第150話 ダルシム国代表の場合
ダルシム国の山奥にある貧しい山村がウメの生まれた村だ。その貧しい山村の中でも更に貧しい家庭の8人兄弟の末っ子として生まれた彼は、物心ついた時から働いていた。とは言ってもまだ5歳になったばかりの彼は近くの湖まで水を汲みに行くことしかできないのであるが。
年の離れた上の兄たちは、父親の手伝いで農作業をしたり狩りをしたりとそれぞれの役割を果たしている。とは言っても山村の荒れた土地では、なかなか開墾も進まずいくら働いても暮らしは楽にはならなかった。
「おはようお母さん」
「あらおはようウメ、ご飯できてるわよ」
まだ暗いうちに目を覚まし食事を済ませてから、仕事に出る。食事と言ってもわずかな豆を塩だけで煮た粗末なスープだけだ。彼の母親はいつも何か仕事をしている。家族の食事を作っていたり、洗濯物をしていたり、何か繕い物をしていたりと。ウメは自分の母親が休んでいるのを見たことがなかった。
ボロボロのあばら家の一部屋しかない間取りに家族10人が身を寄せ合って暮らしている。ウメは唯一の寝具である粗末なかけ布団をめくり身を起こす。まだ日は上っていないが、彼の父親と兄たちはすでに出かけた後だった。ただ夜中に狩りに出かけた2番目と3番目の兄は、明け方帰ってきてそのまま寝ていたが。その兄たちを起こさないように、そうっと身支度を整えると簡単な食事を済ませる。
「いってきます」
外に出るとその辺に転がっている桶を一つ拾い上げる。これを持って近くの湖まで何往復も水汲みに行くのが、今のウメの唯一の仕事だ。小さい彼が持てる精一杯の量を一日かけて運んでも、大した量にはならない。せいぜい家族が飲み水に使える程度だ。そしてここから彼の長い一日がスタートする。
「よし、着いたぞ。今日も一番乗りだ」
一時間程で湖に到着する、空はようやく白む頃だ。ウメは湖畔へと歩み寄ると、持ってきた桶に水を汲む。こんなに早く来るのは彼くらいなのだがそれには2つの理由がある。
一つは、単純に必要な往復回数が多いからだ。ウメはまだ幼くて非力だ。そのために小さな桶しか持てない。つまり他の子供たちよりも多くの回数、家と湖を往復する必要がある。水汲みは幼い子供の仕事であるとは言っても他の子供たちはウメよりも2つか3つ年上の子供たちばっかりなのだ。普通はもっと大きくなってから家の手伝いをするものなのだが、それだけ貧乏だからしょうがない。
「カメ太、元気にしていたか?ごはん持ってきたぞ」
そしてもう一つの理由はこの小さなカメに会うためだ。カメ太は、ウメが持ってきた小さな木の実をむしゃむしゃとおいしそうに食べている。
「おいしいか?たくさん食べて早く大きくなるんだぞ」
ウメが水汲みの仕事を始めて少し経った頃だった。その日も朝早くから起きて重い水を一日に何度も何度も運ぶのがつらくてつらくてくじけそうになる気持ちを精一杯奮い起こして湖の水汲み場へとやってきたウメであったが、少し離れたところに、なにかモゾモゾと動くものが見える。何かと思って近寄って見ると小さなカメだったのだ。ひっくり返った体を懸命に起こそうとしているが、いかんせん手足が短くてなかなか元に戻れないでいる。
「大変だ」
慌ててひっくり返してやると、その小さなカメはヨロヨロと湖の方へと向かっていく。
随分弱っているように見える。どうやら、かなり長いことひっくり返っていたみたいで衰弱しているようだ。ヨロヨロしているカメを拾い上げて、湖へと運んでやる。
「はやくおうちに帰るんだぞ」
このちっぽけなカメに、幼くて非力な自分の姿を重ね合わせたのかもしれない。ウメはこの小さなカメが無性に愛しく思えた。そのカメは、湖へ浮かべてやるとすいーっと泳ぎだしその後水中へと潜っていき、すぐに姿が見えなくなった。カメの無事を見届けたウメは、すっかり満足し、少しのやる気を回復させ、その日の仕事を終えた。
その次の日、いつものように湖畔で水を汲んでいると小さなカメが水面から顔を出している。間違いない、昨日助けてあげたあのカメだ。カメはじっとウメの顔を見つめるとすいーっと寄ってくる。
「お前、無事だったんだな。元気になったみたいでよかったね」
カメが元気になったこととまた会えた事にすっかり嬉しくなり声をかける。するとカメはパカっと口を開けた。その様子はまるでウメに笑いかけているかのようだった。
それからというもの、そのカメはウメが水汲みに行くと決まって顔を出すようになった。年の離れた兄たちと遊んでもらったこともなく、同じ年の友達もいなかったウメにとって初めて出来た友達であった。
カメ太はとても賢く、ウメ以外の人間の前には決して顔を出さなかった。またウメも人目につかない場所で水汲みをするようにしていたため、カメ太の存在を知るものはいなかった。貧乏な家の子供などに興味がある者もおらず、それがかえって都合が良かったと言えた。
◇
それから7年の月日が流れ、ウメは12歳となった。今では体も大きく成長しそれに伴い力も強くなった。持っていく桶も大きなものになり、今では家で使う水は全てウメが汲んでくる水で賄えるようになっていた。それだけではない、水汲みの他、魚を採って家族の生活を支えることができるようにまでなっていた。
そんなウメだったが、相変わらず友達は出来なかった。もともと内気で貧乏な子供には誰も関心がなかったのだ。だが、そんな事はどうでもいいことだった。唯一の話し相手がいるのだから。そうカメ太が。
「おはようカメ太、今日も魚とりに行こう」
『おはようウメ、魚だな。沢山いる場所分かるぞ。案内するぞ』
幼い頃より話していたカメ太はいつの間にか意思の疎通ができるようになっていた。湖に棲んでいるカメ太は、魚の居場所を詳しく知っていてそれをウメに教えてくれる。おかげでいつも魚採りは大成功だった。そしてカメ太の方も7年の歳月で変わった。
「それにしても、カメ太はまた大きくなったな」
『そうかな?自分じゃわからない』
元々は手のひらサイズだったカメ太だったが、だんだんと大きくなっていった。そうして、最近ではますます大きくなり今では見上げるようにデカい。そのため今では、人目につかないように日中、陸に上がることはほとんどない。替わりにウメの方が湖に潜ってカメ太に会いにいっているのだ。
「ただいま母さん、魚を採ってきたよ」
「おかえりウメ、いつもすまないねえ」
ウメの頑張りで実家の方も少しは暮らしが楽にはなったがそれでも相変わらずの貧乏暮らしだ。この国では、貧乏な家に生まれた者はなかなか貧乏から抜け出すことはできないのだ。母もいつものように、台所へ向かって何か仕事をしている。今は家族みんなの食事を作っている。父親や他の兄弟はまだ農作業から帰ってこない。瘦せこけた山間の土地ではなかなか開墾が進んでいないのが現状だった。
ウメは食事ができるまでの間、母親にその日の出来事を報告する。と言っても他愛もない会話であったが。彼は仕事を終えてから食事までの間、母親と会話を交わすこの時間が好きだった。ところが、この日の母親の会話の内容はウメを驚かせるものであった。
「隣の奥さんから聞いた話だけどね、なんでも都から国の偉いお役人様がこの村へと訪問されているそうだよ」
「え?お役人様が?一体なんでまた?」
都の話は、年に一度ほど訪れる行商人から聞いたことがある。山奥の寒村に住む子供たちにとって行商人の彼らが話す冒険談は数少ない娯楽の一つであり、ウメもその話を行商人を囲む子供たちの輪から少し離れたところで聞くのが楽しみであった。
都には、石で出来た巨大な建物が沢山立ち並んでいることとか、レンガで出来た道路をきれいな馬車という乗り物が走っている様子であるとか、砂糖というものを使った甘いお菓子が人気があるだとか、田舎に住んでいる子供にとってはその話が本当なのかも分からない別世界の出来事だった。
中でも、子供たちが特に興味を惹くのは様々な魔法を使える魔術師の話であった。もちろん、この村にも魔法を使える人はそれなりにはいる。だが、せいぜい使えても初級の火魔法で日常の火起こし程度にしか役に立たない。その魔術師が巨大な火柱で獣の群れを焼き払ったり、鋭利な刃物よりも鋭い風の刃で巨大熊を真っ二つにした話などに子供たちは熱狂するのであった。そして、これらの物語に登場する都の住民はこの村に住む人たちからすると、まさに雲の上の人なのだった。そんな人がこの村に訪れている。どうして?
「えっとね、なんでも聖獣様がこの村の近くで見つかったって話があって調査に来たみたい」
「え?聖獣様が?」
ダルシム国の聖獣様は、国民の誰もが知っている。それはこの山奥の寒村においても同じだ。子供たちはまだ幼い頃に、母親から何度もその話を聞かされるのだ。
曰く聖獣様とは「玄武」とも呼ばれる防御力に長けた大きなカメの姿をしており普段は湖の奥底に潜んでいるが、有事の際姿を現し、国の危機を救ってくれる国の守り神だ。
そう、聖獣様は普段は湖の奥底に潜んでいて大きなカメの姿をしているのだ。
「おい、この家にウメという少年はいるか?」
その時、家の外で知らない男の人の声が聞こえた。




