-3 『新しい生活』
エルク=シュナイゼル。
彼は私が死ぬ間際、処分を下しにやって来たいわば『死神』だった。
きっとあの後、私は両親と同じように処刑されていたのだと思う。あれだけ傲慢な態度をとって嫌われていたラスケス家なのだから、その私を捕まえられるというのなら、さぞかし鬼の首を取ったかのように嬉々としてやってきたことだろう。
あのまま屋敷に残っていても地獄。
逃げ出しても事故にあって結局地獄。
私の人生はまさに詰んでいたとでも言えるだろう。
きっと私が知らないところでもラスケス家に対して多くの不満を抱いていた人は多かったはず。
「先祖の威を借りたナマケモノ」とはよく貴族仲間や従業員などに陰口を言われていたものだ。そんな奴は一人残らずパパに告げ口をして、貴族の間で悪い噂を流布させたり、従業員ならばすかさず解雇してやったけれど。
「……そういうとこよね」
恨まれて当然だ。
ラスケス家の血をまっすぐ引いたように、私は両親から見事にわがままさを受け継いで育ってきた。人を顎で使うのになんの疑問も感じなかったし、みんなが私に尽くしてくれるのは当然だと思っていた。
それは婚約者として選ばれたエルクにだって同じで、数少ない彼と一緒にいた時間も、ほとんど私がわがまま放題に振り回してばかりだった。
だからエルクも『ナターリア』にいい印象なんて持っていなかっただろう。
そんな彼が、もし私が『リーズ』として生きていると知ったらどうなることか。
「この野郎、生きていたのか!」と血相変えてもう一度私を処刑しにやってくるかもしれない。いや、彼はそこまで粗暴な性格ではないけれど。
けれどもやはり、私が生きていることを知られたらまた彼の言う『処分』を着せられるかもしれない。最悪、処刑だ。
どういう訳かせっかく新しい生を受けたというのに、また捕まって死んでは元も子もない。
その危機感から、私はエルクと再会して記憶を取り戻した直後、逃げるように彼の元から立ち去った。できれば顔も覚えられたくないくらいだ。
待ってくれ、と引き留められそうになったが、私は何としてでも無視をして走り去った。
「お前、もしかして死んだはずのナターリアじゃないだろうな。生きてやがったか!」と言われでもしたら大惨事だ。また私の脳内エルクが粗暴になってたけれど、恐怖度で言えばそれくらいだろう。
何の因果か新たな人生。
結局処刑じゃつまらない。
「私は絶対、今度こそは死なないでやるんだから!」
そんな強い決意を胸に、私は郊外にある家へと戻ったのだった。
「――よく見てみればちょっとは面影がある、かも?」
まずは鏡で自分の顔をよく観察してみた。
鏡に映った新しい私の顔はまるで『もし太らずに成長していたナターリア』をどこか思わせる程度には面影があった。
この『リーズ』の顔立ちはとても細くて、ちょっと目元にそばかすがあるけれど、割と整っていると思う。それも薄化粧すれば簡単に消えそうな程度だ。
肌や髪の色は『ナターリア』に似ているが、もっとも違うのは体型だろう。
少なくとも前世の私はこれほど細身ではなかった。まあ、豚と言われていたほどだ。今覚えばなんともみすぼらしいほどに太っていたわけで。そう言われるのも仕方がない。
美味しいご飯、なんでもやってくれる従者。
何もかもが私を人間として駄目にしていた。まさに養豚場だっただろう。
それに比べて『リーズ』は余計な脂肪もほとんどないくらいに華奢だった。そのぶん胸元の脂肪も随分控えめなのだけれど、贅肉で豊胸していた昔よりはずっといいだろう。
首の太さも、手足の細さも、なにもかもが違う。
パッと見ただけでは私を『ナターリア』だとわかる人はそういないだろう。ずっと私の世話をしてくれていた年寄り執事だって気づかない自信はある。
『ナターリアが痩せていたらもしかするとこんな感じかも』という程度だった。
野暮ったいぼろ切れの布の服のせいもあって、良くも悪くも、そこらにいる町娘といった印象だ。髪も癖ではねないように梳かれてはいるけれど、ところどころ毛先が傷んでいたりと手入れまでは行き届いていないようだ。腰ほどまで伸びた髪を掴んで鼻先に当ててみたが、香りも何もしなかった。
――うへえ。ちゃんとしたケアをしてないのね。
前世では毎日欠かさずに髪の手入れをしていたのに残念。けれどそういう洗髪料もそれなりの嗜好品だ。『リーズ』の家は町はずれに農地を持っているただのしがない農家だし、そういったところにお金をかける余裕もないのだろう。
着古したような服だってちょっとかび臭いくらいだ。それに汚れも染みついている。
「これじゃあドレスなんて夢物語ね」
何不自由ない贅沢な暮らしとは正反対だった。
なにより違いが顕著なのが食卓だ。
夕食時になると農作業からお父さんが戻ってくる。そんな彼をお母さんが笑顔で出迎え、家族四人分の食事を食卓に広げる。けれどボロい木造の平屋に住む私の家はそんな家族が集まるリビングすら窮屈で、前世の屋敷のトイレかと思う程だった。これまで違和感はなかったのだけれど、記憶が戻ってしまってからは不満ばかりだ。
そんな狭い場所に、日焼けがすごい髭面の父・オッズと、正反対のように色白の母・ティア、そして四つ年下の妹マリー。この家族三人と食卓を囲んでいる。
もちろんお屋敷のように上質なステーキなどが出るはずもなく、基本や芋を使った料理や野菜をゆでたスープなどばかり。ほとんど家の畑でとれたものだ。肉と言えばマッシュポテトに少し混じった薄切りのベーコンくらいか。
なんとも質素。
けれどこれでもお父さんは「今日は野菜が良く売れたから晩飯も豪華だな」と陽気に口へと放り込んでいるほどだった。
私もこれまではそれが当たり前だと思って過ごしていたけれど、さすがに今では見劣りしてしまう。けれど食欲がなくなるかと言われればそういうこともなく、むしろどんどん食べたいと思うくらいだった。
「あら、リーズ。今日はよく食べるのね」とお母さんに驚かれたくらいだ。
出されたお皿の料理もあっという間にすべて食べ終え、それでもまだ空腹感が残っている。まだまだ食べたりない感じがしてお腹の奥がこそばゆくなった。
――昔のように贅沢はできないのね。
その事実にただただ悲しくなった。
けれど命を失うよりかはまだずっといい。
死んだらご飯を食べることすらできないのだから。
――少なくても今は我慢しないと。
そんなこんなで、前世の私と今の私はまるで全然違う生活を送っているのだ。
お屋敷暮らしのお嬢様と、質素な田舎娘みたいな農家の子。
どちらが良いと言われればもちろん誰もが前者を指すだろう。
食べたいものを食べ、欲しいものが手に入るのだから。けれど今はそんな生活は送れない。それが現実なのだ。
どうにかして私は『リーズ』として生きていかなければならない。それも、誰にも私が『ナターリア』であることを知られずに。
「まずは情報の収集からね」
冷静になるためにはまず現状を理解することが大切だ。
前世でも年寄り執事によく「困ったら一度、冷静に立ち止まって考えてみるのが大切です」と言われたものだ。当時は深く考えなかったけれど、今になってその言葉が胸に沁みる。
「この町で情報を集められそうな場所といえば……図書館ね」
庶民でも無料で利用できる公営の図書館が町にはいくつか点在している。そこには多くの本が蔵書されているが、それだけでなく、これまで発行された新聞などが保管されている。私が死んでからどれくらい経っているかわからないが、日をさかのぼって調べればその時の記事が出てくるかもしれない。
前世の『ナターリア』はどうなったのか? ラスケス家は?
いろいろ知りたいことばかりだ。
――よし、明日はさっそく図書館に行ってみよう。
そう意気込んで私は食卓の席を立った。
「リーズ。ちゃんと食べた食器は自分で洗いなさい」
「え、なんで私が……」
「あ、ら、い、な、さ、い。いいわね?」
つい前世の癖で口答えしてしまった私に、お母さんが声だけは穏やかに、けれど鬼のようなものすごい剣幕で言ってきた。そのあまりの迫力に、私は「ひゃいっ」と情けない声をあげて従うしかなかったのだった。