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〈暴食〉のアル  作者: ゆうと
第4章『王都編』
49/83

第49話

 ロンドの中心街から少し東に向かったその地域は、大昔に一大ファッションブームを巻き起こした地元出身の女性の名前を取って“メアリー街”と呼ばれている。実際には“第38地区”という何とも味気ない名前が正式名称なのだが、一般市民でその呼び方をする者はまずいない。

 そんな愛称で呼ばれているだけあって、馬車が擦れ違うのがやっとの幅しかない道路の両脇には、流行の最先端をひた走る有名なファッション店が建ち並んでいる。道路にはそういったことに敏感な若者が大勢行き交い、皆が休日のショッピングを楽しんでいるようだった。

 しかしそんな人集りの中に、険しい表情で建物の壁に寄り掛かる二人組の男がいた。


「まったく、せっかくの休日だっていうのにお仕事とは、本当についてないぜ……。今日は久し振りに、彼女とデートだと思ってたのによう……」


 その内の片方、毛先をあちこちに跳ねさせ、現在ロンドの若者で流行っている服を身に纏った20代前半の男は、隣にいる後輩らしき男に話し掛けながら深い溜息を吐いた。


「先輩、無駄口を叩くだけなら帰って頂いても結構ですよ? 自分1人でも大丈夫なんで」


 しかし後輩の男は、そんな彼の愚痴を手厳しい一言でバッサリと切り捨てた。その視線は次から次へと行き交う通行人をしっかりと捉え、眉間の皺と相まってまるで睨みつけているようである。

 先輩に対する態度にしてはひどく無礼なものだったが、彼は軽く肩をすくめるだけで特に注意することは無い。その代わり、彼は愚痴にも似た言葉を尚も続ける。


「しかしまぁ、その〈火刑人〉も――本物かどうかは分かんないけども、いったい何が目的なんだかねぇ? そいつが真っ赤なコートで身を隠してるって情報は割と有名なんだから、そんな格好をすれば門番に怪しまれるなんて分かりそうなもんだがねぇ。何だか馬鹿っぽそうだし、実は大したことないんじゃねぇの?」

「大したことなかったら、メリル警部があそこまで用心するはずがないでしょう。相手がどんな奴だろうと、メリル警部の指示がある以上、自分はそれに従うまでです」

「……なぁ、おまえ何か機嫌悪くねぇ?」

「別に、そんなことはありません」


 彼の問い掛けに、後輩の男は一切視線を向けることなくそう答えた。

 すると彼は、突然ニヤリと不敵な笑みを浮かべて彼に1歩近づいた。


「分かったぜ? おまえ、メリルさんと一緒にいられないから機嫌が悪いんだろ?」

「……はぁ?」


 ここで初めて後輩の男は、目の前の通行人から隣にいる不真面目な先輩へと視線を移した。


「だっておまえ、メリルさんのこと尊敬してるもんなぁ。みんな言ってるぜ? おまえはまるで、彼女の飼い犬みたいに従順だってな」

「……自分はただ、メリル警部の部下として動いているだけです」

「はいはい、そういうことにしておいてやるよ。――それにしても、メリルさんは今頃どこにいるんだろうな? 1人でどっか行っちまうし。まさか俺達に仕事を押しつけてサボって――」

「先輩。冗談にしては、随分と笑えないことを言いますね」

「……悪かったよ」


 あまりにも力の籠もった後輩の男の言葉に、彼は咄嗟に謝罪の言葉を口にしていた。それでとりあえずは納得したのか再び通行人へと視線を戻す後輩の男に、彼はホッと胸を撫で下ろした。

 しかしながら、彼は尚も疑問に感じていた。一応“カラス”を通じて指示は来るのでサボりってことは無いだろうが、普段は部下と共に現場で動き回ることの多い彼女にしては非常に珍しい。


「…………」


 しかしながら、後輩の男はメリルが現在何をしているのか――というよりも誰と一緒にいるのかを知っていた。普段彼女の補佐として共に行動することの多い彼だからか、他ならぬ彼女本人から他言無用を条件に。

 そしてそれこそが、彼を不機嫌たらしめている要因だった。


 警察が捜査や犯人逮捕のときに賞金稼ぎと協力することは、警察組織としては大っぴらに認めていないが厳重に禁止している訳でもない。ベテランの刑事にはそれぞれお抱えの情報通がいるのと同じように、協力関係にある賞金稼ぎがいる刑事も珍しくはない。

 特に今回の場合、相手はあの〈火刑人〉かもしれないのである。メリルが腕の立つ賞金稼ぎを頼りにするのも、円満解決のためにも必要だと判断したからだろう。もちろんそれくらいのことは、この男も重々理解している。そもそも彼自身は、部下である自分が上司の決定に異を唱えるなんて権利は存在しないと考えている。


 しかし彼女のその行動が、彼女が自分達よりも賞金稼ぎの方を頼りにしたように思え、それが彼をひどく不快な気分にさせたのである。この感情が彼女に対する厚い忠誠心ゆえのものなのか、それともそれ以外の理由によるものなのか、彼自身でも判断が付かなかった。

 だからだろうか。彼の通行人を見つめるその目にも、自然と力が籠もるようになっていた。本人は自然を装っているつもりなのかもしれないが、先程から何人かがその視線に気づいてチラチラと様子を伺っている。


「本当におまえって健気だよなぁ……」


 そんな彼に対して、先輩の男は様々な意味を含んでいそうな言葉を呟いた。

 そしてそんな彼ほど熱心に仕事に取り組む意味を見出せない先輩の男は、特に何か思うところがあった訳でもなく、あくび混じりに横へと顔を向けた。


「――――!」


 そして、息を呑んだ。

 そんな彼の変化に、すぐ隣にいた後輩の男が怪訝な表情で彼へと目を向けた。普段から軽い言動の目立つ彼が、額からじんわりと汗を掻いて緊迫した表情を浮かべているのに気づいた。


「……どうかしましたか?」

「なぁ……。確認なんだが、〈火刑人〉ってフードの付いた真っ赤なコートで顔とかを隠してるんだったよな?」

「何ですか、そんな当たり前のこと――って!」


 若干呆れたように溜息を吐いて彼の視線の先を目で追った後輩の男も、彼と同じように目を見開いて息を呑んだ。

 多くの人が忙しなく行き交う人集りの真ん中に、全身を真っ赤なコートで包み、顔が隠れるほど目深にフードを被る人物がいた。派手な色合いを好む若者が周りに溢れているとはいえ、その人物の出で立ちは異様に見えた。

 赤ずくめは次から次へとやって来る通行人を器用に避けながら、歩くだけでも大変な人混みの中をすいすいと進んでいった。まるで泳いでいるかのような足取りで、どんどんこの場から離れて小さくなっていく。


 さてどうするか、と先輩の男が思案していると、後輩の男がおもむろに壁から背中を離して、赤ずくめの進む方へと1歩足を踏み出した。

 すかさず、先輩の男が彼の肩を掴む。


「待て。何をする気だ?」

「何をするって……、何かが起きる前に対処するのが目的なんですから、監視するために尾行するに決まっているじゃないですか」

「だったらそれは“カラス”の役目だ。俺達はまずこのことを報告して、メリル警部からの指示を待つべきだ」

「カラスだけに任せてたら、いざというときに間に合わなくなるでしょう。バレないように距離を取れば良いだけなんですから、心配することはないですよ」


 彼はそう言い残すと、人混みを掻き分けて赤ずくめの後を追い掛けていった。

 先輩の男は彼の後ろ姿を見つめながら、乱暴に頭をがしがしと掻いて、


「――ったく、何をそんなに焦ってんだよ」


 呆れたようにそう呟き、人混みを掻き分けて彼の後を追い掛けていった。

 道行く人に視界と進路を遮られながらも、2人は赤ずくめを見失うことのないよう、しかし気づかれることのないよう、つかず離れずの距離を保っていた。とはいえ、赤ずくめの歩くスピードが速いため、2人はそれを追い掛けるので精一杯だった。

 そうして2人が尾行を初めてしばらく経った頃、赤ずくめが進路を変え、細い脇道に入っていった。建物の陰に隠れたことで、赤ずくめの姿が見えなくなる。

 そのことで心の中に僅かながらの焦りが生まれたのか、後輩の男が若干早足気味にその脇道へと向かっていった。突然スピードを上げたことで虚を突かれた形となった先輩の男は、小声で彼に注意しながらその後を追い掛けていく。

 そして後輩の男は、脇道へと入っていった。


 彼が最初に目にしたのは、真っ赤な壁だった。


「――――、へっ?」


 間抜けな声を漏らす彼の体を通り過ぎたその真っ赤な壁は、強烈な光と熱を放ち、ごうごうと獣の唸り声のような低い轟音を鳴らしていた。

 そして気がつくと、彼の体のあちこちから火の手が上がっていた。


「――ああああああああああああああぁっ!」


 彼は悲鳴をあげながら、必死に炎を消そうと頭を叩いたり体を振り回したりした。しかし炎はまるで意思があるかのように、彼が伸ばしたその腕を伝って彼らの体を呑み込んでいった。恐るべき早さで体を蝕んでいく炎と格闘している様は、傍目にはまるで踊っているようにも見える。

 しかしそれだけ動きまくっているにも拘わらず、炎は彼の動きに合わせて揺らめくだけで、がっしりと噛みついたまま離れようとしなかった。それどころか、彼を食らい尽くさんばかりの勢いでみるみる大きくなっていく。


「ガアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 彼の悲鳴は、人間が出しているとは思えないものに変化していった。肉を焼く匂いと、骨の髄まで貫かれるような強烈な痛みに、彼の思考が徐々に赤く塗り潰されていく。


「おい、しっかりしろ!」


 先輩の男が血相を変えて駆け寄りながら、彼へと杖を向けて呪文を詠唱した。次の瞬間に杖の先端から大量の水が噴き出し、彼の体に食らいつく炎をあっという間に消していった。

 これ以上燃えることのなくなった後輩の男だが、彼の服は既にボロボロになり、その隙間から赤黒く膨れ上がった肌を覗かせている。

 そして彼はそのまま、糸の切れた人形のようにその場に倒れ込んだ。


「きゃあっ! な、何!」

「魔術師同士の喧嘩だ!」

「おい、さっさと逃げろ! 殺されるぞ!」


 騒ぎに気づいた周りの通行人達が、悲鳴をあげてその場から逃げ始めた。大勢の人間が各々勝手に動こうとするものだから、他の者とぶつかったり、むりやり逃げようと突き飛ばしたり、それに怒って殴り返したり、親とはぐれて子供が泣き叫んだり、とにかくひどい有様だった。

 そんな中、逃げるどころか、その場から動き出す気配すら見せない人物がいた。

 全身を真っ赤なコートで包み、表情が隠れるほど目深にフードを被った全身赤ずくめの人物は、地面に倒れた後輩の男へと顔を向けたまま、小刻みに両肩を震わせていた。

 フードから僅かに見える口元は、笑っていた。


「貴様!」


 先輩の男が怒りを顕わにして、杖をそいつへと向けた。明らかな威嚇であり、少しでも動いたら魔術を放つという意思表示だった。

 そして、今まさに杖を向けられている赤ずくめは、口元の笑みをそのままに口を開いた。


「やっぱりおまえら、警察の人間だったか。あまりにも尾行がお粗末だったから、もしかしたら素人かと思ったぜ」

「――ふざけるな!」


 若い男の声で紡がれた挑発に、先輩の男は激昂して杖を赤ずくめに向けた。

 そして次の瞬間、杖の先端から水が撃ち出された。自然界に有り触れた単なる水も、矢のごとき速さで撃ち出されれば人間の体など易々と貫く凶器となる。

 そんな凶器が、赤ずくめの眉間へと迫る。


「――甘いな」


 しかしあと少しという所で、その進路を遮るように拳大の炎が空中に突然出現した。炎は彼の撃ち出した水を受け止めると、真っ白な水蒸気を吹き出しながら霧散していった。

 年上の男が悔しそうに歯噛みする中、そいつの口元がますます吊り上がった。


「何だ、おまえら? 王都の警察っていうのは優秀な奴が揃ってると聞いたんだが、この程度ならとんだ期待外れだぜ。――こんな温い街なら、簡単に火の海にできそうだ」

「貴様、まさか――」


 先輩の男が何か言いかけたが、次の瞬間、まるで壁のような炎の塊がこちらに迫ってくるのに気づいた。いったいいつの間に呪文を、という疑問をむりやり押さえつけて、彼はほとんど反射的に呪文を紡いだ。

 すると目の前に透明な水の壁が現れ、炎はその壁に阻まれてそれ以上先には進めなくなった。ジュウジュウと音をたてて噴き出される水蒸気が、その奥にいる赤ずくめの姿を隠していく。

 やがて炎が完全に消え、水蒸気が風に乗って飛んでいったときには、そいつの姿も完全に消え失せていた。


「…………」


 誰もいない道を、彼は奥歯を噛みしめて睨みつけていた。そんな彼の足元には、ぴくりとも動かずに横たわる後輩の男が転がっている。


「……とにかく、病院と報告だな」


 彼はそう呟くと親指と人差し指を口に咥え、ピーッ! と甲高い音を鳴らした。その音が空へと消えていった頃、バサバサと音をたてて何かが空から舞い降りてきた。

 それは、全身を黒い羽根で覆ったカラスだった。カラスは彼の目の前へと下り立つと、まるで彼の指示を待つようにじっとその目を見つめる。

 そしてそのカラスに向かって、彼が叫ぶ。


「第38地区“メアリー街”大通り付近にて、例の不審者と思しき魔術師と接触! 捜査員1人が重傷! 近くの捜査員は特別警戒に入るように! それと病院の近くにいるカラスは、今すぐ医者を連れてこい!」


 彼のこの行動からも分かる通り、このカラスはただのカラスではない。

 警察が何十羽も所有しているカラスの内の1羽であり、すべてのカラスと捜査員は《シェア・センス》によって聴覚を共有している。これにより、カラスを媒介として捜査員同士が連絡を取り合っているのである。

 そしてこのカラス、その気になれば視覚も共有することができる。つまりカラスに特定の人物を尾行するように命令し、自分達は離れた所でそいつを監視することだってできた。

 冷静沈着として同僚から評価されていた普段の後輩の男ならば、間違いなくその選択肢を選んだだろう。


「……ったく、何してんだよ、おまえ」


 吐き捨てるような問い掛けに、地面に横たわった後輩の男が答えることは無かった。



 *         *         *



 馬車とは比べ物にならないスピードと、馬車とは比べ物にならない絶景に、アルとバニラはすっかり興奮した様子で前へと身を乗り出していた。

 そんな2人を横目に、クルスはちらりとその視線を下へと向けた。あまりのスピードに目が追いきれず、眼下の景色が原形を留めないほどに曖昧なものとなっている。すぐにクルスはそこから視線を外し、アル達と同じように前方の地平線へと目を凝らした。

 本当にうっすらとだが、地平線にロンドの街並みらしき影が見えた。さすがドラゴン、馬車だと数時間は掛かる道のりもあっという間だ。

 バニラの箒に乗るのとはまた違う空の旅を楽しんでいたアルが、ふと口を開いた。


「それにしても、ルークも一緒に来れば良かったのに。せっかくの休日なんだから休めば良いのに、真面目なんだなぁ」

「うん……、何かルークくん、いつか倒れちゃうんじゃないかって心配になるよ」


 アルの言葉に、バニラも学院のあった方を振り返って心配そうな表情を浮かべる。


「そうねぇ……。確かに今のルークは根を詰めすぎていて、見てて少し不安になるわ。2学期には“交換留学”もあるっていうのに、ここで倒れられたら色々とまずいわね」

「“交換留学”って?」


 クルスの口から飛び出したその単語に、アルが耳聡く反応した。そして彼女の言葉を受けて、バニラも思い出したようにハッとなる。


「そういえば3年生が対象だから、今年は私達の番なんですね。ということは、やっぱりルークくんが選ばれたんですか?」

「まだ本決定ではないけど、成績から考えたら彼が妥当でしょうね。本人も乗り気みたいだから、ルークはほぼ決まりでしょ。あとはもう1人の人選なんだけど――」

「ねぇ2人共、さっきから話してるその“交換留学”って何なの?」


 2人の話に置いてけぼりにされて寂しかったのか、アルが2人の会話に割り込んで尋ねてきた。

 その姿が微笑ましかったのか、バニラは苦笑いにも似た笑みを浮かべて、


「ああ、ごめんねアルちゃん。――私達が今いるイグリシア魔術学院みたいに、世界には王立の魔術学院が幾つかあるんだよ。で、1年に1回の頻度でお互いの優秀な生徒を一定期間交換して、互いに交流を図る行事のことを“交換留学”っていうの」

「ウチは毎回、特進クラスと普通クラスから1人ずつ選ばれているわ。学院を代表する訳だから、当然成績が優秀な生徒が選ばれる。だから特進クラスに関しては、ほぼ間違いなくルークが選ばれるってこと」

「へー、そんなことやってんだ」


 アルが納得したように頷いていると、突然バニラが手を叩いて、


「そうだ、先生! 普通クラスからは、アルちゃんを出したらどうですか!」

「えっ、わたし?」


 アルは戸惑うような声をあげ、


「残念だけど、却下ね」


 クルスはばっさりと切り捨てた。


「えーっ! なんでですか?」

「まず第一に、成績で問題があるわ。今まではルークみたいに学年1位、あるいはそれに近い生徒が選ばれている。才能ある生徒に経験を積ませるって意図もあるけど、向こうの学院に『我々の学院にはこんなに優秀な生徒がいるんですよ』って自慢するためでもあるのよ」

「だったら尚更――」

「確かにアルは学科で優秀な成績を修めているけど、実技に関してはダントツでビリだわ。こういうときって、何か1つでも致命的な弱点があると体裁が悪いのよ」

「むー……」


 クルスの説明に、バニラは不満そうに尖らせながらも納得した。確かに魔術を学ぶための学院同士での交換留学なのに、魔術がまったく使えないアルを差し出しては意味が無い。


「そして第二に、世間から見たアルの立場に問題があるわ。実際に保護者になってる私が言うのも何だけど、ストリートチルドレンだった少女を、まったく魔術の才能が無いにも拘わらず学院の生徒にしている、というのはちょっと……ね」

「…………」


 クルスの説明に、バニラは口を尖らせたり頬を膨らませることはしなくなったが、それでもまだ納得したくないのか眉を寄せて俯いた。


「そして第三に、というか、これが一番の要因なんだけど……」


 クルスはそこで言葉を区切ると、アルへと顔を向けて、


「アル、あなた、留学してみたい?」

「やだ、面倒臭い」

「とまぁ、本人が乗り気じゃない以上、アルを選ぶのは無理ね」

「…………、はい、分かりました」


 バニラは視線をクルスとアルの間で何回も往復させて、やがて自分に言い聞かせるようにぽつりと呟いた。


「まぁ、夏休み中に向こうへと移動してそのまま2学期を迎える訳だから、準備とかも考えるとなるべく早く決めてあげないといけないわねぇ……」

「そういえば先生、今年はどこの学院と交換留学をするんですか?」

「今年? 今年は確か――」

「おお、もうロンドに着きそうだよ! さすがだね、ブラント!」

「ガウゥッ!」


 クルスとバニラの会話に被せるように、ブラントの頭の上から体を乗り出していたアルが興奮した様子で叫んでいた。そしてそれに応えるように、ブラントも大きな鳴き声をあげている。

 2人が進行方向へと視線を向けると、ぐるりと円を描く壁の内側に、建物の屋根がびっしりと隙間無く敷き詰められたロンドの街並みが先程よりもくっきりと見えてきた。壁の外側が相変わらずだだっ広い草原であるのと比べると、まるで別世界のようである。


「さすがドラゴン、馬車とは比べものにならないほどの速さだわ」

「うわぁ……、凄い……!」


 クルスもその速さに感心したように呟き、バニラも先程までの質問も忘れてその速さに魅入っている。


「よぅし、ブラント! もう一頑張りだよ!」

「ガウッ!」


 力強い掛け声でブラントに指示を出すアルの姿は、もはや彼女がブラントの主人であるかのようだ。ブラントもつい先程まで彼女に怯えていたはずなのに、この空の旅ですっかり彼女と打ち解けたみたいだ。

 ブラントがグンッとより一層スピードを上げたことで、ロンドの街並みがどんどん大きくなっていく。

 それを満面の笑みで見つめるアルを、バニラとクルスの2人が微笑みながら暖かい目で眺めていた。

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