第57話
『第18地区の東地点、商業区域の大通りにある“ラヴィの香水店”の軒先に、赤い水晶玉らしき物体を発見! 現在店主に事情を説明し、周辺への立入禁止措置を行っています!』
『第29地区の住宅街中央付近にある公園にて、植え込みの陰に赤い水晶玉が隠されているのを発見。公園内を立入禁止にして、現在様子を窺っているところです』
『第8地区の“別邸区域”にて、赤い水晶玉らしき物体を発見! 目立った被害は今のところ無い模様! 引き続き警戒態勢に入ります!』
次々と頭の中に飛び込んでくるのは、カラスを通して聞こえてくる警察官からの報告だった。鎧を身に纏ったその男は服が汚れるのも構わずに地面にどっかりと座り込んで、1文字たりとも聞き漏らすまいと真剣な表情で耳を澄ませていた。
そしてその報告に合わせて彼の手が忙しなく動き、地面に大きく広げられた地図に次々と赤丸を書き込んでいく。この世界における地図というのは防衛に関わることから機密情報扱いであり、ごく限られた組織のこれまたごく限られた人間でしか閲覧及び使用が許可されていない。つまり彼は、そういう人間だということだ。
その赤丸が示しているのは、例の侵入者がばら撒いている“爆弾”とおぼしき赤い水晶玉を発見した場所である。その数は既に2桁にも上り、現在進行形でその数は増え続けている。これら全てが爆発したら、と男は考えて、思わず彼はギリッと奥歯を鳴らした。
「想像以上に、爆弾が中心部にまで散らばっているようだな」
頭上から聞こえてきたその声に、男はハッとして顔を上げた。よく鍛え上げられて引き締まった体をした金髪蒼眼の若い女が、凛々しい表情で地図を上から覗き込んでいた。身に着けている鎧は動きやすさを最優先しているためか、最低限の急所のみを守る簡易的なものだった。
その女の言う通り、地図に書き加えられた赤丸は、街の中心に位置する王宮から少し離れた、地方の貴族が中央省庁で仕事をするときに使う別邸が密集する地区などにも及んでいた。ロンドの街は中央に近い地区ほど若い番号が振られており、つまり番号の小さな地区ほど政治的に重要な建物が密集していることになる。そして先程の部下の報告にもあった通り、既に侵入者の魔の手は1桁台の地区にまで及んでいるようである。
「はっ! お疲れさまです、キーラ隊長!」
「そのままで構わない。引き続き、警察からの報告を纏めてくれ」
30代前半らしき男が敬語で話し、それよりも1回り以上若いキーラと呼ばれた女がタメ口で応える。年功序列社会ならば有り得ないような光景だが、階級社会である“軍隊”においては何ら不思議なものではない。
つまり彼女は、この男の上司だった。それどころか、現在この場に集まっている全ての兵士は1人残らず彼女の部下である。
キーラは18歳という異例の若さで国王軍の小隊長に任命されたことでも話題になった、魔術と剣を組み合わせて戦う“魔術剣士”だ。元々は貧しい村の出身でまともな教育を受けられなかった彼女だが、家族を養うために始めた“冒険者”稼業によって鍛え上げられた魔術と剣術を引っ提げて国王軍に入り、腕っ節のみで現在の地位にまで上り詰めた本物の実力者である。
「まさか奴は、本気でこの街を火の海にするつもりなのでしょうか……?」
「少なくとも『冗談でした』では済まされない域にまで来ていることは確かだ」
これまでの侵入者の行為を見ると、明らかにイグリシア国そのものに対して危害を加えようとしていると解釈される。そうなれば、たとえ未遂に終わったとしても死罪は免れないだろう。
普通の人間ならば、国家に対するテロ行為がどういうことか理解できないはずがない。街の至る所に爆弾を仕込む用意周到さと警察に対する態度からも、自棄を起こしての自爆テロである可能性は極めて低いことを考えると、侵入者は確たる想いと勝算を持って今回の事件を企てていると推測できる。
その推測が脳裏を過ぎり、その女性は口元を苛立たしげに歪めた。侵入者の狙いを知ってなお、いや、知ってしまったからこそ、彼女達は下手に手出しができなくなってしまった。奴が仕掛けているのがどんな仕組みになっているのか分からない“爆弾”である以上、奴を追い詰めたときに街中に仕掛けた爆弾が一斉に爆発する可能性を排除できない。そうなればロンドの被害、ひいてはイグリシア国の被害は計り知れないものになるだろう。
なので奴を捕まえるときは、爆弾が爆発しないと確信が持てるようになってからとなる。ただでさえ奴への対応が後手に回っているというのに、市民が危険に晒されている状況下でのこの判断に、その女性は歯がゆさを覚えずにはいられなかった。
しかしながら、彼女もただ手をこまねいているだけではない。
「報告します! 警察より譲り受けた爆弾を、“中央魔術研究所”に搬送いたしました!」
「ご苦労。気分屋な研究員連中も、未知の爆弾となれば嬉々として解析するだろう」
息を荒げて駆け寄ってきた部下の報告に、キーラは無表情ながらもほんの少しだけ雰囲気を柔らかくした。イグリシア国が誇る優秀な(と同時に変わり者な)研究員が数多く在籍するあの機関ならば、仕組みはともかく、どこまで爆弾の安全装置が働くかを解析するのにさほど時間は掛からないだろう。
通常ならば、ロンドの街で何かが起こっても軍隊が出動することはまず無い。地方の領地では軍隊が警察を兼務することも珍しくないが、ロンドでは警察権を軍隊からは独立させ、国王軍はあくまで国全体での非常時に備えて日々訓練を行っている。
しかしながら、その矛先が自分達の仕える国家そのものに向くとなれば、話は別だ。
「――首を洗って待っていろ、〈火刑人〉」
ぽつりと呟かれたキーラの言葉には、並々ならぬ意思が宿っていた。
* * *
「――ひとまずはこれで良し、と」
音をたてないようにゆっくりとした動きで“それ”を床に置いたアルは、大きく溜息を吐いてその場に座り込んだ。額には一切汗が滲んでいないことから、体力的な疲れよりも精神的なものから来た溜息だろう。
彼女が現在いるのは、先程の警察官2人組と出くわした場所から程近い、赤煉瓦で造られた建物が軒を連ねるロンドでは珍しい木造の家だった。そこは同じような木製の家が建ち並ぶ一画であり、長年の風雨に晒されたせいでボロボロに朽ち果て、もはやスラム街の住人ですら住むのを躊躇うような有様である。
そんな家だからこそ、アルはひとまず“それ”をここに運び込んだ。もう少し余裕を持って準備していたらもっと上手い隠し場所があったのだが、何分急なことだったので致し方ない。
アルは足音をたてないように、しかし素早く窓際へと移動した。ガラスもカーテンも無いために単なる穴と化しているそこから、外からバレないように注意しながらゆっくりと頭を覗かせた。
人が住んでいない場所だけあって、周辺の道路は昼間にも拘わらず人通りが無かった。相変わらずの入り組んだ道路のため、あちこちに死角が存在する油断ならない場所ではあるが、それでも人の姿が無いというだけでアルの心は幾分か落ち着いていった。
「さてと、問題はここからどうするか、だけどなぁ……」
アルは実に面倒臭そうな表情を浮かべながら、現在自分の目の前に転がっている赤い水晶玉へと目を向けた。じっとそれを見つめながら、彼女は憂鬱そうに溜息を吐いた。
その水晶玉は、先程アルが出会った露天商の男がどこかから拾ってきたものである。爆弾ということもありそこら辺に捨てる訳にもいかないと思ったアルは、仕方なくそれを持ってその場から移動を開始した。
もしこの爆弾を持っているところを警察官や空を飛ぶカラスに目撃されたら、赤いコート以上の確信をもって自分が犯人だと断定されてしまうだろう。なのでアルはとりあえず、この辺りで人があまり来なくて身を隠すのにはちょうど良いこの家へとやって来た。
とはいえ警察もこの場所を知らないとは思えない。それに先程から警察とは明らかに違う連中の姿もちらほらと見掛けているので、いつまでもこの場所に留まる訳にもいかないだろう。
「さてと、どうしたもんかな……。爆弾を抱えながらあれだけ炎を操ってたんだから、ちょっとやそっとじゃ爆発しないんだと思うけど……」
それは彼と直接戦ったアルだからこその推測だった。もしも奴が自分の命を顧みないサイコ野郎だったら話は別だが、戦っている印象としては自分の命をぞんざいに扱っている印象は無かった。
しかしながら、いつどのようなタイミングで爆発するか分からない物を抱えるというのは、さすがのアルも両手で頭を抱え込んで唸り声をあげるほどに頭を悩ませる問題だった。魔術が使えたら少しは違うんだろうな、と彼女は今まで特に欲しいと思わなかった魔術を渇望するまでになっていた。
と、そのとき、
「――――!」
地面を踏み鳴らす微かな音がアルの耳に入ってきて、バッとその顔を上げた。即座に窓際へとその身を滑り込ませた。先程よりも慎重な動きで窓の外を覗き込み、徐々に大きくなっていくその足音の正体を盗み見た。
そこにいたのは、ショートボブの黒髪に大きな黒瞳、そして着ている服も上下共に黒といった、まさに“黒”という印象が真っ先に出てくるような出で立ちの少女だった。見た目の年齢は10代前半ほどだが、同年代の少女と比べてもひどく無表情で、布袋を袈裟懸けに提げている以外にこれといった持ち物は無い。
そしてそんな少女を一目見た瞬間、アルは驚きのあまり目を丸くした。
「――ヴィナ!」
姿を隠すのも忘れて、アルは窓枠から身を乗り出して大声で少女に叫んだ。
「――――、アル?」
そしてその瞬間、無表情だった少女の目が大きく見開かれ、窓枠を乗り出してこちらを見つめる少女・アルの名を呟いた。その声はちょっとした風にも消え入りそうなほどに小さいが、その2文字に様々な感情が籠められていることが分かるものだった。
そんな様々な感情を爆発させるかのごとく、ヴィナと呼ばれた少女は大きく息を吸ってアルへ向けて1歩足を踏み出して――
「――――!」
いこうとしたとき、アルが彼女へ向けて掌を突き出した。即座にヴィナが足を止める。
そしてアルは大きな身振りで、自分のいる建物に入ってくるように指示を出した。そうしてすぐさま自分の体を引っ込める彼女に、ヴィナは最初にここへ来たときと同じ無表情で建物の入口へと歩いて行った。
* * *
「はい……、はい……。分かりました、すぐにそちらに向かいます」
真剣な表情で相槌を打つヴェルクの正面には、じっと彼の顔を見つめるカラス。1人と1羽が向かい合うその光景はかなりシュールだが、それをすぐ傍で眺めるバニラの表情には嘲笑や憐憫といった類の感情は一切無く、むしろ緊迫したように固唾を呑んでじっと見守っている。
なぜなら彼女はそのカラスが警察の使い魔であり、今は〈火刑人〉の格好をした侵入者について報告しているところだということを知っているからである。カラスを通した警察の報告は彼女には届かないが、それを聞くヴェルクの深刻な表情がその内容を物語っていた。
やがて報告が終わったのか、カラスが空へと飛び立っていった。
「ヴェルクさん、警察の人は何て……?」
「あぁ、やっぱりさっきの爆発は〈火刑人〉の格好をした侵入者だったらしい。しかもロンド中にあの爆発を引き起こした爆弾が散らばっている可能性もあるようだ」
“爆弾”という単語に、バニラは目を丸くして息を呑んだ。遠くからでも相当な威力だと分かるあの爆発が街の至る場所で起こったら、と想像した彼女の顔から血の気が引いた。
「爆弾って……! それじゃ――」
「警察は〈火刑人〉捜索の人員を割いて、その爆弾の捜索に走り回っているようだ。そしてその穴を埋めるように、軍隊から応援を要請したみたいだ。――それに僕も、本格的に連携を取って侵入者を迎え撃つことになった」
つまりそれは、ヴェルクがバニラのクラスメイト捜索から外れることを意味していた。バニラは一瞬だけ残念そうな表情を見せるが、すぐに笑顔を浮かべて納得を表すように頷いた。
「分かりました。ありがとうございます、見ず知らずの私を手伝ってくださって」
「いやいや、こっちこそごめんね、君の友達を見つけられなくて……。君の友達が侵入者捕獲に巻き込まれなければ良いんだが……」
本当に申し訳なさそうな表情を見せるヴェルクに、バニラは「そんな気にしないでください!」と慌てて首を横に振った。
「大丈夫ですよ! ア――彼女は凄く頭も良いから、きっと上手くやり過ごすと思いますし!」
「ははは、君は本当にその子を信頼してるんだね」
ヴェルクのその言葉に、バニラは頬をほんのりと紅く染めてはにかんだ。
「……はい。あの子と出会ってから、今まで嫌な事しか無かった学園生活を楽しいって思えるようになったんです。魔術は私よりも使えないけど、私にとっては他の誰よりも強いんです」
まるで自分のことのように嬉しそうに話すバニラに、ヴェルクは微笑みを携えながら耳を傾けていた。
しかしそこで、ヴェルクはふと気になるキーワードを見つけた。
「……ん? その子は、魔術が得意じゃないのかい?」
「はい、そうなんです。でもその子は身体能力が凄くて、まるで魔術を使ってるみたいに色んなことができるんですよ!」
拳を握りしめて力説するバニラだが、ヴェルクの意識は半分別の方に向いていた。
――魔術が使えず、だけど身体能力が凄まじい……。それってまるで……。
ヴェルクがそんな考えを脳裏に巡らせ始めた、そのとき、
「――ヴェルクさん」
「――――!」
バニラの強張った声が耳に飛び込んできたのと、ヴェルクの肌にピリッとした痛みを伴うような緊張が走ったのは、ほぼ同時だった。
2人の前方、およそ大股で20歩ほど進んだ先にある建物の陰から、1人の人物が姿を現した。
その人物の印象を一言で表すなら、まさに“赤”だった。大きな赤いコートを身に纏い、フードを頭からすっぽりと被っているために全身赤といった出で立ちだった。見た目の年齢どころか性別すらも分からないその人物は、布袋を袈裟懸けに提げている以外にこれといった持ち物は無い。
この距離から見る限りでは、〈火刑人〉の格好をしたバニラのクラスメイトという可能性も充分にある。
しかしその人物を直に見たバニラとヴェルクは、揃って『違う』と断言できた。
そうでなければ、先程から感じるこの“殺気”の説明がつかない。
「――バニラちゃん。僕が時間を稼ぐから、とにかく少しでもここから遠くに逃げるんだ」
「えっ! で、でも――」
「僕なら大丈夫だ。だから、ね?」
そう言って優しく笑いかけるヴェルクに、バニラは後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながらも、足早にその場を離れていった。
そしてその代わりに、彼に近づく1人の人物がいた。
「よう。おまえは楽しませてくれるのか?」
真っ赤なコートで全身を包むその男に、ヴェルクはゆっくりとした動きで向き直った。




