[2:動物福祉と動物愛護の違い――家畜はかわいそう?]
感情論の根源となっている概念ですね。
日本では動物愛護という言葉を聞くだけで敬遠してしまう人も少なくないのではないでしょうか。
「先輩! 次は何の話ですか?」
「そうね、今日は動物福祉と動物愛護の違いについて話すわ」
「動物福祉……ですか? 初めて聞きますね。福祉っていうと、高齢者とか貧困者とかへの支援が思い浮かぶんですが」
「そうでしょうね。日本では動物福祉の概念はあまり浸透していないから。この言葉は元々"Animal welfare"という言葉を和訳したものなの。誤解を招くことから原語のまま使われることも多いわね」
「なるほど、アニマルセラピーとかではないんですね」
「うん、勘違いする人も多いんだけどね。動物を利用した福祉って意味ではないのよ。簡単に言えば、家畜や実験動物、動物園の展示動物の苦痛を軽減しようというものよ」
「えっと、要するに、動物に優しくしましょうってことですよね? それって動物愛護とどう違うんですか?」
「そうね、大雑把に言うと、動物愛護というのは動物の『生命』に焦点を当てたもので、動物福祉は動物の『苦痛』に焦点を当てたものなのよ」
「愛護的には殺しちゃ駄目で、福祉的には殺してもいいってことですか」
「少し誤解を生みそうな発言ではあるけど、大体その通りよ。福祉において重視するのは動物の苦痛を軽減することだから、動物を人間のために利用することについても殺すことについても否定的ではないわ。反対に、愛護の立場では、動物にも人間と同じように生きる権利があると主張して、人間が利己的に動物を利用したり殺したりすることに反対するの」
「わかったようなわからないような」
「実際重なり合っている部分もあるだろうし、そもそも、動物愛護という言葉の定義も曖昧だからね仕方がないと思うわ……もう一つ違いがあるとすれば、動物福祉という言葉は愛護よりも明確な定義があることね。動物の福祉では『5つの自由』という概念があるの」
「『5つの自由』ですか」
「餌と水をちゃんとやる、病気にならないようにする、狭すぎるところに閉じ込めないようにする、といったことね。詳しく知りたかったら自分で調べてみてね。今ここで話しても覚えられないだろうし、そういう定義の話は面白くないからね」
「確かに、眠くなりそうです」
「でしょうね。それともう一つ、動物愛護とか動物福祉と聞くと、ペットとか実験動物とかの虐待というのをイメージするかもしれないけど、ここでは畜産について絞って話すわね」
「ええ。てっきり、殺処分とかそっちの話をするのかと」
「そもそも、この話を始めたのはどうしてだか覚えてる?」
「先輩がベジタリアンの理由……あ、そういうことか」
「うん、ベジタリアンとは少し話が脱線してしまうから。私がこれからするのは、動物愛護と動物福祉のそれぞれの立場に立ったベジタリアンの意見ってところね」
「んー、さっきの話を聞いても、まだよくわからないんですけど。どっちも畜産に反対じゃないんですか?」
「大まかに言えばそうかもしれないね。少なくとも、『今の』畜産にはどちらの立場でも反対だと思う」
「どういうことですか?」
「動物愛護の立場からすると、もちろん畜産に反対ね。動物の命を人間のために利用すること自体に彼らは反対するから。どんなやり方であろうと、彼らは畜産に反対だ。それどころか、野生の動物の狩猟すら反対するんじゃないかしら」
「絶対に肉は食べられないってことですかね」
「主張を一貫させるならばそうなるね。もし、猫や犬にだけ権利を認めて、家畜に認めないとすれば、それはあからさまな矛盾を抱えることになってしまう。もっとも、人間なんてそんなものだと言えばそれまでだけどね」
「なるほど。動物福祉の立場は違うんですか?」
「うん。動物福祉の立場からすれば、畜産自体は何の問題もない。ただし、そのやり方、つまり飼育方法については考える必要がある。先ほど言った5つの自由、それらが尊重される飼い方がされていれば問題はないと考えるでしょうね」
「具体的な例を挙げてもらってもいいですか?」
「もちろんよ。今の畜産では、集約的畜産が主流なの。ほとんど身動きが取れない場所に鶏や牛、豚は閉じ込められていたりする。ある程度の自由があったとしても、その状況は野生とは程遠い。このような状況では動物が本来とらないような行動が見られるの。例えば豚の尾かじりや牛の舌遊びね。これらはストレスによる異常行動よ。こういった飼育方法は動物の福祉の観点からは非難されるわ」
「えっと、逆に言えば異常行動がなければオーケーってことですか」
「まあ、そうなるわね。動物福祉の立場に立つベジタリアンなら、野生に近い環境で育てられ、5つの自由が満たされた飼育環境で育てられた家畜ならば、食べても問題ないと考えるでしょうね」
「はいはい! 質問いいですか?」
「何かしら?」
「5つの自由のところで、餌とか水とかありましたけど、野生の動物だって餌を食べられないときとかありますよね。なら、別に満たされなくてもいいんじゃないですか?」
「いい質問ね。確かにその通りよ。君の言う通り、野生動物だって飢えや渇きに苦しめられたり、他の動物や同じ動物から傷つけられたりするわけね。そもそも、人間だって生きている限りは何かしらの苦痛からは逃れられないでしょうしね」
「つまり、完全には満たされないってことですよね」
「そうね。一応、ストレスに応じて分泌されるコルチゾールなどのホルモンの量を計測することで基準を作ることは出来るだろうけど、それだって基準値を決めるのは動物自身じゃなくて人間だから」
「えっと、結局、動物福祉の立場のベジタリアンはどうするんですか?」
「これぐらいの苦痛なら仕方がないだろう、と自分が納得できる飼育方法で生産された肉なら食べていいと考えるんじゃないかしら」
「ええ、それって、曖昧過ぎません?」
「そうね。でも、幸せとか苦痛については結局は主観的に判断するしかないからね。同じ人間だって他人の痛みは予測するしかないんだから」
「それはそうですけど……なんか釈然としないです」
「無理はもないと思うわ。君と同じように感じる人も多いんじゃないかしら。だから、この考えだけに基づいて肉食に反対する人は、動物をそんなに好きじゃない人たちからすれば奇異に見えるでしょうね。感情論というのは要は意見の押し付けだから」
「その点では、愛護も福祉も変わらないってことですか?」
「似たところはあると私は思うね。ただ、ここで一つ福祉の考えを擁護させてもらうなら、動物福祉を進めていことで人間の利益になる可能性もあるということよ」
「本当ですか? 例えば?」
「飼育環境を改善すれば、動物の健康状態がよくなるでしょう? それは、乳牛なら牛乳、鶏なら卵の質や量の向上につながる。また、病気の家畜を減らせれば、無駄になるお金も少なくなるわけ。その結果農家の経営状況の向上、そして消費者の手に入る商品の質の向上が期待できるわね」
「なるほど、かわいそうというだけではないんですね」
「利用することには反対しないのが動物福祉だからね」
「なんとなくわかりました。ところで、先輩はどちらの立場なんですか?」
「……さてと、次は菜食の健康への影響について話していくわよ」
「あ! 逃げた! 教えてくれてもいいじゃないですか!」
「そのうち教えるわ」
「むー、何かずるいです」
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