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 -8 『特訓』

「きゃあっ!」


 自分の足にもう一方の足を引っかけてしまい、私は盛大にずさりと転んでしまった。


 学院の屋上の床板はとても頑丈で固い石材で、少しざらざらしていて、ろくに受け身も取れずに倒れたせいで顔に引っ掻かれたような痛みが走った。


「……あいたたた」


 学院恒例の舞踏会は二週間後にあるらしい。

 それに向けて、私はダンスの特訓をしている最中だった。


 日数で言えばまだまだだが、練習をするにはあまりにも足りなさすぎる。そもそも私は運動ごとが得意ではないのだ。二週間で果たしてどれほど動けるだろうか。


 ただ下手くそすぎては悪目立ちしてしまう。ただでさえエルクは注目の的なのだ。そつなくこなしてみせるしかない。


「まったく……なんで私がこんなこと……」


 乗り気ではない。

 だが、エルクの前で格好悪いところを見せるのもなんだか癪だった。


 私はもう、昔の『ナターリア』ではないのだ。


 屋上菜園の世話の片手間に暇を見つけては、自分でステップを踏んだりして見るが、やはりうまくいかずに転んだりしてばかりだった。どうも足の動かし方が下手らしい。体の柔軟性がないのかもしれない。


「ははっ。人形劇のほうがまともな動きするぜ」


 すっかり屋上菜園の番人のごとく当たり前のように居座っているミゲルが私を見てあざ笑ってくる。私はそんな彼に苛立ちを向けながらも、最低限のステップだけはできるようにと練習を続けた。


「きゃっ。まただわ……どうしてうまくいかないのかしら」

「センスがねえんだろ」

「うるさいわね。そんなことわかってるわよ。でも、なくてもないなりに最低限はできるようになりたいの。別に特別難しいことをしてるわけじゃないんだし」


 別にうまくなくていい。

 せめて恥をかかない程度には。


「随分と上から目線だけど、貴方はできるの?」


 私が唇を尖らせてそう尋ねると、ミゲルは寝ころんでいた体を持ち上げて胸を張って見せた。


「ああ、できるさ。貴族なら当然だぜ」

「じゃあお手本を見せてちょうだい」

「は? なんで……」

「いいから、ほら!」


 私はミゲルの手を引いて無理やり立ち上がらせると、両の手をがっしりと組み合わせて向かい合った。


「ほら、踊ってみてちょうだい。私をサポートしてよ」

「なっ」


 組み合った私とミゲルの顔が間近に迫る。

 身長差があるとはいえ、彼が少し視線を下げればすぐに私の顔が入り込む。ちょっとでも吐息を強く吐き出せば簡単に互いの前髪を揺らしそうなほどだ。


「じゃあいくわよ。さん、はい」

「…………」


 ステップの一歩目を踏み出そうとした私だが、しかし同じように動くはずのミゲルが何故か微動だにしてくれなかった。固まった銅像のように手の先すら動かさないせいで、勢いづいただけの私はまたみっともなく転びそうになったのだった。


「ちょっと。ちゃんとしてよ!」と私が叱咤する。だが先ほどまで調子づいたように私をあざ笑っていたミゲルは、どういう訳か一言も言い返してくる様子がなかった。


 いったいどうしたのか。気になって彼の顔を見上げてみると、ミゲルはまるで売れたトマトのように顔を真っ赤にさせていたのだった。視線は私からそらすように不自然に上を向いている。


「なにしてるのよ」

「い、いや……別に」


 声もどこか上擦っている。


「ははぁ……もしかして」

「な、なんだよ!」


 びくり、と体を震わせて冷や汗をかいたミゲルがたじろいだ。そんな彼を見て私はにやりと口許を持ち上げる。


「貴方もダンスが下手なんでしょ!」

「……はあ?」

「大口はたいた手前、今さら引き下がれないで困ってるってとこかしら? 本当は一歩目の踏み出し方すら知らなかったりして」

「そ、そんなことねえよ!」


「じゃあちゃんとやってよ」

「お、おう。やってやるさ」


 気を取り直してもう一度組みなおす。


「…………っ!」


 胸が当たるくらい密接し、ミゲルの手足が見るからに固くなるのが分かった。そうしてまた私が一歩目を踏み出すが、やはりミゲルは微動だにしないまま固まっていたのだった。


「貴方ね、真面目にやる気あるの!?」

「う、うるせえ!」


 もう一度組みなおす。

 今度は心なしか指先の緊張がほぐれているように感じる。私からは遠ざけるように視線をそらし続けているけれど。


「さん、はい」

「おう」


 三度目の正直で、ミゲルは私に合わせてようやく足を動かしてくれた。


 どうやらダンスができるというのはあながち嘘ではないようで、どこか固いところはあるも、私よりもずっと滑らかな動きをしていた。ぎこちない私の動きを、組み合った手を引いて補助してくれている。


 基本的なステップを数度繰り返した後、ミゲルは呆れるような声で言った。


「お前、本当におそろしく下手だな」

「……転ばなかっただけいいと思って」

「俺を支えにしてたからだろ。人形を抱えて踊らされてるのかと思ったぜ。こんなにセンスがねえ奴は滅多にいねえよ」


 随分な言い様だが、実際にひどいので言い返せないところが口惜しい。不貞腐れたように私は鼻を鳴らした。


 ふう、と一息ついたミゲルがいつも昼寝している自分用のスペースで腰を下ろす。日陰になっていたそこは涼しいらしく、少し体を動かして温まった体を心地よく冷ますように穏やかな表情を浮かべて空を見上げていた。


 ふと、彼が呟く。


「そういや昔、お前みたいにどうしようもないほどどんくさい女がいたな」

「え?」


 なんのことだろう。


「俺たち貴族は小さい頃に、ダンスを習うための集まりに行かされるんだけどよ。その時に、一度だけ顔を出してきた奴がいるんだよ。そいつがどうしようもなく下手でさ。体が太くて満足に動けないわ、ちょっと踊ったらすぐ転ぶわで、まるでセンスがないやつでよ。お前の下手さはそいつに匹敵するレベルだぜ」


 ――それって……私のことじゃないの!?


 私が『ナターリア』だった頃、一度だけそういうダンス教室のようなところに行ったことがある。貴族の同年代の子供が集まってみんなで習う場所だ。私はそこで絶望的な運動音痴を見せつけて、それが原因でダンスのレッスンを一切やらなくなったのだ。


 そこにミゲルもいたということか。全然わからなかったし、そもそも昔の私は他人になんて興味がなかったので不自然でもないが。


「へ、へえ……そうなんだ」


 ――まさか私がその本人だとは気づいていないわよね?


 いや、もしかすると私がその本人だと気づいて、わざとそういうことを言っているんじゃ――なんて身構えてしまう。


「まあ、お前は平民の出だから知らないだろうがな」

「そ、そうね」


 ――知ってます。すごーく知ってます。


 とりあえず正体が気づかれた訳ではないようだ。


「実はそいつ、そこそこいい所の令嬢でさ。なんでもエルクの婚約者だったって話だ」

「……へえ」

「でもある日、事故で行方不明になったんだとよ」


 ――ここにいるけれどね。


 社会的には馬車の滑落によって事故。それ以降の行方はわからずじまい。


「生きてるのか、死んでるのか。俺の親父が直接動くくらいの事件があって、そいつも関与してるっていう容疑をかけられててさ。親父の兵も血眼になって探したらしいんだが見つからないままらしい。ただ、そのせいでエルクは『自分が彼女を追い詰めてしまったかもれない』って思うようになって、それからは次の婚約者も決めていないままなんだ」

「そう、だったの……」


 思いがけないエルクの事実に、私は驚く気持ちを必死に抑え込んだ。


『ナターリア』が死んだあの日、私はエルクから逃げるように屋敷を飛び出した。それが彼からしてみれば、私を事故にあわせるほど追い詰めていたのだと感じてしまったのだろう。自分があの夜に私のもとを訪れたせいで私は行方不明になってしまったのだ、と。


 エルクは優しい。

 それは私が『リーズ』となってから知った部分だった。


 当時の私は彼に溺愛する弟がいることも知らなかったし、婚約者だったというのに彼のことについて何も知らなかった。だから余計に信頼できず、怖くなって逃げてしまったのだろう。


 ――もしかするとエルクって。


 私は、ひどい思い違いをしていたのかもしれない。


「あいつは自責の念から、女に興味を示さなくなったらしい。本当は婚約者を決めなくちゃいけないのにずっと先延ばしにして。だから今回の舞踏会の相手も、選ぶのは余計に慎重になってたんだろうな」


 ミゲルはエルクの幼馴染だし、家同士の交流もあることだろう。直接得た情報という訳ではないかもしれないが信憑性はある。そのことを言う神妙な顔つきからも、彼が適当なことを言っている雰囲気ではなかった。


 私のせいで、エルクはずっと深い傷を負って気に病んでいる……。


「だからよ、あいつはいま、女に興味がねえんだ。お前も気を付けたほうがいいぜ。ま、まあ、俺はあいつほど異性に無関心って訳でもねえし、いい女ができたら大事にしてやるくらいには立派な漢だけどな」


 何故か得意げに胸を張って私を見てくるミゲルに私が「はいはい」と冷淡に返すと、彼はしょんぼりとした風に肩を落としてうなだれてしまったのだった。


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