-10『変身』
「……誰だ」
目の前の鏡に映った自分の顔を見て、ユーステインは思わずそんなことを口に出していた。
紙が敷かれた足元には本の山のように積みあがった彼の大量の髪の毛が落ちている。
「結構短くなったわね」
ハサミを置いて一息ついた私は、さも大仕事を終えたかのように額の汗をぬぐった。
私も鏡を覗き込んで正面からユーステインを見てみる。
顔全体を隠すような髪がすべてなくなり、おでこもはっきりと見えるくらいには短くなった。ほとんど隠れていた耳も顔を出している。肩にかかりそうなほどだった後ろ髪も自然に逆立つくらいには短くなっていて、少し不揃いでぼさぼさだが、男性らしい短髪になっていた。
こうして顔の輪郭や目元などがやっとはっきり見えるようになり、初めてユーステインの顔をまともに見たような気がした。
「あら。結構いい顔してるじゃない」
髪で隠れてわからなかったが、ユーステインはとても端正な顔立ちをしていた。鼻が高く堀も深い。きっぱりとした目鼻立ちをしていて、エルクにも引けを取らないくらいには美人な顔立ちをしている。
興味津々とばかりに、私は鏡の中のユーステインを睨むように見つめる。すると、鏡の中のユーステインがふと真横にいる私に気づき、はっと目を見開かせた。つい熱心に見つめるあまり、私の顔が彼のすぐそばにまで近づいていたことに気づき、彼は驚いた顔を浮かべていた。
思えばこれまで、前髪というフィルターを通して周りを見ていたのに、それもなくなって直接見ているのだ。しかも、少し頭を傾ければぶつかりそうなほど近くに、異性の顔が迫っているという状況。
それを途端に意識しだしたのか、ユーステインは顔を真っ赤にし、動けない代わりに気持ちだけ逃げるように顔をそらしはじめていた。
ずっと本の虫だったので、もしかすると異性に対しての耐性がないのかもしれない。焦った表情を浮かべながら、額に汗すら流している。
しかしそんな彼の気持ちなど知る由もなく、私はただただ興味本位から、ユーステインにぴたりとくっついて彼の顔を覗き見ていた。
「こっちの方が似合ってるわよ。せっかく恵まれた顔立ちなんだから」
「……う、うるさい」
声も少し上擦っている。気恥ずかしそうだ。
それでも私はひたすらに褒めちぎった。あんな部屋で引きこもっているなんてもったいないと。それを言えば言う程にユーステインの耳は赤くなり、顔を俯かせていく。
「……もうやめろ」
「なによ。せっかく褒めてるのに」
「……どうせ、それもお世辞なんだろう。みんなみたいに」
「みんな?」
ユーステインは突然不機嫌そうに舌を打ち、私から顔をそむけた。
「……僕が良家の生まれだから。だからみんな世辞を言う。そうやって。僕の機嫌を取ろうと」
なるほど、と私は彼の急な変化をなんとなく理解した。
私ももともとは公爵家の生まれ。地位としては王族の次に偉いほどだったこともあって、その感覚はなんとなくわかる。権力を持つ人間の近くには、その明るさにあやかろうと下心をもって集まる者が多いのだ。
かつて『養豚場』とまで陰で馬鹿にされた私ですら、そういった連中は「なんと可愛らしいお嬢さんだ」と手ぐすねを引きながら気持ち悪い笑顔を引っさげてくるのだ。
彼らはまるで自分を見てくれない。
自分の後ろにある権力という威光ばかりを瞳に映している。
「――お前に私の何がわかるのか、ってね」
「……え?」
つい昔のことを思い出していた私は声に漏らしてしまった。ユーステインはそれを聞いて虚を突かれたように驚いた顔を浮かべていた。
「お前も……そうだったのか?」
「え? ああ、いや。残念ながら、私は平民の生まれ。編入試験で飛び込んできたただの農家の娘よ。貴族様でもなんでもないわ」
「……お前が。そうか」
「でも、『昔』に私も似たようなことがあったから……ちょっとわかるかも」
少し想いを馳せるようにぼうっとした瞳で私は言った。
おそらくユーステインもそれなりに地位のある家の子なのだろう。貴族といえども、爵位などの違いで上下関係など様々だ。家の歴史が古ければなお尊ばれる。
そんな、上辺だけのへいこらと頭を下げた簡単な言葉を向けられる鬱陶しさを、私もよくわかっていた。
だから彼は自然と避けるようになったのだろう。そういうお世辞にまみれた世界から逃げて、誰が近づくでもない本のお城に立てこもったのだ。
本は機嫌なんてとろうとしてこない。
そこに書かれている文字は誰が読んでも態度を変えない。
ありのままに、伝えてくれる。
あの図書館の一室に積まれた本の山は、彼が自分を守るための心の砦だったのだ。
「だけど……」
私は顔を持ち上げて、鏡越しにユーステインを見つめる。
「そういうのに耳をふさいで引きこもってばかりだと、他の楽しいこととも出会えなくなるわ。それはなんだかもったいないと思わない?」
「……知識なら、本で手に入る」
「本で経験を得られるわけじゃない。その知識は、実際に経験をするときに助けてくれる支えの一つでしかないのよ」
にっと口角を持ち上げて、私はユーステインの頬を摘まんでみせた。
「なんでも本に載ってるのなら、今、私がどんな気持ちか答えてみせなさい」
しかしユーステインはその突拍子もない問いかけにただ戸惑うばかりで、答えられはしなかった。
しばらくの沈黙の後、私がもう一方の彼の頬も引っ張って見せる。
「正解は――貴族なんて糞くらえ、よ」
「……なんだそれは。そんなの……わかるわけがない」
「わかってたまるもんですか」
ユーステインの頬から手を離し、私はにっかりと笑みを浮かべる。
「本にある情報だけが全てじゃないのよ。私のことを、ずっと昔に死んだ本の作者なんかに理解されててたまるもんですか」
なんとも馬鹿みたいな屁理屈だが、私は自信満々にそう言ってのけた。
本を読んだだけで全てのことがわかるのなら苦労はしない。もしそうなら、私だってどうすれば素性を隠したまま卒業できるかと調べつくすものだ。
それに私は、『ナターリア』の時こそ部屋に引きこもっていたが、今は外に出れてよかったと思っている。あの狭い部屋では何でも手に入ったけれど、今はそれ以上に、多くの経験をできている。
「外に出ることが怖いからって殻に引きこもってばかりだと、せっかく得られる経験や知識まで失っちゃうわよ。損ばかりなんだから。知りもせずにおだててくる誰かの言葉を煩わしく思うのなら、それも気にせず勝手に言わせておけばいいじゃない。少なくとも――」
また私はいたずらに笑みを浮かべて、ユーステインの頬を軽く引っ張ってみる。
「貴方が貴族だからって遠慮も気づかいもしないわよ」
ぐいー、とそのまま引っ張って変な顔にしてやった。もともと綺麗な顔立ちをしていた彼の顔が道化のようにいびつに歪んで、思わず笑ってしまいそうになって慌てて口をふさいだ。けれどこらえきれず、ふふっ、と噴き出してしまう。
それを見て、されるがままだったユーステインも思わず表情を崩していた。
「……ははっ。そんなこと言うの、お前が初めてだ。僕が法務総裁の息子だからってまったく気にしないやつは」
「…………え?」
ユーステインが言った言葉に、私は思わず手を止めて笑顔を固まらせてしまっていた。




