第一節 キャンパスの悲惨
景気という見えない生き物に、僕は飲み込まれた。
氷河期という言葉は聞き飽きた2003年の夏。
僕はようやく、小さな町工場に仕事を見つけた。
田舎道の行き止まりにあるスクラップ置き場。
賞与どころか、定期昇給もない。
毎月の給料の支払は翌月払い。
自転車操業状態の会社だったけれど、無職になるのが怖かった。
まだ就職できただけでもよかった。
大卒の平均就職率が55.1%を叩き出した空前の就職難。
東京でも苦しいというのに、こんな地方都市はその比ではない。
夏を過ぎても、キャンパスにはリクルートスーツが溢れていた。
教室にも、図書館にも、学食にも。
何度も書き直した消しゴムの残りかすが、食堂のテーブルに置き去りにされていた。
生協の書店には、就職活動本が平積みにされていた。
夏を過ぎる頃には、就職戦線の行き詰まりと対照的に、書棚のポップアップが華やかになっていく。
他人の不幸は格好の商売機会。
皆様のためと謳う生協でも、結局は営利のためには手段を選ばない。
突き刺さるような感覚に耐えられなくて、僕は書店を後にした。
大学の卒業式は、僕にとっては切なかった。
地方では県庁や市役所に入った者は勝ち組。
一生を保障された人の顔は、それは晴れやかで、僕はなんとなく合わせる顔がない。
そそくさと会場を後にした僕は、一人家路を急いだ。
今日から切り替えるしかない。
地味でも、仕事があるだけまだいい。
僕の生活がたとえ不幸であっても、誰にも迷惑を掛けることはないのだから。
4月が来る前に、僕は会社に通うようになった。
僕の仕事は、会社の事務をする人がいなくなった欠員補充。
止むに止まれぬ事情とやらで、急に退職してしまったらしい。
引継ぎも何もなく、残された書類と社長の記憶だけが頼りの仕事始め。
「こんな会社に大卒が来る時代になったか。」
会社の先輩に言われた最初の言葉が、これだった。
確かに休みは日曜日だけで、給料も税金や保険を引かれたら、手元に残るのは10万円。
アルバイトのほうが、よっぽど待遇はいいけれど、不安定な仕事よりはいい。
言われたことだけのアルバイトより、少しくらい自分で何かやれるほうがいい。
しかも、小さな会社は、会社全体の見通しがいい。
今何が起きていて、何が問題で、何をしなければいけないのか。
小さなプレハブ小屋で始めた僕の仕事は、こんな滑り出しだった。




