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 -8 『書庫の番人』

 お父さんからいろいろと農作業のことを教えてもらえるとはいえ、私自身はまだそれほど詳しいわけではない。実家の農園で栽培している野菜ならまだしも、私の知らない種類のことに関してはからきしダメだ。


 かといって毎度お父さんに聞きに実家へと戻るのも手間だった。

 なんだかんだと屋上農園を作るときにもお父さんを頼って帰省していたが、それが実は結構な手間を取ってしまうのだ。


 すっかり農家の娘臭さが心と体に馴染んだ私がいると忘れそうになるが、ここはこの国のお偉い方々である貴族様が通う学院だ。その敷地の出入りにもそれ相応の警備などがなされていて、学院外に出入りする際には小まめな申請が必要になる。屋上農園を作るのに持ってきたものも、わざわざそういった手続きを踏まえて持ち込んだのだ。


 ただ出かける程度なら外出届を提出するだけで済むので簡単だが、そう毎度もやるのは面倒でもある。それにお父さんに頼ってばかりなのもどうだろう。


 もしこの先、私の素性がバレて国外逃亡にでもなった時、もしかしたら見ず知らずの土地で自給自足の生活を送らなければならなくなるかもしれない。いや、あくまで可能性だけれど。もしその時に自分でいろいろと耕作ができれば安泰間違いなしだろう。


「そうとなれば、自分でちゃんと知識をつけないと」


 というわけで学院内で手軽に知識を得られる場所といえば――。


「やっぱり図書館よね」


 学院の敷地内にある、そのためだけに建てられた三階建ての建物が学院の図書館だった。何万冊以上という圧倒的な蔵書量を誇っており、学生の余りある知識欲を全力でサポートしてくれるとても充実した場所だ。


 ひとたび立ち入るとそこは見渡す限りの本の山。右を見ても左を見ても、本がぎっしり詰まった棚がずらりと並んでいる。左右に挟まれたその本棚に押し倒されるような錯覚すら感じるほどだ。


 館内では机の並ぶ読書スペースでまじめに勉強をしている生徒の姿や、広い図書館の書物を運んだり掃除したりしている司書さんたちの姿が多くみられた。


 だたの図書館だというのに、私が前に通っていた庶民用の図書館はひどく簡素な作りだったが、ここは学院の生徒用だというだけなのに、綺麗な燭台やシャンデリアなど、装飾も非常に凝っている。


 ――貴族と庶民で随分違うのね。


 ナターリアの頃にはわからなかった違い。

 こういう煌びやかな建物が当たり前だと思っていた昔の『私』ならきっと何も思わなかっただろう。


 ――なんだか変な感じ。


 不思議な感覚に襲われながら、私はたくさんある本の中を歩き回った。


 私の目的の農作業に関する本はずいぶんと奥まった場所にあるらしい。さすがに貴族の人たちはそれほど興味がない分野なのだろう。良く利用されるものに比べて、わざわざ突き当りを進んだ先にある小さな個室のようなところに、他のマイナーな本と一緒に収められているようだ。


 司書さんにその場所のことを聞いて、私は本棚が立ち並ぶ通路のさらに奥へと進んでいった。


 そこはまるで物置のように狭い場所で、薄暗く、窓のカーテンも閉められていて空気すらも澱んでいるかのようだった。壁一面を本棚で埋め尽くされていたその部屋の真ん中には机が置かれていて、部屋の鬱蒼とした暗がりを、燭台の蝋燭の明かりがほんのりと照らしてくれている。しかしその周りにすら大量の本の山が積み上げられていた。


「うわあ、すごい本の数。小さな部屋なのに、私の前の屋敷にあった本の何倍もありそうね……」


 部屋に入った瞬間、思わずそう呟いてしまう程だ。


 誰もいないかと思って口に出した私だが、直後、不意に机の上の本の山から微かな物音が聞こえてきた。


 ――やばっ、誰かいたの!?


 誰もいないと思って思わずナターリアの頃のことを口に出してしまった。慌てて口をふさいだ私が音のした方を見てみると、山積みの本の微かな隙間の先に、窓際の椅子に腰かけて黙々と本を読んでいる男子生徒の姿があった。


 ひたすら静かに本へと視線を落としているその男子生徒は制服でこそ男子とわかるが、前髪も鬢の髪もぼさぼさで、まるで顔全体を隠すように長く伸びている。本当に、手元の文字しか見るつもりがないように表情も何もかもが隠されていた。


「ご、ごめんなさい。邪魔したかしら?」


 さっきの言葉を聞いたか、という意味も込めて様子をうかがってみる。しかし男子生徒はまったく私の声に微動だにせず、無視をするように本を読み続けていた。


 ――ど、どうなのかしら。聞こえてなかったのかな。随分と本に集中しているみたいだし。


 耳に入っていないのならそれでいい。


 私はとりあえず邪魔をしないように、目的の本だけを探して持っていくことにした。


 ――農業系の本は……あそこらへんね。


 どうやら男子生徒の近くの棚らしい。しかしそこへたどり着くのも大変そうだ。机の上どころか、足元にまで本が散らばっていて、足の踏み場がなかなか見当たらないくらいだ。ちょっとよろけて体を傾けさせれば、いくつもあるどれかの山積みの本にぶつかって倒してしまいそうだ。しかも薄暗いせいで余計に動きづらい。


 ――もう、なんでここはこんなに片付いていないのよ。他のところはちゃんと綺麗になってるのに。


 まるで司書の手すら届いていない、あの男子生徒の根城となっているかのようだ。


 ふと、その男子生徒の読んでいる本が目に入った。


「うわあ、難しそー」


 文字がぎっしりと並んでいて、私に理解できるような内容ではなかった。なんだか複雑な論文のようだが、何の分野についてのものなのかすらわからんない。


「ねえ、それわかるの?」


 私は思わず尋ねてしまったが、男子生徒は目の動き一つ変えず、黙々と本を読み続けていた。


「ぜんっぜん私にはわからないわね、これ。単語すら理解できない。なんなのかしら」


 それでも私が興味本位で覗いていると、


「……邪魔をするなら帰ってくれ」


 静かに、冷淡な言葉で男子生徒は口を開いた。

 しかし手元への視線はまったく変えていない。


 ――なによ、ちょっと思ったことを口にしただけじゃない


 むっとしたが、ここは我慢だ。余計なトラブルを招くようなことだけは避けなければならない。


「ごめんなさいね。けど、どういうものなのか気になっただけで」

「キミに理解できるとは思えないけど」


 ――かっちーん!


 馬鹿にされているみたいで腹が立つ。けれども、咄嗟に怒号にして言い返してしまいそうな感情を必死に抑え、私は代わりに笑顔を浮かべた。


「あは、あはは……そうかも」

「……僕は静かに本を読みたい。騒音は邪魔になる。邪魔をするんだったら帰ってくれ」

「はいはい。用事がすんだら帰りますよ」


 どうにも不愛想な生徒だ。

 いや、不愛想というより、他人にまるで興味がないといった感じか。


 きっと彼は本にしか関心がないのだ。


 望まれていないみたいだしさっさと目的を済ませて帰ろう、と私は本棚に目を戻す。


「あ、あれよさそう」


 ふと目に入った本を取ろうと、本棚の少し高いところにある本に手を伸ばした瞬間だった。


「――きゃっ」


 思わず体を伸ばしたせいで片足を浮かせてしまい、よりにもよって私の身長ぐらいに積み上げていた本の山を蹴り飛ばしてしまった。


 大きな音を立てて本が崩れ落ちる。

 激しく埃が舞い上がり、私は思わずむせ返ってしまった。おまけに崩れた本が少し足にあたり、痛みまで襲ってくる始末。


「…………」


 大量に崩れたせいで足場が余計になくなり、さらには他の山にまでぶつかって、新しい本の雪崩を作り出していった。そうして気が付けば辺り一面が散らばった本の海。私はそこに、大海に浮かぶイカダのようにぽつんと取りに越されたのだった。


「……最悪」


 ふつふつと、私の中で何かが沸き滾ってくるのが分かった。そして次の瞬間、


「うあああああっ! もう! なんでここはこんなに暗いのよ!」


 私はまるで何かが決壊したかのようにそう叫び、崩れた本を無理やり掻き分けて窓の方へと歩み寄ると、閉められたカーテンと窓を思いっきり開け放った。


 澱んでいた室内に一気に清涼な風が入り込み、漂っていた埃を取っ払ってくれる。青空から差しこんだ日の光が焼くように私の目を眩ませた。


 部屋もすっかり明るくなって、思わず深く深呼吸をしたくなるくらいの心地よさがやってきた。


 暗くて辛気臭い場所よりもずっとこのほうがいい。


 気持ちよさに晴れやかな顔を浮かべる私に、しかしそのすぐそばで本を読んでいた男子生徒は、


「……な、何をする!」


 まるで初めて私を認識したように顔を向けると、そう声を荒げた調子で言ってきた。長すぎる前髪の隙間から、私を見上げてくる細い瞳が見えた。


「なにって、換気よ。それに明るさも!」

「……風が吹くとめくれて邪魔だ。それに本は日に当てるな。日焼けをする」


 男子生徒は不満そうに私に言ってくる。

 苛立ちが混じっていて語気は強めだが、言葉は短く端的で、寡黙な雰囲気が伝わってくる。私が傍にきても反応を示さないくらい無口なのに今はこれほど喋っているということはよほど怒っているのだろう。


 けれど私はまったく気にしない素振りをしてみせた。


「あら、そう。でもあんな風に適当に積まれて放ったらかしにされているだけで十分悪いいと思うけれど。見たところ、近くに積まれてる本はここの部屋とは違う場所のものっぽいのもあるじゃない。適当に読んで、適当に放ったらかしにしてるんでしょ。ちゃんと片づけなさいよ」


 そう言って、私が散らかしてしまった本をまた積み上げ、それから机の上で雑多に置かれた本も一緒に積み上げていった。


 こんな辛気臭いところにいたら気分まで悪くなりそうだ。埃ばかりで喉にも悪そうだし。


 まったく話を聞かない私に愛想をつかしたのか、男子生徒は諦めた様子で肩を落とし、手にしていた本へと視線を戻そうとする。しかし前髪のシャッターを下ろしてもなお視界の隅で動く私が気になるのか、先ほどまでの集中をすっかりなくしていた。


「……何をしてる」

「片づけてるの。こんなとこでずっと本を読んでたら病気になっちゃうわよ」

「……ならない」

「心が暗くなるわ」

「……ならない」


 なおも読書へと戻ろうとする男子生徒だが、それでも私に気を取られてしまっている。


「僕は、今、本を読んでいるんだ! 邪魔をするな!」

「何よ、ちょっと片づけてるだけじゃない!」


 激しく言ってきた男子生徒に、私が思わずそう言い返した時だった。


 私が積み上げていた本を動かそうとした瞬間、机に置かれていた燭台にぶつけてしまい、倒れてしまった。しかもそれが男子生徒の座っている方へと倒れてしまったのだった。


 先端についていた蝋燭の火が、本を読もうと前かがみになって垂れていた男子生徒の長すぎる前髪の先端に降りかかってしまった。私が咄嗟に燭台を手に取るが、彼の前髪は微かに焼け焦げてしまった。


 独特な焦げ臭い臭いが漂う。


「……ご、ごめんなさい」


 素直に謝るしかなかった。

 男子生徒の前髪は遠目でもわかるほどにひどく縮れてしまっていて、あまりにも不格好になってしまっていた。


 当の男子生徒も、状況が読み込めていないかのように唖然とした様子で自分の髪をぼうっと見つめている。


「あわ……あわわっ……」



 さすがに想定外で、私は動揺を隠せなかった。

 とにかく男子生徒の手を取り、力任せに立ち上がらせる。


「そ、そうだわ!」

「……うわっ。な、なんだっ?」

「私が何とかするから、ちょっとこっちに来て!」

「……なっ、待て。僕は本を――」


 座っていた椅子にしがみつこうとする男子生徒の手を引っ張り、私は問答無用で部屋から飛び出したのだった。


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