第66話
期末試験の演習科目、第2試合。
第1試合のときは普通クラスが午前、特進クラスが午後に執り行われたが、今回は逆に特進クラスが午前、普通クラスが午後に行われることとなった。この頃になると筆記試験の日程も全て終了しているので、試験時間以外は基本的に自由となっている。なので午後に試合があるときは普段よりもかなり遅くまで惰眠を貪る生徒も多いのだが、特進クラスの試合を遠巻きに観戦する熱心な生徒も一定数存在する。
もっとも学年問わずファンの多いルークの所属する戦闘科3年生の場合、彼目当ての女子生徒が相当な数に上るので、試合を観に来ているからといって一概に真面目とも言い切れないのだが。ちなみに彼も、そしてヴィナも、今日の試合を危なげなく勝利で飾っている。
そんな特進クラスとは違い、普通クラスの試合を他の生徒が観に来ることはまず無いと言って良い。今日の試験も、広場に赤線を引いて作られた即席の試合会場には、試験官兼審判のザンガと救護担当の白魔術師以外には普通クラスの生徒しか見られない。
「くそっ……! この……!」
そんな中、現在生徒達の視線を一身に受けながら試合をしているのは、第1試合でアルに一瞬で負けてしまったレッダーだ。前回はまったくその腕を披露することのできなかった彼だが、彼の握りしめる杖の先端からは炎が勢いよく螺旋状に吹き出し、ゴウゴウと音をたてて芝生を燃やしながら前へと突き進んでいく。
しかしその炎は或る程度進んだ辺りで急激にその勢いが衰え、くっきりと螺旋を描いていたその姿も水飛沫のように形を崩して消えていった。
「…………」
その原因は、彼の試合相手であるダイアの魔術が生み出す強烈な風にあった。その風がレッダーの炎とぶつかり合い、さらには彼の炎が空気を暖めることで生み出される風とも相まって、現在試合会場は嵐さながらの強烈な風が吹き荒れている迫力満点の光景となっている。この光景は開始直後から見られたもので、2人は試合開始から1歩もその場を動かずに真正面から魔術をぶつけ合っていた。
しかし、最初の頃はちょうど2人の中間辺りでぶつかり合っていた炎と風も、今はレッダーの方へと半分以上にまで迫ってきており、それに合わせて彼の表情も苦しげなものとなっていた。一方ダイアは、その長い金髪が風によって激しく靡かせているが、その表情は実に涼しいものである。
「ぐっ……! しまっ――」
やがて体力の限界に来たのか、レッダーの炎がその勢いを弱め、糸の切れるようにプツリと途絶えた。その瞬間を狙ってダイアの風が彼に襲い掛かり、彼の体はまるで紙切れのようにあっさりと地面を離れて空中を飛んでいき、会場を区切る赤い線を越えて地面に衝突した。
「――――!」
「勝者、ダイア」
その瞬間、食い入るように試合を観戦していた生徒達は息を呑み、炎と風が激しく衝突する光景を目の前にしながらも平然とした表情で眺めていたザンガは、その表情のまま試合結果を淡々と告げた。
「…………」
そしてそれを耳にしたダイアも特に喜びを顕わにすることもなく、小さく一礼をしてクルリと踵を返すと、他の生徒達が待機している場所へと足を進めていった。そんな彼女に他の生徒達はその場で視線を向けるだけで、彼女が芝生に腰を下ろした後も話し掛けようと近づく者はいない。
「へぇ、ダイアって結構強かったんだね」
「……うん、そうだね」
そしてそれは、寄り添うようにして座るアルとバニラも同じことだった。ちなみにバニラはレッダーとダイアの試合の前に既に戦っており、そして当然のように負けてしまっている。
「それでは次の試合、クレイ、アル。両者、前へ」
「――――!」
ザンガの呼び掛けは必要最低限の単語だけで構成された素っ気ないものだったが、生徒達を取り巻く空気を変えるにはそれで充分だった。先程の試合から少し時間が経って気の緩みかけていた生徒達も、それを聞いた途端に口を噤んで緊張した面持ちになり、名前を呼ばれた2人を盗み見るようにチラチラと目を遣っている。
「んじゃ、行ってくるね」
「う、うん、頑張ってね」
そんな張り詰めた空気の中、それでもアルは普段と変わらぬ平然とした表情で立ち上がり、赤い線で囲まれた陣地へと歩いていった。それこそ、そんな彼女の背中を見送るバニラの方が緊張しているくらいである。
――アルちゃん……。
アルの一挙手一投足を見逃さんとするかのように、バニラは赤い線を跨いで会場の中へと入っていく彼女の後ろ姿を見つめていた。普段ならば、彼女に対して負の感情を向けるクラスメイトが目に映り不快な思いをするところだが、今のバニラはそんな彼らに構う余裕すら無い。
おそらく彼女の行為は、傍目には今から試合を行うアルが心配で、彼女の無事を祈りつつ試合を見守るためそうしているように見えるだろう。
もちろん、バニラの目にはそのような想いも込められている。
しかしそれと同じくらいに、今の彼女には重要な“目的”があった。
* * *
それは昨日のお昼過ぎ、不真面目な生徒なら授業が無いのを良いことに遊び呆けている時間帯のことだった。
バニラがヴィナに呼び出されておっかなびっくりやって来たのは、3年生になって初めての演習でも使われた、学院の外にある森の入口だった。鉄製の網で森全体を囲み普段は立入禁止にしているその森は、昼間でも奥まで見通すことが難しいくらいに鬱蒼としており、言葉では説明のできない不気味な雰囲気を醸し出している。さらには『学院長が四六時中見張っており、無断で立ち入った者には厳罰が与えられる』という噂が効いているのか、お調子者の男子生徒が忍び込むようなことも無い。
「えっと……、ここ、で良いんだよね……? 良かった、ヴィナちゃん、まだ来てないみたいだね……」
もっとも彼女の場合、森そのものよりも、そんな場所に自分を呼び出したヴィナに対してビビッていた。それはそうだろう。まともに会話も交わしたことが無く何を考えているのか分からない相手に、こんな人気の無い場所に呼び出されたとなれば、薄ら寒い想像が頭を過ぎってもおかしくない。しかもその相手が、少なくとも自分に対して好印象を抱いていないとなれば尚更だ。
ならばせめて相手を待たせてはいけないと急いでここにやって来たバニラは、一通り辺りを見渡して誰の姿も見えないことにホッと息を吐いた。それによって精神的な余裕が生まれたのか、彼女は先程よりも軽い足取りで森へと近づいていく。
所々花が咲いている青々とした草原を、彼女の足がガサガサと踏み鳴らしていく。
そして、何十回目かにバニラの足が地面を踏みしめたその瞬間、
ぼふんっ!
彼女の足元が、突如爆発した。
くぐもった爆発音が足元から聞こえ、草花の混じった土埃が火山の噴火のように目の前を舞い上がる。
「え――――ぐっ!」
しかしバニラがそれを認識する暇も無く、まるで下から何者かに押し上げられたような浮遊感を覚えたかと思うと、突如背中に走った強い衝撃によって思わず肺中の空気を吐き出した。そして気づいたときには、彼女の視界は雲1つ無い澄んだ青空で満たされていた。
「な、何が起こったのっ!」
すぐさま上体を起こしたバニラは、ゲホゲホと大きく咳き込みながら辺りを見渡した。
おそらく一瞬前まで彼女が立っていたであろうその場所は、背の低い草花がビッシリと根を張ることで補強された地面が見事に掘り返されて茶色い土を露出し、彼女が蹲れば身を隠せるほどに大きな穴がぽっかりと空いていた。元々そこに生えていたであろう草花は根本から千切れ、泥に塗れた状態で辺り一面に飛び散っている。
そしてバニラ自身もその髪や顔や制服を泥色に染め上げ、上流階級出身とは思えない無残な姿を晒していた。
突然のことで頭がパニックになっているバニラだったが、それでも懸命に頭を働かせ、この爆発の“仕掛人”に思い至った。
「まさかこれ、ヴィナちゃんが――」
「いつまで座ってるの? さっさと立ちなよ」
自分以外の声が耳に届き、バニラはすぐさま声のした方へと顔を向けた。
森と草原を隔てる鉄網の“向こう側”に、ヴィナの姿があった。鬱蒼とした森の中にいるからか、彼女の姿は今にも森に溶けて消え入りそうに見える。
「ちょっ、ヴィナちゃん! そこは演習の時間以外は立入禁止だよ! 誰かに見つかったら怒られるよ!」
「最初に言うことがそれ? ……まぁ、別にいいけど」
普段はほとんど無表情のヴィナがほんの僅かに眉を寄せ、目の前の鉄網に自分の手と足を掛けた。そしてほとんど音を立てることなく、スルスルとそれを登っていく。その軽やかな身のこなしはアルを彷彿とさせ、バニラは地面に座り込んだまま思わず魅入っていた。
そしてヴィナが鉄網の頂上から地面に降り立ち、こちらに向かって歩いてきたところで、バニラはハッとして素早い動きで立ち上がった。
「えっと、これってヴィナちゃんが……?」
グシャグシャに掘り返された地面を指差してそう尋ねると、ヴィナは大きな溜息を吐いて口を開いた。
「私以外にいるはずがないでしょう。緑魔術で一度地面を掘り返し、火種を仕掛けた後にすぐに元に戻した。そしてあなたがやって来たのを見計らって、その火種を赤魔術で引火させた」
「そ、そうなんだ……。ヴィナちゃんって、赤魔術以外も凄かったんだ――」
「だけど、」
バニラの賞賛を遮って発せられたヴィナの言葉に、バニラは思わず口を閉ざした。
「私は緑魔術で地面を元に戻すとき、敢えて周りとは区別がつくようにした。土が掘り返されているのが見えるように草花を疎らにしたし、そもそも草花の種類が周りとは違う。それに気づいてそこに近づかないようにすれば、あの爆発には巻き込まれなかった」
「そ、そうは言っても、そんなの普通分かんないし――」
「そもそも私に呼び出されたとき、あなたは少しも警戒しなかったの? 明らかに自分に対してマイナス感情を抱いている奴に呼び出され、何かしてくるとは思わなかったの? だったら少しでも何か変なことがあれば、警戒するに越したことは無いでしょう」
「そ、そんなの――」
「アルだったら、間違いなく気づいて近づかなかった」
言い返そうとした瞬間にアルの名前を出され、バニラはそれ以上何も言えなくなった。
「アルは魔術が使えない分、少しでも自分が不利にならないように危険を察知する能力に磨きを掛けてきた。あなたも自分の実力が劣っていると自覚しているのなら、せめてそういったことに注意を注ぐべきだ。たとえ自分の希望でなかったとしても、戦闘科に身を置いているのなら」
「……と、ところで、今日はなんで私を呼び出したの?」
ヴィナの話を聞いている内に居心地が悪くなったのか、バニラがあからさまに話題を変えようとしてきた。彼女の魂胆が見え見えだったのかヴィナが一瞬顔をしかめるが、特にそれを追及するつもりは無いのか素直にその質問に答えることにしたようだ。
「別に大したことじゃない。このままじゃあなたがアルに勝つなんて夢のまた夢だから、本番までに私があなたを鍛えてあげようかと思っただけ」
とはいえ、単純にヴィナが話題を変えるつもりが無いだけなのだが。
「ヴィナちゃん、が? でも――」
「心配しなくても、ちゃんと教えるよ。そもそも私が言い出したことなんだから、相手がアルだからってテキトーに変なこと教えてお茶を濁すつもりは無いし」
バニラの疑問を先回りしてそう答えるヴィナだが、バニラは特にその辺りに関して心配はしていなかった。あまり会話を交わしたことの無い彼女だが、身内だからって依怙贔屓するような性格ではないことは何となく分かる。
むしろバニラが心配しているのは、
「えっと……、アルちゃんはこのことを知ってるの……? アルちゃんの方がずっと付き合いが長いんでしょ? だったらアルちゃんの対戦相手の私を手伝うことに、アルちゃんが何か思うんじゃ――」
「別に問題無い。アルはそういう性格だから」
どういう性格なのかバニラにはよくわからなかったが、ヴィナの口振りは彼女に対する信頼感が滲み出ている気がした。自分よりも付き合いの長い彼女がそう言うのだから、あまり心配しても仕方ないのかもしれない。
「それで、鍛えるって具体的には何をするの? も、もしかして、ヴィナちゃんと戦うとか――」
「それは無理。実力差があり過ぎる」
「……そ、そっかぁ」
確かに事実なので、バニラには何も言えなかった。
「とりあえず最初は、今のところ使える魔術を徹底的に練習する。発動までの早さを上げないことには、どんな強力な魔術も役立たずだから」
「えっと、今のところ使える魔術って言っても、私の場合は“タンポポを咲かせる魔術”しかまともにできないよ? まさかそれを試合で使うわけにもいかないし――」
「いや、それを主軸にする。一応作戦が無いわけではないから、最初の内はそれの技術を磨くことに集中する」
「えぇっ? で、でも……」
タンポポでどうやってアルに挑むのかバニラにはまったくイメージが浮かばなかったが、ヴィナには有無を言わせぬ迫力があった。ここは先程の彼女の言葉を信じるしかないだろう、とバニラは半ば諦めるような心境でそんな決意を固めた。
「それと同時に、あなたにはやってもらいたいことがある」
「やってもらいたいこと? どんな?」
バニラが首をかしげると、ヴィナはフイッと視線を反らした。
そこには、グシャグシャに掘り返された地面があった。
「あなたは基本的に、戦闘に関する実践的な知識が足りていない。たとえ付け焼刃でも構わないから、ちょっとでもそれが身につくように普段から心掛けて。実力のある人が戦うところを観察したり、実際にその人から話を聞いてみたり」
「実力のある人、か……。となると――」
バニラは腕を組んで考え込む素振りをしているが、頭に浮かぶのは最初から2人だけだった。
特進クラスの中でもトップの成績であり、最近よく話をするようになったルーク。
そして自分にとって一番の親友であり、そもそも今回の特訓の目標となっている、アルだった。
* * *
バニラが回想を終えた頃には、アルとクレイの2人は陣地の中央で大股20歩ほどの距離を空けて向かい合わせに立ち、互いを観察するようにじっと見つめ合っていた。
彼女の対戦相手であるクレイについて、バニラは記憶を呼び起こした。彼は緑魔術を用いたゴーレムを操るのを得意としており、相手の魔術が届かないくらいに距離を置いて戦うほどに慎重な性格をしている。現にアルと対峙している彼の表情は、彼女を馬鹿にした様子が一切見られない実に真剣なものだった。おそらく前回の試合で彼女が見せた先手必勝戦法を警戒しているのだろう。
「改めてルールを確認する。勝利条件は相手を戦闘不能にするか、相手をエリアの外に出すか、あるいは相手が降参を申し出て審判である私がそれを認めたら、の3つだ。私が試合開始の合図を出すまでその場から動かず、呪文の詠唱もするな。合図の前に何かしているのを見つけ次第、即座に失格とするから注意しろ。もし試合中にそれ以上の続行が危険だと私が判断した場合、即座に試合を中止する。――何か質問はあるか?」
前回の試合とまったく同じ、そして今日も自分の番になるまで会場の外で何回も聞いた確認の呼び掛けに、アルもクレイも即座に首を横に振った。ギャラリーである生徒達も、いよいよ試合が始まるとあってその緊張もピークに達しようとしている。
そしてそれはバニラも同じで、自分でも気づかない内に前傾姿勢になりながら、試合開始の合図を今か今かと待ち構えていた。
と、そのとき、
「あらあら、随分と真剣じゃないの」
後ろから突如掛けられたその声に、バニラは条件反射的に後ろを振り返った。
「――ダイア、ちゃん?」
そこにいたのは、いつの間にか自分の後ろに移動していたらしいダイアだった。つい先程まで試合をしていたはずなのに、こちらを文字通り見下して不敵な笑みを浮かべる彼女からはまるで疲れが見られない。
「あの乞食、どうせ馬鹿の1つ憶えみたいに、また試合開始直後に特攻を仕掛けるつもりなんでしょ? 同じ手が二度も通用するとは思わないことね」
「……アルちゃんだって、それくらいのことは分かってるよ」
「あらあら、御免あそばせ」
ムッとした表情で言い返すバニラに対し、ダイアは芝居ぶった仕草で口元を隠してニタニタと笑いながら謝罪の言葉を口にした。もちろん形ばかりのものであることは言うまでもない。なのでバニラはそれ以上彼女に構うのを止め、振り返っていたその顔を前へと戻して試合に集中する。
ザンガが口を開いて息を吸ったのは、その直後だった。
「――それでは、試合開始!」
ザンガの声が広場中に響き渡ったその瞬間、アルが地面を蹴って勢いよく飛び出した。彼女の小さな体が、まるで矢のように空中を貫いていく。
対戦相手であるクレイに向かって――ではなく、むしろ彼から離れるように後ろへと。
「え――――えぇっ!」
アルの不可思議な行動にバニラが疑問の声をあげようとしたその瞬間、目の前で起こったその出来事に、彼女の叫び声は驚愕のそれへと変化した。
一瞬前までアルのいた場所、つまりスタート地点の地面が沸騰したお湯のようにブクブクと隆起したかと思うと、そこから金属の鎧で全身を覆った細身のゴーレムが勢いよく飛び出してきたのである。その光景はまさにホラー小説などで時々見掛ける、生まれたばかりのゾンビが墓場から這い出てくるようだった。もちろん、スピードはこちらの方が圧倒的に速いのだが。
全部で3体いる金属製のゴーレムは、針のように刀身が細長いレイピアを手にしていた。斬るよりも突くことを目的としたその剣は、現在は街中での護身用、そして古くは魔術師同士での決闘用として広く用いられてきた。ある意味、この試験に最も相応しい武器といえるだろう。
もしアルがあの場に留まっていたら、とバニラは想像し、ブルリとその体を震わせた。
「ちっ、運の良い奴ね。あのまま刺し殺されていえば良かったのに」
「……ダイアちゃん、何を――」
「どうした、乞食! そんなにビビッてんじゃねぇよ!」
「やれぇ、クレイ! あのクソ生意気な乞食を黙らせてやれ!」
ダイアの発言にバニラが後ろを振り返って抗議の声をあげようとしたそのとき、それを掻き消すように周りの生徒達が一斉に叫び声をあげた。バニラはその声にハッとしたように目を見開くと、すぐさまその顔を前へと戻して試合観戦を再開した。
一方クレイは、精神の未成熟な子供らしい残酷な声援に背中を押されたのか知らないが、杖を小さく振ってゴーレムに無言の指示を出した。見た目には人間が全身を覆う鎧を身に着けているようにも見える3体のゴーレムだが、実際にアルに向かって動き出すとマリオネットのようなぎこちなさが目立つ。
とはいえ金属とはいえ細身の体で装備も最低限なため身軽であり、そのスピードは人間と比べてもかなり素早い。しかもそんなゴーレムが3体一斉に襲い掛かってくるとなれば、普通クラスの生徒ならば慌ててしまってもおかしくない状況だ。
しかしアルは実に平然とした表情で、その3体を迎え撃つように走り出した。地面を蹴って走り幅跳びのように跳び上がると、その勢いのまま先頭を走っていたゴーレムの胸部を蹴りつけた。中が空洞になっていたのか蹴りつけられた部分が大きく凹み、そのまま仰向けに地面に叩き付けられたそのゴーレムは、その衝撃で全身の関節が外れてバラバラになり、そのまま動かなくなった。
転がったゴーレムの頭を踏みつけて地面に降り立ったアルを出迎えるように、2体のゴーレムが彼女の左右から同時に襲い掛かってきた。2本のレイピアの切っ先が、アルの小さな体を貫かんと迫ってくる。
しかしアルは視線だけを左右に振ってそれを確認すると、地面に這いつくばるほどにその体勢を低くした。2本のレイピアは彼女の体を掠めて頭上を通り過ぎ、それぞれ互いのゴーレムに衝突して根元からポッキリと折れてしまった。その光景に、クレイは僅かに顔をしかめて舌打ちをした。
ところが次の瞬間、地面にしゃがみ込んでいたアルが一方のゴーレムの足を強靭な握力で掴んだことで、彼の表情は驚愕のそれへと変わった。
アルはクレイの見つめる中、ゴーレムの足を自分の方へと思いっきり引っ張った。ゴーレムはそのままバランスを崩して転倒し、上半身を地面に勢いよく打ち付けた。
それでもアルはその手を離すことなく素早く立ち上がると、体を捻るように回転させながらゴーレムを力任せに引っ張り上げた。遠心力も相まってゴーレムの体は地面からフワリと浮き上がり、地面とほぼ水平になる体勢で振り回される。
そしてその勢いのまま、アルはもう一方のゴーレムにそのゴーレムを叩き付けた。自身と同じ強度でスピードの付いたゴーレムによって、そのゴーレムは地面のそれと同じようにバラバラになって飛散した。アルが手に持つ方も、作用反作用の法則でそっくりそのまま跳ね返ってきた衝撃によって腰の部分が真っ二つに折れ、上半身は明後日の方向へ飛んでいった。
アルの手にはゴーレムの下半身だけが残り、重力に引っ張られながらダラリと垂れ下がっていた。しかし彼女はその手を握りしめたまま再び体を捻り、ボールを遠くに投げるようなフォームで大きく振り被った。
その視線は、離れた場所に立つクレイをまっすぐ捉えていた。
「――――!」
それに気づいたクレイは目の色を変え、杖を持っていない左手を内ポケットに突っ込んで何かを取り出すと、それを自身の目の前に放り投げた。その何か――10個ほどの小さな金属製の球体に対して杖を振って呪文を唱えると、その球体は生き物のようにウネウネと動き出して空中で1つに合体していく。
と、そのとき、アルがゴーレムの下半身をクレイに向かって投げつけた。ブンブンと大きな音をたてて回転しながら、自身の生みの親であるクレイへと猛スピードで迫ってくる。アルがいとも容易く振り回すので勘違いするかもしれないが、金属の塊だけあって、下半身だけでも生身の人間に衝突すればそれだけで大怪我になるほどの重量だ。
しかしそんな中、先程の球体がウネウネと動きながら徐々に人間の姿へと変化していき、やがて金属の鎧で全身を覆った細身のゴーレムへと変貌を遂げた。他のそれと違ってレイピアこそ手にしていないものの、重量や強度は他のそれと遜色無いように見えるそれは、クレイの前に立ち塞がるようにして地面へと降り立った。
そしてその瞬間、アルの投げたゴーレムの下半身がそれに衝突した。その衝撃にゴーレムは一瞬だけ足元をふらつかせるが、上半身の分だけ重量で勝っているためか倒れることなくその場に踏み留まり、胴体に若干の凹みを作りながらもその下半身を払い除けた。
「よしっ! そのまま奴を――」
拳を握りしめて喜びを露わにしたクレイは、ゴーレムの背中越しに対戦相手のアルを見据えるべくその場から1歩横にズレた。
そして彼は、戸惑いの表情を浮かべた。
2体と半分のゴーレムがバラバラになって転がっているその場所に、アルの姿はどこにも見当たらなかった。
「クレイ、右だっ!」
ギャラリーである生徒の誰かによる声が耳に届き、クレイは反射的に右へと顔を向けた。
宝石のように鮮やかな緑色の髪を靡かせて、アルが駆け寄ってくるのが見えた。その右手を強く握りしめて振り被るその姿が、他の人間を相手にしているときでは考えられないほどのスピードで大きくなっていく。
そしてその瞬間、クレイは彼女と目が合った。髪と同じ色をした大きなその目はまっすぐこちらを見据え、まるで獲物を狙う肉食獣のようにぎらついていた。
「――――!」
その目つきに本能的な恐怖を感じてしまった彼は背筋が凍りつくような感覚になり、そしてそれが全身に回ってしまったかのように体が動かなくなってしまった。
そしてそのまま、彼は意識を失った。的確に彼の顎を捕らえたアルの拳が、彼の脳を大きく揺さぶったからだ。そしてゴーレムよりも遥かに軽い彼の体は大きく吹っ飛び、地面に叩き付けられて何回も転がってようやく止まった。
「勝者、アル」
ザンガが宣言したその瞬間、ギャラリーのあちこちから溜息と舌打ちが聞こえた。そこには見事に勝利を手にしたアルに対する賞賛の声も、立派に健闘してみせたクレイに対する励ましの声も無かった。
たった1人、バニラを除いて。
「おめでとう、アルちゃん! 凄かったよ!」
「ありがと、バニラ」
救護担当の教師が慌てたようにクレイに駆け寄っていく光景を背にして軽やかな足取りで戻ってきたアルを、バニラは興奮した様子で拍手をしながら出迎えた。アルはそんな彼女に満面の笑みを浮かべ、彼女の隣へと腰を下ろした。
気絶したクレイを会場の外側へと移動したのを確認したザンガが、別の2人の生徒の名を読み上げる。それを聞いた2人が気合の入った表情で立ち上がると、ギャラリーは再び興奮した様子で声をあげた。
そんな喧騒の中、バニラがアルに問い掛けた。
「ねぇ、アルちゃん? どうして試合が始まった直後に後ろに跳んだの? そりゃ、あのままあそこにいたらゴーレムにやられてたかもしれないから、結果的には良かったんだろうけど――」
「ん? だって分かってたもん、相手がわたしの足元に何か仕掛けてるって」
何でもないかのようにそう言ってのけたアルに、バニラは「えぇっ!」と驚きの声をあげた。
「な、なんでっ! 私は全然分かんなかったのに!」
「向かい合わせに立ってたとき、相手がやけにわたしの足元をチラチラ見てたからね。そういうのって、本人は隠してるつもりでも案外相手にはバレバレなんだよ」
へぇそうなんだ、やっぱりアルちゃんは凄いんだね、とバニラは素直な感想を漏らしかけ、ふいに或る事に気づいた。
「……ん? それってつまり、クレイくんは試合開始前に呪文を唱えてゴーレムを地面の中に作ってたってこと?」
「いいや、呪文を唱えたのは試合が始まってからだよ。多分だけど、試合が始まるずっと前にゴーレムを地面に埋めておいて、短い呪文で発動できるようにしたんじゃないかな? 試合を始めるときの位置取りは最初から決まってるしね」
「えぇっ! それってルール違反じゃないの?」
「もちろん、審判にバレたら失格だよ。要はバレなきゃ良いんだよ。もしかしたら審判は分かってて指摘しなかっただけかもしれないけど、どちらにしても指摘が無い以上は問題無いの」
「えぇ……。何か騙されてる気分……」
納得していないといった表情でそう呟くバニラに、アルは苦笑いにも似た笑顔を見せた。
しかしその笑顔がふいに曇り、口を尖らせた不満顔へと変化した。
「でもさ、やるならもっと徹底的にやってほしいよね」
「徹底的に?」
首をかしげるバニラに、アルは頷いて言葉を続けた。
「相手は最初の不意打ちで勝負を決めるつもりだったんだろうけど、どうせだったらエリアのあちこちにゴーレムを仕掛ければ良かったんだよ。そうすればたくさんのゴーレムで取り囲むとか、わたしが気を取られてる隙に死角から別のゴーレムで攻撃とかできたんだし」
「そ、そりゃそうかもしれないけど……」
「せっかくゴーレムを使えるのに、全然その利点を活かせてないんだよ。さっきだって3体も作ったのに、真正面から一斉に突撃させたでしょ。ゴーレムを軍隊の兵士として考えたら、それがどれだけ効率悪くて意味の無いことか分かりそうなもんだけど――」
アルの愚痴にも似たお喋りは止まらなかったが、内容そのものはバニラでも頷けるところが多々あるし、何より今のバニラにとっては役に立つ情報であることは間違いない。なのでバニラは特に口を挟むことも無く、ただ静かにアルの言葉に耳を傾けて時折相槌を打っていた。
「…………」
それこそ、2人の後ろに座っていたダイアがその場を離れていくことにも気づかないほどに。




