[Conclusion:先輩が肉を食べない理由――私の愚かな感情論]
最終話です。
「ここまででベジタリアンについて色々と説明してきたけど、何か質問はある?」
「はいはい! 結局、先輩はどの理由でベジタリアンになっているんですか?」
「私? 私はベジタリアンである理由は、『動物がかわいそう』だからよ」
「って、思いっきり感情論じゃないですか! 先輩、前に感情論を批判してませんでした?」
「そうね。感情論は周りからは受け入れられないだろうし、それを他人に強制することは愚かな行為だと思うわ」
「だったら、どうしてですか?」
「押し付けなければ個人の勝手よね?」
「まあ、それはそうですけど」
「これはベジタリアンという概念に対してだけじゃなく、色々なことに対して共通する私の考え方なんだけど、理性的であることや論理的であることなんてそこまで必要じゃないと思うわ」
「いや、皆が感情的になったら困るじゃないですか。法律も何もあったもんじゃないですよ」
「じゃあその法律はどうやって決まっているの?」
「それはお互いの利害関係とかを考慮したうえで……」
「利害関係、か。法律にはその土地の習慣も大きく影響している。国によって法律が異なるのもそのためね。それは確かに利害関係によるものなのでしょうけど、その利害関係を決める根底には感情があるんじゃないかしら。快か不快か、それが利害関係でしょう? 突き詰めていくとそこにあるのは感情じゃないかしら?」
「いや、先輩、熱くなりすぎですってば。怖いです」
「それは、当たり前よ。一番大事な話だから。それとも、話をやめる?」
「いや、続けてください。でも、どうしてそんなにかわいそうだと思うんですか?」
「そうね、単純に知らないってこともあるかもしれないから。色々と例を挙げようかしら。まず、乳牛ね。彼らが乳を出すためにはどんな条件が必要だと思う?」
「え? 条件ですか? 健康であることじゃないですかね?」
「それもあるけど、もっと根本的なことよ……じゃあ逆に、人だったらどんな条件が必要?」
「そんなの知ってます! 女性であることと妊娠することですよね?」
「その通りよ、よく知ってるじゃない。じゃあ、牛だって同じ条件が必要なわけね」
「ええ!? 乳牛っていつでも牛乳を出すんじゃないんですか!?」
「そんなわけないでしょう。母乳は赤ん坊を育てるために出すものよ? いつも出してたら無駄なエネルギーを使うでしょうが」
「確かに、よく考えてみたらそうですね」
「意外と多いのよね、勘違いしてる人。乳牛は母乳を出させるために妊娠をさせるの。そして、本来母乳を吸うはずの子どもはすぐに親と引き離される。ちなみに、乳の出ないオスは肉になるわ。スーパーに並ぶ安い国産牛は乳牛のオスの肉ね」
「ほー初めて知りました」
「ちなみにホルスタインは子どもが必要とする乳量をはるかに超えた量の母を出すから、人間に搾乳されないと病気になっちゃうのよ。ホルスタインは人間なしでは健康には生きられない種なわけ」
「……人間のエゴを感じますね」
「これに限ったことではないわ、早い話が、人間にとって家畜は『食べ物製造マシーン』になっているのよ。前に話題にした動物福祉の観点から飼育環境の改善はされてはいるけど、動物愛護団体の言っていることの全てが間違っているというわけではないと思うわよ。ただ、彼らの場合は怒りの矛先が正しくなかったりするけど」
「どういうことですか?」
「愛護団体の中には、畜産農家を敵視する人が多いのよ」
「え? そりゃ、飼育しているのは畜産農家ですから当たり前じゃないですか?」
「畜産農家は別に動物を苦しめたがってるわけじゃないわ。生活するためには効率を追い求めざるを得ないから仕方なくその飼育方法をとっている。飼育方法の改善が量や質の向上につながるとは言ったけど、それをするためには、土地が必要だったり、お金が必要だったり、時間が必要だったり色々な条件が必要なわけ」
「じゃあ、誰が敵なんですか」
「私たち消費者よ」
「え? 僕たちが悪いんですか?」
「良いとか悪いとかそういう二元的な表現は私はあまり好きじゃないけどね。資本主義社会では消費者が望めば需要が生まれるわけ。私たちが安さを求めて、その質や飼育方法に目を向けなければ、生産者はそれに沿った生産を行わざるを得ない。逆に、私たちが動物福祉の向上を求めて善良な――この表現は少し語弊があるけど――農家からしか畜産物を買わなければ、畜産農家も飼育方法を変えざるを得なくなるわけね」
「世の中金って奴ですね」
「そういうこと。ベジタリアンとは話がそれるから詳しくは言わないけど、ペットビジネスや動物園の問題もそうね」
「ペットビジネスは何となくわかりますけど、動物園の問題ですか?」
「日本の動物園は飼育環境が悪いということで、オーストラリアやヨーロッパ圏の国々から動物が手に入らなくなっているのよ。アフリカゾウなんてあと30年もすると見られなくなるでしょうね」
「ええ!? って、アフリカゾウがいるのはアフリカじゃないですか!」
「アフリカゾウが生息するのはアフリカだけど、アフリカからとってくるのは難しいのよ」
「どうしてですか? 輸送が難しいとか?」
「絶滅の危機にあることもあってワシントン条約で保護されているの。だからこそ動物園間での繁殖と輸出入が必要なのよ」
「はあ、それはわかりましたけど。それも僕たちの責任なんですか?」
「そうよ。私たちが『かわいい』とか言って、子どもの動物を親から引き離したり、本来の生活と全く異なる生活を送らせたりすることに疑問を抱かなければ、動物園の飼育方法も変わらないわけね」
「お金が入るならそれでいいってことですか」
「そうなるわね。慈善活動でやっているわけではないからね。皆自分たちの生活がかかっている。利益の出ない努力をすることは出来ないでしょう。だからね、現代で起こる問題の多くは、消費者の無知や無思慮がかかわっていると私は思うわ」
「なんだか難しい話ですね」
「そうかもしれないわね。ここで、私からも一つ質問をしようかしら」
「なんですか?」
「君は、人間と他の動物を分けるものって何だと思う?」
「えー、難しいですね。言葉を話せるか、とかですか?」
「じゃあ、喉に疾患を持った人は人間じゃないのかしら?」
「あ……じゃあ直立二足歩行をするかとか」
「足が三本生えてしまった人や、事故で足を失った人は人間じゃないの?」
「うー……心があるとか!」
「心があるかどうかなんてどうやって確かめるの? 私たちがわかるのは自分に心があるということだけよ? もしかしたら自分以外の人間は哲学的ゾンビかもしれないわけだし」
「ああ言えばこう言う! 答えは何ですか?」
「私の答えは『そんなものはない』よ」
「はい? でも人間と猫は違うってわかりますよ?」
「でも、黒人も白人も黄色人も人間でしょう? 違いはわかるのにそれをもとに対応を変えるのは差別って言われるわ」
「だって人の形をしてますもん」
「じゃあ、チンパンジーは?」
「形は似てますけど、毛深いです」
「毛深い人は人間じゃないの?」
「ああ、もう! 堂々巡りですよ!」
「でも、悩むでしょう? 例えば、チンパンジーが突然変異して人間に近づいたりしたら、それは人間なの? それともチンパンジーなの?」
「いや、それは新種ですよ」
「それが何回も続いたら? どこかで境界線は曖昧になるんじゃないのかしら?」
「いや、そんなたとえ話をされても」
「でも、私たちはそのようにして進化してきたわけだ。無から突然人間が生じたわけじゃないでしょう?」
「それは、そうですけど」
「所詮は境界線何て人間が勝手に引いただけよ。それをどこで引くかという話なだけ。血筋や、学歴、性別や国籍、そしてホモサピエンスかそうじゃないか。人によっては哺乳類かどうかだったり脊椎動物かどうか、動物か植物か。それをどこで線を引くかを最終的に決めるのが感情なんだと私は思うわ」
「それは……そうだと思います」
「もちろん、それと同じ理由で私たちベジタリアンが肉を食べる人を非難するのは、人種差別をしている人が民族差別を非難するのと同じくらいおかしなことだとも思うわ。だから、私は菜食主義が優れているとは思わない。ただ、自分の感情に従ってそれを続けるだけ」
「……何となく、わかりました」
「気を使ってくれなくても結構よ」
「違いますよ! 先輩、僕も考えてみたいと思います」
「……ありがとう。そう言ってもらえると、ここまで話してきた甲斐があったわ」
「いやいや、お礼を言うのは僕の方ですよ! 今日はありがとうございました!
でも……多分僕は肉は食べちゃいますね」
「ふふ、それもまた一つの選択よ。私は私の選択、君は君の選択をするだけ」
「感情論ですね」
「感情論ね」
呼んでくれた方はありがとうございました。
一応はこれで完結です。また書きたいことが浮かんだら加筆するかもしれません。
よろしければ菜食主義についての皆さんの考えをお聞かせください。もちろんこの作品の感想もお待ちしております。