第59話
魔術剣士のタイプは、大きく分けて2種類存在する。1つは剣技をメインとしながら補助として魔術を交えるタイプ、もう1つはその逆で魔術をメインにしながら補助として剣技を交えるタイプだ。当然ながら前者は近接戦闘が主となり、後者は多くの魔術師の例に漏れず相手と距離を取って対峙する。
「はぁっ――!」
そしてキーラの場合、典型的な前者だった。そもそも彼女のような平民出身の者は魔術の才能が平凡であることがほとんどで、だからこそ彼女は幼い頃から剣の腕を磨き続けた。おそらく彼女は、剣技だけで見れば軍の中でも上位数人に数えられるほどの腕前を誇るだろう。
よって赤魔術による圧倒的な攻撃力と攻撃範囲を持つ赤ずくめの男に対しても、彼女は普段のスタイルを崩すことなく、剣を両手で握りしめながら彼目掛けて駆けていった。鍛え上げられた身体能力、そして風系統魔術によるほんの少しの後押しによって、そのスピードは常人ではとても目で追えないほどに速かった。
「ほらよっ!」
しかし赤ずくめの男はけっして慌てることなく、その場を数歩離れて彼女の正面から逸れながら、小さく口を動かして杖を振るった。
杖の先端から生まれたほんの小さな火種が一瞬の内に膨れ上がり、あっという間に人1人どころか数人は容易く呑み込みそうな大きさの炎になると、まるで津波のような勢いでキーラへと襲い掛かった。侵入者へと迫っていた彼女の脚力と合わさり、炎の津波が恐ろしいスピードで彼女を焼き尽くさんと迫ってくる。
しかし彼女の表情はあくまで平然としたもので、力強い目つきで炎の津波を見据えながら、その手に持つ剣を構えた。
「ふっ――!」
そしてその剣を逆袈裟に振るった次の瞬間、炎の津波が剣の通った箇所を境に真っ二つに引き裂かれ、彼女を避けるように両脇を掠めながら後方へと通り過ぎていった。
それはまるで彼女が炎を切り裂いたかのような光景だが、当然ながら実体を伴わない炎を剣で斬るなんて芸当ができるはずもない。彼女の持つ剣は魔術師にとっての杖の役割も果たしており、先程のは彼女が剣を振るのに合わせて刃から風系統の魔術による突風を起こし、炎を部分的に吹き飛ばしたのである。
炎の津波を退いたキーラは、その勢いをまったく殺すことなく侵入者の男へと迫っていく。あっという間に、あと数歩もしない内に彼女の剣が届く距離にまで近づいていく。
しかしそれでも尚、赤ずくめの男は口元に笑みを浮かべていた。
「――――!」
それは彼女本人からしてみても『無意識にやってしまった』と説明する他ない行動だった。あと1歩大きく踏み込んで剣を振り下ろすだけで、その刃が男の頭を捉えるところにまで来たというのに、彼女はいきなりその足を止めて刀身で自身の体を守るように構え直したのである。
しかしそれが功を奏した。自身の腕で隠しながら彼女に向けていた男の杖の先端から、炎の密度を上げて範囲を狭める代わりに威力を増大させた炎が直線状に飛び出し、彼女の構えていた剣の刀身に衝突したからである。
刀身には風系統魔術による空気の層が纏われており、それに守られたことで彼女も彼女の剣も傷つけられることは無かった。しかしその衝撃は凄まじく、普段から訓練に明け暮れている彼女が歯を食いしばり、彼女の体が地面を擦って後ろに下がるほどである。
そしてその隙を突いて、男は大きく後ろに飛び退いた。あくまで魔術師の典型通り相手と距離を取って戦うのを得意とする彼にとって、近接戦闘のプロである彼女と剣の間合いでやり合うのは分が悪い。
仕切り直しとなり、キーラは剣を構え直し、侵入者の男は杖を彼女へと向ける。互いに攻撃の行動へと移れば即座に気づいて対処できる距離であり、つまりは膠着状態といえた。
そんな中、男がふと口元を緩めてフッと笑みを漏らした。
「随分と余裕だな、〈火刑人〉。余程自分の力に自信があると見える」
「……いやぁ、別にそんなんじゃないさ。単純に、おまえが想像以上にやると思っただけだ。最初はその歳で、しかも女の身で小隊長なんて何の冗談かと思ったが、さっきの女といい、ロンドの女は随分と物騒な奴が多いらしい」
「…………?」
男の言葉に、キーラは訝しげに眉を寄せた。まるで自分以外に実力のあるロンドの若い女性と、つい最近戦ったかのような口振りだ。しかし彼と直接戦闘した(そして病院送りにされた)警察の人間は全員男性であり、女性は1人もいなかったはずである。
まさか自分達の知らない被害者が他にもいるのか、という考えを表に出すことはなく、キーラは挑発的な笑みと共に彼へと話し掛ける。
「それにしても、意外だな。貴様のその背中にある荷物には、今まで街中にバラ撒いた爆弾も入っているんだろう? 先程の爆発の規模からしてもかなりの威力があるようだが、おまえは戦闘のときに一切それを気に掛ける様子が無い。――そこにある爆弾は、本物か?」
彼女の問い掛けに、男はニタァッと不気味な笑みを浮かべた。
「そりゃそうさ。この爆弾はそんじょそこらの奴が作ったのとは訳が違う、使用者の安全を最大限考慮した超安全仕様の爆弾だからな。たとえ戦闘の余波で爆弾が破壊されたとしても、使用者の意図しないタイミングならばけっして爆発は起こらない」
「ほう、それは良いことを聞いた。つまり私がおまえを遠慮無く攻撃したとしても、この場で爆発は起こらないという訳か」
キーラはそう言いながら、頭を巡らせていた。彼がわざわざそれをバラすということは、何かしら裏があるということを。
そしてその予想通り、男はその不気味な笑みを一切崩すことなく言葉を続けた。
「ただし爆発するときは、俺の意思と魔力がきっかけで即座に起こる。しかもその範囲が結構広くてな、この街程度の大きさならどこにあったとしても問題無い。――何なら1つ、試しに爆発させてみるか?」
「…………ちっ」
隠すこともなく舌打ちをしたキーラに、男は満足そうに笑みを深めた。
「ほら、いつまでそうして突っ立ってるつもりだ? 早く俺を攻撃しないと、俺はうっかり爆弾を起動させてしまうかもしれないぞ?」
「――ああ、そうだな」
わざと見せびらかすように杖を振ってみせる赤ずくめの男に、キーラは剣の切っ先を彼へと向け、地面を踏みしめる両脚に力を込めた。
彼の言葉が全て真実である保障は無く、もしかしたら彼女を誘い出す罠かもしれない。
しかし事実でない保障も等しく存在しない以上、彼女にはもはや選択の余地は無かった。
「……良いじゃねぇか、その表情。もっと楽しませてくれよ」
こちらへ向かって来るキーラを見据えながら、赤ずくめの男は実に楽しそうに笑ってみせた。
* * *
さて、このように小隊長であるキーラが侵入者と戦闘を繰り広げているところだが、その間彼女の部下達はただ何もせずに突っ立っている訳ではない。
その大半は警察と同じように街中に仕掛けられた爆弾の捜索に当たっているが、残りの部下は現在戦闘が行われている場所からある程度距離を取って囲むように待機している。その場所に一般人が入り込まないように監視するのと同時に、万が一キーラが敗れて侵入者が逃げようとしたときに迎撃する役目も担っている。彼女ほどの実力者になると半端な実力では却って足手纏いになる可能性が高く、基本的に1対1で戦うことが多いためである。
なので今回も彼女の部下は忠実にその任務に就いていたのだが、現在そこでちょっとした悶着が起こっていた。
「すみません! ここを通してください!」
「悪いが現在、この街に侵入した大悪人と戦闘中だ! 魔術の流れ弾に当たる恐れがある以上、ここを通すわけにはいかない!」
「お願いします! もしかしたら、友達が巻き込まれているかもしれないんです!」
「ならばその友達の探索はこちらでやる! 君は中に入らないように!」
街の一部を一時的とはいえ封鎖することになるので、当然そこの住人にとっては不便が生じることになる。なのでこのようにむりやり通ろうとするトラブルは割と多いのだが、ほとんどの人間は大怪我を負うことを恐れるので最終的には納得して引き下がっていく。
しかし今回の場合、相手がなかなか折れようとしなかった。理由は『中に知り合いがいて戦闘に巻き込まれているかもしれないから助けに行く』というもので、その兵士が『だったら我々がその人物を探す』といくら言っても聞かないのである。
さらに輪を掛けて意外なのが、むりやり通ろうとするその人物が十代の少女だったことだ。通常そのようなトラブルを起こすのは高齢の者が多い傾向にあるのだが、どう見てもその兵士より強いとは思えない少女が『自分が友人を探す』と言って中に入ろうとするのである。
その兵士からしたら、なぜ頑なに彼女が中に入りたがるのか不思議で仕方ないだろう。もしこれが少年だったら“若者特有の正義感に駆られて”とか“悪ふざけの過ぎた度胸試し”といった説明がつくが、男性よりも現実的な思考に長けた女性がそのような感覚に囚われることはあまり無い。
しかしそれも、当然といえば当然だろう。
――本物の〈火刑人〉はヴェルクさんと戦ってるはずだし、もしかしたら今あそこで戦ってるのがアルちゃんかも! もしそうだったら、兵士さんに頼んだら一発でバレちゃう!
いくら兵士が実戦経験豊富であろうと、目の前にいる少女――バニラの言っている“友達”こそがその侵入者である、なんて普通考えないからである。
〈火刑人〉らしき侵入者と出くわし、ヴェルクが囮になることでその場から逃げ出すことに成功したバニラだが、彼女としてはアルをそのまま放っておくような真似はできなかった。いくら彼女が自分よりも格段に強いとはいえ、魔術を用いた戦闘のエキスパートである警察や軍を相手に無事で済むとは思えない。
そんなことを考えながらアルを探して歩き回っていたら、まさに侵入者と戦闘中だというこの場面に出くわし、居ても立ってもいられなくなってしまった。ヴェルクと別れてからさほど時間が経っておらず、警察からも信頼されている賞金稼ぎとの戦闘がこんな短時間で終わるはずがない、と考えたこともその要因の1つだろう。
もちろん自分の実力は自分が一番分かっているため、戦闘に割って入ってアルの援護をする、なんて考えは持ち合わせていない。なのでバニラとしては、戦闘の光景を遠くから眺めるだけでも充分だった。
「じゃ、じゃあ! 遠くから見るだけでも良いので、兵士さんも一緒についてってくれますかっ! それだったら大丈夫ですよね!」
「い、いや、しかしそれでも……」
「友達がいないって分かったら、すぐに立ち去りますから! お願いします!」
バニラがそう言って深々と頭を下げると、その兵士は迷いを見せた。外見からして裕福な平民の娘、もしくは貴族に名を連ねる者かもしれないことは彼も何となく察しており、そんな彼女がここまで頼み込むほどに切迫した状況であることは想像に容易い。
そして彼は、このまま突っ撥ね続けて何かの拍子に中へ逃げ込まれるよりは、自分の傍に置いて安全を確保しながら彼女の望みを叶えてやった方が良いのでは、と思い始めてた。もしかしたら本当に彼女の友人が戦闘に巻き込まれており、万が一重大な事態に発展するようなことがあれば、とまで考えるようになっていた。
「……分かった。ただし、もしも危ない状況だと判断すれば、むりやりにでも君を連れてその場を離脱する。それで構わないな?」
「はいっ! ありがとうございます!」
兵士の言葉に、バニラは実に嬉しそうに満面の笑みを浮かべて頭を下げた。
そんな彼女に、彼は口元を思わず綻ばせていた。
* * *
「おらおらおらぁ! どうした小隊長さんよぉ、さっきまでの威勢はどうしたぁ!」
「ぐぅっ!」
赤ずくめの杖から飛び出す幾重もの炎の弾丸に、キーラは風系統の魔術を纏った剣で防いだり切り裂いたりするので精一杯で、そこから1歩も動くことができずにいた。防戦一方の状況が歯がゆいのか、彼女の表情が険しいものになっていく。
攻撃において“威力”や“速さ”というのは重要な要素だが、それ以上に無視できないのが“射程距離”だ。どれだけ威力や速さに優れた攻撃でも届かなければ意味が無いし、たとえ威力が不充分であっても遠距離から撃ち込むことができればそれだけでかなりの牽制になる。
そして今回の戦闘においては、射程距離の差が如実に表れていた。赤ずくめの“連射性能”を優先した攻撃は威力こそ大したものではないが、遠距離から撃ち込むことでキーラの攻撃から身を守り、同時に彼女をその場に留めておくことを可能にした。たとえ彼女が赤ずくめの隙を突いて攻めてきたとしても、彼女の射程範囲内に入るまでに幾分か時間が掛かるため、充分に余裕を持って対処することができる。
「小隊長に就くってことは、それなりに武勇を立ててきたのかもしれんが……。おまえが今まで負けずにいられたのは、ただ単に“運が良かった”だけだ。たまたま相手も近接戦闘型だったとか、特に頭を使わず特攻してくるような奴だったとか、な。――まぁ、これも経験だ。次があるかどうかは分からんが、敗北の味をしっかり噛みしめておけよ」
「…………くそっ!」
勝利を確信してるのか随分と饒舌な赤ずくめに、キーラは悪態を吐きながらも冷静になるよう心掛けた。奴のように調子に乗って油断したときが絶好のチャンスであるだけに、頭に血を上らせて判断力が鈍るような事態は避けたかった。
そんな彼女の様子を眺めていた赤ずくめは、これ見よがしに大きく溜息を吐いてほんの僅かに視線を逸らした。
そしてその両目が、離れた場所にいるキーラでは分からない程度に見開かれた。
「……そうか、そうだよな。普段から自分の命を懸けた仕事をしているおまえが、たかだか“自分の命が危険に晒される”ってだけじゃ本気になれるわけないよなぁ」
赤ずくめはそう言うと、キーラに対する炎の連続攻撃を繰り出す杖を右手に握りしめたまま、激しい動きをしても体に固定されるように紐の長さを調節した手提げ袋に空いた左手を突っ込んだ。
そしてそこから、無色透明だったら占いで使う水晶玉にも見える掌サイズの球体を取り出した。真っ赤な絵の具を塗りたくったような色合いをしたそれをキーラに見せびらかしながら、赤ずくめはニタニタと不気味な笑みを浮かべていた。
「だったら、てめぇが本気になれるように“お膳立て”してやるよ!」
そして赤ずくめは杖とその球体を素早く持ち替え、大きく右腕を振り被って球体を投げつけた。
キーラのいる方向――ではなく、明後日の方向へ。
「どういう――なっ!」
綺麗な放物線を描いて空中を飛んでいくその球体に、キーラはその方向へと視線を遣り、そして驚愕の表情を浮かべた。
部下達に指示して無関係な人間が入り込まないよう封鎖したはずのこの場所に、十代前半くらいの少女の姿があった。ここから大股で数十歩ほど離れた場所にある建物の陰に隠れているその少女の隣には、バリケード代わりに配置させたはずの部下の姿もある。
そしてその球体――自分達が現在ここにいる原因でもあるその爆弾は、その2人へとまっすぐ向かっていた。
「――――!」
キーラはそれに気づいた瞬間、赤ずくめへと視線を戻した。彼は左手で杖を握りしめているが、先程のような炎の連続攻撃は既に止んでいる。どうやら爆弾を点火させるには、攻撃の手を止めてある程度の時間集中する必要があるらしい。
「貴様――!」
その瞬間、キーラは剣を握りしめて魔力を注ぎ込みながら、持ち前の身体能力を活かした全力疾走で赤ずくめへと向かっていった。
「しまっ――!」
バニラをここまで連れてきた兵士は、こちらに向かって飛んでくる球体の存在に気付いた瞬間、剣を握りしめて彼女を庇うように前へ躍り出た。
「あれって、まさか――」
「君は早く逃げてっ!」
後ろのバニラに呼び掛けながら、彼は剣に魔力を注ぎ始めた。しかし『常に冷静を心掛けよ』という上司の教えに忠実に従う彼の頭が、報告で聞いた爆弾の威力と自分の実力を天秤に掛け、自分1人では爆発に耐え切れないと結論付けていた。
しかし、そんなことはどうでもよかった。バニラをここに連れてきてしまったのは自分であり、ならば自分の命を懸けてでも彼女を守り抜くのが自分の使命だった。
ぴしっ――。
目視でも細かいところまで観察できるほどに近づいた球体の表面に、深々と亀裂が走った。
透明な球体に詰まっていた真っ赤な“何か”が、亀裂の隙間からドロリと漏れ出して――
「とりゃあっ!」
しまう直前、まさにバニラ達が身を潜めていた建物の窓から、真っ赤なコートと大きなフードで全身を覆い隠した人物が勢いよく飛び出した。その人物は空中でその球体をキャッチすると、器用に体を捻りながらその球体を地面に向かって投げつけた。
「ちょっ――――」
顔を青くしてその球体へ駆け寄る兵士だったが、その球体は地面に衝突して本物の水晶玉みたいにガシャンッ! と小気味良い音をたてて粉々に割れ、そしてそれ以降は何の変化も無かった。割れる直前まで真っ赤な色に染まっていたその球体だが、地面に散らばるその破片は完全なる無色透明であり、赤色はどこにも見当たらない。
突然の乱入者が爆弾らしき球体を粉々に砕き、そしてその爆弾も爆発の気配も無く完全に沈黙している目の前の光景に、兵士は開いた口が塞がらないといった感じで呆然としていた。
そしての後ろで、バニラも同じように唖然とした表情でその赤ずくめの乱入者を眺めていた。ちなみにその乱入者は爆弾が粉々に砕け散った辺りで地面に降り立ち、爆弾を投げた張本人で自分と瓜二つな格好をした男をじっと眺めている。
「――もしかして、アルちゃん?」
バニラの呟きに、赤ずくめの乱入者がゆっくりと彼女の方を向いた。
すっぽりと頭を覆い隠すフードの奥から、宝石のように鮮やかな緑色の瞳がこちらを見据えているのが見えた。




