第三節 厳しい同期の惨状
自分がやっている仕事に誇りを持つというのは大変なこと。
社会に認知されて、責任を負いながら、お金をもらって全うする。
それを僕は、ここで初めて知った。
どんなに地味で泥臭い仕事でも、積み重ねが信頼を得る。
それが大人の仕事なのかもしれない。
知識ばかりで、実感を伴わなかった労働という意味を、僕は考え始めていた。
そんな折、大学の同期で集まることになった。
セットされた時間は土曜日の午後6時。
同期の多くが土曜日は休みだから、夕方に集まるのは簡単だった。
けれど、僕にとって土曜日は仕事。
夕方も6時に終わるかどうかもわからない。
とりあえず、出席することにはしたけれど、遅れていくことになりそうだった。
毎日社長の隣で仕事をしていると、次第に話をするようになる。
伝票の処理もようやく早くなってきたし、毎月の給与の支払いも慣れてきた。
社長は公私の区分が緩やかな人で、仕事中でも家族の話をする。
息子の進学の話から奥さんに残す遺産の話まで、僕は聞き役だった。
この会社は、社長が一代で作った会社だけれど、息子に譲る気はないらしい。
息子も会社なんてやる気はなく、一代で終わりというのが社長の口癖。
本当は跡継ぎがあれば嬉しいのだろうけれど、そういうわがままを子どもには押し付けない。
それが社長の美学というのが、これもまた口癖。
ちょっとした漫談を聞いているようで、なかなかこれが面白い。
僕もその勢いに乗って、今度の同窓会の話をしてみた。
社長は、仕事を適当に切り上げて行くように指示した。
別に業務命令でもないけれど、行くのが礼儀ということらしい。
ただし、僕にこう忠告した。
「行って、ショックを受けるな。」
考えてみれば、僕の同期は役所や銀行に入った人も少なからずいる。
そういう連中と仕事の話になれば、負い目を感じるかもしれない。
そういうことだと、僕はすぐにわかった。
宴席に行くと、やっぱり話題は仕事の話になった。
大きな組織に入った人は、春は研修の季節で、現場に出ることは少ない。
研修所に缶詰めだった人もいれば、職場で恋愛が始まった人もいた。
総じて、学生のような勝手気ままな生活から仕事中心のまじめ生活に慣れてはいない。
それでも、仕事帰りに飲み会をしたり、合コンをしたりと、それなりに楽しい生活をしているらしい。
もちろん仕事でも、窓口で怒られたこともあれば、電話で失敗した人もいた。
みんな着実に社会人としての一歩を踏み出していた。
一方、僕の状況といえば、毎日同じことの繰り返しで、劇的な変化はない。
小さな会社に入った人はみな、毎日限界まで働いていた。
僕の状況はまだいいほうで、又聞きだけれども、就職浪人している人たちも苦戦しているようだった。
そのまま活動停止で、家に閉じこもってしまった人もいるし、派遣会社に登録した人もいた。
仕事へのプライドを捨てられないで、社会を捨てていく人。
仕事への執着心を優先して、不安定な雇用に流れていく人。
人それぞれの人生だけれども、如何ともしがたい状況に変わりはない。
こうして今日、出てこられる人はまだいい部類。
派遣やアルバイトの毎日では、合わせる顔がない。
そんな人たちのことを思うと、今日のお酒は、あまりいい味がしなかった。
週が明けて、僕はこの話を社長にしてみた。
社長は黙って、僕の話を聞いてくれた後、社長なりの解釈をしてくれた。
「自分で仕事は選べない。希望した職の中から、仕事が自分を選んでくれる。」
確かに、今の仕事だって、僕の希望した職の中で、順位は一番下だった。
嫌われ続けてようやく、今の仕事にありついた。
よく考えてみれば、僕は何を希望していたのか疑問になった。
してみたい仕事と言えば、自分が業界研究した仕事の中から選んだだけ。
世の中には、今の僕のように、知らなかった仕事が山ほどある。
だから、僕が選べる仕事なんて、世の中にある仕事のほんの一部しかない。
その一部の中から、選んでもらうのを待つ。
それが就職活動なのだと思う。




