第127話 牧場にて その2
ヨシタケさんの背後に迫ったグリズリーは、通常のグリズリーよりもかなり大きい。4,5メートルはあろうかという背丈だ。それが2本足で立ち上がりまさに襲い掛かろうとしているではないか。
「うん?あ、タロウじゃないか。おー、ヨシヨシ」
ところが後ろを振り返ったヨシタケさんは、巨大グリズリーを見ると目を細めてる。グリズリーも4本足になって頭をしきりにヨシタケさんに摺り寄せている。まるで超巨大なネコのような仕草だ。
「あ、びっくりさせてスミマセン。こいつはタロウと言って私の弟みたいなもので」
「え?弟?」
「はい、こいつがまだ子熊の頃から可愛がって育てているんですよ」
「はあ、でも大丈夫なんですか?」
「あはは、大丈夫ですよ。あ、そうだ。ちょっと長くなるけど私の身の上話を聞いて貰えますか?タロウと出会った時の事を話したいのですけど」
「あ、はい。こんなに慣れているグリズリーは初めて見ました。どうやってこんなに仲良くなれたのか是非聞いてみたいですね」
オレがそう言うとヨシタケさんは、嬉しそうに話しを始めた。
この牧場はまだヨシタケさんが子供の頃にお父さんと2人で始めたそうだ。元々EDOに住んでいたヨシタケ一家だったが、どうしても田舎でジャージ牛を育ててみたかったお父さんは一から牧場経営を始めることにした。ところが、お母さんは大反対したそうで結局ついてこなかったとのことだった。
ヨシタケさんのお父さんは、働き者だったそうだ。何もない山をみるみるうちに切り開いていき、牧草を植え、柵を作り、牛を育て、と牧場作りは順調に進んでいった。まあ、この世界の住民だろうから何等かのスキルを持ってたのだろうが。
だが、まだ幼かったヨシタケさんは朝早くから夜遅くまで働くお父さんの姿を傍で見ているだけだった。「自分はお父さんのお手伝いを何もできない」せめて晩御飯を探してこようと、まだ開墾されていない森に入っていったそうだ。実はヨシタケ少年は、キノコや山菜を食用可能かどうかがなんとなく分かってたそうでこれまでも持ち帰った食材は全て食用できるものだったそうだ。後で調べてみたら、「鑑定」スキル持ちだったことが分かったそうだが、その頃はそのスキルが開花する前だったのだろう。
思ったよりも対象となる植物が多かった事に気を良くしたヨシタケさんは、知らず知らずのウチに森の奥深くまで侵入してしまっていた。そして、ソコで小さな小さな子熊が数匹のワイルドウルフ(の子供)たちに追っかけられているところに遭遇したのである。
「ワンワン」
「ウウウウゥ」
「グルルル・・・」
小さな小さな子熊は、中型犬くらいのワイルドウルフの子供たち5匹に囲まれて最早虫の息であった。
「キュウウウウン・・・」
すでに止めを刺されるのを待つだけの状態のその子熊であったが、残酷な事にワイルドウルフ達は前足で転がしたり甘噛みをしたりでいたぶるだけだ。
「やめろおおおお」
何も考えず飛び出したヨシタケ少年に幼ウルフたちの視線が集まる。子供とは言っても中型犬くらいの大きさだ。少年の戦う相手としては荷が重い。それが5匹もいるのだ。幼ウルフたちもそれがよく分かっている。いたぶり甲斐のない子熊よりも新たな生きのよい獲物へと興味を移す。
勝ち目がないことは、十分に分かっていた。だが、その小さな小さな子熊を自分と重ね合わせたヨシタケ少年はどうしても助けたかったのだ。その場で拾った棒切れを武器に必死に応戦するが、あっという間に傷だらけになる。でも、絶対に引きたくない。
ズキューン
その時、森の中に銃声が響き渡った。その途端、幼ウルフたちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。姿が見えない事に心配した父親が、ヨシタケさんを探しに来たのだ。間一髪で助かったヨシタケさんは体中傷だらけではあったが、幸いなことに命に別状はなかった。
「お父さん、この子ケガしてるんだ。助けてあげられないかな」
安堵の余り、自分に抱き着いて泣き叫ぶ父親に少年はそう言った。
奇跡的に回復した子熊は今まで独りぼっちだったヨシタケ少年の良き遊び相手となった。一日中、少年の後をついて回る子熊。まるで本当の弟のように。
「そう言えば、タロウのお母さんはタロウを探してるんじゃないかな?」
子熊はタロウと名付けられた。その日も一日中駆けずり回って疲れて眠っているタロウを見ながら尋ねる。
「いや、それはないだろうな」
「え?なんで?」
「この子は、見捨てられた子なんだよ」
どういうことだ?と尋ねる息子に父親は説明を始めた。グリズリー種は、一生に一度だけ子供を産むこと、その際生まれた子供たちは生後1週間して谷底へ落とされること、そしてその谷底を登って母の元へ帰ってこれなかった子は・・・
ワイルドウルフはそのグリズリーの習性を分かった上で、子供たちの狩りの練習相手にその見捨てられた子熊をあてがうそうだ。
「タロウもお母さんにはもう会えないんだ。ボクと一緒だね」
それからの日々はいつも一緒だった。父が切り開き日々、広くなっていく牧場を一日中走り回る後ろには、いつもタロウがついてきた。一日が終わると一緒にご飯を食べ風呂に入りそのまま寝る。その日々はずっと続くものと思われた。
それから数年経ったが2人の仲は相変わらずだ。ヨシタケさんが森へ行けばタロウは一緒についていき山菜やキノコ採集を手伝うし、父親と一緒に森林の伐採もする。ヨシタケさんはそれが出来る年になっていた。もちろん変わったのは、ヨシタケさんだけではない。タロウは身の丈2メートル程の巨大熊へと成長を遂げていた。いまや森でワイルドウルフの成犬に遭遇しても、向こうが逃げていくようになった。
だが、タロウの成長は2人の別れを意味していた。
ある晴れた昼下がりの事、いつものように森に散策に出かけたヨシタケさんとタロウは、中ほどにある小川へとやってきた。いままで数え切れないくらい訪れた場所だ。ここでお昼ご飯を食べたり水浴びをしたり休憩した後にまた家路に着くのがいつもの流れであったがその日は違った。
「タロウ、ここでお別れだよ」
「クウン?」
『タロウが大きくなったら、自然に返すこと』
それがタロウを飼う時に父親と交わした約束だった。野生動物を一生飼うことはできない。それは幼いヨシタケさんにも分かっていた。
「ほら、向こう岸へと行け。今日からあそこがお前の帰る場所だよ」
「クウーン」
突然のヨシタケさんの言動にタロウは戸惑うばかりだ。だが、ここは心を鬼にしなければならない。
「もう、お前は帰ってくるな。分かったな。分かったらさっさと行け」
思い切り背中を押して強引に小川を渡らせると、自分は家へと引き返す。そのまま一度も振り返ることなくその場を後にしたのだった。
「ごめんなタロウ、元気に生きていくんだぞ」
更にそこから数年後、ヨシタケさんは青年となり今や立派に父親の手伝いができるようになっていた。牧場の方も2人の頑張りによって随分と大きくなった。そんなある日の事。
「最近、牧場の被害が全然ないな」
「そうだね父さん。珍しいこともあるもんだね」
牧場の被害とは、害獣による被害である。例えば、グリズリーやワイルドウルフなどに牛を襲われたり作物を荒らされたりされるのだ。ところが、今年に入ってからそういった被害が全くなくなった。今までは少なからずそういった被害に遭っていたのだが、こんな事は初めてだった。
そんなある日の事、いつものように森へキノコや山菜を採集に行ったヨシタケさんは、超巨大グリズリーと遭遇する。それは、森で元気に暮らすタロウだった。
「こんなん絶対泣いてしまう話じゃねーかよ」
オレは、目頭を押さえながらヨシタケさんの話を聞いていた。ふと横を見るとアイが鼻水をズルズル言わせながら号泣していた。




