-9 『別人のように』
誰もいない空き教室。
その真ん中で椅子にぽつりと座らされた男子生徒は、自分の目の前を何度も遮る鈍色の刃に戦慄していた。
しゃきり、しゃきり。
その刃はとてもキレ味のよさそうな音を立てて交差している。
手足はロープで椅子に縛られ身動きができない状況だ。
「……拷問でもされるのか」
「しないわよ!」
男子生徒が怯えた声でそう呟いたのを、そのすぐ後ろに立っていた私は大慌てで否定した。
私は別に彼を人質に取ったりとか、尋問をしたりしているわけではない。それではまた新しい罪状が付いてしまうではないか。私はもうそんなことはしたくないというのに。
「前髪、私のせいで焦げちゃったでしょう? このままじゃ不格好だから切ってあげようと思って」
「誰が……?」
「もちろん、私が」
私は手に持った鈍色のハサミをしゃきしゃきと動かして、にんまりと笑顔を作って見せた。目の前に置かれた机には鏡が置かれていて、そこに映った私の笑顔を見て、男子生徒は不安げに口許を引きつらせていた。
彼の名前はユーステイン=ラトラーというらしい。
たまたま教室に残っていて梳きバサミ貸してくれた級友曰く、別名『図書館に番人』。一日中、授業などがないときはいつも図書館に引きこもっては本を読み続けているのだとか。噂では彼はあの星の数ほどある大量の本の多くをすでに読み終えているのだとか。
それほどの読書家であり、本にしか興味を持たないものだから、誰も彼について詳しいことを知らないのだとか。
そんな、寡黙で他のことに無関心なユーステインだが、不慣れな手つきでハサミを持つ私を見て危機を感じているのか、焦りの色を額に濃く浮かべていた。
「大丈夫大丈夫。私、これでも昔はお人形遊びで人形を好きな髪型に切ったりして遊んでたことがあるから」
もちろん今ではなく『ナターリア』の頃だ。
あの時は私が望めば何体でも新しいお人形を買ってもらえた。お部屋のいろんなところに飾ったりもして、それはもう随分と愛でたものだ。
しかしそんな私の慰めの言葉もまるで信用せず、ユーステインはなおも心配そうに私を見てくる。
「……お前、一年だろ」
「だから?」
「……僕は二年。先輩」
「あら、そう」
「……だから放せ。いますぐだ」
「人が好意で切ってあげようって言ってるのに」
「いらない」
あくまで拒否したいようだ。
ユーステインは声は張らず、しかし冷静に私を諭そうとしてくる。
確かに私も腕に自信があるわけではない。はじめてお人形の髪をいじった時は、失敗して丸坊主にさせた挙句、ハサミの先端を思いきり突き刺してしまった。まるでホラーのような不気味な人形ができあがって泣いてしまったのだが、まあ、それも今はいい思い出だ。
今はきっと、もっとマシにできるはず。たぶん。うん。
「だいじょーぶ、だいじょーぶだから」
「……おい。目が笑ってないぞ。やめろ、放せ。殺す気か」
「だいじょーーーーぶ」
ふふふふふっ、と不気味に笑みをこぼしながら、いよいよ恐怖に血の気を引かせ始めたユーステインの前髪を、私はハサミを使ってばっさりと切り落とした。
しゃきん、という小気味に良い音が響く。
それと同時に、縮れてしまった彼の前髪の部分が床に落ちた。
ユーステインは、まるで断頭台にかけられてギロチンによって落ちた首でも見るかのようにそれを見ていた。
「……僕は、死んだ」
「死んでないわよ!」
「……もういいだろう」
「ダーメ」
「……?」
不安そうにユーステインが小首をかしげる。
「せっかく切るんだし、どうせならもっと短くしましょ。これじゃあ長すぎるし、本を読むのにだって邪魔でしょ?」
「……別にいい」
「サービスだから。お金はとらないわよ」
「……遠慮じゃない。やめろと言ってる」
「いいからいいから!」
正直なところ、ユーステインの長い前髪を切るのは少し気持ちよかった。そして、どうせならもっと切ってやれとエンジンがかかってしまったのだ。
そうと決めたら、もう二回目のカットに躊躇はなかった。
私は思うがままに、ハサミでユーステインの髪をバッサリと切って回ったのだった。
彼は怯えたように目をつむって、ただその時間が過ぎるのを待っているようだった。
そうしてしばらくして、私はようやくハサミの手を止める。それからユーステインの顔にかかった切られた髪を払い落としてやると、彼の顔を持ち上げさせ、目の前に鏡へと向けてやった。
恐る恐るそこに映る自分を見たユーステインは、しかし一転、驚いた風に目を見開かせた。
そこには、まるで別人のようにさっぱりと髪を短くさせた自分の姿が映っていたからだった。




