-5 『お礼』
やっと見つけた、とはどういうことか。
――やっぱり私を捕まえにきたんだわ!
私の中の全身の細胞が危機を告げてぞわぞわしていた。
生前のナターリアは面倒くさがってあまり社交場などにも顔を出さなかった。そのため口伝えで広がっていったわがまま放題の悪態っぷりに比べ、意外とあまり顔は広くない。
そんな中でも数少ない『ナターリア』を知る人物である、元婚約者のルクス=シュナイゼル。絶対に彼には会わないようにしようと決意したその矢先、逃げる暇もなく彼が目の前にやってきてしまったのだった。
これはまずい。
もしかすると、この前出会ったときに私がナターリアだと気づいたのだろうか。
「見つかってよかったよ。ずっと捜していたんだ」
「さっ、捜してた!?」
――やっぱりナターリアが生きていたと気づいて捕まえにきたってこと!?
穏やかに微笑んでそう言うルクスに、私は動揺を隠せなかった。
右足が「今すぐ逃げろ」と騒いでいるが。左足が「落ち着け、まだ疑ってるだけかもしれない」と制止してくる。そんな複雑さが私を混乱させた。
できることならすぐに立ち去りたい。
けれどそれだと私が彼から逃げようとしていることが明白になる。
できるだけ平然を装って、別人をアピールする。それがまずは大事だ。すぐに捕まえてこない当たり、きっと公衆の面前で騒ぎを起こしたくないのだろう。ルクスがどういう魂胆なのかも見定めないと。
「ど、どどど、どうしてここに?」
わかりやすくどもってしまった。ああ、情けない。
私の問いかけに、ルクスは相変わらずの笑顔を浮かべて言った。
「この前は急に帰ってしまっただろう? 何か急用があったんだろうね。足止めして悪かったとは思ってる。だから日を改めてまた会えたらと思って」
「な、なんで会いたいんでしょうかね」
「この前のお礼を言いたくて、ね」
「お礼……? 捕まえにきたんじゃなくて?」
「捕まえに?」
「あ、いやっ。なんでもないわ!」
危ない、つい口を滑らせて墓穴を掘るところだった。
それにしても、ただお礼を言いに来ただけだなんて。
――いや、待つのよナターリア。ううん、リーズ。これは何も知らず存ぜぬをアピールして油断させ、もう気づいていることを隠そうとしているだけかもしれないわ。
それもそうだ。
お礼のためだけにわざわざ会いに来るだろうか。
やはり怪しい。警戒は継続だ。
何かあればいつでも逃げられるように気を張っている私と、にこやかな表情を浮かべる私。ハブとマングースのようになんとも言えない微妙なにらみ合いとなっていた。いや、睨んでいるのは私だけなのだけれど。
「悪いね。いきなりこられてもびっくりするのは当然か」
捕まりたくないから当然だ。
「でも、どうしてもお礼を言いたいらしくて。また会えないかと捜したんだ」
「言いたい?」
「ああ。クルシュがね」
椅子に腰かけるルクスの背中からひょこりとクルシュが顔をのぞかせた。
――あらかわいい。
困り眉を浮かべて私を見やるクルシュ。
今日の服装もまたフリルがいっぱいついていて、童顔の彼女によく似合っている。
ルクスに警戒を抱き続けなければならないのだが、クルシュを見た途端、私の警戒心は炎天下の氷のようにさっと溶けて口許を綻ばせていた。
「……こ、こんにちは」
「こんにちはぁ!」
ついにんまりと答えてしまう。
自分でも気持ち悪いとは思う、反省してる。でも可愛いのだから仕方がない。
クルシュはちょこちょこと駆け寄ってくると、隣に腰かけて自分の鞄をまさぐり、頬を赤めながら私に向かって何かを差し出してきた。
「あの。お礼、です」
「これは……花?」
小さな青い花弁が重なってついていて、そのどれにも白い縁がある。花びらの大きさや形は桜みたいだが、それよりも少し蕾みたいに丸みを帯びていた。そんな花が一輪、細い茎の先にくっついている。
私の手のひらにも簡単に収まるほど小さくて、素朴。けれどつい目を奪われてしまうような美しさがあった。
なんていう花だろう。
そんな私の疑問をくみ取ったかのようにルクスが言った。
「セントポーリアだね。よくできてるよ」
「よくできてる? これ、造花なの!?」
言われてじっと見つめてみると、確かに色を塗ったようなムラが見える。
「クルシュは手先が器用なんだ」
「へえ。これを作っただなんてすごいわ」
素直に感心する私に、クルシュは気恥ずかしそうに顔を赤くして照れていた。
お礼としてこんな綺麗な花を渡してくれるなんて、なんて甲斐甲斐しい良い子なのだろう。本当に、いますぐ持ち帰りたいくらい可愛らしい。
「この前は、ありがとうございました」
「ああ、いいのよ別に。こちらこそありがとうね」
思えばこんなささやかなプレゼントをもらったのは初めてかもしれない。昔は高級な宝石だとか洋服だとか、料理とかだったから、意外なものだ。こういうのも案外悪くない。なんというか、そのところどころある色のムラなどの手作り感にすら、作ってくれた相手の気持ちが伝わる気がする。
「大事に飾っておくわね」
私がそう言うとクルシュはとびきり嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
それからクルシュと、ルクスを交えて他愛のない会話をした。好きな食べ物の話とか、なんてことない話題ばかり。そんな中、ルクスが問いかけてきた。
「キミはどこの出身なんだい?」
――きた! 私の所在について尋ねる質問!
なぜそんなことを尋ねてくるのか。
もしかすれば口を滑らせて私が「ラスケス家よー」なんて阿呆面で答えることを期待でもしているのかもしれない。舐められたものだ。
「そこらへんのしがない農家の娘よ」
「そうなんだ。学校は?」
「行ってないわ。学費も安くはないし、農家の子なんてほとんど家の手伝いでいっぱいよ」
「そっか。普段はどんなことを?」
「うーん。まあ農作業の手伝いとか、お使いとか。そういうのばかりかな。もう少し大きくなったらどこかのお店の手伝いとかもしてお金を稼がなきゃダメだろうけど」
それにしても随分と聞いてくるものだ。
私がボロを出さないかとしつこく狙っているのだろうか。
本当はいますぐルクスから逃げ出したいくらいだが、いきなり帰るのも不自然で逆に怪しまれるかもしれないと思ってやめておいた。それにもうちょっとクルシュを愛でていたというのが本音である。
「あの。私、ちょっとお手洗いに」
「ああ、うん、行ってらっしゃい」
恥ずかしく遠慮した風に言って席を立ったクルシュを見送った私は、ふと危機感を思い出した。
――ちょっと待って、いまルクスと二人きりじゃない!
目の前には、金色の短髪をなびかせて穏やかに微笑むイケメンの姿。女の子なら羨みそうなシチュエーションだが、私としては息が詰まりそうなほど気まずい状況だ。
今のうちに帰るべきだろうか。
いや、でもクルシュに申し訳ない。随分と私との会話を楽しんでくれているみたいだし。
どうしたものかと迷っていると、ふとエルクと目が合った。言葉が思いつかなくて、気持ち程度に愛想笑いを浮かべてごまかす。
そんな私にエルクは改めて向き直ると、突如として神妙な面持ちを浮かべて言った。
「クルシュがいない今のうちに言っておきたいことがあるんだ」
「えっ?」
――まさかさっきまではクルシュがいたから何もしなかったけど、いよいよ私を捕まえようとでもいうの!?
ぶるぶると体を震わせて顔を青ざめさせた私に、エルクは両肘を机につけて手を組み合わせた。




