-2 『恋心』
「とにかくエルクとはできるだけ距離はとらないと」
新しく始まった学園生活は期待と不安でいっぱいだ。
入学試験を突破しただけあって、入学初日にあった試験もそれなりに良い点数をとれた。このまま好成績を取り続けて卒業をすることができれば文句のない学歴を得ることができるだろう。
だが同時に、同級生としてエルクがいる。彼は私の前世をよく知る危険人物。学級こそ違うものの、なぜか妙に絡まれているのが問題だ。
私がクルシュを溺愛しすぎているせいだろうか。
エルクも自分の弟であるクルシュを大切にしているようだし。
「お兄ちゃんはとても優しいんです。小さなころから私を守ってくれていて」
クルシュはエルクのことをとても慕っているようだ。
寮での生活が始まってから、クルシュはよく私の部屋に遊びに来るようになった。最初はおどおどと兄の後ろに隠れている印象だったが、今ではすっかり打ち解けて、クルシュ一人でもやって来てくれる。私が無理に誘ったというのもあるけれど。
慣れない寮での生活とか、学院のこととか、そんなことを教えてもらったりした。
寮の部屋はあまり物がなくて殺風景だったけれど、クルシュがちょこんと座っているだけで、お人形を飾ったような華やかさが出て私は大満足だ。できればクルシュをあと数人ほど並べて飾りたいくらいに。
最初は遠慮気味だったクルシュだが、部屋に呼ぶたび、次第に緊張を解いた柔らかい笑顔を見せてくれるようになった。寮の調理場を借りて手製の料理を振る舞った時はとても好感触だったほどだ。
「すごい! リーズさん、なんでもできるんですね」
「別に何でもって訳じゃ。ただ料理できるだけよ」
「だって、お勉強も……」
「それは努力したからねえ」
それはもう、毎日朝は農作業、昼は図書館に缶詰めになるほどの血のにじむ努力があったからこそだ。
「でも、たまたま私が得意な部分が見えてるだけよ。苦手なことだって山ほどあるわ」
なんでもできる完璧超人なら前世であんなくだらない死を迎えなかったことだろう。
――今世はまともに生きてやるんだから。
沸々とした思いをたぎらせて不気味に笑う私を、クルシュは不思議そうな顔で見ていた。
「そういえば」
ふと私は尋ねた。
「クルシュは女の子の服を着てるけど、男の子として学校に通ってるのよね」
「はい。去年までは男子用のものを着ていたんですが、お兄ちゃんが色々と口をきいてくれて」
「へえ」
男子制服姿のクルシュもそれはそれで見たかった。惜しい。
けれどどちらが似合ってるかで言えば間違いなく女子制服だろう。
「お兄ちゃん、最近は前よりももっと優しくなって。私がいまこの恰好をできているのも、お兄ちゃんが私との関係を公表したからなんです」
「兄弟だってことを?」
はい、とクルシュはにっこりとした笑顔を浮かべて頷いた。
そういえば以前、それは公に公開されていないとエルクが言っていた。
なるほど、確かに王族の末端とはいえ関わりのある人間ならば下手に悪くは言えないだろう。国のトップがそうしているのだからと右に倣うほかない。あくまで公表したのは学院内のみらしく、なるべく口外しないようにしているらしいが、あまり人の口に門扉は立てられないだろう。
しかし体裁を気にして隠していたはずなのに、いったいどんな心変わりがあったのだろうか。
――まあどうにせよ、これでクルシュは自分を隠さずに自分らしく伸び伸び暮らせるようになったってことね。
クルシュからは、以前出会ったいじめられていた頃のような気弱さはなりを潜め、前向きな元気さがあふれている。
「よかったわね」
「はいっ。おかげで、女の子としてみんなに見てもらえています。同じ学級の人たちも、かわいい、って言ってくれますし。私が王族に関係しているからっていうお世辞もあるでしょうけど」
「ううん、実際可愛いから! 抱きしめたくなるくらい!」
つい前のめりに息を荒げて言ってしまった。
咄嗟に顔を近づけてしまったせいで、クルシュは恥ずかしそうに顔を真っ赤にし、おどおどと視線をそらしていた。
「あ、あの……」
「ごめんなさいクルシュ。つい発作が」
「ふふっ、リーズさんって面白いです」
「それ、褒められてるのかしら……?」
急に興奮しだす変人と思われていてもおかしくないが、嫌がっている様子はないのでセーフということで。
「あの、リーズさん。その……」
顔を赤らめたままのクルシュが急に体をもじもじさせながら言い出した。
「お聞きしたいことがあって」
「なに? なんでも答えるわよ」
ほかならぬクルシュのお願いなら。
「その……リーズさんは、同性同士の恋愛感情って……変に思うでしょうか?」
「同性?」
言われ、なるほど、と口許をにやつかせた。
――ははーん。そっか、クルシュはエルクが好きなのね。自分のためにいろいろ頑張ってくれてたみたいだし、おかげでクルシュも女の子として見られてる。心はすっかり女の子になったせいで、兄への恋慕が表に出始めたってところかしら。
たしかにエルクは文句なく美男子だ。
それに性格も温厚で非の打ちどころがないだろう。
貴族であり、なにより王族の子。
他の男たちよりも魅力的だと黄色い声を上げる人は少なくないだろう。実際ここに入学してからというもの、エルクと通路ですれ違うだけで周囲の女子生徒たちがざわついていた。みんな目にハートマークでも浮かんでいるのかと思う程の浮かれぶりだ。
私からすればむしろ逆で、廊下で見かけた途端に慌てて逃げ出しているというのに。私には彼が一国の王子ではなく、鎌を持った死神にすら見える。
それほど避けようとしているのに、それでもよくエルクと出くわすのは何故だろう。いや、今はそんなことはどうでもいい。
私の返答を待っているクルシュは、困り眉を作りながら上目遣いに私のことを見つめていた。こんな無垢な瞳を浮かべる純粋な子を悩ませるなんて、エルクは本当に悪い男だ。
――よし、私が自信をつけさせてあげよう!
「大丈夫よ、クルシュ。どういうのだってアリだと思うわ!」
「ほ、本当ですか!?」
「もっちろん。私が保障するわ。クルシュに好きになってもらえるならどんな人でも喜ぶわよ」
少なくとも、この学院に入学してからはクルシュ以上の美少女を見たことがない。容姿も、声も、仕草も、何から何まで他の女の子より女の子然としているくらいだ。
「それにもし相手にその気がなくても、既成事実を作るつもりでどんどん押せ押せでいけばいいのよ。そうすれば同性かどうかなんて細かいことも忘れちゃうわよ。それだけ自分を好いてくれる子なんてなかなかいないもの。それにクルシュはそこらの女の子よりもずっと可愛いから、堕とせない相手なんていないはずだわ!」
私が力強くそう言ってやると、クルシュはとても嬉しそうに明るくはにかんでいた。
――うんうん。自信がついたみたいね。
これからは何かあればクルシュを助けてあげよう。エルクと良い雰囲気になれるように。
それからも学院での話をいろいろと聞かせてくれるクルシュを、私はまるでお姉ちゃんにでもなったような気分で耳を傾けていたのだった。




