第62話
この世界における“年度”は、第1月から始まる。四季のハッキリしているイグリシア国においては、植物が太陽の光を一身に浴びて輝きを放ち、長きに渡る寒気を堪え忍んだ生命が躍動する時期である。
人々にとって心地良い気候である第1月から第3月を過ぎ、にわかに暑くなり始める第4月に差し掛かる頃になると、人々は本格的な四季の入れ替えを感じるようになる。昼の時間が延びて太陽が力を強め、それに合わせて動植物の勢力図も変化していくこの時期だが、魔術学院に通う生徒達にとってもこの季節は非常に待ち遠しいものでもある。
なぜなら第4月を過ぎて第5月になれば、生徒だけでなく教師達も待ちに待った“長期休暇”に入るからである。第5月の頭から第6月の中頃まで続くこの長期休暇は、普段学院で暮らす生徒達にとって実家に帰る絶好の機会であり、何より普段から彼らを悩ませる勉学から解放される夢のような時間でもある。
よってこの時期の学院の雰囲気は、これから訪れる夢の時間を予感させる浮ついたものに――なれるほど、世の中はそんなに甘くない。
確かに長期休暇は実に魅力的だ。生徒達にとっては万々歳だろう。
しかし幸福と不幸は表裏一体であるように、そんな魅力的な長期休暇と共に“奴”はやって来る。
普段から生徒を悩ませる勉学、言うなればそいつの“親玉”と呼んでも過言ではない存在。そいつのせいで、普段から勉学を疎かにしている生徒も、いや、そんな生徒ほど必死になってそのツケを取り戻すべく、慣れない徹夜に励んで机に向き合っているのである。
そんな、人間1人の生活サイクルさえも変えてしまう恐るべき存在――“期末テスト”は、すぐそこまで迫っていた。
* * *
魔術学院の図書室は“緑の塔”の1階から3階部分に相当する空間に存在し、その圧倒的に高い天井を活かした2層構造となっている。そんな空間に、背伸びして腕を伸ばしても最上段に届かないほどの高さを誇る巨大な棚が、人2人が擦れ違うのがやっとの感覚で整然と並べられ、それぞれに様々な書物が隙間無くビッシリと詰め込まれている。
しかもそれらの書物は魔術学院に相応しく様々な魔術の専門書ばかりであり、その中には数百年前に書かれたとされる非常に貴重なものも含まれている。とはいえ図書室内の書物には全て経年劣化を防ぐために緑魔術の《セーブ》が掛けられているため、生徒達も気軽にそれを読むことができるようになっている。
ここまで聞くと、その図書室が本独特の紙の匂いが充満する閉鎖的な空間であるようにイメージされるかもしれないが、実際は部屋の中央部分が吹き抜けとなっているため非常に開放的だ。しかも吹き抜け部分の天井には明るいながらも柔らかい光を発するパネルが設置され、その光が部屋全体を照らしているため明るさも充分だ。
ちなみにその吹き抜け部分には書物の詰まった棚は並んでおらず、代わりに一枚板のテーブルと木製の椅子が並べられている。
「ねぇバニラ、そろそろ休憩にしない?」
「……アルちゃん。再開してから、まだ30分も経ってないよ?」
そのテーブルに教科書や参考書を広げ、ノートにペンを走らせていたバニラの言葉に、アルは「うへぇ」と意味を持たない声をあげて大きく体を仰け反らせた。椅子の背もたれに全体重が掛かり、4本ある椅子の脚の内、前2本がその勢いでふわりと浮き上がり、しかしすぐさまアルが前へと体重を移動させたことでゆっくり床へと戻っていった。
バニラが、アルの目の前に視線を落とす。そこに広げられているノートは、30分前と変わらず真っ白なままだった。
そんなアルに、バニラは呆れを隠すこともせずに大きな溜息を吐いた。
「……そりゃアルちゃんは普段から学科の成績も良いから余裕かもしれないけど、そうやって油断してると足元を掬われるかもしれないよ? それに、こうして一緒に勉強しようって言い出したのはアルちゃんじゃない」
バニラの言う通り、今日は休日である黒曜日にも拘わらず、2人は学院の図書室にて期末テストに向けた勉強を行っていた。ここならば、勉強で分からない箇所が出てきても即座に調べることができるからだ。ちなみに同じ考えに至った生徒達が大勢いたことにより、現在図書室のテーブル席は他の時期では有り得ないほどに盛況だった。
しかしながら、そんな生徒達の中でも一番不真面目なのが、他ならぬアルだった。最初の内は彼女もテーブルと向き合ってノートに色々書いていたのだが、やがて飽きてしまったのか教科書や参考書を眺めるのみとなり、ついにはそれすらも止めて退屈そうにアクビを繰り返すだけとなっていた。
「確かに言ったけどさぁ、勉強って基本的に座ってばかりでつまんないんだよねぇ。――それに、何だか小腹も空いてきたし」
「……3時間くらい前のお昼ご飯で、あれだけ大量に食べてたのに?」
「ほら、よく“別腹”って言うじゃない?」
「……アルちゃんの場合、別腹とは違う気がするけど」
自分で言ってて昼間の光景を思い出したのか、バニラは気分悪そうに顔を歪ませて胃の辺りを手で押さえた。この3ヶ月ほどで多少は慣れたつもりの彼女だったが、アルの常軌を逸した食欲にはやはり驚かされることが多すぎる。
「それにバニラだって、そろそろ甘い物が欲しくなってくるんじゃない?」
「そんなことは……、まぁ……、別に無くはないけど……」
アルの言葉に最初は否定しようとしたバニラだったが、様々なデザートが脳裏を過ぎると途端に胃がそれを欲し始めたのに気づき、みるみるその勢いを萎ませていった。これが先程アルの言っていた“別腹”か、とバニラはなぜか悔しい気持ちになった。
「だからさぁ、バニラ、ほら、そろそろ休憩にしない? あまーいデザートで頭を休ませてさ、そこからまた頑張れば良いじゃない。ね?」
悪魔の囁きにも似たアルの言葉に、バニラは口を引き結んで堪え忍ぶ表情を見せるが、
「…………分かったよ、休憩にしようか」
残念ながら抵抗虚しく、あっさりとバニラは折れた。もしや話を持ち掛けてきた時点からアルの掌の上だったのでは、と彼女は訝しんだが、単純に甘い物に対する彼女の意志が弱かったせいなので責任転嫁もいいところだ。
バニラの許しを得たアルは、太陽もかくやという眩しい笑顔になり、喜びを爆発させていた。もちろん周りでは必死に勉強している生徒達が大勢いるので、声に出して叫ぶような真似はしない。
そうして無言で一頻り喜びを表現したアルは、ふと隣へと体を向けて、
「そうと決まったら、ヴィナも一緒に食堂に行こう。ボルノーに頼めば、きっと美味しいデザートを用意してくれるよ」
図書室で勉強を始めたときからずっとアルの隣にいた、ショートボブの黒髪に黒曜石のように大きな瞳の少女――ヴィナへと呼び掛けた。
「…………」
そして呼び掛けられたヴィナは、口を一切開かず無言のままだったが、小さく頷いてその場から立ち上がった。テーブルに広げた本やノートをテキパキと片づけ始め、あっという間に纏めたそれらを小脇に抱える。
「ほら、バニラ。早く片づけて食堂に行こうよ」
「へっ? ――あっ、ごめん」
アルの言葉で我に返ったバニラは、慌てた様子で自分の荷物を纏め始めた。
そしてアルの後ろにピッタリ付いて歩くヴィナの後ろ姿を眺めながら、1ヶ月ほど前の出来事を思い起こした。
* * *
それは例の爆弾テロ事件が終結し、ロンドにやって来たときにも使った門の前でアルがやって来るのを、クルスと共に待っていたときのことだった。
事件の際には最終防衛ラインとして警察官でごった返していたここも、事件が解決したことで元通りの閑散とした場所へと戻っていった。なのでクルス達も遠慮することなくヘルドラゴンのブラントを呼び寄せ、門の前の広場に待機させている。
「あっ、いたいた!」
アルが笑顔で手を振って広場に姿を現したのは、太陽が地平線に姿を隠そうとし、空が茜色に染まり始めたときだった。ロンドにやって来たときとは違うブラウンのコートを身に纏っている彼女の姿に、クルスは不思議そうに首をかしげていたが、そのコートに見覚えのあったバニラはそれを見てホッと胸を撫で下ろしていた。
しかしそんなバニラも、アルの隣にいる見知らぬ少女の姿を見つけると、クルスと同じように首をかしげることとなった。しかもその少女は、その黒曜石のように大きな瞳をまっすぐバニラへと向けているために、その戸惑いもひとしおだ。
「アル、学院長から借りた赤いコートはどうしたの? もしかして捨てちゃったかしら?」
「大丈夫だよ、ちゃんと持ってる」
クルスの問い掛けにアルはそう答えて腰を捻ると、背中にぶら下げていた丈夫そうな手提げ袋を彼女に見せた。この手提げ袋も、彼女がこの街に来たときには持っていなかったものである。
その答えに、クルスはホッと溜息を吐いた。いくら非常事態だったとはいえ、自分の雇い主から借りた物を無くしたとなれば色々と困ることになっただろうから、彼女の反応も当然といえるだろう。しかし横で聞いているバニラとしては、正体不明の少女を後回しにしてまでする質問か、と内心じれったく次の質問を待っていた。
そんな彼女を知ってか知らずか、クルスは口を開いた。
「それでアル、その子は?」
「この子はヴィナっていって、わたしの“昔からの友達”なの。この子もわたしと同じく身寄りが無くてさ、学院に住まわせてほしいんだけど良いかな?」
アルの紹介に合わせて、バニラはその少女・ヴィナへと改めて視線を向けた。いつもコロコロと笑い明るくお喋りなアルとは対照的に、無表情のまま糊付けされたかのように感情の起伏が一切表に出ず、自己紹介も挨拶もせずに口を閉ざしている。
何だかアルと違って取っつきにくい性格っぽいな、とバニラがヴィナに対する第一印象をマイナス方向に位置づけていると、クルスがおもむろに口を開いた。
「アルの昔からの友達ってことは、その子も魔術が苦手なのかしら?」
「ううん、むしろ得意だよ。赤魔術なんて、それこそ学院の誰と戦っても引けを取らないくらいじゃないかな?」
「あら、つまりそれって教師と比べてもって意味かしら? 随分と大きく出たわね」
言葉とは対照的にクルスの口元には笑みが浮かんでおり、興味津々といった感じでヴィナのことをじっと見つめていた。
「魔術が或る程度できるんなら、むしろ学院としては大歓迎よ。魔術の素養があれば貴族も平民も関係無く入学できるし、むしろ実力があるんならそれを正しく使えるように導くことも学院の役目だわ。――問題は、彼女自身に魔術を学ぶ意思があるかどうか、ってことだけど……」
クルスはそこで一旦言葉を切り、ヴィナをじっと見つめたまま口を閉ざした。
「…………」
ヴィナはその視線に対抗するように、クルスのことをじっと見つめたまま黙り込んでいる。
しばらくの間、2人して真顔の睨めっこでもしてるかのような時間が過ぎていった。ハラハラとした様子のバニラとは対照的に、アルの表情は実に落ち着いたものだった。
「……まぁ、アルの紹介なら大丈夫でしょ。学費は私が持つから安心しなさい」
その睨めっこ勝負から離脱する形となったクルスの言葉に、アルはパァッと晴れやかな笑顔を浮かべて、ヴィナと両手を繋いでブンブンと振り回した。
「良かったね、ヴィナ! “また”一緒に暮らせるよ!」
「…………」
両腕を振る舞わされて尚も無表情と無反応を貫くヴィナだが、アルの手を振り解く様子は無く、されるがままとなっていた。
「…………」
そんな2人の様子を見て、バニラはなぜだか胸の奥がザワザワと居心地悪くなるような気分になった。
* * *
その後ブラントに乗って学院へと戻ったクルスは、ヴィナを引き連れて学院長室へとやって来て彼女の入学を直談判した。当然のように学院長はそれを二つ返事で了承するが、ここで一部の教師陣から『待った』の声が掛かった。
とはいえ、当然といえば当然かもしれない。何せ彼女は、これまで学院に散々混乱を招いてきた(主にシルバによる主張だ)アルと旧知の仲だ。そんな人物が学院に入ってくるなど、アルに対して良く思っていない者達からしたら堪ったものではない。
よって彼らは、ヴィナに入学試験を課すことを提案した。年度途中での入学という名目で通常の入学試験よりもかなり厳しめに設定したものであり、ヴィナを落とそうという魂胆が見え見えのものだった。
そしてヴィナはそれを、見事にやってのけた。学科こそ中の上レベル(それでもシルバ達からしたら不本意な結果だったろう)だったが、実技においては担当の教師が目を丸くするほどの好成績を収めたという。
さらに目を見張るのは、彼女の体内に貯蔵された魔力の大きさを測る“魔力値”だった。その数字は驚異の897であり、特進クラスでトップの成績を誇るルークの魔力値が475であることを考えると、如何にその数字が異常であるかが分かるだろう。
それだけの結果を残したとなれば、ヴィナを合格にしないわけにはいかなかった。それどころか彼女は、特進クラスへの編入が正式に認められる運びとなった。平民の子供が特進クラスに編入ともなれば、将来が約束されたようなものだと本人だけでなく家族も揃って狂喜乱舞するような結果だというのに、彼女は特に意に介した様子も無く普段通りの無表情無反応だった。
「今日のおやつは何だろなぁ? 昨日はアップルパイだったし、今日はケーキだと良いなぁ」
食堂へと続く廊下をスキップしながら軽やかに歩くアルに、微笑ましそうにそれを眺めながらその後ろをついていくバニラ。アルがこの学院にやって来てから毎日のように繰り広げられていたこの光景に、1ヶ月ほど前から無表情でアルの隣を歩くヴィナが加わった。
「…………」
しかしながら、バニラはその1ヶ月ほどの間、彼女との距離感を未だに掴めずにいた。彼女は普段から驚くほど口数が少なく、バニラもこの1ヶ月ほどで数回ほどしか彼女の声を聞いたことがなく、しかもその全てがアルに話し掛けたものだった。
つまりバニラは今まで一度も、ヴィナと会話を交わしたことすら無かった。クラスが違うとはいえ、授業以外にアルと行動を共にするときは常に彼女も一緒にいたにも拘わらず、だ。
彼女は自分のことをどう思っているんだろう、などとバニラが答えの出ない疑問を抱えている内に、3人は角をあと1つ曲がれば食堂の扉が見えてくる所にまでやって来た。それを予感させるように、角の向こうから生徒達の賑わう声が漏れ聞こえてくる。
と、そのとき、
「あれっ、3人共お揃いで。これから食堂?」
まさにその角から顔を出したルークが、こちらに気づいて声を掛けてきた。彼もこの時期の生徒の例に漏れず、数冊の本と筆記用具を小脇に抱えている。
「こんにちは。ルークくんも、今から食堂?」
「いや、僕はさっきまで食堂にいたところ。軽く摘める物を作ってもらって、そのまま食堂で勉強してたんだ。結構そういう生徒も多いみたいだよ」
ルークの言う通り、食堂は図書室に次いでテスト勉強によく使われている場所だ。元々生徒全員が座れるほどに席が用意されているため満席の心配が無く、勉強で疲れた頭を癒すために甘い物が欲しくなったときは厨房に行けばすぐに用意してもらえる。料理人達もそれを見越し、この時期は普段よりも多くのスイーツを用意しているほどだ。
ルークの言葉に反応したのは、案の定アルだった。
「……ねぇバニラ、わたし達もこれからは食堂で勉強しない?」
「駄目だよ。アルちゃん、勉強しないでずーっと食べてるでしょ?」
にべもなく切り捨てたバニラに、アルはガックリと肩を落として項垂れた。反論しないところを見るに、そのような魂胆があったことは否定できない。
しかしアルも自分の提案が通ると最初から思っていなかったのか、すぐに調子を取り戻した様子でルークへと顔を向ける。
「食堂を出てここにいるってことは、ルークはもう勉強を止めちゃうの? 夕食までは時間があるから、まだまだ食堂で勉強できるよね?」
「まぁね。でも“学科”は普段から授業でそれなりに勉強してるから、そこまで根を詰める必要は無いかなって思って。――それだったら、少しでも“演習”の方に力を入れようと思ってね」
「演習?」
「――――!」
「…………」
ルークの口から飛び出したその単語に、アルは首をかしげ、バニラは肩を微かに震わせ、ヴィナは我関せずと言わんばかりに無反応だった。
「あれっ、アルは知らなかった? 期末試験はペーパーテストだけじゃなくて、演習形式の試験も行われるんだよ。特に僕達は“戦闘科”なんだから、むしろそっちの方が重要なんじゃないかな?」
「へぇ、そうだったんだ。ねぇねぇ、それってどんな内容なの?」
アルにとっては座りっぱなしの勉強よりも体を動かす方が好きなのか、先程と比べても輝きの増した大きな目でルークをじっと見つめながら質問をした。
そんな彼女の期待に応えて、ルークも彼女に試験の内容を説明し始めた。
その内容を一言で表すならば、ずばり“タイマン勝負”である。
試験が行われる場所は、学院の敷地内にある大きな広場。そこに正方形のエリアを定め、そのエリア内から出ないようにして生徒2人が戦闘を行うのである。相手をエリアの外に出すか、戦闘不能だと担当の教師が判断するまでに追い込めば勝ちであり、勝ち星の数で成績が決まる。
とはいえ、さすがに全ての組み合わせで試合をする訳にはいかないため、幾つかのグループに分けてその中での総当たりで試合は行われる。生徒の数によってグループの数はまちまちだが、大体1グループに5人から6人の範囲内に収めるとのこと。ちなみに第1月末の演習とは違い、普通クラスと特進クラスが一緒になることは無い。
第1月末の演習では時間切れになるまで身を隠したり相手の不意を突くことができたが、今回の演習ではエリア内に遮蔽物は無く、互いに向かい合わせの状態で試合を開始するため、そのような作戦を立てることはできない。つまり、純粋な魔法戦闘によって勝敗を決することとなる。
余談だが、この演習の形式は数百年ほど前までは割とよく行われていた“決闘”とほぼ同じである。なので一部の血気盛んな男子から人気だったりするし、特に“戦闘科”を履修するような生徒はその傾向が強い。ペーパーテストは嫌だがこの演習は好き、という生徒も結構多かったりする。
「へぇ、前に森でやった演習とは全然違うね」
「まぁね。それにその演習では成績が振るわなかった生徒にとっては、ここでそれを取り返したいって思ってたりするだろうし。アルも少しくらいは何か対策を考えた方が良いんじゃないかな?」
「確かに、不意打ちとかできるんなら色々とやりようはあるけど、正々堂々と戦うしかないんだったら少し厳しいかもしれないしなぁ」
アルはそう言って、顎に手を当てて悩ましげな表情を浮かべた。今回の演習はむしろ“競技”に近いものであり、そんな状況下での戦闘は彼女にも経験が無い。
と、今までアルと会話をしていたルークが彼女から目を逸らし、彼女の後ろにいるヴィナへと顔を向けた。
「僕も、今回の演習を楽しみにしているよ。――それにできることなら、君とも戦ってみたいと思ってる」
「…………」
不敵な笑みを浮かべて宣戦布告とも取れる言葉を吐くルークに、ヴィナは一切表情を変化させることなく、じっと彼を眺めていた。
「それじゃ、僕はそろそろ行くよ」
「うん。またね、ルーク」
そう言って手を振るアルに、ルークは軽く手を挙げてその場を去っていった。その際に彼はヴィナのすぐ脇を通り過ぎていったが、彼女は彼に視線を向けることすらしなかった。
「さてと、それじゃわたし達も食堂に――バニラ?」
当初の目的を果たすべくバニラに呼び掛けようとしたアルだったが、彼女の様子が先程までと違うことに気がついた。
バニラは無言で顔を俯かせ、ギュッと拳を握りしめていた。今にも倒れそうなほどに顔色が悪く、怯えるように小刻みに体を震わせている。
そんな彼女にアルは声を掛けようと口を開きかけて、
「どうしよう……。演習のことなんて、全然考えてなかった……」
今にも消え入りそうな彼女の声が耳に入り、アルは納得したようにその口を閉ざした。
「…………」
そしてバニラのすぐ横では、無表情のヴィナがじっと彼女を眺めていた。




