-6 『ナターリアという少女』
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初めて社交場に出たのは五歳の頃だった。
「大丈夫だ、ナターリア。今日はお前と同年代の子ばかりが集まっている。気さくに話しかけて友達でも作ってくるといい」
「お父様は? 一緒じゃないの?」
「すまないが用事があってね。大丈夫。ちゃんと使用人たちがついているから」
同年代が集まったダンス教室。
将来の貴族社会に向けての繋がりの場という意味もある。
様々な階級の貴族に属する子供たちが、顔見せも兼ねて将来の舞踏会などのために練習会をするという伝統的なものだ。一同がドレスなどの礼服姿を他の家の人たちに披露する。
この頃から過食気味で小太りだった私は、なんとも彼らの前に出るのはイヤだった。
ドレス姿などまるで似合っていない。まるで樽が服を着たみたい。きっとそう思われることだろう。事実、そこにやって来た私を見た他の貴族の子たちは、私を見るたびに声を潜めて何かを口にしていた。
どうせ悪口だろう。
けれど私の家が公爵家という上級貴族なものだから面と向かっては言えないのだ。
とげとげしい視線ばかりが飛んでくる。
まだ気が弱かった私は今すぐにでも帰りたいくらいだった。
ダンス教室なんてもってのほか。
走るとすぐに息切れして、簡単なステップもまるで踏めない。
他の子たちは難なくできていることすらも、太った入る体のせいもあってまるでまともにできなかった。それが余計に私を笑い者にさせていた。
「あれがラスケス家の子?」
「凄いのは親の地位だけってね」
誰かが言っているのが漏れ聞こえてくる。
好き放題に言ってくれる。
けれど言い返せる自信なんてなかった。私がふがいないのは事実だから。
「きゃあっ」
ステップを踏もうとして足を引っかけてしまい、盛大に転んでしまった。
思いきり尻もちをつき、鈍い痛みが骨をつたって全身に響く。ただそんな痛みよりも、「また失敗してる」という周囲からの視線の方が痛かった。
もう嫌だ。
もう立ち上がりたくない。
立ち上がったらまた転んで笑われるのだ。
心が卑屈になっていく。
悔しさよりも、惨めさが私を満たした。
転んだ私を誰も気にかけようとしない。
――もういい。
私がそう心を曇らせた時、
「大丈夫かい?」
声をかけていた男の子がいた。
私に駆け寄り、心配そうな顔をして私へと手を差し伸べている。
そんな気が狂ったような子がいたのか、と私は心底驚いた。
色白の肌に金色の髪。お人形のような丸っこくて端正な顔立ち。体格の大きな私と違ってまるで華奢なその体躯に、なんとも頼りなさそうな子だと思ったものだ。
その少年は私の手を引き上げ、そうして両手を組んだ。
「僕が一緒に踊るよ。頑張ろう」
「え……」
「大丈夫。ちゃんとリードするから」
少年はそう言って私の手を引き、ステップを踏んだ。私は下手くそすぎてまともに動けなかったけれど、倒れそうになったら支えてもらい、早すぎて蹴躓きそうになったら引き寄せてくれる。本当に、私のわずかな遅れにすら気を遣ってくれた。
「きゃっ」
それでもやはりうまくできない私に、しかし少年は決して曇り顔ひとつ浮かべずにいてくれた。
「大丈夫だよ。ゆっくり」
「……だめ。他のみんなみたいにできないわ」
「人には人のペースがある。得意不得意も。焦ることはないよ」
少年はずっと優しく私を助けてくれた。
それからダンス教室が終わって、交流の昼食会が行われた。大きな部屋の片隅に一人でいる私に、またその少年は声をかけてきてくれた。
「ねえ。貴方はどうして私にそこまでしてくれるの?」
「え?」
「私のお父様が公爵だから? それとも、お金持ちだから?」
私の純粋な問いに、少年は首をかしげて答えた。
「別にそんなことはないよ。ただ、キミがどんな子か知りたかっただけさ」
「私が?」
「そう、キミが」
それは初めての言葉だった。
私はこれまで『公爵家の一人娘』としてしか見てこられなかった。他の同年代の貴族の子たちも、使用人たちですらもそう思っていたことだろう。
それが私はたまらなく嬉しかった。
彼は私のためになってくれるのだと思い込んだ。
「僕はエルク。エルク=シュナイゼル」
「シュナイゼルって……」
王族の――。
「これからよろしく。僕の婚約者として」
「ええっ!?」
その時、初めてその少年が私の婚約者として決まったことを知らされた。お父様が勝手に取り決めたことだった。
まだ幼い私にはよくわからないことだった。
けれど、その優しい少年が私の味方になってくれたということはわかった。
思えばこれが悪かったのかもしれない。
彼の優しさは、私には麻薬のように快楽だったのだ。
それからというもの、私はエルクという婚約者に甘えまくった。彼は本当に世話焼きで、優しくて、私を放っておけないようだった。
他の貴族の子たちに侮蔑されてお屋敷に引きこもるようになってからも、彼だけはたまに私の顔を見に訪ねてきた。
あまりにもお姫様のように甘やかされた私はもはや駄々っ子の頂点だった。エルクはどんなわがままでも笑顔を崩さずに応えようとしてくれた。勘違いさせるには十分だった。
「エルク。貴方は私の一番のナイトにしてあげる」
「ナイト?」
「そう。お姫様をいつも守ってくれるナイトよ。お姫様が困ったらすぐに駆け付けて守ってくれるんだから」
一国の王子に私はそんなことまで言ってのけていた。
けれどやっぱりエルクは不満そうな顔いろも少しも浮かべず、ただただ優しい笑顔を浮かべているばかりだった。
――あれ、そうか。
思い返す記憶の中で、ふと私は気づいた。
『お姫様が困ったらすぐに駆け付けて守ってくれる』
――だからあの時、エルクは私のところにやってきたのかしら。
私を糾弾するためではない。処刑させるためではない。
他の何もでもない、『ナターリア』を助けるために来てくれたのかもしれない。
けれどそれはもう、今となっては確かめられない事実。
だって『ナターリア』はもう『いない』のだから。
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