ー9 『告白』
――いったいどうしたのかしら。
ミゲルの様子が明らかにおかしい。
けれど私がどれだけ尋ねても反応はなく、結局そのままミゲルはすぐに帰ってしまった。
何か不機嫌というよりは深く思いふけっているようで、どんより沈んだ雰囲気がそれ以上踏み込みづらくて私も無理やりに聞き出すことはできなかった。
何かショックなことでもあったのだろうか。
――昼ごはんに嫌いなものがでてきた、とか?
なんて、食事にうるさい私でもあるまいしあり得ないだろう。
そんないつも違う雰囲気に一抹の気味悪さを覚えながらも、きっとなんてことない一時の感情の振れ幅だろうと私も深く考えないようにした。
なんだか不気味な不協和音。
その悪寒は、それから数日後に現実のものになった。
ある日、ミゲルは学校にすら来なくなった。
何か病気かと思って教師にも尋ねたが、学院側も事情はわからないのだという。
しかし最も大きな異変が起こったのは更にその数日後だった。
それは、私が放課後に屋上菜園の世話をしていた時、蹴破るように激しく開かれた扉の音とともにやってきた。
急な騒音に驚いた私が見たのは、血相を変えて飛び込んできたエルクの姿だった。
いつも冷静で温厚な彼とは見て似つかぬその様子にひどく驚かされた。
「ど、どうしたのよエルク!?」
「……はあ、はあ」
息を切らせたエルクは私と、それから周囲を執拗なくらいに見回した。
「……いないんだ」
「え?」
悲壮な声でエルクは言う。
「クルシュが、行方不明になったんだ」
「ええっ!?」
それはあまりに唐突なことだった。
クルシュの失踪。
エルクによると昨日まではいたらしい。私も放課後に会っていたし、それからエルクが寮まで送っていったことは覚えている。
けれど今朝になってからクルシュは学院の教室にも顔を出さず、無断欠席を心配してエルクが寮を訪ねてみても出てこないどころか、部屋のどこにもいなくなっていたのだった。
「実家に連絡もした。けれど何も聞いてはいないらしい。そもそも出入りするためには守衛がいる門を通らないといけない。でもそれらしい人物は一人もいなかったのだと」
エルクは他にも学院中の敷地内を駆けまわったりして捜したのだというが、結局見つからず、最後の望みで私の下へとやって来たのだと言った。
「だ、大丈夫なの!?」
「わからない」
「昨日は何か言ってなかった?」
「いつも通りだった。明日もキミに会いに行くって言ってたくらいだ」
「そんな……」
クルシュが行方不明になるだなんて想像もしていなかった。エルクの真剣で迫真な顔つきから事の重大さが伝わり、私にも緊張が走る。
「じ、実はどこかに用事があって出かけてるだけとか? ほら、エルクって結構心配性だから大袈裟になっちゃってるだけとか……」
「学院をサボってまでかい? それにクルシュが勝手にどこかに行くなんてことはなかった」
「そ、そうよね……」
こんなことは初めてだ、とエルクは青ざめた顔で呟く。
よほどの不安。しかしそれも仕方がない部分はある。
クルシュはこれまで普通の貴族として見られてきたが、つい先日、エルクとの関係性を学院内に明かした。つまりクルシュにも王族の血が流れているということが知れ渡ったのだ。それによって女装男と迫害されてきたクルシュの待遇は一変して改善したが、なにも良いことばかりとは限らない。
一般的な生徒と思われた彼が王族のつながりがあるとなれば、それだけ彼に『利用価値』もできてしまう。エルクが過保護気味だったのも、そんな危うさから身を守るためという部分もあったのだろう。
「……エルク」
ふと、困惑する私たちのもとにユーステインがやって来た。
彼はいきなりエルクの目の前にまで歩み寄ったかと思うと、制服の懐から折りたたまれた書状を取り出した。
受け取ったそれを広げて見たエルクは、手にしたその紙を震わせながら愕然と目を見開いていた。
「なに? いったい何が書いてあったの?」
私の問いにエルクが顔を持ち上げる。
「――クルシュは無事らしい」
「……あら、そう。よかったじゃない」
しかし吉報にしてはあまりにエルクの表情は落ち着きがない。エルクはそれから、言葉を失ったように言い淀んでいた。じれったくなった私がその紙を無理やりかすめ取り、読んでみる。
「……っ!?」
書かれていたことはとてもシンプルだった。
『クルシュ=アイトを誘拐した。彼の身の安全と引き換えに多額の身代金を要求する』
そのようなことが簡素に、淡々と書かれていた。場所と日時まで指定されているが、宛名などの差出人に繋がる情報はどこにもなかった。
「どうしてユースがこれを?」
「……図書室の、俺が良く行っている部屋の椅子に置かれていたんだ」
となると、あの奥まった個室のことか。あそこはユーステインが実質的に私室のように使っている。そこに置かれていたということは明確にユーステインへと手渡そうとしていたのだとわかる。
それになにより、そのことを知っているということは、図書室に縁のある人物かもしくはユーステインに縁がある人物が差出人だということか。
イヤな胸のざわつきが私の中にくすぶった。
「どうしてクルシュがこんなことに!」
珍しくエルクが取り乱している。
「僕が……僕がクルシュとの関係を公表したから。だからこんなことに巻き込まれてしまったんだ」
「いいえ、違うわエルク。クルシュはとても喜んでた。貴方と同じように、兄弟として過ごせることを嬉しそうにしていたわ。おかげで他の生徒からの嫌がらせもなくなった。貴方のおかげよ」
私の精一杯の言葉に、しかしエルクは力なく首を振る。
「でも、こんなことになってしまったら元も子もない」
どうにも調子が狂う。
ここまで落ち込んでいるエルクは初めてだった。
どうしてそこまで……と思った私だが、ふと思い出してしまった。
彼は昔、過保護にしていた婚約者を失った。救えなかったという自責の念がある。そうしてまた、今度は最愛の弟にまで危険の魔の手が差し迫っているのだ。
『また大切な人を失いたくない』
そんなエルクの心の叫びが聞こえてくるかのようだった。
必死さがわかるからこそ、私もこれ以上に迂闊な励ましなどを言いづらくなっていた。
「……こんな卑劣なこと、いったい誰が」
ユーステインがそう歯を食いしばって声を漏らした瞬間、また屋上へと足を踏み入れてきた人影があった。
よろめくような不安定な足取りでやって来たその人影は――ミゲルだった。何故かエルクよりも悲壮に表情を曇らせた彼は私たちの前で立ち止まり、一度呑みこもうとした言葉を吐き出すように言った。
「――クルシュを誘拐したのは、俺だ」




