抗議すると。
「いやいや、顔じゃない。ケツだ」
「ケツ……お尻?」
「ヒヒのケツって、むき出しだろ? そこを攻撃する」
「どうやって?」
「強力な爆薬を用意しておいた。ダイナマイト、ていうんだけどな。それをケツに当てて爆発させれば、さすがの化け物ヒヒもたまらないだろうよ」
「だいな……まいと? 火薬玉のこと?」
「まあ、似たようなものだ。材料は違うけどな」
「で、そのダイナマイトは、どこにあるの?」
「さっきまでお前が座っていた、つづらの中だよ。あれをお前の糸でヒヒのケツに縛り付けてくれれば、あとはこちらで爆発させる。それで終わりさ、簡単だろ?」
「あなたねえ」
若菜姫は肩をすくめ、化け物ヒヒの方を指差した。「なんだね?」と四郎が不思議そうな声を出すので、「いいから見て」と振り向かせる。
「おうおう、お怒りだねえ」
化け物ヒヒが、怒りで歯をむき出しにしながら周囲を見回している。どうやら獲物を取り逃がしたことで、相当ご立腹らしい。
しかし若菜姫が見ろと言ったのは、化け物ヒヒそのものではない。
「そっちじゃない。ヒヒの足元」
「足元?」
「そ。さっきまでいたあたり。見ての通り、ヒヒの攻撃でめちゃくちゃなんだけど」
「お……おおう?」
若菜姫が言う通り、投げ飛ばされた木や岩であたり一帯がめちゃくちゃだった。
そこに置かれていたつづらはどこにも見えない。おそらく、土砂に埋もれてしまったのだろう。
「……困るじゃないか、俺の計画が台無しだ」
「知らないっての。私はあれの中身、教えてもらってなかったんだからね」
どこが綿密な作戦なのやら、と若菜姫は大げさにため息をついて見せた。
◇ ◇ ◇
蜘蛛の糸。
若菜姫の技の正体はそれである。かつて土蜘蛛の精に教えてもらった妖術で作り出した糸は、数理離れたところまで伸びる上、鋼より硬く、粘着性もあって、並大抵の武器や力では断ち切ることができない強力なものだ。
だが、どちらかというと待ち受けて戦うのに向いている。
何の準備もなく、化け物ヒヒのように素早く動く敵を相手に「いざ尋常に勝負!」なんて正面切って戦うのは、自殺行為でしかない。
「教えておいてくれれば、いくらでもやりようあったのに」
「面目ない。サプラーイズ、てやろうと思って、ついな」
「さぷらー……? あなた時々意味の分からない言葉使うけど、わかるように言ってくれない?」
若菜姫は化け物ヒヒに見つからないよう、木や岩の影から影へと移動した。
だが、野生の勘なのか、動くたびに化け物ヒヒが若菜姫の方へと視線を向ける。森がえぐられ隠れる場が減った今、空に浮かぶ月の明かりが恨めしい。
「こっそり糸を這わせて、ヒヒの両足を縛る、てのはどうだ?」
「あの巨体を縛りつける量の糸なんて、私、しばらく動けなくなる。やるなら一撃で仕留めないと」
糸がどれだけ出せるかは、術者の妖力による。師である土蜘蛛ならいざ知らず、人間である若菜姫には限界があった。
「なんだ、その糸、上限付きだったのか。他にチート技とかねえの?」
「ちーと……だから、意味がわかる言葉を使ってと言ってるでしょ!」
若菜姫が語気を荒げた時、ギロリ、と化け物ヒヒが目をむいた。
「紡げや!」
まずい、と思うと同時に叫んだ若菜姫の前に、糸で編まれた盾が現れた。ヒヒが爪で抉りに来たものの、糸に防がれ怒りをあらわにした。
「ああもう、めんどくさい。逃げるよ」
「いや待て、こいつを倒さないと金がもらえない」
「命あっての物種でしょ!」
「しかし金を返せないと、お前が女郎屋に行くことになるんだが……」
「ちょっとあんた、また私を売ったの!?」
ドンッ、と化け物ヒヒが地面を蹴り、空高く舞い上がった。衝撃で若菜姫は足を取られ、たたらを踏んだところで再び化け物ヒヒの爪が襲いかかってきた。
「紡げや!」
糸の盾が再び化け物ヒヒの爪を防ぐ。しかし一撃では倒せないと悟ったか、化け物ヒヒは何度も爪を繰り出し、若菜姫を追い詰めていく。
「このっ……」
「おいおい、まずいんじゃねえの!?」
「わかってるなら助けなさい!」
「それもそうだな」
ふわり、と四郎がヒヒの眼前へ飛んでいく。化け物ヒヒは、うっとおしそうに手を振り四郎を追い払おうとしたが、巨大な手も鋭い爪もすり抜けてしまうだけ。
「フラッシュ!」
おのれ、と歯を見せて目を剥いた瞬間、四郎が叫んだ。
淡い火の玉のようだった四郎が、まるで昼間の太陽のように輝き、周囲を明るく照らし出す。夜の暗さに目が慣れていた化け物ヒヒは、その光をまともに見て悲鳴をあげ、慌てて顔を背けて飛び退いた。
「舞えや!」
それを逃さず、若菜姫が糸を繰り出した。狙うは一点、化け物ヒヒの左足親指。
「叩っ斬らせてもらうからね!」
「ヒギャァァァァァッ!」
化け物ヒヒの絶叫が山に響いた。丸太のように太い指が糸で切断され、宙を舞う。若菜姫は糸を伸ばしてその指を捕えると、ありったけの力で遠くまで投げ飛ばした。
「再生とかされちゃ、かなわないし」
「え、あれ再生するのか?」
ひゅんっ、と大急ぎで戻ってきた四郎が疑問の声を発すると、若菜姫は「さあね」と肩をすくめた。
「念のためよ。ほら、一旦退却」
「了解」
◇ ◇ ◇
化け物ヒヒは、怒っていた。
ヒト。叩けば一撃で死ぬような、か弱い獲物だった。それをいたぶり、瀕死の状態にしたところで、生きたまま食らうのが最高に楽しかった。オスとメスどちらもうまいが、特にメスの肉の脂が乗った柔らかさは最高のご馳走だった。
そのご馳走が、小ざかしくも反撃してきた上、足の指を一本切り落とされてしまった。
あまりの痛みに悶絶したが、やがて込み上げてきた怒りで痛みを忘れた。
許せぬ!
怒髪天を突く怒りを咆哮に変え、化け物ヒヒは月に向かって叫び声をあげた。なんとしてもあの獲物をとらえ、なぶりものにした上で食らってやる。化け物ヒヒはそう考え、怒りでギラついた目であたりを見回した。
どこに隠れているのか、獲物の姿はなかった。
だが、かすかに漂ってくる匂いが、獲物がまだ近くにいることを教えてくれた。匂いは夜風に乱れ、正確な居場所がわからない。右のようにも思えるし、左のようにも思えるし、しかし風向きが変わると正面からのようにも思える。
ならば、と化け物ヒヒは巨大な腕を一振りし、まずは右手の一帯を薙ぎ払った。
バキバキと木がなぎ倒され、土がめくれる。二度、三度と手を振ると右手一帯は何もなくなり、見通せるようになる。しかしそこに獲物の姿はない。
それならと今度は左手の一帯を薙ぎ払う。そこにも姿はない。だがかすかに獲物の匂いが揺らぎ、正面へと移動していくのを感じた。
なるほどなるほど、と化け物ヒヒは笑う。
潜んでいたところを薙ぎ払われ、慌てて正面の方へ逃げたらしい。化け物ヒヒはどう猛な笑みを浮かべ、匂いが駆けて行くそのほんの少し先を、渾身の力でえぐった。
「おおうっ!」
ヒトのオスの声が響き、小さな火の玉が舞い上がった。いまいましい、と化け物ヒヒは歯ぎしりしつつその火の玉を手で叩き落とそうとしたが、なぜか火の玉は手をすり抜けてしまう。
「いやはや、ホログラムだってことを忘れる迫力だね。くわばらくわばら」
小声で鳴きながら慌てて去って行く火の玉。忌々しいが、それから肉の匂いはせず、追う気になれなかった。
それよりも、ヒトのメスだ。
確かにいたはずなのに、匂いが消えている。化け物ヒヒは、用心しつつ匂いが消えた方へと歩き出し、邪魔な木や岩を払いのけた。
だが、ヒトのメスの姿はない。
どこへ消えた、と困惑していると、ふわりと背後から匂いが漂ってきた。いつのまに、と驚きつつも化け物ヒヒは素早く身を翻し、逃すものかと匂いの元へ一気に跳躍した。
ドォンッ、と地響きを立てて化け物ヒヒが着地した。
視界の隅でヒトのメスがまとっていた黒い布が遠ざかって行くのをとらえ、素早く腕を伸ばした。
化け物ヒヒの手が、ぐしゃり、と黒い布をとらえた。
獲物を捕らえた喜びに、化け物ヒヒは歯をむき出して笑った。まずはなぶってやろうと、握った手をゆっくりと開いたが、そこにあったのは黒い布だけ。肝心の肉の身はなかった。
脱皮して逃げおったか。
いまいましい、と歯ぎしりしつつ、化け物ヒヒは手にした黒い布を地面に叩きつけた。
どこへ逃げた、と化け物ヒヒが周囲に目を走らせた時、今度は白い物が闇を走るのが見えた。すぐさま追って捕まえたが、今度は薄く白い布で、やはり肝心の肉の身はなかった。
小賢しい!
化け物ヒヒは地団駄を踏み、怒りに任せて周囲をなぎ払った。
ヒトが、ただの餌が! この私をからかうか!
化け物ヒヒが咆哮し、渾身の力で大地を打った。
次は容赦せぬ、見つけ次第捕まえ、逃げられれぬよう足を引きちぎってやる。そうして悲鳴を上げるのを聞きながら、ゆっくりとその身を味わってやる。
化け物ヒヒはそう考えながら、大地を打ち続けた。大地が揺れ、木が倒され、そのまま周囲一帯が崩れてしまうのではないかと思われた、その時。
ベベン、と低くむせび泣くような音が、化け物ヒヒの背後から響いた。
「よう、そこの旦那。よかったら一曲聞いていかないかい?」
その音に続いて、ヒトのオスの声が聞こえた。
化け物ヒヒが怒りの目を向ける。ベベン、ベベンと奇妙な音が鳴り響き、警戒しつつ目を凝らすと。
月を背に妖しく笑うヒトのメスが、一糸も纏わぬ姿で立っていた。
◇ ◇ ◇
荒々しく風が舞い、それに合わせて三味線の音が響く。
さて今宵にふさわしい唄はなんだろうか。
そんなことを考えながら、調子を合わせ若菜姫が三味線を爪弾いていると。
「来るぜ」
「あらもう?」
四郎の警告と同時に、化け物ヒヒが怒りの咆哮を上げ突進してきた。まるで山肌を転げ落ちる岩のように、猛烈な勢いで迫って来る。怒りのあまり我を忘れた、といったところだろう。
「ふふ。小唄の一つも楽しむ余裕のない殿方なんて……」
ビンッ、と三味線が鋭く鳴る。
「お相手は、お断りさせていただきましょう」
若菜姫は妖しく笑い、ツイッ、と指で宙に円を描くと。
「舞えや糸」
ピシッ、と乾いた音がして、化け物ヒヒを包み込むように銀色の花が生まれた。
それは、月光を浴びて光る蜘蛛の糸。
闇夜に咲いた美しい花は、化け物ヒヒが中心に来ると同時に一瞬で閉じ、その巨体をがんじがらめにした。
「グギャァァァァッ!」
捕らえられた化け物ヒヒが悲鳴を上げた。若菜姫は小さく笑い、再び指で円を描いた。
「結えや糸」
鋭く伸びた新たな糸が、少し離れたところにいる四郎へと伸びて行く。糸はそのまま四郎を突き抜け、岩の陰にあったつづらに巻きつくと、鞭のようにしなって化け物ヒヒの尻へと向かって飛んだ。
「紡げや糸」
そして、さらに生まれた糸が、つづらを化け物ヒヒの尻に貼り付けた。
「グアァツ、グアッ!」
糸にがんじがらめにされた上、尻に何やら訳の分からぬものを貼り付けられた化け物ヒヒは、逃れようともがきにもがいた。だが、幾重にも張られた糸は容易には切れず、もがけばもがくほど化け物ヒヒの体に食い込んでいく。
「無駄無駄。一度捕らえた獲物を離すものですか」
「ほいじゃまあ……」
そんな化け物ヒヒを見て若菜姫が妖しく笑い、緊張感のない四郎の声が聞こえたかと思うと。
「爆破、と」
ドォンッ、と大地を揺らす轟音が響き、化け物ヒヒは悲鳴を残して爆散した。
◇ ◇ ◇
「あーもう……つっかれたー」
化け物ヒヒが跡形もなく吹き飛んだのを見て、若菜姫はホッと息をつき、へたり込んだ。
「いよっ、お疲れ!」
「お疲れ、じゃないっての」
ふわふわと飛んできた四郎にジト目を向け、若菜姫は糸を伸ばして着物を引き寄せた。
「まったく、肌までさらさせて。今回の取り分、七・三だからね」
「わかったわかった。いいもん見させてもらった見物料、てことだな」
「見物料ってね……」
四郎の言葉にあきれながら、若菜姫は汚れを払った着物に袖を通した。
「いやしかし、最後の大技、すごかったなあ。さすがは若菜姫。最高の相棒だぜ!」
「あなた、その最高の相棒を女郎屋に売った、と言ってなかった?」
「ダイナマイトと発信機に金がかかってなあ。やむを得ず、てやつだよ。ま、褒美で十分払えるって。気にすんな」
はっはっは、と悪びれもせず笑う四郎。ここまで堂々とされていると、いっそ褒めたくなる。
「で……そのハッシンキ、てなんなの?」
「ん? 大事なものがどこへ行ったかわかるよう仕込んでおく機械だ。いやー、つづらに仕込んでおいてよかった。おかげで一発逆転キメられたぜ」
「また訳の分からないカラクリなわけね」
やれやれ、と若菜姫は頭を抱えた。
「俺は二百年後の世界の人間だ」
初めて会った時、四郎はそんなことを言って若菜姫を驚かせた。
そんな突拍子も無い話、信じられないし、信じたくない。
だがこの半年行動を共にして、どうやら嘘ではなさそうだと思い始めている。なにせ見たことも聞いたこともない物や言葉をポンポン出してくるのだ。四郎を神様か何かと思ったが、本人が「神なんかじゃねえよ」と言う以上、未来の人間だという言葉を信じるしかなかった。
「ま、いいわ。助かったのは事実だし」
未来の人間だろうが神の使いだろうが、若菜姫にはどちらでもいい。身寄りもなく、行くあてもない今、この男の力は大いに助けになる。それで十分だ。
「しっかし、疲れたわ。夜明けには……まだちょっと、時間があるね」
若菜姫は、ふわっ、とあくびをすると、なぎ倒された木に背中を預け、目を閉じた。
「私、夜明けまで寝るから、見張りよろしく」
「いやいや、若い娘がこんなところで……て、おい、もう寝てるのかよ」
目を閉じたと思ったら眠りに落ちた若菜姫を見て、四郎は「やれやれ」と呆れた声を出した。
「ま、いいか」
化け物ヒヒが暴れまくった後だ、獣だって警戒して来やしないだろう。
「でもまあ、念のため、と」
四郎はふわりと着地すると、形を変え、焚き火の姿となった。
赤く柔らかい明かりが、若菜姫の寝顔をほのかに照らす。その思いの外あどけない寝顔に、四郎は「あんがい、可愛い顔してるじゃねえか」と笑いながら、夜が明けるまでゆらゆらと揺れ続けていた。