1-1 『私の前世は悪役令嬢!?』
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「や、やめてっ!」
か弱い声が路地裏に響いた。
馬車が行きかう石畳の大通りから少し離れたそこには、一人の女の子と、それを取り囲む数人の男子の姿。少女は怯えたように肩を丸め、黒い前髪の隙間から潤んだ円らな瞳を覗かせている。
そんな彼女をへらへら笑いながら見つめる男子たちは、こともあろうかその少女の片側に結った長いおさげ髪を引っ張っては、嫌がる彼女の反応を見て楽しんている様子だった。
おそらく同い年ぐらいなのだろう。だいたい十一歳前後といったところか。
見るからにいじめだ。
強いものが弱いものをいたぶる、最低な行為。
その少女はずっと内気に眉を潜ませているばかりで抵抗する様子もない。恐怖か、はたまた臆病なだけか。これだけ異性に囲まれてはどのみち仕方がないだろう。
まったく人目がないのをいいことに、彼らは彼女にやりたい放題だ。
「おい、おとこ女。今日も気持ち悪い恰好してるんじゃねえよ」
「似合わねえんだよ。ばーか」
「頭がおかしいんだろ。俺たちと感覚が違うんだよこいつは。変態なのさ。そんな恰好したところでナターリアみたいなブスになるだけのくせに女の子ぶってるんじゃねえよ」
ひどい罵声もぶつけられるがまま、その少女は寡黙にこらえていた。
弱者を虐げて、自分は強い人間だと悦に浸っているつもりだろうか。そういう人間ほど群れたがるものだ。一人だと何もできなくても数がそろえば途端に尊大になる。
――さいってい!
こんなかわいい女の子をいじめるなんて。
彼女たちのいる路地をたまたま通りかかった私――リーズ=バスケットは、まるで助けを求めてくるような少女の瞳と目が合った瞬間、大慌てでその場へと駆け寄っていった。
「ちょっとあんたたち! なにやってるのよ!」
目尻を吊り上げて乗り込んできた私に、男子たちは驚いた風に目を丸くしていた。いきなり見ず知らずの女が割って入って来たのだから当然だろう。
「女の子をいじめるんじゃありません!」
「な、なんだよこのオバサン」
「おおおお、オ・バ・サ・ン?」
失礼な。
私はまだ十四歳のうら若き乙女だ。
自分で言うのもなんだけど、しっかりと手入れしたまっすぐな栗色の髪は自慢だし、スタイルだって悪くはない。身長と胸は少し物足りないけれど。
「だーれがオバサンですって?」
私はオバサン呼ばわりされたことにふつふつと怒りを燃やして言い返すと、それを口にした男の子は蛇に睨まれたカエルのようにびくりと体を震わせて固まってしまった。
さすがに男子といえど年の差もあって、私の方が体つきも大きい。おまけに失言によっひどく不機嫌に鬼のような形相を浮かべているものだから、ついには男子たちの間で気まずさが広がり、
「ちっ、もういい。帰ろうぜ」
そう言い捨てて彼らはどこかへと去ってしまったのだった。
「大丈夫だった?」
残された少女へと振り返り、私は身を屈めて顔を覗き込んだ。
うなだれた彼女の目元は涙が浮かんでいたけれど、こくり、と小さく頷き返してくれた。
「どこか痛いところは? へんなことされなかった?」
こくり、とまた頷く。
よかった。
傷とかもないみたい。
洋服の生地は上質そうだけど、どこかのいい家のお嬢さんだろうか。それにしてもこんな薄暗い路地を一人でいるなんて不用心だ。
「ねえあなた、お名前は?」
「……わたし、ですか?」
「うん、そう。言えるかな?」
なるたけ穏やかに尋ねた私に、少女はまた短く頷いてくれた。
「クルシュ、です」
「クルシュちゃんね。私はリーズ。リーズ=バスケットよ。よろしく」
「……はい」
私がきさくに微笑みかけるとやっと頭を持ち上げてくれて、クルシュの顔をはっきりと見ることができた。
サラサラのまっすぐな黒髪に、それとは対照的な白雪のように綺麗な肌。まだあどけなさを感じさせる丸まった瞳は、まるで宝石が埋め込まれているかのように綺麗な碧色をしている。
――え、何この子。すっごく可愛い!
それが第一印象だった。
まるでお人形さんみたい。なにかからくりがあって命が吹き込まれたように動いていると言われても信じてしまうくらいに。
「はあ……可愛いわぁ……」
たまらず本音が口から漏れてしまい、衝動的に抱きついてしまう程だった。その少女もいきなりのことに「ええっ!?」と驚いているが、かまわず私は抱きしめたそのお人形に頬ずりをする。
もし許されるなら家に持ち帰って飾りたいくらいだ。
きっと今の私の顔は気持ち悪いほどにやけていることだろう。柔らかい頬の感触を味わうようにぎゅうっと強く抱きしめる私に、その少女は戸惑った風に目をきょろきょろさせていた。口許は笑っているが、笑顔と言うわけではなく、ただ引きつっているだけだろう。
あまりの私の熱中した抱擁に引かれただろうか。ちょっとショック。
それにしてもこの子はどこの子だろうか。
私もこのあたりに住んでいるのだけど見覚えがなかった。というかこれだけ可愛ければ、どこかで見かけていれば忘れることもないだろう。
たとえここがこの国の王都フェザールであるとしても、それほど大きいというわけでもない。ともなれば町の中心部に広がる貴族街の子だろうか。あそこは私のような一般市民とはかけ離れた場所だ。レンガ造りの大きなお屋敷などが立ち並び、その傍には王様が鎮座する大きな王城が佇んでいる。
町の外れで石造りの平屋ばかりが生い茂っている私たちの住む場所とはまるで別世界のような場所だ。そういうのに憧れはするけれど、私は庶民的な暮らしもきらいじゃない。
町の外の畑を継いで農家になったり、下町の小さな飲食店で働いたり。そういった地に足付いた将来が待っていることだろう。なにしろ私のような庶民は学校すら通う必要がないのだ。何かを学んでも生かす場所がない。
私は今の生活で満足している。
裕福ではないけれど、親の畑仕事を手伝ったりする毎日。
貴族様のように学歴と高給を求めることはない。
ただ日々が平和で、何事もなく生きていられたらそれでいいのだから。
「クルシュ!」
ふと声がして振り返ると、私たちの方へと駆け寄ってくる青年の姿があった。
よかった。
彼女に知り合いだろう。
その少女――クルシュもその声に気づくとぱっと顔を明るくさせた。
「お兄ちゃん!」
「ああ、よかった。無事だったんだな。急にいなくなって心配したんだぞ」
「……ごめんなさい。はぐれたら、学校の知り合いがいて」
「なにごともなかったか?」
クルシュは私から離れてやって来た青年の腰に抱きつくようにしがみつくと、こくりとまた首を小さく頷かせ、そして私の顔を見やってきた。
「イヤなことされたけど、助けて、くれた。この人が」
「そっか」
――イヤなことって私の抱きつきのこと? できればさっきのイジメのことであってくれることを願おう。
落ち着いた表所を見せたクルシュに、青年は安堵したように深く息を吐いた。優しく笑みを浮かべて、自分の胸元ほどしかない少女の頭を撫でる。
二人は兄弟だろうか。
クルシュがやや小さめでもあるせいで身長差は大したものだ。年も青年の方がいくつか上だろう。高身長なのに手足は細く、モデルのような体型をしている。
その青年は私へと改まると、ゆっくりと私の前にやって来た。
彼の顔がすぐ目の前に近づいてくる。
妹が人形のように可愛ければ、この青年もまたそれに負けじと美形だ。
細い輪郭にくっきりとした目鼻立ち。髪は金髪でクルシュと雰囲気は少し違うが、肌の白さはよく似ている。きりっと細い眉毛と二重の目元にある長いまつげが印象的だ。
女を惑わす魔性のイケメン、なんて言葉を擬人化するならばこんな青年になるのだろうと思う。
「ありがとう。君がクルシュを助けてくれたんだね?」
そう優しく微笑みかけられ、私の鼓動は激しくドアを叩くように高鳴った。
胸が痛くなるほどに。まるで警鐘を鳴らすように。
うるさく、はげしく胸のドキドキが鳴り響い続ける。
ああ、頭に響く。くらくらする。
こんな感覚初めてだ。わけがわからない。
これが、もしかして――。
「べっ、別に大したことしてないわ」
このままじゃおかしくなりそう。
「そ、それじゃあ私はこれで……」
気が動転する前にさっさと立ち去ろうとした私だったが、めまいのように目の前がくらりとして、思わず蹴躓いて転んでしまった。
受け身も取れないまま倒れこんでしまい、頭をぶつけるとともに激しい痛みが私を襲ったのだった。
――――――――。
まるで走馬灯のように私の頭の中に変な映像が流れ込んできた。
いや、でも私が全く知らない光景ばかりだ。走馬灯と言えば死の間際に人生のフラッシュバックが起こるものだと思っていたけれど、まるで神様が用意する映像を別人のと間違えたのかと思うくらいに覚えがない。
豪奢なお屋敷で、綺麗なシャンデリアの下で食べきれないほどの高級料理を食べているところ。自分の何倍もの大きさがある、天蓋のついたふかふかのベッドに寝転ぶところ。まだ子供っぽい細い指にたくさんの宝石をつけてうっとりしているところ。部屋の窓からは多くのバラが咲いた広々とした庭園が見えている。
農家の娘である私とはまるで縁遠いはずのその光景。
……あれ、でもどうしてだろう。
なんだかすごく近しみを感じる私がいる。
そう、部屋にはお気に入りの動物のぬいぐるみがいっぱいあって、朝目が覚めたらそれに挨拶をするのが日課で。やせ細った年寄りの執事が毎朝お越しにきたり、庭ではペットとして買っている大型犬のジョセフィーヌがよくワンワン吠えながら走り回っていたり。
なんだろう。
なぜ私はそれを知っているんだろう。
まるでお姫様のように裕福に暮らしている私。蝶よ花よと愛でられてすくすくと育ち、大きくなった。これほどにないくらい贅沢で幸せな日々だった。
けれどそれも、私が十三歳になってからしばらく経ったある日、突然私の両親が国家警察に捕まったことで一変した。
あれ、私の両親って農家のはず。でも彼らは貴族の格好をしていて、私の知っている親の顔ともまるで違う。
そんな両親がつれていかれ、やがてお屋敷からは人がいなくなった。たくさんの美味しいご飯も出てこなくなったし、いつも綺麗だった庭のバラは花弁を枯れ散らしたまま放ったらかしにされている。犬の騒がしく駆けずり回る声も聞こえないし、私が集めていたたくさんの宝石もなくなった。
使用人も、物も、何もかもがお屋敷からなくなった。
がらんどうな大きい箱の中に、ポツンと私だけが取り残されたいみたいだった。
ある日、唯一世話をしに来てくれていた年寄りの執事が言った。
「お嬢様、耳をふさがずしっかりとお聞きください。旦那様と奥様は先日、処刑されました。国家転覆をはかろうとした罪でです。公爵の位もはく奪されました。国家転覆は重罪。事情は知らずとも、お嬢様もどのような処罰となるか。なんでも王国軍の内部では、一族郎党のこさず処刑するべしという意見も出ているのだとか……」
「しょ、処刑っ!?」
いきなりのことに気が動転する私は、それを信じないといった風に部屋に引きこもった。けれどそんな私の部屋に、そうはさせまい、ノックを響かせて誰かが押しかけてきた。
居留守を使いたかったが、いるとわかっているのだろう。
「僕だ。エルク=シュナイゼルだよ。ナターリア、いるかい? 君の処分を言い渡しに来たんだ」
「処分!? ……ってことは、処刑!? 貴方も、お父様とお母様のように私のことも処刑するって言うの!? きっとそうよ。処刑だわ。私なんて殺してしまえって思っているんだわ!」
私はもはやヒステリックになっていた。
何も考えられず、何も信じられず、けれど耳にした両親の末路から死への恐怖心だけは人一倍に膨らんで、目の前が見えなくなっていた。
――このままだと殺される!
私は一心不乱に部屋の荷物をかき集めて、窓の外から飛び出した。
このままでは私はお父様たちと同じようになる。訳も分からず殺される。その恐怖に駆られ、庭に停まっていた馬車を勝手に走らせ、夜逃げ同然に町を飛び出した。
目的地は、誰の手も及ばないずっと遠く。どこだっていい。私を捕まえようとする人が来ない場所ならどこでも。
その日はひどい悪天候で、大雨が降っていた。闇夜に紛れるには絶好のタイミングだ。
どこか遠い場所でひっそりと暮らそう。処刑なんて絶対にイヤなんだから。
荷台にはいっぱいの荷物を乗せ、町の外へと馬車を走らせる。けれど私はすべてにおいて未熟だった。箱入り娘である私は外の怖さを知らなかったのだ。雨の日の、地盤の緩さも。
町を出て峡谷沿いの崖路を走っていた時、ろくに馬を操ったこともない私はその勢いも殺せず、ぬかるんで崩れた崖に馬車の車輪を取られて落下した。
私は抵抗できないまま崖下に放り出され、そして――死んだのだ。
――――――――。
思い出してしまった。
私は貴族として生まれた少女――ナターリア=ラスケス。
何一つ不自由ない暮らしから一転、没落してすべての財産を失い、死んだ女。
そしてあの彼は……。
「大丈夫? 怪我はないかい?」
盛大に転んだ私に手を差し伸べて心配そうに覗き込んでくるイケメンの青年。
「よかった、傷とかはなさそうだね。心配したよ」
その青年は柔らかく微笑みかけて言った。
「僕はエルク=シュナイゼル。君の名は?」
そう優しく微笑みかけてきたその青年こそ、『私』を死へと追いやったその人だった。