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〈暴食〉のアル  作者: ゆうと
第3章『陰謀編』
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第39話

 こんこん、とバニラは遠慮がちに厨房の扉を叩くと、「すみません、失礼します……」とこれまた遠慮がちに頭を下げながら中に入っていった。その様子は、他国とはいえ彼女が貴族の人間だとはとても思えない。

 厨房では皿洗いといった朝食の片づけと、料理の下拵えといった昼食の準備が同時に行われていた。何人もの料理人が忙しなく動き回り、あちこちで怒号が飛び交っている。

 そんなときに入口から聞こえてきた少女の声に、彼らは最初迷惑そうな表情を浮かべてそちらに目を遣った。しかしそれがバニラだと分かると、途端にその表情を強張らせて一瞬動きを止めた。


「これはこれは、ヴァルシローネ様じゃありませんか! こんな所まで、いったいどのようなご用件で!」


 その中の1人・ボルノーが、慌てた様子でバニラの所まで駆け寄ってきた。いくら彼の方が年上だろうと、学院の人間であるバニラに歩み寄らせてはいけないのである。

 それが使用人にとっての常識なのだが、バニラは実に申し訳なさそうに彼にお辞儀をしてから、


「え、えっと……、お弁当を2人分用意してほしかったんですけど……。何だかとても忙しいみたいで――」

「いえいえ、ヴァルシローネ様がお気になさることではありませんよ! お弁当2人分ですね、任せてください! 腕に寄りを掛けて、最高の一品を作ってご覧にいれましょう!」

「は、はい……。えっと、ありがとうございます」

「いえいえ、我々を気遣ってくれる、そのお気持ちだけで充分ですんで!」


 ボルノーの言葉に、バニラはほっと胸を撫で下ろして笑みを浮かべた。しかしすぐに表情を引き締めると、これまた申し訳なさそうに問い掛ける。


「あの、皆さんに幾つか聞きたいことがあるんですが……、いつ頃だったら手が空いてますか?」

「聞きたいこと、でございますか? 厨房の者でしたら、昼食の時間が過ぎれば多少は手が空きますが……」

「分かりました。その時間になったら、こちらからお伺いします」


 バニラはそう言ってお辞儀をすると、そのまま振り返って立ち去ろうとした。しかしボルノーに呼び止められ、彼女の動きは途中で止まった。


「もしかしてヴァルシローネ様がお聞きになりたいことというのは、昨日の盗難事件のことでございましょうか?」

「はい、そうですけど……」

「あの……、本当にあの子が、盗難事件の犯人なんでしょうか……?」


 恐る恐るといった感じで、ボルノーがそう尋ねた。その後ろでは料理人達が自分の仕事をこなしながらも、時折心配そうにちらちらとこちらに目を遣っている。

 バニラは改めて彼らに向き直ると、


「いえ、私はそうは思いません。それを証明するためにも、皆さんの協力が必要なんです」

「そ、そうですか! 良かった……!」


 ボルノーは本当に嬉しそうにそう言った。他の料理人達も、それぞれ顔を見合わせて破顔している。


「これでオルファの奴も、少しは気ぃ紛れると良いんだが……」


 ボルノーの呟きに、ぴくり、とバニラが反応する。


「オルファというのは、ずっとアルちゃんのお世話をしていた給仕の方ですか?」

「おや、ご存知でしたか?」

「はい、私もアルちゃんから紹介されたことがありますから」

「ええ。嬢ちゃ――アル様ともすっかり仲良くなってたんですが、昨日のことが堪えたみたいで、今朝からずっと調子が悪かったんですよ……。とりあえず今のところは、自分の部屋で休ませてはいるんですが……」

「……あの、その子から話を聞くことってできますか?」

「オルファに、ですか? ……一応案内はしますけど、無理そうだったらやめてあげてくださいね」


 ボルノーの提案に、バニラは真剣な表情で頷いた。


「それでは行きましょうか。――おい、おまえら! 俺はちょっと出てるから、その間ちゃんと仕事しとけよ!」

「はい!」「はい!」「はい!」「はい!」「はい!」「はい!」「はい!」


 ボルノーの呼び掛けに、料理人達は一斉に声を揃えて返事をした。まるでよく訓練された軍隊のような光景に、びくっ! とバニラの肩が跳ねる。


「こちらへどうぞ、ヴァルシローネ様」

「は、はい……。よろしくお願いします」


 未だにばくばくと脈打つ心臓を押さえつけながら、バニラは頭を下げた。



 *         *         *



 使用人のための宿舎は、学院を取り囲む塀に寄り添うようにひっそりと建てられている。ひっそりといってもけっして小さいわけではなく、3階建てのそれは上等な集合住宅のようにしっかりしている。

 ボルノーに連れられて玄関に足を踏み入れたバニラは、そのまま1階の廊下を歩いていき、一番奥の部屋の前に差し掛かった所で足を止めた。


「オルファの部屋はここです。それで大変申し訳ないのですが、私は仕事がありますので、ここで失礼させて頂きたく……」

「はい、大丈夫です。ここまで送ってくださり、ありがとうございました」


 バニラのお辞儀に、ボルノーはそれより深いお辞儀で返すと、若干早歩きでその場を去っていった。バニラはその後ろ姿を見えなくなるまで見送ってから、部屋のドアを軽くノックした。

 中で何やら物音がして、がちゃり、とドアが開いた。


「はい、どちら様で――ヴァルシローネ様!」


 ドアから顔を出したオルファは、来客がバニラであることを知った途端、驚きで目を丸くした。


「な、なぜ、このような所へ!」

「えっと……、オルファさんから昨日の盗難事件について話を聞きたくて、ボルノーさんにここまで案内してもらい――」


 そこまで言ったところで、バニラの言葉は遮られた。

 カッと両目を見開いたオルファが、彼女の両肩を掴んで詰め寄ったからである。


「ひっ――」

「ヴァルシローネ様! アル様は無実なんです! きっと誰かに嵌められたんです! お願いです、信じてください!」

「だ、大丈夫です! 私もそう思って、ルークくんと一緒に調べてるところなんです!」


 その言葉で我に返ったのか、オルファははっとなってバニラから手を離すと、そのまま土下座する勢いで頭を下げた。


「も、申し訳ありません、ヴァルシローネ様! わ、私、とても失礼なことを!」

「だ、大丈夫ですよ、私は気にしていませんから。――話を聞きたいんですけど、中に入っても良いですか?」

「えっと……、貴族の方がいらっしゃるような所ではありませんが……、宜しかったらどうぞ」


 部屋の中を見て一瞬迷った様子を見せたオルファだったが、すぐに頭を下げてドアを大きく開けた。バニラも軽く頭を下げると、部屋の中へと入っていった。

 2段ベッドが2つ並び、それに挟まれるように共用の洋服箪笥が1つ、そして手前の壁に寄せるように共用の机と椅子が1つ置かれただけの、とても質素で単純な部屋だった。広さはバニラの部屋よりも小さく、さぞかし窮屈な想いをしているだろうことが伺える。


「えっと、狭い所ですけど、どうぞお掛けください」


 オルファはそう言うと、この部屋に唯一ある椅子を差し出した。バニラは礼を言ってそれに腰掛け、オルファはその正面に立った。


「それで、私は何にお答えすれば宜しいのでしょうか?」

「えっと、それじゃ……、使用人の皆さんの中で、昨日宝物庫に近づいた人はいますか?」


 それを聞いて、オルファの表情が若干曇った。


「……ひょっとして、使用人の中に犯人がいるのでしょうか?」

「いえいえ、そういうわけではないです! ただ今は、とにかく情報を集めたいと思って」

「そうですか、大変失礼致しました。――そうですね……、宝物庫の前の廊下を掃除した人ならいると思いますけど……」

「中に入ることはできますか?」

「まさか! 宝物庫の鍵は厳重に管理されていて、使用人がそれに触れることはまずありません」


 オルファの証言を聞いて、バニラは何やら考え込むと、


「オルファさんは、宝物庫の鍵が普段どこに保管されているか、ご存知ですか?」

「はい、それくらいなら。学院長室です」

「……使用人の方が、学院長室に入ることはありますか?」

「はい。主に掃除したり、備品を交換するときに。ですがそういったことは、必ず学院長本人がいらっしゃるときに行います。今は学院長が外出なさっている最中ですので、学院長室に入ることはできません」

「学院長室の鍵は、誰が持っていますか?」

「今回のときには、学院長自身がお持ちになってお出掛けになります」

「……本物を盗み出すのは、不可能か」


 学院長室のドアにも窓にも、宝物庫と同じように《セーブ》が掛けられている。つまり中に侵入するためには、合い鍵を作らなければいけないことになる。

 結局合い鍵を作らなければいけない以上、真犯人は緑魔術に精通した人間と見て間違いないだろう。


「そういった掃除って、他の先生方の部屋でもやるんですか?」

「はい。当番制になっていまして、だいたい2週間に1回といったところでしょうか」

「……アルちゃんの部屋も?」

「いえ。あの部屋はマンチェスタ様自身が掃除をなさっているとのことで、我々使用人は立ち入りを許可されておりません」

「へぇ、そうなんだ……。――話を変えますね。使用人の皆さんの中で、緑魔術に精通している方はどれくらいいますか?」

「……壊れた備品を修理してくれる方は、何人かおりますけど……。どこまでできるのかは、申し訳ありませんが分からないですね……」

「それでも構いません。オルファさんが知ってる、緑魔術を使える使用人の方を教えてもらえますか?」


 バニラの申し出に、オルファは快く応じた。彼女の口から淀みなく出てくる名前を、バニラは手持ちの手帳に書き連ねていく。


「ちなみにですけど、オルファさんは?」

「風系統なら割と得意な方ですが、緑魔術となるとからっきしです。他の人にも訊いてくだされば分かると思います」

「そうですか……」


 バニラはそう呟くと、そのことも手帳に書き留めた。


「次の質問に移りますね。――オルファさんは昨日、怪しい人を見掛けませんでしたか?」

「見ていません」


 やけにはっきりと、オルファは即答した。


「なんで言い切れるんですか?」

「私はこの学院に勤めていらっしゃる先生方はもちろん、生徒の皆さんの顔も全員憶えています。もし外部からの侵入者がいれば、私が気づかないはずがありません」


 そう言い放つオルファの表情は、給仕という仕事に対する誇りに充ち満ちたものだった。嘘を言っている様子は微塵も感じられない。


「それじゃ……、オルファさんが知っている人の中で、宝物庫へと向かっていく、あるいはそこからやって来るのを見ましたか?」


 バニラの質問に、オルファはしばらく考える素振りを見せて、


「……ひょっとしたら見ているのかもしれませんが、あまり意識してなかったので、正直憶えていません……。お役に立てず、大変申し訳ないのですが……」

「そんな、気にしないでください。別の人が犯人の姿を目撃しているかもしれませんし」


 落ち込む彼女を励ますように、バニラは努めて明るい声でそう答えた。

 しかしオルファから返ってきたのは、バニラにとって意外な言葉だった。


「……本当に、そうでしょうか……?」

「……それって、どういう意味ですか?」


 バニラがそう尋ねると、先程のは無意識な発言だったのか、オルファははっと目を見開いて勢いよく頭を下げた。


「も、申し訳ありません! 私みたいな人間が、ヴァルシローネ様のお考えに口を挟むなんて差し出がましい真似を――」

「い、いや、別にそれは構わないんですけど……。オルファさん、何か思いついたことがあったのなら、私に教えてくれませんか?」


 バニラのお願いに、オルファはしばらく言い淀むように視線を泳がせていたが、やがて決心したのか、バニラへとまっすぐ向き直る。


「これはあくまでも私個人としての考えなのですが……、今から犯罪をしようという人が、そう簡単に姿を見られるような真似をするかな、と思いまして……」

「成程……」

「例えば、誰もいない時間帯を見計らうとか……。もしかしたら、自分の姿を隠すような魔術を使って、こっそりと宝物庫に近づくぐらいはするのではないでしょうか……?」

「姿を隠す魔術……?」

「あ、あの、別に何か根拠があってそう言ったわけではなくて……! 私はあまり魔術に詳しくないので分かりませんが、そういった魔術もあるんじゃないかな、と――」


 オルファはわたわたと慌てながら頻りに頭を下げていたが、残念ながらその言葉はバニラには届いていなかった。

 なぜなら彼女は、それを聞いていられるような精神状態ではなかったからである。


 ――そうだよ、なんで今まで気づかなかったんだろう……! 誰にも見られずに盗み出す方法もあるはずなのに……!


 そしてバニラは、オルファの話を聞いてから或る人物がずっと頭に浮かんでいた。


 ――リーゼンド先生なら、《トリック・アート》を使って、誰にも見られずに宝物庫まで辿り着ける……!


「あの……、ヴァルシローネ様?」


 心配そうに声を掛けたオルファによって、バニラは我に返った。


「あっと……、ごめんなさい」

「いいえ、別に構いませんけど……。お聞きになりたいことは、以上で宜しいですか?」

「すみません、最後にもう1つ。――アルちゃんって、いつも何時頃にお風呂に入っていましたか?」

「お風呂、ですか……? いつもは我々使用人と同じ時間ですが……」

「……ひょっとして、皆さんがお風呂掃除をするのって、その直後だったりしますか?」

「はい、そうです。アル様にも、よくお手伝い頂いておりました。我々は構わないと言ったのですが、アル様は『お風呂に入れてくれたお礼だから』とおっしゃってくれて……」


 オルファの話を聞いて、バニラは思わず顔をしかめた。


「……分かりました。――質問は以上です。ご協力、誠にありがとうございます」


 そう言って立ち上がるバニラに、オルファがすっと近寄る。


「あの……、これからヴァルシローネ様は、他の使用人にも話をお聞きになるのでしょうか?」

「はい、そのつもりですけど……」

「でしたら、私が案内を致しましょうか?」

「えっ? でもオルファさんは、体の調子が悪くて休んでたんじゃ……」

「アル様の一大事に何もできないなんて、そっちの方が辛いです! たいしてお役には立てませんが、ぜひともヴァルシローネ様のお手伝いをさせてください!」


 思わず圧倒されてしまいそうなオルファの力強い目つきに、バニラはふっと笑みを浮かべると、


「オルファさんに手伝ってもらえるなんて、こちらも心強いです。よろしくお願いします」

「――はい、ありがとうございます!」


 そう言って頭を下げるオルファに、バニラはますます笑みを深くした。

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