-3 『一揆?』
学院に入って一番の懸念点は、農作業をやらなくなることにたいしての運動不足だった。
自宅から寮生活へ。
住む場所が変わっても、お腹のすき具合は変わらないものだ。
寮では朝と夜のご飯が。
それに昼ご飯は生徒ならだれでも利用できる学院の食堂がある。
私の食欲は相変わらずで、女子寮の子たちが一緒にご飯を食べる中で、私だけお皿にパンが山盛りに用意されているのがすっかり日常的な光景になっている。
「あの子、どれだけ食べるのよ。まるで獣だわ」なんて陰口が同じ寮の生徒から聞こえてきたことはあるが、食べなければ空腹で倒れそうなほどしんどいのだから仕方がない。
一食でも抜けばお腹がすいて倒れてしまいそうなほどだ。なんて燃費が悪いのだろうか。
幸い、寮のご飯も食堂の昼食も、どれも舌鼓を打つほどに美味しい。だから余計に食べ過ぎてしまう。
「美味しいのが問題なのよ」と言い訳をしながら、食べる手を止められないのだ。
おかげでほとんどの生徒は私を見て「これが田舎者か。庶民が貴族の飯をたかりにきた」なんて嘲笑の目で見てくるのだった。
中等部で別の寮であるクルシュもたまに共同の食堂で昼食を一緒に食べるのだが、「リーズさんは本当に幸せそうに食べますね」と気遣って優しく言ってくれる。やはりこの子は天使だ。
しかしそれだけ食べれば問題なのはその摂取量による体重増加。食べたものは勝手にどこかに消えてはくれないわけで。
少しでも体がだらしなくならないように、私は部屋でひらすら筋トレをすることにした。もともと農作業で控えめながらも筋肉はついていたし、それほど苦痛でもない。それに放課後の空いた時間には軽く走りこんだりもして徹底的に痩せる方向で努力をした。
おかげでどうにか顔が丸くなることは免れたが、一つ問題も起こった。
それは、入学後しばらくしてあった身体測定のこと――。
それは学院の中で一番の広さを持つ体育館で、女子生徒だけで行われた。男子はまた別の場所だ。全員が動きやすい恰好に着替え、学級ごとに列を作って順番に身長などを測っていく。
そんな流れ作業の中で、女子生徒たちの関心が集まっているのはほかならぬ体重測定だ。
身長などは談笑まじりに余裕を見せていた彼女らは、いざ体重計を目の前にすると口々に「太っちゃってたらどうしよう」だとか「朝ご飯を抜いてくるべきだったかしら」などと言いあっていた。
――ふふん。私はちゃんと運動をしてるから何の問題もないわ。
臆する女子生徒を横目に、私が堂々たる面持ちで体重計に足を乗せる。
「……ふ、増えてる」
まさかの増量だった。
しかも誤差と言えるよなわずかな差ではない。
「な、なんで!? そんなはずないわ!」
さっきまでの余裕はどこ吹く風。
私は取り乱した風に慌てふためくと、その体重計に記された数字を睨みつけた。
たしかに相変わらずたくさん食べているが、ちゃんと消費もしている。こんなに増えるはずがない。
「これ、壊れてるわよ。絶対!」
現実を受け止められず、私はつい足元の体重計を拾い上げ、他のみんなに示すように片手で掲げてみせた。
さすがに教師が引き留めてにきて、
「ちょ、ちょっと。バスケットさん。何をやっているんですか」
「これが壊れてたのよ」
「そんなはずはありませんよ。ほら、こっちに返してください」
困り顔を浮かべた女教諭が私の手から体重計を奪い取る。すると両手でそれを持った彼女は、まるでその体重計が巨岩であるかのようにストンと重たそうに抱えたのだった。
いや、実際にそれはとても重かった。
厚さは優に学院の授業で使う辞書くらいだったし、中の構造も決して軽量化されておらず、いろいろと詰まっているような重さがあるのだ。
その女教諭ごく一般的な女性らしく、それを落とさぬようにしっかり抱え込んだだけだ。
――あれ? それ、そんなに重くなかったはずなのに。まさか私、筋肉が付きすぎておかしくなっちゃってる!?
まさしくその通りだった。
体重の増加は筋肉の増量分。脂肪は確かについていないけど、余計な筋肉がモリモリと体についてしまっていたのだった。
――なによそれ! いや、でも確かに最近ちょっと太ももがカチカチしてきたかもとか、肩幅少しだけ広くなったような気がしなくもないけれど。
私が軽々しく振り回した直後のせいで、余計に女教諭の重そうな抱え方が芝居に見えるほどだった。だがその体重計の重さは私以外みんな承知しているようだ。
「……まるでゴリラだわ」
遠巻きに見ていた女子生徒の誰かからそんな言葉が漏れてきた。
「庶民の子はあんなに粗暴なの?」
「まるで野山に下りてきた野生動物じゃない」
言いたい放題だ。
けれど粗暴に体重計を振り回して見せたのは事実な訳で。
それ以降、私は『山から下りてきたゴリラ』という別名を陰ながら付与されることとなるのだった。
なんという不本意。
私は我慢ならず、そんなことを少しでも口にした人を見かければ、「ふざけんじゃないわよ」と言いたげにぎろりと睨みつけまわっていった。
そんな風に余計に日を焚きつけてしまうものだから、ついには一部の生徒に、
「あの庶民ゴリラは俺たち貴族を叩きのめしして農民一揆を起こそうとしてるって噂を聞いたぞ。あんなに筋肉馬鹿は俺たちを襲うためなんじゃないか」なんて噂される始末。
まさかのキーワード、『農 民 一 揆!』
「なによそれ! そんなことするわけないじゃない!」と私が反論しても余計に彼らの恐怖をあおるばかり。
しまいには同じ狭き門を通った平民出身の同級生に、
「あの……申し訳ないけど悪目立ちしないでくれるかな。僕たち一般人の立場も悪くなるから」と苦言を呈されてしまった。
――悪目立ち!? そんなつもりじゃなかったのに!
これでは大問題だ。
目立たず、何事もなくこの学校を卒業するはずだったのに。
「もう、最悪。なんでこんなことに……」
まったく関係のないところから謀反の疑いで追及されかねない。農民一揆を企んでいるなんて、冗談でも噂が広まったら面倒ごとになりかねない。これで問題児として目を付けられでもしたら大変だ。
「どうにかしないと」
とはいえどうすればいいか思いつかずにいると、その身体測定のあった放課後。私が力持ちだということが担任の教師にもバレ、教室から大量の提出課題を運び出すことを頼まれてしまった。
さすがに断って印象を悪くしたくない私は二つ返事で頷いた。
「くっ……我慢。今は我慢よ」
そうしておとなしく課題の山を抱えて運んでいると、途中で同じく別の学級から課題を運び出してきていたエルクと遭遇した。
「やあ。キミも頼まれたんだね」
「男子もいるのにわざわざ私に頼む? 庶民だからって遠慮もないわ。でもそっちはわざわざ貴方が運ばされてるのね」
「僕は自分から申し出たんだ」
「あら、そう。優等生ね」
彼のいる学級では心優しき学級委員長、といった感じなのだろうか。王族と言う名に恥じないくらいにできた人間で殊勝なことだ。
「重そうだね。僕が少し預かろうか?」
「けっこう。私、こう見えても力はあるから」
「そうみたいだね。でも女性にそれだけの量を持たせるのは……」
「女だからって優しくするのは大間違いよ。相手が困っていないのなら、それは偽善の押し付けだわ」
「親切、のつもりだったんだけど」
「借りの押し付けね」
「そんなつもりはないんだけどなあ。ははっ」
エルクは困ったように眉をひそめて苦笑していた。
――よし、今のはけっこういい感じに悪く言えたんじゃないかしら。これで私に良くない印象を持ってもらって、もう近づきたくないよー、なんて思わせられたら最高だわ。
私としてはエルクとは疎遠になりたいのだ。
ちょっと言葉がきついが、突き放すような悪口で距離を取るべきだろう。
よし、もう一息。
「私はこれでも鍛えてるからまだまだ余裕なの。ふふっ。なんだったら貴方の分も持ってあげようかしら? 王宮育ちのお坊ちゃんにはペンより重たいものは大変でしょうし、私としてもいいトレーニングにもなるわ」
ここまで言えばさすがのエルクの笑顔も崩れることだろう。
そう思っていた私だが、
「ああ、そうかい」
エルクはそう短く言うと、私の前にいきなり回り込んできた。真正面から見つめあうように立ち止まったせいで、私の進行方向を防がれてしまう。
そうして彼は不敵に微笑むと、
「それじゃあよろしく頼むよ」
そう面白おかしそうに白い歯を見せて、私の持っている課題の上に更に自分の分のいくつかを上乗せしてきたのだった。
「わわっ。ちょ、ちょっと!」
「持ってくれるんだよね?」
「ほんとに渡す奴がいる!?」
「はははっ。ここにいたね」
「……くっ」
今さらあそこまで言った手前「やっぱり返す」なんて言い出しづらく、私は結局、そのまま課題を職員室まで運ぶことになったのだった。
前を歩くエルクより明らかに後ろに続く私の方が大量の課題を抱えており、その光景を傍から見た生徒は、
「あのゴリラをエルク様が手懐けてらっしゃる。これなら暴れる心配もないだろう」といつの間にか私が彼に従属でもしたかのような雰囲気が広がり、計らずとも農民一揆なんていう馬鹿げた噂がこれ以上広まることはなかったのだった。
――なんか納得いかないんだけど!




